【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬

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(十)影武者

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 斯忠つなただたちが会津に来てから、早くもひと月が経とうとしていた。

 冬の景色を色濃く残していた会津の地も、気づけば草木の緑は日々色深くなり、早くも夏の気配すら漂わせ始めている。

 もっとも、神指城の普請に連日駆り出されている斯忠らに、周囲の景色を愛でる余裕などなかったが。

 加えて斯忠にとっては、ひと月が経過したことに現実的な問題もある。
 仕官にあたって兼続から渡された手付金は、早々に五百名に分配したが、これからも毎月、俸禄として斯忠に与えられる給金を配下に支給しなければならないのだ。

 それは彼らを雇っている斯忠の責任であり、義務である。
 面倒だからと上杉の役人に任せるような真似をしては、主としての存在意義を失うことになる。

「とはいえ、一千石分の給金を、右から左にそのまま渡すってのも、惜しい気がするんだよな」
 陽が落ち、わずかな灯に照らされた薄暗い掘っ建て小屋の中で、斯忠は嶋左源次と膝詰めで話していた。

 金勘定には疎いくせに、儲け話に興味津々なのが、車丹波という男である。

「ちょろまかすなんてのは御法度ですよ」
 危ない橋を渡りそうなところに話が行く予感がしたのか、左源次が首をすくめる。

「誰もそんなこと言っちゃいねぇよ。ただな、俺達はこれからもしばらくの間は、城の普請を続けることになるだろ」

 与えられた給金を後先考えずに使い切ってしまう手合いも困るが、後々のために蓄えておきたい者にとっても、悩みの種になる。

 普請に従事している限り、日々の食事の提供にありつけるため、少なくとも喰うには困らない。

 そのため、国許の常陸に残した家族の為に金を稼ぐ腹積もりで斯忠に従っている者の中には、手付をそっくり貯め込んでいる者も少なくなかった。

 普通は親族なり郎党が家財を守ることになるのだが、雇われたばかりの五百名に、そのような者がいるはずもない。

 かといって、仲間内から金庫番を定めて、皆の金を任せるといった信頼関係はまだない。

 本来であれば寺社や商家に託すべき話かもしれないが、土地勘のない会津の地では、それもままならない。

 ましてや、常陸まで金銭を毎月運ぶわけにもいかない。

 そういった事柄を、斯忠は思いつくままに左源次に説明する。

 要するに、なにか知恵を出せという話である。
 左源次の知恵に本気で期待している訳ではないが。

「銭金のことを尋ねるならば、上杉の御家にはうってつけの御方がおられますぞ」
 表情を明るくした左源次が身を乗り出した。

「……ん、ああ。あの御仁か」
 斯忠も、左源次の言わんとするところをすぐに理解して膝を叩く。

 その男の名は、岡佐内定俊。
 永禄十年(一五六七年)生まれで、今年三十四歳になる。

 元は蒲生家の家臣であり、蒲生氏郷の元で数々の軍功を挙げた高名な武者である。

 氏郷が会津九十二万石を領していた頃には、その知行は一万石にも達していたという。

 しかし、文禄四年(一五九五年)に氏郷が四十歳の若さで亡くなった後、家督を継いだ嫡男・秀行は十三歳と若年であったことも祟り、家政の主導権を巡って争う家臣間の対立を鎮めることが出来なかった。 

 結果、蒲生家は秀吉の命で宇都宮十八万石に減封されたが、佐内は宇都宮へは同行せず、蒲生家から離れた。

 正確に言えば、そのまま会津に残り、越後から国替となり新たに会津を中心に百二十万石を領することになった上杉景勝に、四千二百石で仕える形になった。

 つまり外様ではあるものの、上杉氏が盛んに組外衆として雇い入れている斯忠のような牢人者とは毛色が少々異なる。

 その軍歴は数々の武勇伝に彩られているが、何よりも人々の耳目を集めるのが、並外れた蓄財の才である。
 部屋に敷き詰めた金の上で転がるのが趣味、などという奇妙な噂を、斯忠もどこかで耳に入れていた。

 もっとも同じ上杉家中とはいえ、会津入りしてこの方、普請場で土を運んでいるだけの斯忠には、岡佐内との面識はまだない。

「確かに、一度は話を聞いてみてぇもんだな。……善七、いるかい」
 斯忠が板壁に向かって声を放つ。

 すると、待つほどの間もなく掘っ建て小屋の引き戸が開き、善七郎が音もなく身体を滑り込ませてくる。

 善七郎は斯忠の異母弟としての立場を隠し、一介の人夫として荷駄組の一人に紛れて会津入りしていた。

 かねてよりその存在と役回りを知っている左源次は、善七郎がこのような現れ方をして斯忠の前に平伏しても、取り立てて驚いたりはしない。

 もっとも、善七郎がどれだけ役に立つのか、左源次は深く理解していないのではないか、と斯忠は内心で疑っている。

 それはともかくとして。

「いま、岡佐内殿がどこにいるか、ひとつ調べちゃくれねぇか」
 斯忠の無茶とも言える頼みに、善七郎は珍しく、わずかに顔を綻ばせる。

「その儀ならば、調べに走るまでもございませぬ。鶴ヶ城下の御屋敷におられるとの話を聞き及んでおります」

「ほう、そいつは話が早いや。じゃあ、すまねえが明日の朝にでもひとっ走りして、俺が会いに行っても構わないものか確かめてきてくれねぇか」

 さすがに、前触れもなしに訪れて面会できると考えるほど斯忠も不調法ではない。あらかじめ、当たりをつけておくのは当然だった。

***

 翌日、善七郎の姿は普請場から消えていた。

 もっとも、忍びの者として日頃から人目につかぬよう心がけているだけに、彼の存在がないことに、土運びに精を出す斯忠の配下は誰も気づいていなかった。

 神指城の普請場から鶴ヶ城からまでは、およそ一里ほど。
 朝ののうちに出立して岡佐内の屋敷まで走った善七郎は、斯忠の来意を告げたうえで、まだ陽の高いうちに戻ってきた。

「ぜひお越しくだされとの御返事にござります」
 何食わぬ顔でいつの間にか普請場の人夫に紛れていた善七郎が、さりげなく斯忠の傍らに近づいて報告する。

「よし、それじゃあ早速、明日にでも出かけてみるか」
 鍬を振る手を休めてそう応じた斯忠だが、その表情はどこか冴えない。

「何か心配ごとですかい」
 二人の様子に目ざとく気づいた左源次が声を潜めて尋ねる。

「いや、そうじゃねえ。俺達は毎日こうやって普請場で汗水たらして上杉の御家のために土を運んでいるのに、岡佐内殿はなんで屋敷にいるのかと思ってな」

 戦さ働きで身を立てると意気込んでいた筈の己の配下が、健気にも来る日も来る日も土運びをやらされているのだ。
 待遇の差に、文句の一つも言いたくなる。

「そりゃ、虎の兄貴みたいに、人夫を五百人も連れて仕官した訳じゃないからでしょうよ」
 得たりとばかりに左源次が応じ、にかっと笑う。

「うるせぇよ、そういうことをいちいち言うんじゃねぇよ」
 斯忠の指先が、左源次の額に振り下ろされて乾いた音を立てた。

「あ痛ぇ、まったく、すぐ八つ当たりするんだから」
 額をさすりながらぼやく左源次だが、斯忠は相手にしていない。

「さて、問題はここから抜け出さないといけないわけだが……」

 普請場では、黒金泰忠なる厳めしい名の男が、直江兼続不在時であっても総奉行として目を光らせている。

 泰忠は兼続よりもさらに若いらしく、まだ三十代半ばだという。

 巨城の築城に携われることで張り切っているのか、ちょいと野暮用で、などという理由で普請場を離れるなど、許してもらえそうもない雰囲気である。

 斯忠が気にいらないのは、神指城の普請のために派遣された人足衆の親玉のような扱いを泰忠から受けていることだ。
 これでも少しは名の知られた身の筈なんだが、と思うと斯忠としてはどうにもやりきれない。

 それを差し引いても、親子ほどに年の離れた相手に頭を下げてお願いするのも癪に障る。
 顔を知られている以上、善七郎のように黙って姿を消すのも難しい。

 だが、斯忠には奥の手があった。

「頼むぜ」
 傍らの善七郎に向けて、斯忠は意味ありげに片目をつぶってみせる。

「御意」
 表情一つ変えることなく、善七郎も頷いた。

***

 翌日。

 普請場には斯忠の恰好に扮して影武者を勤める善七郎の姿があった。

 元々面立ちは似通っており、善七郎にとっても過去に何度か経験もある、手馴れた扮装である。

 幸いというべきか、神指城は水濠となる堀の掘削がまだまだ半ばであり、善七郎は、いちいち声を張り上げて普請の指図をする必要もなかった。

 一日程度なら、ただ頬かむりをして黙々と土運びをしているだけで、黒金泰忠の目をごまかせそうであった。

 無論、善七郎は姿や仕草だけを似せた木偶の棒ではない。

 仮に黒金泰忠に何事か指示されても、そつなくこなせる知恵も度胸もある、と斯忠は信じている。

 善七郎には、全幅の信頼を寄せる斯忠であった。
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