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(二十一)三木合戦の終焉

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 巻き返しを期した平田、加佐、大村の合戦で大敗した別所勢は、その後、能動的な動きをほとんどみせなくなる。

 十月には、これまで毛利方であった宇喜多和泉守直家が秀吉の誘降に応じた。

 毛利方が目論んだ三木城への荷駄の搬入が失敗に終わり、もはや別所勢に挽回の目はないとの分析も、宇喜多直家の決断には影響したものであろう。

 この痛恨事を受け、毛利としては一気に戦線が本領に近づくことになり、もはやはるばる東播磨まで兵を差し向ける余裕を失っていた。

 彼らは無理な遠征を企図するよりも、自領の守りを固めることを余儀なくされていた。

 一方、摂津有岡城で籠城を続けていた荒木村重も苦境に立たされていた。

 別所勢が大敗する直前の九月二日には、援軍を寄越さない毛利家に直談判すべく密かに城外に抜け出す挙に出ている。

 しかし、本人の真意がどうあれ、周囲は城主の逃亡としか受け止めない。

 城主不在の事実はほどなくして外部に漏れ、寄せ手の将・滝川一益の知るところとなった。

 一益は早速調略により内応者を作ったうえで、十月十五日には総攻めを開始した。

 有岡城の惣構えが内応者の手引きによって容易く破られる中、城兵はその後も一月あまり懸命の防戦につとめた。

 しかし、結局は十一月十九日には有岡城は開城し、城兵は退散している。

 その際、城内に幽閉されていた小寺官兵衛孝高が家臣の手によって救出されている。

 自力で立てないほどに衰弱していた孝高は、則頼が懇意にしていた有馬の湯の池ノ坊左橘右衛門の元に送られ、しばしの間、傷んだ身体を癒す日々を送ることになる。



 天正八年(一五八〇年)。
 年明け早々、三木城をめぐる情勢は大きく動いた。

 一月六日に、城内から立ちのぼる炊煙の減り具合から、兵糧がほぼ尽きたと踏んだ秀吉は、満を持して秀吉が力攻めを敢行。
 首尾よく、宮の上と呼ばれる一角を奪取した。

 続いて十一日には別所長治の実弟・彦之進友之が守る出城である鷹の尾城を攻め立てた。

 しかし、秀吉勢は飢えに苦しんでいる筈の別所方を相手に、予想外の頑強な抵抗に手を焼くことになる。

 最終的には鷹の尾城も、鷹の尾城と城郭がつながる別所吉親が守る新城と称される箇所まで攻め落したものの、秀吉勢にも少なからぬ手負い討死が出てしまった。

 そのため、一気呵成に三木城を攻め落とすには至らなかった。

「ここまで来て、まだ攻め落とせぬのか」
 目算違いに頭を抱えた秀吉の元に、思いがけない朗報が届く。

 力攻めとあわせて行われていた交渉の結果、十五日になって、ついに別所長治は妻・照子と幼子、実弟・友之、そして伯父・吉親の自刃と引き換えに将兵の助命を申し出て、城を開くことに同意したのだ。

 別所吉親が自刃をこばんで暴れ、味方である城兵に取り押さえられるなどの一幕もあったが、長治にしろ照子にしろ、従容として自ら命を絶った。

 その際、幼い二男二女も照子の手で刺し殺され、別所宗家の血統は絶えた。

 だが、絶えた筈の別所の血脈は、意外なほど多く各地に残されている。

 密かに城を逃れ出た子息を匿った家もあれば、長治の側室が身ごもったまま郷里に戻り、その忘れ形見を生み育てたとの伝承が幾つも伝わっている。

 意地悪く言えば、「死人に口なし」であり、絶えてしまった別所の血筋を密かに自称しても糾弾されない事情があったのかも知れない。

 しかし、若くしてその命を散らした別所長治夫婦の不憫さを思い、せめてその血筋が続いて欲しいとの人々の願いが、そのような貴種流離譚を生んだものであろう。



 ともあれ、こうして三木城は開城した。
 城の引き渡しが終わり、城内の検視が一通り終わるや、則頼は秀吉からの呼び出しを受けた。

 久方ぶりに登城した三木城は、最後の仕寄りの痕跡こそ生々しく残されているが、城内は綺麗に掃き清められていた。

(当然、織田方で手を尽くして片づけたのであろうが、飢えに苦しむ地獄のような有様があったであったなどとは想像できぬな)

 兄・則氏が丹波で討死したとの報せを受けて以来、則頼の心には大きなわだかまりがある。

 事実を秀吉に伝えずに握りつぶした判断は、果たして正しかったのか。

 加えて、淡河城を任されて半年が経過してもなお、別所が健在のままだったこともあって地元の領民を帰服させるところまでには至っていない。

 それだけに、今後の処遇は気にかかるところだった。



「おお、此度は大儀であった。淡河の領民どもの様子はどうじゃ」

 三木城の本丸御殿の広間。
 上座に我が物顔で座る秀吉は、傍らの小寺官兵衛孝高となにやら憂鬱そうな表情で話し込んでいた。
 
 一年余りの有岡城の幽閉の結果、孝高は膝の関節が曲がったまま伸ばせなくなり、また頭髪が抜け落ちてしまったことから頭巾をかぶっている。

 なお、孝高は三木合戦において主家である小寺家が別所家に与して没落したことから、小寺の名乗りを捨て、本来の黒田姓に服している。

 秀吉は、則頼の顔を見るや沈痛な空気をたちまちどこかへ投げ捨てて、けろりとした表情をみせる。

「はっ、羽柴様の制札のお陰を持ちまして、民は思いのほか従順にござります」
 実際のところ、そこまで話は単純ではない。

 しかし、則頼は秀吉の態度から、ここで弱気な態度を見せられることを望まないと察し、危険を承知で大言壮語してみせる。

「そうか。それは重畳。有馬の坊主が播州におってくれて、実に助かったわ」
 神妙な面持ちではったりを利かせる則頼に、秀吉は気づいているのかいないのか、例によって人好きのする笑みを浮かべて大きく頷き返した。

 この場で秀吉は、三木合戦で秀吉に付き従った則頼に対して、淡河六千五百石のうち淡河定範の所領である三千二百石を正式に褒美として与えた。

 もちろん、元々領していた萩原城周辺および、別所方に与して消息不明となった兄・則氏の本領をそのまま引き継ぐことも認めてくれた。

 これにより則頼は、三津田、戸田および淡河をあわせ、都合一万石あまりを領することとなる。

 秀吉は中国征伐の総大将として切り取り次第を信長か認められているため、制圧した地の領地を誰に与えるかの権限を有している。

 つまり、織田家に随身した筈が実質的には秀吉の配下となっているのだが、この時の則頼には、その事実にさほど違和感も感じなかった。

「まことに、ありがたき幸せにござりまする」
 平伏する則頼の胸中に、しみじみとした喜びが広がる。

(この御方に賭けたのは正しかったわ。これで、これまで手を砕いて助力してくれた豊助にも面目が立つというもの)

「されど、それでものう」
 それまで機嫌よく則頼の手腕を褒めた秀吉であったが、ふと声を曇らせる。

 則頼が何事かと顔を上げると、秀吉は傍らに控える孝高に視線を向け、長嘆息してみせた。

「別所が反旗を翻してより、かれこれ二年近く経ちましたな。随分と時を要しましたな」
 孝高は、荒木村重にて有岡城に囚われた際に痛めた足を、習い性のように撫でさすりつつ相づちを打った。

「無論、それもある。それもあるが……」
 何かを呟きかけた秀吉だが、後の言葉は酸っぱい表情になって飲み込んだ。

 則頼を前にして芝居じみた二人のやりとりから、則頼は秀吉の本音を伺い知れた気がした。

(織田方としては、「随分と粘られた」ということか)

 確かに、織田方から望んで仕掛けた戦さではないとはいえ、三木城を囲んでから降伏させるまで一年十か月も要するとは、いかにも目算違いであったことは否めない。

 加えて、その話しぶりからは、城内に立てこもっていた筈の兵が丹波に加勢に向かっていた事実を、秀吉もある程度は把握している様子であった。

 開城によって解放された人数が想定よりもはるかに少なかったこと、そして彼らが思いのほか飢えていなかったことなどを現場で目の当たりにして、事実に気づかぬ秀吉ではない。

 三木城内では牛馬や木々の皮はおろか、人肉まで喰らうおぞましい地獄絵図となっていた筈なのだ。

 それが、蓋を開けてみれば年明けの力攻めの際に秀吉勢を手こずらせるだけの余力を残していた理由も、城兵が予想外に少なかったと考えれば矛盾なく理解できるのだ。

 しかし、敵兵を過大に読み違えて、すぐにでも力攻めで攻め落とせたかも知れない相手を包囲し続けていた、などとは決して表沙汰に出来ない。

 この事実が明らかになれば、信長から受ける称賛も一転して厳しい叱責に転じかねない。

 一杯食わされた事実など、最初から全てなかったことにして話を進める他はなかった。

 余談ながら、昭和四十三年に出版された三木良治著「図説三木戦記」には、「東西両軍将士名録」と称し、三十近い書物から参陣した武将の名と略歴が引用されている。

 この名簿の中には有馬則頼の兄・則重の名は見られないが、淡河定範の叔父・範政を含め、別所方で「丹波加勢」「波多野氏加勢」等と記されている者が二十名近く記されている。

 しかし後世、別所勢が丹波国の波多野氏の元に送り出されていた事実を知る者は少ない。



「ままならぬことは多々ありましょうが、苦い薬と思うて飲み込んで、糧とせねばなりますまい」
 不具となった膝をぴしゃりと叩いた孝高が、ふてぶてしい笑みを浮かべてみせる。

「そうじゃな。そうでなければ、別所の者どもも浮かばれまい。のう」

「はっ」

 まだ秀吉の前では、恐縮した態度で笑顔を作るしかない則頼である。

(焦ってはならぬ。ここでしたり顔で戦さのなんたるかを語ろうものなら、機嫌を損ねるばかりでなにも良いことはないわ)
 則頼は、どこまでも人の機微に慎重であった。



 秀吉の元を辞去し、廊下に出た則頼の元に、浮かぬ顔の羽柴秀長が小走りに寄ってきた。

 何事かと身構える則頼に、秀長は思いがけない事を小声で口にした。

「昨年の淡河城攻めの折の話なのじゃが、淡河弾正の奇策の前にそれがしが敗走した、と別所の兵どもが口を揃えておるようなのじゃ。この話、有馬殿はご存じか」

 負けたつもりのない淡河城攻めにおいて、末代まで語り継がれるような大敗北を喫したことにされているのだという。

 秀長としては、なんとも納得がいかない様子である。

「それがしも噂は耳にはしておりますぞ。淡河弾正に牝馬を貸したという淡河の民百姓どもの中にも、牝馬放ちの策をあたかも朝日将軍木曾義仲公の火牛攻めのごとく吹聴しておる輩がおりまする。いやなに、物を知らぬ者どもの申すことなれば、笑ってお聞き流しくだされ」

 同情を寄せるかのように、則頼はさも深刻そうな表情を作って相づちを打つ。

 だが内心では、同郷の宿敵と呼ぶべき男に対し、「よくやってくれた」とばかりに肩を叩きたくなるような、不思議な感情を覚えていた。

(いかんな、このような有様では)

 その時、背後から孝高の呼ぶ声が聞こえた。

 則頼が振り向くと、秀長と入れ替わるようにして、足を引きずりながら孝高が穏やかな笑みを浮かべて近づいてくる。

「有馬殿。此度は世話になりましたな。お陰様で、どうにかここまで歩けるようになりましたぞ。改めて御礼を申しますぞ」 

「あまりご無理はなされますな。とは申せ、羽柴様の信任も厚いとなれば、英気を養ってばかりもおられぬでしょうが」

「ははっ。池ノ坊では一生分寝た心持ちにござるよ。あの左橘右衛門は面白き男にござるな。まぁ、なんですなあ、良き引き合わせをしていただいた」

 孝高は湯治の間に親しくなった池ノ坊の亭主・左橘右衛門独特の語り口を「まぁ、なんですなぁ」と真似してみせ、則頼を笑わせにかかってくる。

「喜んでいただけてなにより」
 あまり似ていない口真似に、則頼は思わず頬を緩ませる。

「ところで有馬殿。此度のご加増の沙汰は目出度いかぎりですが、見合った人手の目途はついておりましょうかな」

「いや、お恥ずかしい。あまり目ぼしい当てはございませぬな」
 則頼は率直に応じた。

 加増分は当然、既に召し抱えている家臣の禄を増やすことにつながるが、当然、石高相応に家臣の頭数も増やす必要がある。

 だからといって、都合の良い人材がそうそう簡単に見つかる筈もない。

 加えて、三津田・戸田の則重の旧領も、則重父子と随身して去った家臣分が浮いた状態であり、そちらの手当も必要だった。

 現実的には、滅んだ別所家なり淡河家なりの旧臣を召し抱える他はないだろう。

 しかし、三木合戦で敵味方に分かれる以前から、元々別所家とは折り合いがあまりよくなかったし、淡河家とは長年小競り合いを続けてきた間柄である。

 腹に一物ある者が入り込んでくる恐れもあり、もろ手を挙げて歓迎ともいかないのが悩ましいところだった。

「押し付ける訳ではございませぬが、淡河弾正の舎弟、新三郎長範を有馬殿の配下にお加えいただくわけには参りませぬかな」
 孝高の口から思いがけない名が出て、則頼は驚いた。

 三木城の開城に伴って城外にでることを許された将兵には、淡河城撤退後に三木城に入った定範の手勢も当然含まれていた。

 その中に、淡河定範の弟がいたというのである。

 孝高の妻と長範の妻は姉妹で、孝高と長範二人が相婿の関係にあることから、淡河長範を通じた調略を仕掛けていたことは則頼も聞いている。

 結局、肝心な時期に孝高は有岡城に囚われの身となっていたために調略は不発のまま淡河城は攻め落とされていた。

 孝高は血縁を伝手としたつながりを活かしていち早く動き、長範の身柄を確保していたのだろう。

「おお、それは願ってもないこと」
 則頼は喜色を浮かべた。

 「播州太平記」において、三木合戦に先だって加須屋の陣の後に開かれた別所の軍評定に参加した面々の中に、淡河新三郎の名が挙げられている。

 野瀬城を預かる一方、定範の右腕として対外的な折衝を行う立場にあった事が伺える。

 淡河の旧臣が配下に加わるとなれば、わだかまりを持つ者も家臣の中には出てくるだろう。しかし、淡河の地を治めるにあたって、領民を慰撫するのに旧臣の力があるに越したことはない。

 秀長勢を撃退したとして名を馳せた淡河定範の実弟を召し抱えるとなれば、淡河の地の領民の反発も抑えられると則頼は踏んだ。



 だが、長範を配下に加えたい理由がもう一つある。

(弾正定範の実弟なれば、皐姫の消息を知っておるやも知れぬ)
 皐姫の安否を知ったところで、なにをどうするつもりもない。

 それでも、手がかりをつかむ機会があるのなら、それを座視する訳にもいかない。それが則頼の率直な気持ちだった。
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