【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬

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(三十五)夢のまた夢

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 八月には早くも、忌まわしい記憶を消し去るかのように、聚楽第は慌ただしく取り壊されはじめた。

 かつて則頼が秀吉から拝領した大名屋敷も、跡形もなくこの世から消え去ることになる。

(渡瀬左衛門佐殿は、流浪の身から武功をもって十余年で大名に駆け登りながら瞬く間にその座を失ってしもうた。運の尽きというか、禍福は糾える縄の如しというか。果たして、玄蕃はうまく遠州横須賀の地を治められるであろうか)

 伏見城下の屋敷で物思いにふける則頼の元に、小さな木箱を抱えた大膳が進み出た。

「先日、御上洛された徳川様に内々で伏見城に招かれましてな。殿に渡すようにとお預かりした品にございます」

 家康は文禄三年二月に江戸を発って上洛して以来、文禄四年の五月までおよそ一年三か月もの間、上方に滞在していた。

 天下の仕置には、家康の存在が秀吉にとっても欠かせなかったのだ。

 しかし、ようやくのことで帰城したのも束の間、豊臣秀次が謀叛を企んだとの一大事が出来したため、七月には再び上洛を余儀なくされていた。

「徳川様に呼び出されたと申すか。それで、言われるがままに進物を受け取ったとな」
 則頼は渋い表情をした。

 相手が大大名とはいえ、いや、むしろ大大名だからこそ、己の家臣が他家の当主と直接会ったなどという話は看過できるものではない。

 家康が則頼の長男・則氏の討死に大きくかかわる存在となれば、なおさらである。

「とは申されますが、その場にて突き返すような不調法な真似が出来ましょうや」
 大膳にふてぶてしい態度で開き直られると、則頼としてもそれ以上責める訳にはいかなかった。

 腹立たしくはあるが、家臣の立場としては大膳の言い分は正論である。

 もし本当に受け取ることが憚られるようなものであれば、当主である則頼の立場で返すしかないだろう。

「なにやらの茶入とか申されておりました。御改めくだされ」

「お主も、もそっと茶の湯に興味を持てぬものかな」

 軽くぼやきながら則頼は差し出された木箱の蓋をあけ、袱紗に包まれた茶入を丁寧な手つきで取り出した。

 袱紗を解いて、則頼は細い目を見開いた。

「これは、なかなかに見事なものじゃ」

「寛政重修諸家譜」には、この時に送られた茶入は、紅粉屋肩衝茶入であると記されている。

「徳川様が太閤殿下に伏見城に留め置かれて難儀しておった折、殿のとりなしで江戸に帰国が叶ったとか。その御礼とのことにござる」

「そのようなこともあったかな。恩義を忘れず、このような立派な品をお贈り下さるとは、さすが徳川様は評判どおりの律義者じゃな」

 醒めた口ぶりで則頼は家康を褒めた。

 内心では別のことを考えている。
 口利きに対する礼などとは表向きの口実に過ぎないことぐらい、則頼にも判る。

「他に、徳川様はその方に何か申しておらなんだか」

「それが、ですな」
 大膳がいつになくきまり悪げな表情をみせた。
 もぞもぞと居住まいをただし、ためらった後にようやく重い口を開く。

「徳川様は、『法印殿の身代は小さく、手元不如意であろう。諸用で金子が必要な折は、法印殿に報せず、内密に自分のところに申し出るように』と、そう申されておりました」

 確かに大膳ならずとも、己の主に伝えるのは気が進まない内容であった。
 無論、大膳のせいではない。

「存外なお言葉じゃな。徳川様より小さくない身代など、殿下以外におられぬではないか」

 則頼は苦笑しつつ、言葉の意味を考える。

 吝嗇家として知られた家康にしては珍しく太っ腹なところをみせたのは、もちろん善意だけではなくあからさまな多数派工作の一貫である。

 内密の話といいつつ、家康も大膳から則頼に筒抜けになると百も承知のうえであろう。

(これからの身の振り方を考えねばならんのか)

 則頼の意識に、改めて徳川家康の存在が刻まれた瞬間であった。



 文禄五年(一五九六年)九月。
 明の使節が来訪し、秀吉を日本国王に封じるという皇帝からの勅書がもたらされた。

 朝鮮もろとも明の征服を諦めていない秀吉はこれに激怒し、再び朝鮮への出兵を決断する。

 その一方で、秀吉は九月には実子の拾をわずか四歳で元服させ、秀頼の諱を与えている。

 また、文禄五年には大きな地震が連続したこともあり、十月二十七日をもって元号が慶長に改元された。

 明けて慶長二年(一五九七年)二月二十一日。
 秀吉は、朝鮮に向かう軍勢の陣立書を発した。

 渡海する総兵力は十四万に及ぶことになる。

 日本軍は半島南端の慶尚道に上陸すると、前回の唐入りでは後れを取った日本の水軍が巨済島沖での海戦において李氏朝鮮の水軍を破った。

 かつて李氏朝鮮の水軍を率いていたのは李舜臣なる将で、戦上手の手ごわい相手であった。
 しかし、李舜臣は李氏朝鮮の国内の政争に敗れて更迭されていた。

 後任の将・元均は、前回の戦訓から対策を施して臨んだ日本の水軍の敵ではなかった。

 その後、八月十五日には日本軍は全羅道の南原城まで進出するが、またしても明軍を加えて体勢を整えた李氏朝鮮の反撃を受け、次第に苦戦するようになる。

 十一月十日には、慶尚道蔚山に城を築いて持久の構えを取った加藤清正らが、城の完成前に明軍に包囲される。

 この時は、翌慶長三年(一五九八年)一月四日に毛利輝元率いる援軍が間に合い、からくも解囲に成功して清正らを救出したが、日本の劣勢は明らかとなっていた。

 朝鮮にて日本勢が苦闘している一方、秀吉は大坂城や伏見城、はたまた京に築城中の新城へとあちこち動き回っていたが、畿内を出ようとはしなかった。

 従って、則頼も名護屋に向かう事もなかった。

 その間、則頼はもっぱら伏見の有馬屋敷に家康を招いたとの記録が残る。

 慶長二年五月二十二日に家康が訪問したのを皮切りに、同年八月十八日には家康に加えて細川幽斎や織田有楽斎といった茶数寄が来訪して相伴している。

 その後、十月二十一日にも同様に、家康が訪れている。

 もちろん、謀議を巡らせるなどという物騒なものではない。

 屋敷にしつらえた茶室での茶席であったり、舞台での猿楽であったり、いずれも遊興に過ぎない。

 伏見の人々は、有馬法印は太閤殿下からお呼びがかからず、よほど暇なのだろうと噂し合った。

 しかし、遊興の場で同席した歳の具体的な逸話が何一つ残っていないとしても、数を重ねることによって互いの人となりを知り、力量を計っていた。

 誰もいつとは気づかないうちに、則頼は明確な家康派への乗り換えを果たしつつあった。



 慶長三年三月十五日。

 秀吉は醍醐寺三宝院裏の山麓にて、後世「醍醐の花見」として語り継がれることになる花見を催した。

 しかし、物々しい警備下で行われた花見は、もはや則頼が機知に富んだ追従をするような場ではなくなっていた。

 前年から体調を崩す時期が多くなっていた秀吉は、五月になると病床に就き、起き上がることもできなくなった。

 七月になると死期を悟った秀吉は、前田利家屋敷にて形見分けをはじめた。

 則頼には金子二十枚、豊氏は直綱の太刀が分け与えられたと伝わる。

(金子とは味気のないことじゃ。茶道具の一つでもあれば、良き思い出の品となるものを)

 受け取った目録をひとり自室で眺めつつ、内心で則頼は惜しむ。

 天正五年、播磨に軍勢を率いてやってきた秀吉の元に馳せ参じた遠き日のことを思い返す。

 二十年来に渡る付き合いの結論が金子二十枚とは、なんと空しいことか。

 しかし、それを表に出すわけにはいかない。ありがたく受け取る他はなかった。



 形見分けの後、秀吉は伏見城に徳川家康ら諸大名を呼び寄せて、特に家康に対して秀頼の後見人になるようにと依頼した。

 それでも心もとなかったのか、八月五日には、改めて五大老宛て遺言を残している。

 とにかく秀吉は、幼少の秀頼の身を案じ続けた。

 妄執と断じてしまえばそれまでではあるが、かつて自分が信長の遺児をどう扱ったかを思えば、その行く末が思いやられるのは当然ではあった。

 そして八月十八日。
 伏見城にて、秀吉は世を去った。

 本来であれば、ただちに国を挙げて大々的な葬儀を催さねばならない。

 しかし、朝鮮に送り込まれた大軍が進退窮まって難渋している状態では、天下人の死は人々に与える悪影響が大きいとして公表は差し控えられた。

 遺骸は取り急ぎ京の郊外、阿弥陀ヶ峰に埋葬された。

 しかし、正確な場所はごくわずかな者にのみ伝えられるなど、徹底した秘匿が行われた。

 派手好きだった天下人の最期とはとても思えぬ処遇を聞き、さすがに則頼も気の毒に思わずにはいられない。

 だが、秀吉亡き世を、なお則頼は生きていかねばならない。

 悲しみに暮れる暇もなく、次の天下のあり方を巡る争いは、水面下で既に始まっていた。
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