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(二十)後始末

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 淡河勢の夜襲に備えつつ、明日の朝には再びの仕寄りとなる。

 準備を怠る訳にはいかないが、戦さで気が高ぶっている兵どもを寝不足で戦場に出す訳にもいかない。

 付城に戻った則頼があれこれと指図を出して回っていると、虎口のあたりから兵の騒ぐ声が聞こえてきた。

「さては夜討かっ」
 表情をこわばらせて身構えた則頼だが、敵味方が刀槍を振りかざして争っている気配はない。

 訝りながら供廻りを連れて虎口に向かう則頼の元に吉田大膳が駆け付けてきて、思いもよらぬことを報告した。

「淡河城から放逐された領民が、次々と助けを求めて集まってきておりまする」

「なんじゃと。この騒ぎはそれか」
 則頼が大膳の後から虎口に足を運ぶと、付城の外で寄り集まっている領民達の目が一斉に則頼に向けられた。

「お主ら、何をしておる。戦さに巻き込まれて死にたくなくば、早々に去れ」

 則頼の一喝にも怯まず、村長らしき男が則頼の前に進み出て平伏した。

「我等は淡河弾正様より城に置いてはおけぬ、と外に追い出された者でござります。かくなる上は、かつてこの地を治められておられた有馬様のお情けにおすがりする他ござりませぬ」

 そうこうしている間にも、後から後から淡河城を出たらしい領民が陣所までにやってくる。

 則頼は困惑し、顔をつるりと撫でて唸った。

 いずれ淡河の地を領したいと考えている則頼としては、領民からかつての領主を頼りにしていると言われてしまった以上、無碍に扱えない。

 見せしめのために皆殺しなどと言い出せば、後々の統治に禍根を残す。

「やむを得ぬな。手荒な真似はいたさぬゆえ、おとなしゅうしておれよ。万が一、これが謀事であったならば、皆の命はないものと思えよ」
 ため息を一つついてから発せられた則頼の言葉に、領民がおお、と感嘆の声をあげた。ありがたや、と伏し拝んでいる者さえいる。

「まったく、おかしなことばかり起こる。淡河弾正は何を考えておるのやら」
 則頼はぶつくさ呟きながら、領民たちの扱いをどうするか頭を悩ませ始めた。

 この後、則頼と配下の将士は一晩中、流れ込んでくる領民の相手に奔走する羽目になる。

 そのため、淡河城で何が起きていたか察知する機会を逃すことになった。

 それすら淡河定範の策の一つであったと気づくのは、翌朝のことである。



 混乱の一夜が明けた。則頼は結局、ほとんど寝る暇もなく一夜を明かしている。

「なんともまあ。まったく、してやられたわ」
 状況が明らかとなり、則頼は嘆息した。

 いま、則頼がいるのは淡河城の本丸である。
 城の建造物はことごとく焼け落ち、今もあちこちでくすぶっている。

 織田勢は定範による夜討ちを警戒していたが、実際に行われたのは夜陰に乗じての撤退であった。

 杉原家次の兵が守っていた淡河城北側の番所が突き破られており、そこから脱出されたのだが、その報せが本陣まで届いた時には、既に定範は手勢を率いて姿を消していた。

 相手方の立場に立って考えてみれば、一矢は報いたものの近日中の落城が避けられぬ以上、後日の巻き返しを期して城を捨てる可能性を予想できた筈だった。

 城攻めの大将である羽柴秀長を含め、寄せ手側が誰もそのことに思い至らなかったのは、やはり定範の奇策に翻弄されて攻めあぐねたことで、どこか冷静さを失っていたためだろう。

 昨晩、則頼の陣に泣きついてきた領民たちは、定範が包囲を突破する際に足手まといとなるため、目くらましを兼ねて置き去りにされたのだと、今になれば判る。

(三木までの道中、弾正定範が皐姫を伴っていたとも考えにくい。ならば、城攻めの前から外に逃がしておったのであろう。あらかじめ三木城に送り出しておったということか)

 これほど鮮やかな脱出を成功させるような男が、燃え盛る淡河城に皐姫を置き去りにする無様な真似はすまい。則頼はそう確信していた。



 八幡神社の本陣にて淡河城がもぬけの殻となっているとの報せを受けた秀長は、日が昇るのを待ちかね、払暁から供回りを引き連れて焼け落ちた淡河城の検分を始めていた。

 則頼は案内役を自ら買って出て何食わぬ顔で同行しているが、淡河城の縄張りの中に足を踏み入れたのは今回が初めてである。

 もっとも、縄張図は穴のあくほど見続けて、各曲輪の配置など、位置関係は熟知しているのは事実だ。その証拠に、本丸まで迷うことなく秀長一行を導いている。

 城壁の陰に隠れた敵勢からの襲撃を秀長の供回りが警戒しているが、城内のどこにも人の気配は伺えなかった。

 崩れた居館からは依然としてあちこちが燻って白煙が分厚く立ち登っており、風向きによっては秀長達を咳き込ませる。

 やけに篝火が多いとは思っていたが、まさか城が燃えているなどとは、織田方で気づいた者はいなかった。

 どのような手段で炎上を城外に気づかせずに焼き払ったのか、現場を目の当たりにしてもなお、則頼は仕掛けを読み解けなかった。

「淡河の菩提寺まで焼いて行くとは、相当な覚悟と見えますな」
 秀長の供をして歩く則頼は、内心とは裏腹の言葉を口にして、やれやれと首を振ってみせる。

 あっぱれ弾正定範、などとは思っても言葉にはできないのだ。

「小憎らしい奴輩め」
 傍らで杉原家次が吐き捨てる。

 自らの配下が番所を破られたために淡河定範を逃がしただけに、怒りが収まらない様子であった。

「米蔵、金蔵、煙硝蔵、焼け跡を見る限り、いずれもほぼ空になっておる様子。蔵には錠すらかかっておらぬ有様で、内側はすっかり炭になっておりますな」

 検分を終えて戻ってきた浅野長吉の報告に、秀長がいっそう渋面を作る。

「一晩でこちらの警戒をかいくぐって運び出したとも思えぬ。元々、たいして蓄えもしておらなんだのであろう」

 そうこぼして後頭部をがりがりと掻く秀長の元に、三木城をにらむ平井山に本陣を敷く秀吉からの使番が馳せ参じた。

「恐れながら……」
 口を開いた使番が、言いにくそうに言葉を詰まらせる。

 己がもたらす報告が、周囲の将の耳に入ることをためらっている様子だった。

「構わぬ、そのまま申せ」

 秀長から穏やかな口調で調子で促され、喉を鳴らした使番が意を決して再び口を開く。

「淡河弾正、平井山本陣をかすめ、三木城に入城を果たした由」

「……左様か」
 しばし言葉を失った秀長であるが、周囲を見回してから、さばさばとした表情をみせた。

「致し方あるまい。兄者にこってりと絞られるとしよう」
 秀長は、兄である秀吉を真似たかのようなひょうきんな口調で言う。

 実直さで知られた秀長の機転に、沈んでいた周囲の空気がやや明るくなる。

「ともあれ、淡河城は陥ちた。三木城に逃げ込んだと知れた以上、淡河弾正がどこぞの山中に隠れ潜んで、この城を奪い返しに来る心配も不要という訳じゃ」

 浅野長吉がパンと両手を打ち合わせ、さてこれからどうする、と言わんばかりに諸将の顔を見渡した。

 秀長が長吉に頷き返してから、則頼に向き直った。

「有馬殿。我らは三木城の包囲陣に急ぎ合流することと致す。ついては、そこもとには淡河の宣撫のため、この城の城代を頼みたい。追って沙汰もあろう」

「はっ。お任せくだされ」
 勢い込んで返答した則頼は、思わず相好を崩す。

 長年に渡って手を伸ばしながら届かなかった淡河城を、経緯はどうあれ手中に収めたのだ。嬉しくないはずがない。

 追って沙汰がある、との言葉からも秀吉もいずれ正式に淡河の地を則頼に委ねる腹づもりがあるとみて良いだろう。

 則頼は素直に喜びをかみしめる一方で、ふと新たな思いにとらわれる。

(儂は、この城に一生を捧げるつもりか?)
 別所はまもなく滅ぶ。

 播磨一国を容易く飲み込むような大戦さに参加した後になって、なおもこの地の国衆として生涯を終えるのは、なんとも面白みがないことのように思われた。

 羽柴家中の才覚のほども見て取った。

 自分がその中に加わっても、なんとかやっていけるのではないか、という確信めいたものも生まれはじめていた。

(儂は、この城では終わらぬぞ)
 則頼は、余燼くすぶる淡河城の中、朝日を浴びながらそう心に決めた。




 淡河定範が退転した後の淡河領を預かった則頼は、さっそく焼け落ちた城の修復と、城下の村落の復興に取り掛かった。

 中村と呼ばれる淡河城の城下の集落は、城攻めによって道筋に二十軒ほどの家がかろうじて焼け残っているだけで、すっかり荒れ果ててしまっている。

 則頼の陣に助けを求めてきた領民を村に戻すと共に、人心を落ち着かせるためにも、市場を整備して日常を取り戻す必要があった。

 あわせて村外に逃げ散った領民を呼び戻す施策が行われる。

 現在も淡河の地に残る歳田神社には、秀吉が発給した二枚の制札が伝わっていることで知られる。

 これらの制札には楽市の設置や税の免除など、かなりの大盤振る舞いとなる触れが記されており、秀吉がいかに同地の人心掌握に気を配っていたかを後世に伝える貴重な記録となっている。

「間違っても、淡河弾正が領主の折のほうが暮らし向きが良かったなどとは言わせてはならぬ」
 則頼は張り切って淡河の地の復興に取り組んでいた。

 しかし、則頼の仕事はこれだけでは終わらない。

 三木から有馬に至る街道のうち、三津田・有馬間は淡河道と山田道に枝分かれしている。

 淡河城が別所方であったため、もっぱら山田道が用いられていたが、本来は淡河道のほうが道も広く、坂もなだらかで使いやすい。

 そのため、則頼は淡河道の整備を秀吉から命ぜられている。

「金子はこちらで用意するでの。有馬郡の領民に派手にばらまいて働かせるんじゃぞ」
 平井山の本陣に足を運んだ則頼に対し、淡河城の守りを任せる旨を明言した上で、秀吉はにやりと笑ってみせる。

 報酬を弾むと宣伝して仕事をさせることは、土着の領民から支持を取り付け、騒擾を予防する上で重要な施策なのだ、と則頼は秀吉流の人心掌握術を理解する。

 もっとも、街道を整備するのは単なる復興対策のための名目ではない。

 三木城の包囲に加わっている将兵に有馬の湯で湯治をさせる現実的な目的がある。

 事実、この道は後の世に湯ノ山街道と称されることになる。

 そのため、街道の整備とあわせて、有馬の湯の受け入れ態勢も整える必要があった。

「有馬の坊主が行けば、その名ゆえ、効き目もあろう」
 などと秀吉が安直に考えたのかどうかは判らないが、則頼としては期待に答える他ない。

 有馬の湯には幾つもの宿坊が林立しており、武士や雑兵が大挙して湯を使うともなれば、彼らの協力が不可欠である。

 なにしろ、湯治を要とする者は、なにも手傷を負った者や病を得た者とは限らない。

 一年に渡る長き戦陣にあって、心身に不調をきたす者は少なからずおり、湯治は何よりの気晴らしとなる。

 何度か有馬の湯に足を運び、有力者との折衝を重ねる中で、則頼は宿坊の一つ・池ノ坊の亭主である左橘右衛門と懇意となる。

「よろしゅうおます。有馬様の頼みとあらば、協力は惜しみまへん」
 そう請け負う左橘右衛門の独特な語り口は妙に印象的で、則頼の脳裏に強く焼き付いた。

 左橘右衛門は口達者な男であったが、他の宿坊の亭主からも信頼を集めていた。

 彼らは左橘右衛門はんの頼みならば、と快く宿坊の増築などに取り掛かってくれた。

 もちろん、則頼の手柄というよりは、その背後にいる秀吉の威光あっての話である。



 ともあれ、則頼が三木城の包囲を横目に、淡河の復興と街道の整備に奔走する間に、たちまち季節は夏から秋へと巡っていった。

 九月十一日。
 その日も街道の普請場に出て人足達の働き具合を監督していた則頼の元に、慈眼寺山の有馬勢の陣所から、平田、加佐、大村にて大規模な合戦が生起したとの報が届いた。

「まずは御味方勝利にございます」
 興奮を隠せない口調の使者から、則頼は合戦の詳細を聞いた。

 毛利勢は兵糧確保の当てがないであろう別所勢を救うべく、あらためて荷駄を送り込むことを企図した。

 しかし、度重なる失敗により秘密裏の搬入は最早不可能となっていた。

 毛利勢が荷駄を三木城に運び込むためには、秀吉勢による厳重な包囲に、一時的にせよ穴をあける必要がある。

 そのため別所勢は受け入れ態勢を整えるため、夜陰に乗じて城を出て、谷大膳が守る平田砦を急襲する挙に出た。

 本来、その混乱に乗じて毛利の荷駄が城内に駆け込む算段であったと思われるが、秀吉勢の立ち直りは別所側の想定よりも素早かった。

 結果、秀吉方は谷大膳衛好を討たれて一度は平田砦を占領されたものの、間を置かずに行われた逆襲によりほどなく奪い返した。

 毛利勢が運び込もうとした荷駄のほとんども城内には届かず、結果的に秀吉方の諸将が奪い取る形になったという。

 そして何より則頼を驚かせたのは、大村の合戦において、敗走する味方を逃がすために最後まで戦場に踏みとどまった淡河弾正定範が討死したというのだ。

「あの男が、死んだのか」
 則頼は思わず秋晴れの空を仰いだ。

 淡河城を焼き捨てて鮮やかに退去し、秀吉の本陣を霞めてまんまと三木城に入ったあの定範が、死んだ。

 伝え聞く定範の最期は壮絶なものであった。

 主従わずか五騎にまで打ち減らされた定範は、秀吉勢二十騎あまりによって小さな祠のある森に追い詰められた。

 そこで定範ら主従は、車座に座り込んで自刃したように見せかけた。

 そして、兜首欲しさに不用意に近づいた秀吉勢の武者達の膝を、座りざまに一斉に切り裂いた。

 この「死んだふり」の奇策に驚いた秀吉勢が逃げ散った後、討ち取った敵の首を並べたうえで、悠々と腹を切ったのだという。

 しかも、追手を食い止めて味方を逃げる時間を稼ぐのつもりだったのか、刀の鎬を地面につけ、束頭を腹に射し込んで身体が倒れないように支え、今度は「生きているふり」で座り込んでいる体勢のまま死んでいたらしい。

「なんとも、のう。言葉にならんわ」
 則頼の脳裏に真っ先によぎったのは、これでもう、定範が淡河城を取り返しに来ることはないのだ、という取りとめもない思いだった。

 淡河城はかつて一度は有馬の手中にありながら、定範の奇襲によって奪い返された経緯がある。

 則頼は直接現場に居合わせた訳ではないが、いつかこの城を再び奪い返すと念じながら過ごしてきたのだ。

「悪縁は断ち切られた。もう、淡河弾正に悩まされることはない」

 しかし、宿敵が倒れたにも関わらず、何故か気分は少しも晴れなかった。

(皐姫様は今、どうされておるのじゃろうな)
 その問いは、誰に尋ねることもできない。
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