【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬

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(一)召し放ち

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「――よって車丹波守斯忠を、召し放ちとする」
 水戸城の大広間に、筆頭家老の和田昭為が放つ声が響いた。

 本来、上座に姿がある筈の佐竹家当主・佐竹義宣は、年賀の挨拶のために大坂に上ったままのため、空いたままになっている。
 上杉景勝が上洛せず、この年、慶長五年(一六〇〇年)の二月の初めから新たに城や砦を築き、街道を整備するなど戦さ支度とも取られても仕方のない不穏な動きをみせており、その対応を余儀なくされていたのだ。

 従って、下座に控える車丹波守斯忠つなただに向けて発せられた言葉は、昭為が義宣から受け取った書状に基づくものだ。
 大広間には斯忠と昭為の他、あとは昭為の近習が数名しかいない。
「どういうことだい、筆頭家老。お屋形様の口から聞かされるならともかく、はいそうですかと引き下がれる話じゃねぇぞ」
 それまで平伏していた斯忠が顔をあげて、上目遣いに昭為を睨む。

 その姿は、獲物に襲い掛かろうと四肢をたわめる猛獣さながらである。
 もっとも、下駄に目鼻をつけたような面立ちの持ち主だけに、威圧感のなかにどうしてもどこか愛嬌が残る。

「虎よ。この頃盛んに石田治部に味方して徳川を討つべしと気勢をあげておったであろう」
 昭為は斯忠に対し、苦虫をかみつぶしたような表情を見せた。

 斯忠は低い鼻をふんと鳴らした。
 彼が猛虎と書いて「たけとら」と読む諱を名乗っていたのは、元服からわずかな時期だけである。

 佐竹庶流である古内義康の娘を嫁に迎えたのを気に、佐竹家の有力分家の一つである北家の当時の当主・北義斯から一文字を拝領して名乗りを斯忠に改めたからだ。

 しかし、気負いすぎともいえる勇ましすぎる諱は、あまりにも語感がよいこともあってか、先代当主・佐竹義重が何かと猛虎と呼びたがった。

 そのため、諱ではなく綽名として「虎」が家中での呼び名として定着していた。
 もちろん、諱を公的な場所で呼びつける機会は元々少ない。

 だが、理由は後述するが家中では彼を丹波守とは呼びづらい空気もあり、もっぱら「虎」で通じる。

 しかし、人の進退が決まろうという場に、虎よ、でもなかろう、と斯忠は思うのだ。
 時々、妙なところにこだわるのが、車斯忠という男である。

「はっ。上杉に味方し、難癖をつける徳川を倒すのが佐竹の義と信じてるんだがね、違うかい、筆頭家老さんよ」
 やましいことなど何一つない斯忠は、堂々と胸を張った。それに反して、昭為の渋面は厳しさを増していく。

「それがいかぬ。お主は要らぬところで口が達者ゆえ、特に若い者が感化されかねぬ」
「お屋形様の真意は親石田、反徳川ではなかったのかい」
 身を乗り出すようにして斯忠は問いを重ねる。

 確かに調子に乗って勇ましい言葉を発していたのは事実だが、それは義宣の意向に沿うものだという自負が、彼にはあった。

 それは、必ずしも斯忠の思い込みとも言い切れない。

 そもそも、佐竹家が常陸一国の支配者としての地位を豊臣政権下で認められるにあたっては、石田三成の助力を得ることが多かった。

 その縁もあり、上方にて政権中枢に触れる機会が多かった義宣は、周囲から石田三成寄りとみられていた。

 ましてや、この度徳川家康の標的とされている上杉家と言えば、かつて先代の義重が家を保つために四方を敵に回して東奔西走していた時期に、上杉謙信が何度も越後から山を越えて関東に軍勢を進めてくれたお陰で窮地を脱した恩義があった。

 関東管領としての振る舞いを自らに課していた上杉謙信と、あくまでも対等な立場で相対しようとする姿勢を崩さない義重との関係は、単純に敵味方で表現できるものではなかった。

 しかし、両家が敵対したことはない以上、今度は佐竹が上杉の窮地を助ける番だ、と意気込む者は家中にも少なくない。

 一方、隠居の身ながらも家中に強い影響力を持つ義重の視点からは、違う光景が見えているらしい。

 戦場往来の古強者だけあってより現実的な判断として、北城様は徳川家康に逆らわないことを望んでいる、というのは家中が共有している現状判断であった。

「お主のように、単純なものの考え方では済まされぬのが判らぬか」
 昭為の呆れ声にも、斯忠はなおも声を荒げて言い募る。

「なにが単純だい。それじゃあ聞くが、上杉に加勢するのと、徳川に従って上杉を攻めるのと、それ以外の道があるってのかい。どっちにも良い顔しようなんて考えてちゃあ、どっちからも恨まれるだけだって、お屋形様も判らない筈がないだろうに」

「態度を明らかにするにも、時機を得ねばならぬ場合もある。その間合いを、お主が崩しかねぬことを懸念されておられる、そういうことじゃ」
 そう言ってから昭為は、義宣からの二通の書状を斯忠に回した。

 一通は、斯忠を召し放つ命令を書き記したもので、もう一通は封がされたままの状態だった。

 斯忠は促されて渋々、開かれたほうの書状にざっと目を通した。
 少なくとも今回の追放劇が、昭為の手で勝手に仕組まれたものではないことは、認めざるを得なかった。
「なんだい、こっちは」
 さすがに肩を落とした斯忠が、もう一通の書状を手にする。

「開けてはならぬぞ。それは、お屋形様が上杉の直江山城守殿に、お主を雇うてくれるよう頼むよう書かれておる」

「なんじゃと。奉公構ならばともかく、召し放ちの後に次の仕官先まで口を挟むのは筋違いじゃねえのか」
 斯忠は、手にした書状を改めて凝視する。

 奉公構とは、改易したり出奔した家臣を、他家が召し抱えないよう他家に触れを出すことを指す。少なくとも、昭為が読み上げた書状の内容に、それらしきくだりは存在しなかった。

「それほど上杉の味方をしたいのなら、常陸で四の五の言うておらず、会津まで馳せ参じよとの、お屋形様の思し召しである」

「そこで上杉家当主の首級の一つでも佐竹に持ってくれば、帰参を許してもらえるのかい。筆頭家老殿のように」
「なにっ」
 斯忠が放った暗い視線が、昭為の目を真っ向から射る。

 両者の因縁は深い。
 若い頃から反りが合わず、衝突ばかりしていたといっても過言ではない。

 昭為は、元亀二年(一五七一年)に、佐竹家を出奔して白河結城氏の下に駆け込んだことがあった。

 この騒動の引き金を引いたのが、他ならぬ斯忠だった。
 偶然、昭為の屋敷に他国の間者らしき人間が幾度も出入りするのを突き止めた斯忠が、義重にそれを知らせたのだ。

 実のところ、昭為が白河結城氏の調略を受けていたのは事実だった。
 しかし、昭為は佐竹家を裏切るつもりなど毛頭なく、逆に敵の誘いに乗るふりをして一杯喰わせるつもりで相手をしていただけだった。

 ところが、敵を欺くにはまず味方から、の例えのとおり、昭為はこの策謀を誰にも告げていなかった。
 能臣として若くから重用されていたこともあり、策士が策に溺れたと言える。

 鬼義重とも恐れられた荒武者である義重は、斯忠の報せを受けると激怒し、直ちに追捕の兵を差し向けた。
 主君の性分を知る昭為は、この場での弁明は通じないと悟って出奔したが、妻と三人の息子をはじめ、一族の多くが討たれる惨事となった。

 しかし昭為はそんな悲劇にも関わらず四年後の天正三年(一五七五年)に佐竹家に復帰する。

 白河家の政変によって新たな当主となった白河義親を佐竹氏が攻めた際、白河勢の先陣として参戦し昭為は密かに佐竹氏に内通しており、わざと突出して義親の本陣が手薄になるよう仕向けた。

 そのため、孤立した義親が生け捕りとなり、その功績をもって昭為は帰参を認められたのだ。

 そんな経緯がある以上、二人が和解など出来るはずもない。

 斯忠が三十年越しの意趣返しか、と勘繰るのも致し方ないことだった。

「……それがしの遺恨があっての沙汰ではないわ」
「ああ、そうかい」

 過去の因縁にこだわっているのは斯忠のほうかも知れない。

 自分が昭為の立場であれば、妻子を殺されるきっかけを作った男など、許せるはずがないと思うからだ。

 しかし、昭為が得意げな表情を見せる訳でもなく、沈痛な面持ちを隠さないのをみると、斯忠としても、心の中で振り上げた拳を降ろすしかない。

 しばし沈黙が落ちた。

「北城様に会うて行くか」
 ややあって、気まずい空気の中、昭為が問うた。

 先代当主の佐竹義重を指す北城様との呼び方は、水戸城の北に位置する、かつての佐竹氏の居城である太田城に引き続き居を構えていることから来ている。

 昭為の中には、斯忠は義重に気に入られているとの認識があるらしい。
 斯忠が義重に泣きついて召し放ちを撤回させようと目論むのでは、と警戒する色が伺えた。

「なんの面目があって、そんな真似ができるってんだ」
 泣き笑いの表情で斯忠は首を振る。

 幼少時の記憶が脳裏をよぎる。

 かつて岩城氏に属していた斯忠の父、車兵部大輔義秀が佐竹に降った際、まだ元服前の斯忠は小姓として義重に仕えることになった。

 表現はどうあれ、実質的な人質である。
 使い捨てにされる身の上に腹立ちを抑えきれない斯忠を、周囲は「あれは使い物にならぬ」と蔑んだが、何故か義重は何かと目をかけてくれた。

 馬廻衆として、あるいは車氏の陣代として人数を率いて戦う場を与えてくれ、「粗忽者ではあるが戦さには強い」との評判を得られ、人がましい扱いを受けるようになったのは、義重のおかげだった。

 その義重の意向に背いた方針を家中に触れ回ったあげく、召し放ちとなったのだ。顔を見ることなど出来るはずがなかった。

(北城様に追放されるのならばまだしも納得するしかないが、まさかこの年でこのような目に遭おうとはなぁ……)

 斯忠は大広間を辞す。
 昭為の前では弱みを見せたくないと歯を食いしばって耐えたが、内心では大いに落胆していた。
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