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(三十六)天下の幇間

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 慶長三年十二月十五日。

 則頼は豊氏を伏見の屋敷に呼び寄せた。

 険しい面持ちでやってきた豊氏を奥の間に通した則頼は、向かい合ってしばし言葉もなく互いを見つめ合った。

 これから則頼が口にしようとしていることは、有馬家の将来を左右するものになる。

 いちいち説明せずとも、お互いにそれが判っていた。

 思えば、腹を割って話すような機会を一度も得られなかった父子である。

 このように差し向かいで会いたいするのは初めてだった。

(世間では、太閤殿下の小姓上がりとして名を知られる玄蕃に比べて、その父である儂は、得体のしれない坊主に過ぎんらしい。しかし、儂にとっては玄蕃こそ、何を考えておるのやら判らぬわ)

 ややあって、則頼は殊更にゆっくりと声を絞り出した。

「そなた、巷では儂のことをなんと申しておるか知っておるか」

「はて、太閤殿下の三法師、でしたかな」
 豊氏が首を傾げながら応じた。

 刑部卿法印と称した則頼と同様に御伽衆を務めた金森長近が法印素玄、徳永寿昌が式部卿法印であることから、三人あわせて三法師と呼ばれたとされる。

 しかし、則頼は首を左右に振った。

「それではない。とぼけずとも良い」

 途端、豊氏は眉を寄せて嫌そうな顔をした。

「それがしに何を言わせたいのでござるか」

「そなたも一度ぐらいは耳にしたこともあろう。『太閤の幇間』とな」

 幇間。太鼓持ち。
 口先だけで秀吉に取り入っただけの調子の良い男。そういう意味だ。

「父上は殿下から、さながら友垣のごとくに遇していただいておりましたな」

 それがしには、何故に父上が殿下にそこまで重用されたのか、今一つ腑に落ちぬところはございますがが、などと豊氏は言葉を継ぐ。

「友、か」

 則頼は思わず高くなりかけた声を、歯を食いしばって押さえ込む。

 大きく息をつき、わざとらしく咳ばらいを死、それから改めて口を開く。

「友以外の何者でもないからこそ、一万石程度にとどめておいたのやもしれぬな」

 則頼は、沈んだ声音で紡がれた思いが、本心からの言葉か己自身でも測りかねた。

 目を見開いた豊氏は、ややあって、きまり悪げに言葉を継ぐ。

「世間は、そのようには見ておりませぬが」

「そうじゃな。大身でなかったからこそ、命冥加であったのは否定せぬ」

 渡瀬繁詮の最期を思い返しつつ、則頼は応じる。

「それがしの口からは、なんとも」

「まあ、それはよい。まず大前提として、幼君を重臣の合議により支えるなどという体制が長続きするものではない。これは判るな」

「それはもう。太閤殿下が織田家御一門をどのように遇したかを、間近で見ておりますれば……」

 則頼の問いに、豊氏は素直に頷いて応じた。

 もっとも則頼の頭にはむしろ、三好長慶亡き後に、三好三人衆と松永久秀が争って没落していった経緯があったが、豊氏の知らぬ古い時代の話まではわざわざ口にしない。

「であれば、五大老のいずれかが主導権を握ることとなるであろう」

「当然、そうなりましょう」

 大老のうち、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家が他の大老を押しのけて主導権を握る可能性は、彼らの経歴や年齢を考えると考えにくい。

 従って、必然的に徳川家康か前田利家か、付くべき相手の選択を迫られることになる。

「そこで我らは、徳川に与力いたす」

「我ら、にございますな」
 豊氏は言わずもがなの念を押した。

 遠州横須賀三万石はあくまでも別家を興した豊氏に与えられた所領であり、本来であれば則頼が直接差配できるものではない。

 親子で前田と徳川に分かれ、どちらが勝っても家名を残す選択肢もありえる、と豊氏は言外にそう匂わせていたが、則頼はその考えを言下に却下する。

「まず、我等二人が平仄を揃えねば、却ってこの切所で道を誤るものじゃ」

「承知仕った。が、理由は教えていただけるのでしょうな」
 探る目つきで豊氏が問う。

「前田にせよ徳川にせよ、我等は外様に過ぎぬ。である以上、どちらでより重用されるかを念頭に置いて考えねばならぬ」

 秀吉と利家は同じ織田家の同僚であり、豊臣政権はあくまで織田家旧臣を軸として外様を積極的に取り込む形で成立している。

 旧織田家のみならず、他家にまで及ぶ幅広い人脈を持つ点では利家が優位に立つが、則頼にとっては恩の売りどころがない。

 一方、強固な自前の家臣団を有する家康は、それ故に他家との交流が意外と少ない。

 何しろ、信長にとって国持ちの同盟者として唯一無二の存在であり続けたため、一頭地を抜く立場ではあっても同僚と呼べる相手がいない。

 そのため、対等な立場で親しく付き合える相手はどうしても限られるのだ。

「有馬の家は豊臣に大恩あり、と誰もが思うておる。いち早く味方するとの言葉を土産にすれば、内府様は喜ぼう」

 内府とは内大臣の唐名である。家康は慶長元年(一五九六年)に内大臣に任じられているため、こう呼ばれている。

「内府様とお会いするので?」

「というより、向こうから出向いて参るとの報せがあったのじゃ」

 この時期、家康は十一月二十日に島津義久を伏見の自邸に招いたのを皮切りに、十一月二十五日に五奉行の一人・増田長盛、二十六日に長宗我部元親、翌十二月三日に新庄直頼、六日には先の来訪の礼のため再び島津義久、九日には細川幽斎といった具合に、様々な面々の元に足を運んでは、膝詰めで話し込んでいる。

 その噂は既に則頼の耳に入っていたが、己に順番が回ってくるとは意外なものであった。

 これまでも家康は幾度となく有馬屋敷を訪問しているが、今回ばかりは意味合いが違うことは、否でも察していた。

 家康が暇をもてあまして他家の元に遊びに来ていると考えるほど、則頼も世知に疎くはないのだ。

「それ故に、それがしと意を一にしておくとのお考えでしたか」
 豊氏はようやく得心した様子をみせた。




 十二月十七日。
 伏見の有馬屋敷には、緊張した空気が満ちていた。

 屋敷に詰める家臣や下人は、これまでも家康の応対に当たった経験がある筈なのだが、いつになく張りつめた様子の則頼をみて、今回はただ事でないと察しているのだろう。

 一人、茶室に入った則頼は、静かにその時が来るのを待つ。

 家康から訪いを告げる先触れの使者が来てからの数日の間は、さすがに心落ち着かぬものがあった。

「さながら、寄せ手の大軍を迎え撃つ城主の気分、といったところであろうかな」

 気持ちを落ち着かせようと、軽口めいた独り言を呟いてみた則頼だが、自分にはそのような経験が一度もないことに気づき、表情を曇らせる。

 この例え話を語れるものがいるとすれば、淡河城で秀吉方の軍勢を迎え撃ち、翻弄した末に鮮やかに退転してみせた淡河定範をおいて他にない。

(この期に及んで、なにをつまらぬことを考える)

 則頼は心の内で己を叱咤した。

 既に二十年近く前の出来事に、なにを囚われているのか、と。

 それでも、ひとたび浮かんだ疑問は消えない。

 今日まで自分は何をしてきたのか、と。

 則頼は大きく息をついた。

 確かに則頼は今もこうして生きており、淡河城を領しており、有馬家の家名を保った。

 それだけでも並々ならぬ苦労があった。

 定範は違う。腹を切って既にこの世になく、淡河城も失った。淡河家も滅んだ。

 勝ったのは自分だ、則頼はそう思う。

 しかし一方で、「生涯不敗を誇る太閤秀吉の御舎弟・大和大納言秀長を破った唯一の男」という、一文で矛盾する栄誉は、永久に定範ただ一人のものだ。

 別所家から美貌の姫を妻に迎え、その終生を別所に尽くして散った悲運の忠臣・淡河定範。

 それに引きかえ自分は、「太閤の幇間」でしかなく、これから先、定範を凌ぐ名声を得る見込みもない。

 今もこうして、太閤秀吉の恩も忘れ、保身のために徳川内府に尻尾を振ろうとしている。どこまでも調子のよい太鼓持ちに過ぎない。

「勝るともなお及ばず、か」
 則頼はあきらめたかのようにそう呟いてみる。

 すると、自分でも不思議なほど心が軽くなった。

「己の出来ることをやるしかないのだ」

 頭の中に響くその声の持ち主は、太閤秀吉か、三好実休か。あるいは淡河定範か。



 ざわめく気配が近づいてきたのに気づいた則頼は我に返った。

 やがて、茶室のにじり口の戸が開き、家康が姿をみせた。

「お待たせしたかな」

「いえ。楽しみにお待ちしておりました」

 身をかがめて室内に入り、主客の位置に腰を下ろした家康は、置かれた茶道具の中に紅粉屋肩衝茶入があるのに気づいて目を細めた。

「使うていただいておるようですな」

 かつて家康から、江戸への帰還が叶うよう取り計らってくれた礼として則頼に贈られた逸品である。

「この茶入は、当家随一の家宝ですからな」

「法印殿は、殿下より九十九髪茄子茶入を賜ったと仄聞しておるが、そちらは随一の家宝ではないのですかな」
 あたかも軽口を叩くかのような口ぶりで、家康が聞きとがめた。

「あれも、もちろん家宝にござる。しかしながら今は、蔵の奥深くにしまい込んでござる」

 言うまでもなく、これからの天下が太閤秀吉亡きあとの豊臣家ではなく、家康が中心となる、との意味を込めている。

 あからさまな追従であるが、則頼は躊躇しない。

 その後の会話は、仮に誰かが聞き耳を立てていたところで、理解する頭がなければ当たり障りのない話に過ぎなかった。

 表面的には秀吉の治世を懐かしみ、これからも天下が乱れることなく皆で力をあわせていこうという内容であるからだ。

 しかしその内情は、すなわち今後も則頼が家康の為に働くという決意表明に他ならなかった。

「この有馬法印、微力ながら内府様のために力を尽くす所存にございますぞ」

「それは心強きこと。ところで、御子息にはまだ正室がおられぬと伝え聞いておりますが」
 歓談も終わりを迎えた頃、家康はやや唐突に話題を変えた。

 他家の邸宅を頻繁に訪問し、則頼に対して持ち出す話題を腹に抱えていたのだろう。

 永禄十二年生まれの有馬豊氏は当年三十歳となっているが、なぜかまだ正室を迎えていなかった。

 女嫌いなのか、なんらかの思惑があるのか。

 幼少時に人質として秀吉の元に出して以来、離れて暮らしてきただけに則頼も、豊氏の心根を掴みかねていた。

「さて、それについてはそれがしも頭を痛めてござりますが、なにしろ大名同士の婚姻となれば、太閤殿下の許可が必要。となれば殿下亡き今、どのように話を進めてよいものやら」

 則頼は重大な話を、さも何も気づかぬ体で口にして嘆息して見せる。

 結婚しないのではなく、出来ないのだという訴えであり、その裏には解決できる力を持つ者は今や家康を置いて他にいないのだ、との意味が込められている。

 家康も、則頼が発した謎解きめいた言葉の真意を誤解しなかった。

 最初から、この言葉を引き出すために話題を振ったのだろう。

「なるほど。確かにそれは困ったことですな。こちらとしても御力になれることがないか、考えてみよう。いや、よき話をお聞かせいただいた」
 家康は満足気に微笑んで屋敷を辞した。

 あとには、精力を使い果たしたかのように放心する則頼が残された。

「まずは一歩進んだ、ということにしておこう」
 則頼は自ら言い聞かせるように呟くと、大きく息をついた。
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