【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬

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(二十二)梅林山天正寺

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 則頼は、慈眼寺の有馬家の陣所にて長範と対面した。

 見る限り、長範は多少の面やつれはしていても、飢えてやせ細っているようには感じられない。

 三木城の中で、身分の区別なく平等に食料が分け与えられていたかは別にしても、城内の食料が完全に尽きた訳ではないのは確からしかった。

「此度は、兄弟そろって武家の面目をおおいに施したことであろう。こちらには最早遺恨はない。前置き抜きに訊ねよう。当家に仕える気はあるか」
 則頼が表情を引き締めて言葉をかけると、長範も神妙な面持ちで平伏した。

「旧怨を捨ててお仕えいたしまする」

「よろしく頼む。ところで、一つ尋ねたいのじゃが。三木城から出た者の中に弾正定範の妻子の姿が見えぬ。かと申して、城内で亡くなったとの話も聞かぬ。その方、何か存じよりではないか」
 則頼は気がかりだったことを咳払いをして切り出した。

 何気ない風を装ってはみたが、声が若干上ずっていた。

 淡河弾正定範の妻・皐は自刃した別所家の当主・長治からみて父の姉、つまり伯母にあたる。

 一族ではあるが、長治とともに自ら命を絶ったとされる者の中に、その名は見当たらなかった。

 また、定範には三人の子がいたとされる。長女は松原氏に嫁ぎ、松原城の落城と共に行方知れずとなった。

 長男・若竹丸は三木合戦より前に早世しているが、次男・次郎丸についての消息が分からない。

「隠してもいずれ知れることゆえお伝えいたしますが、皐殿は一子・次郎丸殿と共に、別所挙兵に際して人質として三木城に入っておりました。もっとも、皐殿にとっては勝手知ったる実家でございますが」

「さもあろう」

「ただ、城を開いた折の騒ぎに取り紛れ、気づけばおらぬようになっておりました。死んだとも聞いておりませぬゆえ、て、いずこかへ落ちのびたものやも知れませぬ」
 長範の表情からは真意は伺えない。

 弟なのだから、兄嫁とその子の行方を知っているに違いない、とは則頼も追求しづらい。

「左様か」
 則頼は小さく息をついた。

 これ以上無理に尋ねたところで、長範が返答を変えるとも思えなかったし、ここで話をこじらせてしまうと、仕官させることが出来なくなってしまう。

(まあ、己一人の仕官のために軽々しく身内の行方について口を割るような男よりも、却って信用できるであろう)
 則頼は自らをそう納得させるとそれ以上の追及をやめた。

 この後、長範は長男の甚左衛門範春を黒田孝高に人質として差し出したうえで、次男の小平太範重と共に有馬家に仕えることになる。

 なお、則頼は三木城の籠城を生き延びた別所遺臣の中では、長範の他にも石野和泉守氏満も召し抱えたいとの腹案をもっていた。

 氏満には則頼の二女・吉が嫁いでおり、身が立つようにしてやりたいとの親心である。

 しかしながら氏満は負け戦ばかりだった別所にあって、天正七年三月に、魚住の地からの毛利の兵糧搬入を阻止しようとした秀吉方の武者・古田吉左衛門重則の首級を挙げる手柄を立てていた。

 そのような武辺の士を秀吉が放っておくはずもない。

 結局、則頼が手を差し伸べるまでもなく、氏満は秀吉に仕えることが決まっていた。

 その代わりという訳でもないだろうが、氏満の嫡子・八兵衛義利(のち氏置)を則頼が扶育していたとの記録が残る。

 氏満が差し出した人質の身柄を、秀吉方の立場で祖父にあたる則頼が預る体裁をとったのであろう。




 三木城陥落後、さらに西進して毛利攻めを進める羽柴勢にあって、則頼は二年近くに及んだ三木合戦で疲弊した播磨の地に残り、復興を託される形になった。

 播磨の国衆の大部分が別所に与した中、当主の叔父でありながら出奔同然に織田に仕えた別所重宗は、別所旧臣からの受けがすこぶる悪い。

 少なくとも、重宗の存在によって別所の名跡が存続した、などと受け止める者は旧臣にもほとんどいない。

 秀吉の本心は則頼にも判らないところがあったが、すくなくとも別所長治の三木城を、そのまま重宗に与えてはいない。

 現状では三木城には杉原家次を城代という形で入れており、三木城下に地子免除の制札を立て、秀吉自ら重要拠点の復興に目を配っている。

 また天正五年の末頃には、重宗の娘と黒田孝高の嫡男・松寿丸(のちの長政)との縁談が進んでいた。

 しかし、孝高が有岡城に捕らわれて内通を疑われたことで話が流れた後、孝高が解放され、別所が滅んだあとも立ち消えとなったままである。

 それらの経緯を見る限り、別所の滅亡によって利用価値がなくなった重宗を見捨てたとまでは言わないまでも、播州の名族・別所の名跡を継ぐ存在として扱っているようには思われない。

 別所に従わなかったという点では則頼も似たような立場であるが、幸か不幸か、有馬家は元々別所との折り合いがあまりよくなかったことが救いとなっている。

 別所を裏切ったとの印象が少ない分、下野した別所の旧臣も則頼を頼みとすることが多く、また秀吉からも民百姓を宣撫するのに適任とみなされていた。

 則頼にとっても重宗は、敬して遠ざけたい存在には違いなかった。




 秀吉勢は天正八年四月には西播磨の重要拠点である英賀城を守る三木通秋を降し、ほぼ同時進行で攻め掛かっていた宇野政頼が籠るた長水城も五月には攻め落としている。

 播磨国の平定が完了してから一年あまりが過ぎた天正九年(一五八一年)六月二十五日。

 秀吉は拠点とする姫路城から出撃すると、但馬口から因幡国に軍勢を進ませ、七月十二日には鳥取城を包囲した。

 この一年の間、秀吉は無為に過ごしていた訳ではない。
 あらかじめ因幡に舟を派遣し、兵糧を高値で買い上げる奇策を密かに進めていたのだ。

 二年近くに及んだ三木城攻めの反省があることは間違いない。

 収穫間近の時期を狙った策は図にあたり、城内はたちまち兵糧不足に陥った。

 これには山名旧臣から城の守りを懇願されて派遣されていた吉川経家も、成す術もなかった。

 百日余り経過した十月二十五日には、城兵の助命を条件に吉川経家が自刃して籠城戦は終了した。

 この鮮やかな包囲戦は、のちに「秀吉の飢え殺し」と称されることになった。

 なお、鳥取城の城兵は衰弱が激しく、開城後に与えられた食事を腹に詰め込んで命を落とす者が続出したとの逸話がある。

 このような話は三木城の開城時にはあまり聞かれないものであり、やはり三木城の兵糧が尽ききってはいなかったのではないかとの説の傍証となる。

 それはさておき。
 この時期も則頼は領民慰撫のために働いていた。

 三木城攻めの間に、城や周辺の集落のみならず、別所家に味方した神社仏閣がことごとく兵火にかかって焼亡しており、人心は荒廃していた。

 淡河城の近在の寺社で無事に切り抜けたのは、中立を堅守しつつ多くの僧兵を擁して独立不羈の立場を崩さなかった石峯寺ぐらいである。

 石峯寺の寺領は野瀬城の北の山中に南北一里、東西二里の山中に渡る広大なもので、寺院や宿坊があわせて七十余り建ち並んでいたと伝わる。

 織田に敵対すれば淡河道の交通を脅かす厄介な存在であったが、秀吉としても敵に回したところで利がないため、あえて手を出すことはないままに終わっていた。

 しかし、石峯寺が残っているからといって、それ以外の寺社を焼け落ちたまま放置していてよい筈がない。

 領民の心の拠り所を取り戻すため、則頼は焼かれた寺社の再建を急ぐととともに、有馬家の新たな菩提寺の建立にも力を注いでいた。

 場所は、淡河城の北側にある石切山出城の南側の麓になる。

 むろん、石峯寺のような広大な寺領とは比べるべくもない規模である。

 かつて、この場所には宝台山梅林寺なる曹洞宗の寺があったらしいが、その後兵火にかかって廃寺となっていた。

 手入れのされていない数本の梅の木だけが、わずかに往時の痕跡をとどめていた。

 建立された新たな寺は、天正年間に建てられたことから梅林山天正寺と名付けられた。

 建築にあたっては、葛屋の伝手を用い、番匠や職工を京や堺から呼び寄せていた。

 大きな戦さが終わったばかりの播磨と摂津では建物を再建する必要があり、番匠は引っ張りだこである。

 いくら人手であっても足りないほどで、他国から招き寄せる他に手立てがなかった。

「木材、石材の手配を含めて、随分と世話になった。おかげで立派な寺が出来たわ」

 則頼は自ら豊助を連れて、木材の香りが漂う天正寺の境内を案内する。
 荒れていた梅林には寺の再建とあわせて新たな梅の木が植林されており、いずれは往時の姿を取り戻すはずである。

「こちらこそ、良き商売をさせていただいたと思うております。して、有馬家の菩提寺をこちらに移されるのですか」
 真新しい本堂の屋根を見上げて歩きながら、豊助が問うた。

 足を止めた則頼は豊助に向き直った。

「そのつもりじゃ。この寺は、儂から始まる新たな有馬家の菩提寺と心得よ」
 長年、相争ってきた淡河家も、主家として担いできた別所家も滅んだ。心機一転、織田家の元で有馬家の歴史はここから始まるのだ、と則頼は得意げに言い切った。

「左様でございますか。実は、それがしも同じことを考えておりました」

「同じこととは、いかなる意味じゃ」

 則頼には、豊助の真意が判らない。
 もっとも、最初に出会った時から、豊助の本心が伺い知れたことなどこれまで一度もないのではあるが。

「別所攻めも終わり、後始末も一段落。これを潮に、そろそろ葛屋の商売を息子の福助に譲りたいと思うておりましてな」

「その方にも子がおったのか。実子か」
 則頼は商売を譲るとの豊助の言葉よりも、豊助に子がいることにまず驚き、その顔をしげしげと眺めてしまう。

 確かに、初めて出会った折に四十がらみとみえた豊助も、相応に年を重ねて老境に入っている。代替わりしてもおかしくはない。

 しかし、かれこれ二十五年にも及ぶ長い付き合いでありながら、子供については初めて聞く話だった。

「むろん、実の子にございますが、なにか」

「ということは、妻もおるのじゃな」

「それがしは、子を孕む術をもっておりませぬからな」
 豊助を相手にすると、どうしても人を喰ったようなやりとりになってしまう。

 則頼は咳払いをして話を元に戻す。

「商売を譲るというのは、表のことだけか。裏も含めてのことか」

「我が商いは表裏一体。譲るからには全てでございます」
 穏やかな豊助の言葉に、ゆるぎない自負が伺える。

「福助とやらにはまだ会うたことがないが、力量の程は確かなのであろうな。その、表と裏、両方についてじゃが」

「それがしが知る商いの術は全て伝えておりまする。その上で独り立ちできると見込んだからこそ、後を継がせるのでござりますれば、御斟酌のほどを。とは申せ、親の欲目と言われれば、返す言葉もございませぬが」
 相変わらず、曖昧な微笑を浮かべて豊助はそう応じた。

「それで、その方は如何するのじゃ。気ままな楽隠居ということであれば、これからもたまには儂のところにも顔を出せるであろう」

「なんの。まだまだ老けこむ気はございませぬ。安土に出て葛屋の支店を開く算段をつけてございます」

「安土か。確かに、これからなお大きくなる町となれば、商売もしやすかろう」

 則頼は唸った。
 商売上の理由ももちろんあるのだろうが、天下統一に向けて邁進する信長の膝元で、諜報に当たる腹積もりであろう。

「そういう訳ですので、これよりは葛屋の福助をどうか御贔屓に」

「寂しくなるのう。では、これまで世話になった豊助に、不肖の弟子が惜別の茶を点てて進ぜたいと存ずる。当寺に設えた茶室の最初の客じゃぞ」

 豊助のもたらした報せに、どれほど助けられたか判らない。
 物品の買い付けでは得意先として扱ったとはいえ、充分に報いてやれたとは言い難い。

 してやれることは、茶を振る舞う事ぐらいだった。

「それは、まことにありがたきこと」
 豊助の微笑みに、いつもと変わるところはなかった。
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