【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬

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(二十六)浅井家が滅んだ日

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 員昌が高島郡の片隅でままならぬ日々を過ごしている間にも、信長を巡る情勢は大きく動いている。

 一向一揆や三好三人衆との戦いに手を取られる信長は、北近江の浅井長政攻めに専念できる状態ではなかった。

 それでも兵力の差は大きく、長政は討ってでることが叶わないまま、小谷城周辺に築かれた織田方の付城による包囲に苦しみ、戦況は膠着した。

 その間に、木下秀吉による調略が進められており、元亀三年(一五七二年)十月には有力家臣の一人である宮部継潤が浅井家を離反している。

 自力では現状を打開できない以上、長政は反信長陣営の動きを頼みとせざるを得ない。

 その期待に応えるように、甲斐の雄・武田信玄が二万七千の軍勢を動かし、三河と遠江の徳川家康領に侵攻した。

 武田信玄は要衝の二俣城を攻め落とした後、十二月二十二日には信長の援軍三千を加えた徳川家康勢を三方ヶ原で散々に打ち破った。

 そのまま武田信玄が織田領に侵攻したのであれば、信長にとって大変な脅威となった筈だった。

 しかし武田勢はその後、侵攻の速度を落とし、春のうちに甲斐に兵を退いている。



 元亀四年(一五七三年)七月二十六日。

「お屋形様自ら、高島郡に兵を出すとの仰せにございます。磯野様におかれては、手筈を整えていただきますようお願いいたします」
 小川城に足を運んだ津田坊こと於菊丸が、重大な報せを員昌に告げた。

 於菊丸は員昌の取次役と称しつつ、それだけを役目にしている訳ではない。

 員昌が退去した後は空き屋敷となっていた大溝館を居館の一つとしつつ、様々な役目を与えられては各地を駆けまわっている様子だった。

 元服前だというのに、随分と大役を任せるものだ、と員昌などは感心半分、呆れ半分で思う。

 聞けば、信長は今年で十七歳となる嫡子の奇妙丸もまだ元服させていないという。

 数日前、信長は今月初めに京の槙島城で挙兵した足利義昭を攻めたて、追放に追い込んでいる。

 あるいは、将軍を追放して新体制を確立するまでは元服させない腹積もりでもあったのかもしれない。

(いや、今は他人の元服よりも、我がことが大事よ。随分とせわしないではないか)
 気を取り直した員昌は、於菊丸から信長の目論見について詳しく尋ねる。

 その結果、林与次左衛門の打下城に陣を据えてから北に攻め上る算段であると知った。

 そうなれば、員昌としても漫然と小川城に腰を据えて待っている訳にはいかない。

「急ぎ準備せねばならぬ」

 員昌は、役目を終えた於菊丸が退席するのを待ちかねるように出陣の準備を急がせるとともに、自らはわずかな馬廻りと共に打下城に向かった。



 翌日。
 信長は、今年の五月に佐和山城下の松原浦にて建造させたばかりの自慢の大舟に座乗して、打下城に来着した。

 御殿大広間の上座に腰を下ろした信長は、下座に平伏する員昌に向けて開口一番、
「遅いわ」
 と短く甲高い声を放った。

 もちろん員昌の出迎えが遅れた訳ではない。

 員昌が送り込まれてから二年が経過してもなお、高島郡の平定があまり進んでいないことを指弾する言葉だった。

「なにぶん、高島七頭と申すぐらいですから、数が多うございますでな」
 員昌は悪びれず、胸を張って応える。

 隣では林与次左衛門が青い顔をして、そんなことを言ってよいのかと目で訴えている。

 高島郡を織田方の勢力下におくことは、与次左衛門にも課せられた役目であり、懈怠を疑われて震えあがるのは当然ともいえた。

「ふん、磯丹の減らず口めが」
 信長は、員昌のことを「磯丹」なり「丹波」なりその時の気分で違った呼び方をする。

 何も員昌のみに対する接し方ではなく、織田家の重臣はいずれもぞんざいに呼びつけられている。

 員昌も、長政との違いに面食らう気持ちはあっても、それで気分を損ねることもない。

 この時も、員昌の背後に控える家臣たちは緊張で身構えてはいるが、当の信長自身は口では悪罵を吐き捨てたものの、その目は必ずしも怒りに燃える光を宿してはいなかった。

「恐れ入りまする」
 員昌は素直に頭を下げた。

 もう少し手勢が多ければ、などと言い訳めいた言葉は口にしない。

 信長の不思議さは、異見を許さない高圧的な態度を隠さない一方で、臆さずに堂々と己の意見を貫く男をむしろ好ましく思うところにあった。

 それなりの立場にありながら、従順であろうと震えあがって平伏する手合いには、却って手酷い仕打ちをすることも少なくない。

 もっとも、我を通すにしろ、下手な言い訳や自己弁護と受け止められた場合は逆効果であるから、仕えにくい主君であることには違いなかった。

 員昌としても、こうすれば信長の逆鱗には触れづらい、などと計算しているつもりはない。

 立ち居振る舞いを計算すれば、それこそ信長の機嫌を損ねることは目に見えている。

(つまり、ありのまま接するほかはない。そう決めてしまえば、さほど面倒ではないかもしれん)
 員昌は、そう割り切っている。

 考えてみれば、長政に仕えていた時はここまで気働きする必要性を感じていなかった。

(だが、それは誤りであったかもしれぬ)
 やはり若輩者と長政を侮る気持ちがどこかにあり、それが長政にも伝わって円滑な関係を築けなかったのかもしれない。

 今更ながらに後悔の念が胸の奥をよぎる。

「して、磯丹よ。どこを潰す」
 信長が再び、短い言葉で問うた。

 高島七頭を含む高島郡の国衆全てを敵に回して根絶やしにするつもりはなく、織田方に敵対的な態度をとっている者だけを叩く、との意味が込められた問いであった。

 二年も経過している以上、それぐらいのことは調べがついているだろう、という意味も言外に込められている。

 員昌も、手勢が揃っていれば自ら討伐を行いたい相手は腹案として持っていた。

 だが、ここでその名を口にした瞬間、その家が信長に攻め潰される、というのは自らが先陣を切って敵勢に斬り込むのとはまた異なる緊張と恐怖を感じるものだと痛感する。

 員昌は呼気を整えてから口を開く。

「主だったところでは、清水山と田中などにございましょう」

「よかろう。明日より兵を出す。両名は案内せよ」

「ははっ」

 員昌は、息をつめてやり取りを聞いていた与次左衛門ともども、揃って平伏した。



 翌日からはじまった織田方の高島郡攻めにおいて、員昌は信長から命じられた通り、道案内役を務めることになった。

 なお、信長の軍勢全てが舟で打下城まで乗り込んできた訳ではなく、別動隊が西近江路沿いに進軍し、未だ信長に服していない清水山城や田中城を開城させながら北上して合流する形となった。

 高島郡に割拠する高島七頭にしても、それぞれの城には戦時であってもせいぜい千から二千程度の兵しかいない。

 ましてや、不利を悟って陣触れに応じない者が続出し、ろくに兵が揃わないのが実情だった。

 あまりの兵数の差に、反織田方の国衆は連携を取って後詰を出すどころではなく、それぞれが己の居城に立てこもるしかなく、むざむざ各個に撃破されていくことになった。

 信長が吹かせた嵐により、高島郡は数日で織田の勢力圏に収まった。

「あとは丹波の仕事ぞ」
 面白くもなさそうな表情で、馬上から信長はそう告げた。この日は磯丹から丹波に呼び方が変わっている。

「承知」

 馬前で片膝をついて応じる員昌だが、信長の興味は既に員昌には向けられていない。

 その目は既に、小谷城の長政に向けられている様子だった。

「そうじゃ、褒美に一つ教えてやる」
 信長は意外な言葉を口にした。

「はっ?」
 員昌は思わず半端な返事をしてしまう。

「改元じゃ。元亀は今月で仕舞いじゃ。新しい元号は、『天正』となる」
 信長は誇らしげに告げた。

 元号が変わった、というより、信長が朝廷に改元を認めさせたという意味なのだろう。

 そんな大事な時期に、このような場所で難敵とも言えぬ相手を自ら出陣して蹴散らしている場合なのだろうか、と員昌は不思議に思う。

 しかし、ふと気づく。

 三年前、永禄が元亀に改元されたのは、まさに信長が越前に討ち入れ、浅井の裏切りによって敗走した金ヶ崎の退き口の最中ではなかったか。

 負け戦から始まった苦い記憶が刻まれた元号を終わらせるにあたって、勝ち戦の最中にその時を迎える。

 験を担ぐ真似には縁遠いように思われる信長にとっても、それなりに必要な儀式であるのかもしれない。

(生贄にされた高島七頭こそ面の皮よ)
 員昌は思わず同情してしまうが、確かに一つの時代が終わろうとしていた。



 元亀から年号が改まったばかりの天正元年八月八日、信長は三万の軍勢を率いて小谷城に迫った。

 これに対して、小谷城の長政は越前の朝倉義景に援軍を求めた。

 義景も、浅井家が滅ぼされては、次は自分の身が危ういことは自覚している。

 出陣を渋る家臣も多い中、義景はどうにか集めた二万の軍勢を従えて自ら出陣し、国境を越えて小谷城の北にある大嶽砦に入った。

 大嶽砦は小谷城を見下ろす高所に築かれており、浅井家が朝倉勢の為に用意した重要拠点であった。

 しかし八月十二日、折からの荒天を味方につけた信長は、風雨を付いて夜襲を敢行。

 長年に渡って益のない出陣を続け、士気の低かった朝倉勢は無残に敗れ、大嶽砦から敗走する。

 自軍の戦意のなさを思い知らされ、越前への撤退を決断した義景に対し、信長はここを勝負所と読み切り、執拗な追撃を続行した。

 秩序だった撤退ができないまま朝倉勢は多くの将を失い、敗走を続けた。

 義景自身は、どうにか居城の一乗谷城に逃げ込んだが、将兵のほとんどが逃げ散ってしまい、もはや最後の一戦を挑むことすら不可能な有様だった。

 一乗谷城を捨てて大野郡の賢松寺に逃れた義景は、八月二十日になって従兄弟の朝倉景鏡の裏切りに遭い、自刃を余儀なくされる。

 その後、越前から戻ってきた織田勢の猛攻を受けた長政も、小谷城の赤尾曲輪にて自刃を遂げた。

 命日は八月二十九日とも、翌日の九月一日とも言われ、正確な日付は判然としない。

 なお、この年の八月は「小の月」であるため、八月は二十九日までである。

 元亀四年八月二十九日と記した、片桐孫右衛門尉宛の長政の感状が後世に残っている。

 改元前の「元亀」となっているのは、信長主導による改元を認めない意志を示したものとも言われる。

 しかし、世の動きから分断された籠城戦の最中にあって、改元のことを最後まで知らなかったか、噂には聞いても裏付けが取れず、使うに使えなかった可能性もある。

 いずれにせよ、金ヶ崎の退き口以来の浅井・朝倉と織田との闘いは、三年を経て浅井・朝倉両家が滅びたことによって終結を見ることとなった。



 反織田方の勢力が駆逐された高島郡一帯の慰撫に追われていた員昌は、小谷城攻めの最終盤になって参陣を求められて、その時点で動かせるだけの兵をまとめて駆け付けた。

 途中、本貫の地である磯野山近辺を通過することになったが、懐かしむ余裕もない。

 結局、直接合戦に参加することもなく、小谷城の落城を麓で見守るだけに終わった。

 員昌が信長に降って後、最後まで直接浅井方と直接矛を交えずに済んだ。

 信長の計らいによるものか、偶然なのか、員昌自身にも知る由はなかった。



 城攻めは激しいものであったが、城全体が焼け落ちるようなことはなかった。
 そのため、あらかた片づけられた小谷城の本丸御殿が、論功行賞の場として用いられることになった。

(よもや、再びこの場に足を踏み入れる日が来ようとは)
 思いがけず良い席次を与えられて腰を下ろしながら、員昌は複雑な思いを抱く。

 織田に降って二年半が経つが、高島郡の一角からほとんど動くことがなかったため、居並ぶ織田家の重臣の中には、見知らぬ顔も多く、なんとなく肩身が狭い。

 丹羽長秀と木下秀吉が丁寧に会釈してくれたのが有り難かった。

 やがて上座に信長が姿を現し、家臣一同平伏する。

 かつて、長政が座っていた場所を、今や信長が我が物顔で占めている。

(いかぬな。歳のせいか、涙もろくなっていかぬ)
 現実を思い知らされた員昌の胸に、我知らずこみ上げるものがあった。



 この場で、員昌には高島一郡が与えられると正式に公表された。
 織田家の重臣と肩を並べる待遇であり、数年前に降った者に対する扱いとしては破格と言えた。

(織田殿は、それほど儂を買っておられるのか。それとも、手土産の佐和山城がよほど効いておるのか)
 我が事ながら、やや穿った目で評価せずにはおれない心境の員昌である。 

 ただし、高島郡全体では五万石から七万石と見積もられるが、寄騎として付けられる朽木城の朽木元綱と打下城の林与次左衛門の所領もその中に含まれている。
 彼らの所領には、員昌も自由に手を突っ込めるものではない。

 石高から計算する限り、員昌が動かせる手勢は一五〇〇名程度になるものと考えられた。

 佐和山城主時代より一郡を領するという立場こそ上になったが、動員力はさほど増えてはいないことになる。

 浅井旧臣では、緒戦において美濃・近江の境目の城である苅安城と長比城を手土産に織田に降った堀秀村が、坂田郡の半郡を安堵された。

 また、今年の八月になって山本山城を開いて小谷城攻めに大きく寄与した阿閉貞征も、伊香郡の一部の領有を認められた。

 もっとも、浅井の旧領である坂田郡、浅井郡、伊香郡の江北三郡は、横山城の木下改め羽柴秀吉が治めることとなったため、堀・阿閉両名は秀吉の寄騎として指揮下に組み込まれることになる。

 ただ、落城寸前に降ったり、最後まで抵抗して捕らえられた浅井家の家臣の多くは赦されず、斬られる憂き目に遭っている。

 その中には、員昌とは何かと因縁深かった赤尾清綱の名もある。

 三年に及んだ戦さにおいて、最初の半年余りで信長に降り、結果として命を長らえた員昌としては正視しがたい現実であった。

(このような仕儀となり、申し訳ござらぬ)

 員昌は胸のうちで、長政や清綱、散っていた浅井家の家臣たちに向かって詫びる。
 たとえ、小谷入城を拒絶されたうえに老母を磔にされた結果とはいえ、浅井家が滅ぶ日を目の当たりにすることは、決して本意ではなかったのだ。
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