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(二十二)横田大学
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夕暮れ刻となり、梁川城の曲輪のあちこちから炊煙が立ち上りはじめている。
伊達勢の姿が城下に現れなかったことで、張りつめていた空気がわずかに緩む感があった。
そんな中、小具足を付けた斯忠は険しい表情を隠すこともなく、城の曲輪を巡り歩いていた。
もちろん、夜襲がないと決めつけるのは危険であるが、斯忠が見上げて確認する限り、高櫓で見張りにつく兵は油断なく城下の動きを警戒している様子が見受けられた。
あの調子であれば、そうそう奇襲を受けるものではない、と自らに言い聞かせるように斯忠はうなずく。
ただ、城内の様子を見て回っているのは、兵の士気を確かめることだけが目的ではなかった。
一つは、内応者のことである。
梁川城に派遣されて以来、善七郎とその配下の風車衆は、伊達が送り込んで内応者と接触を図るであろう間者を発見するべく、城外に網を張っていた。
しかし、今のところ成果は出ていない。
善七郎が見つけられない相手を自分が探し出せるとは斯忠自身も思っていないが、伊達の侵攻が間近に迫るとなれば、何もせずにはいられない。
なにかしらの兆候をつかめるかもしれない、と考えての見回りである。
もう一つは、於きたのことである。
於きた率いる女中衆の巡回は、本人の意気込みとは裏腹に、城兵にとってはある種の癒しとなっていた。
しかし、斯忠の暮らす大学館には立ち寄らない日が続いていた。
最初は、叱咤激励の必要がないからかと呑気に構えていた斯忠であるが、さすがに何日も顔を見られないと気になってくる。
かといって、本丸御殿の奥の間に暮らす彼女の元に押しかけることなど出来るはずもない。
考えたのは、巡回中の於きたに偶然を装って出くわすことだった。
(戦さが近いかもしれないってのに、俺は何をやってるんだかね)
思わず自嘲してしまう斯忠であるが、於きたの顔をもう一度見ぬまま戦さとなって討死するようなことがあっては死んでも死にきれない。
しかしながら、初めて立ち入った南側の二の丸の様子をあれこれと眺めながら歩いていた斯忠が出くわしたのは、意に反して数名の兵を連れた築地修理亮であった。
「ここはその方の持ち場ではないぞ。うろうろと何をしておる」
斯忠の姿を目ざとく見咎めた築地修理亮が、険しい顔つきで声をかけてくる。
「ご案じ召さるな。当方はこの城に来て日も浅く不案内ゆえ、どこの曲輪、どこの門に向かえと加勢を命ぜられた際に迷わぬよう、こうして見て回って覚えておるだけにござる」
これは本来、巡回中の於きたから詰問された時に使うつもりだった言い訳である。
事前に準備していただけあり、すらすらと言葉が出てきた。
「ふん。口ばかりは達者じゃの。敵に通じて何やら探っておるのではないかと思うたわ。以後、疑われるような真似は慎まれよ」
築地修理亮は憎々しげくぎを刺すや、兵を引き連れて立ち去ってしまった。
「随分とお偉いことで」
斯忠は肩をすくめる。
ただ、築地修理亮の口から、内応者の存在をうかがわせるような言葉を聞けたのは予想外だった。
もしかすると、本庄繁長から聞いた内応者の話は、築地修理亮が出所かもしれないと斯忠は思った。
***
梁川城の南側には、阿武隈川の支流である広瀬川が流れている。
もちろん阿武隈川に比べれば幅が広いとはいえないが、水量がある限り埋め立てて押し渡ることはほぼ不可能という点で水濠より強固であり、城の南を守る重要な存在である。
二の丸曲輪のさらに南側、広瀬川に面する部分には蔵屋敷と呼ばれる、その名の通り建物が建ち並ぶ曲輪が設けられている。
さらに蔵屋敷の西側にある小さな曲輪に向かうと、夕餉の支度に出払っているのか、ひと気のない場所に出た。
「随分と不用心じゃねぇか。まあ、こんなところから伊達勢が登ってくる筈もねぇんだが」
引き返そうとした斯忠の足が止まる。
声が聞こえたのだ。
それも、聞き違いで泣ければ女の声。
向き直った斯忠が土塁の柵の陰から向こうを伺うと、於きたが、横田大学と一対一で向かい合い、なにやら話をしている姿が目に入った。
(なんでまた、あの二人が)
反射的に男女の逢瀬を連想してしまう斯忠であったが、よくみればとてもそんな甘い雰囲気ではないことがすぐに判った。
話している内容ははっきりとは聞こえないが、問い詰めるきたに対して、横田大学は言葉を左右にしてはぐらかしているといった様子である。
於きたの周囲には、いつも引き連れている女中たちの姿がない。
女中たちは河川敷にでも下りているのか、於きたは横田大学に向かいあいながらも、広瀬川のほうをしきりに気にしている。
だが、川の方角に気を取られるあまり、於きたは目の前の横田大学が殺気を帯びて腰の刀に手を伸ばしたことに気づいていない。
「あぶねぇ、間に合うかっ?」
斯忠は迷わず柵の陰から飛び出した。
このような危急の時にためらいなく動けるのが、車丹波という男である。
走り込んだ勢いのまま、身体を投げ出すようにして、きたと横田大学の間に飛び込む。
「ええい、邪魔なっ」
一撃で於きたを仕留めようと抜き払った刀を振りかぶった横田大学が、突然の乱入に目を見開く。
しかし、すぐさま我に返るや、威力の乗った斬撃を斯忠目掛けて降り下ろす。
ガキン、と高い音が響いた。
於きたの悲鳴が重なる。
「……効いたぜ、こんちくしょう」
「なっ」
不敵に笑みを浮かべる斯忠に、横田大学が信じられないといった顔つきで言葉を失う。
渾身の斬撃は、斯忠がかざした左の籠手で、がっちりと受け止められていた。
「驚くこたぁねぇや。こいつには、筋金をこれでもかと仕込んであるんだ、よ!」
言い終わると同時に、斯忠の右拳が弧を描き、動きの止まった横田大学の顎を捉える。
「ぎゃっ」
悲鳴を上げた横田大学は四肢を伸ばして真横に吹っ飛び、地面に倒れ込む。
間髪入れず、横田大学が右手に持ったままの刀を、斯忠は乱暴に蹴り飛ばした。
「ふう……。畜生め、こればっかりはたまらねぇ」
安堵のため息に続き、斯忠はうめき声をもらした。
顔をしかめ、目じりに涙さえ浮かべて何度も大きく左腕を振る。
横田大学にはいきがってみせたものの、鉄筋の入った籠手は斬撃に耐えこそすれ、その衝撃は斯忠の左腕の肘から先を手酷く痺れさせていた。
骨にひびでもはいったかと思うほどだ。
「あ、あの」
突然の出来事に顔を青ざめさせて立ち尽くしていた於きたが、おずおずと言葉をかけてくる。
「おお、怪我はないかい、於きた殿」
腕の痺れをこらえて、斯忠は無理に笑顔を作る。
怜悧な美貌をこわばらせている於きたを前にして、みっともない姿を晒す訳にはいかない。
何かを言いかけた於きたが、ふと声に気づいて顔をあげる。
悲鳴を聞きつけたのか、女中達が於きたの名を呼びながら駆け戻ってくる姿が斯忠にも見えた。
「なにがあったんで」
「横田殿が、何者かと密談していたのです」
於きたは、地面に大の字を描いて失神している横田大学を一瞥した。
「伊達の間者か……」
斯忠は思わず声をあげると、於きたはこくりと頷いた。
「おそらくは。わたくし達に気づいて城の外に逃れ出たのでお牧らに追わせたのですが、あの様子では逃げられたのでしょう」
「まったく、無茶をしなさる。だが、お手柄だね。……それにしても、伊達に内応していたのはこいつだったのか」
左腕の痺れに閉口しつつも、事の次第に驚きを隠せない斯忠だった。
***
斯忠は召し取った横田大学を長義の元に連れていき、事の次第を説明した。
思いがけない話に長義も驚き、即座に横田大学を土牢に入れるよう家臣に命じると、斯忠を本丸の書院に招き入れた。
「此度はこの城と、さらには於きた殿も救っていただき、御礼の言葉もございませぬ」
そういって長義が膝に手を置いて頭を下げた。
小姓が、二人分の膳部を運んでくる。
「酒宴は控えるのではございませんでしたかな」
梁川城に入城した際のことを思い起こした斯忠は、からかい口調で尋ねる。
「これは手厳しい。ただ、前言を翻すようで他の者には心苦しくはあるが、かと申して此度の一件がある以上、何もせぬ訳にはいきませぬでな」
「元をただせば、梁川に内応者がいるらしいとの動きを掴んだのは本庄様にござる。わたしは、本庄様の意を受けて探っておっただけのことなれば。もっとも、於きた殿がおらねば見つけられませなんだが」
「それがしも、よもや横田大学が籠絡されているなどとは、全く気付きませんでした。己の不明を恥じるばかりにござる」
曲輪の普請などを任せるほど信頼していた横田大学の背信は堪えたらしく、長義は沈痛の面持ちである。
「あの者はどうなりますでしょうな。打ち首の後、首級をこの城の大手門前にでも曝すのでございましょうか」
斯忠は横田大学の処遇を思った。
「さて、どうなりますかな。伊達に関して知りうることを全て吐き出させるのは当然でありましょうが、その後は、お屋形様と直江様の腹一つといったところかと」
「はて。どうあれ裏切り者なれば、死罪は免れぬものと存じますが」
斯忠は首を傾げて訊ね返す。
「とも限りませぬ。何分、当家は人手不足でありますゆえ。案外、何かに使えるやも知れませぬぞ。伊達も、よもや今更あの男を用いた策謀は仕掛けようがないでしょうから」
長義は意味ありげに微笑んでみせる。
「そのようなものですかな。まあ、大学の処遇には、わたしもとやかくは申しますまい」
のみこめないながらもそう応じる斯忠に対し、長義は「それにしても」と言葉を継いだ。
「於きた殿も、此度の一件で少しは反省してくれれば良いのですが。あまり危ない真似はさせたくないとかねがね思うておりましたが、猶更ですな」
その口ぶりからは、於きたが女中を連れて行う見回りは、城兵の士気を保つ効果があることは長義も認めており、強引にやめさせる訳にもいかない様子だった。
「わたしにも妹がひとりおりますが、嫁ぎ先であのように薙刀を抱えて城内を練り歩くなど、想像もつきませぬなぁ。ところで、於きた殿とはそもそもいかなる御方なのですかな」
何気ない風を装って、斯忠はかねてよりの疑問を長義にぶつける。
於きたが長義の姉なら、「於きた殿」などという他人行儀な呼び方はしないように思われた。
「ああ、これは失礼。於きた殿は、我が兄、右衛門大夫満胤の元の妻にござる」
「はて。元の妻、とは……?」
「身内の恥を晒すようですが、我が兄は三年前、伏見城普請における失態の責めを負って廃嫡となりましてな」
首をすくめ気味にして長義は重い口を開く。
曰く、満胤は牢人するにあたって、離縁した妻・於きたを須田家に残すことを、当時まだ健在だった義父・須田満親に懇願した。
満親と於きたは実の父娘のように仲がよく、時に満胤を嫉妬させるほどであったので、満親もこの申し出を許し、事実上の養女として於きたを須田家中に残したのだという。
「それで、須田相州の娘と名乗られておったのですな。於きた殿は実家に戻りたいとは申されなかったので」
相州とは、相模守を称した須田満親のことである。
孫の顔まで見た古女房ならばともかく、いくら義父との仲が良かったとはいえ、夫が改易になった家に養女扱いでとどまるなどという話は、あまり聞かない。
無論、家の形など家の数だけあるもの。斯忠が口を挟む話でもないのだが。
「これが難しい話でしてな。於きた殿は、米沢城留守居役の樋口伊予守様のご息女。いや、車殿には直江山城守様のご実妹と申し上げたほうが、とおりがよろしいかな」
悪戯っぽい表情をみせた長義の言葉に、斯忠はあっと声をあげて膝を打った。
初めて出会った時から、どこかで見覚えのある眼だと感じていた。
その理由が今やっと判ったのだ。
「確かにあの目は、筆頭家老様にそっくりだ。そうか、於きた殿はあの御方の妹御であるのか……」
「嫁入りの話はなくはないのですが、兄と於きた殿との間には男子が一人おりましてな。於きた殿はなんとしても息子に須田姓を名乗らせたいと言って聞きませぬ。なにしろ、あの気性ですからな。我が父を尊敬しているのは良いにしても、『相州様にも劣らぬ勇将が相手でなければ再嫁などできませぬ』などと申すので、困りますよ」
義姉の身を案じる長義の表情は、年相応の若さを感じさせた。
一方、「嫁入り」の言葉を耳にして、斯忠の脳裏に反射的にあらぬ光景がよぎる。
己の後添えに於きたを迎え入れて、祝言を挙げている姿だ。
既に斯忠の頭には、於きたが子連れであるという話は耳に入っていても、意識の端にも引っかかっていない。
(馬鹿野郎。親子ほどの歳の差があって、しかも筆頭家老の妹様だぞ。身の程知らずなことを考えるんじゃねえ)
思わず、自分の右手でにやけかけた己の頬をぴしゃりと叩く斯忠である。
「はて。季節外れの蚊でもおりましたかな」
時ならぬ音が響いて、向かい合う長義が目を丸くしている。
「いや、なんでもござりませぬ。御父上と申せば、本庄様が須田殿のことを誉めておりましたぞ。いずれ父上にも劣らぬ将になるであろうと」
斯忠は慌てて強引に話題を変える。
「いや、それがしなどはまだまだ駆け出しにござる。恥ずかしながら、我が父が生きていてくれればどれほど心強かったかろうかと思わぬ日はござらぬ」
長義が遠い目をする。飾るところのない本音であろう。
侮られまいと肩ひじ張って力みかえるよりも、弱音をさらりと口にできることが、却って長義の将器を感じさせた。
斯忠は長義に好ましいものを感じると同時に、彼を育てた須田満親のことが知りたくなった。
「なんでも御父上は会津への転封を拒み、居城にて自害されたと。本庄越前守様からそう伺っております」
「ああ、それは」
長義は酸っぱいものを口に含んだかのように頬をすぼめた。
「実のところ、それは誤解でござる。会津入りの話が出る少し前から、父は胸を病んでおりましてな。血を吐いて倒れ伏していた父を、最初に見つけた近習が腹を切ったと触れて回ったのでござる」
思わぬ話に、斯忠は金壷眼を瞬かせた。
驚きはしたが、他ならぬ満親の後継者である当人が口にした言葉を「本当ですか」と訊ね返す訳にもいかない。
「本庄様からお聞きした話と、随分違いますな」
首をひねる斯忠に対して、長義は表情を暗くして言葉を継ぐ。
「どうも、我が父が腹を切ったことにしたいと考える方々が多く、正直なところ難儀してござります。ただでさえ兄のことがあるうえ、会津への移封はお屋形様が直江様とよくよく話し合われた末にご決断なされたこと。それを不服として腹を切ったなどという風聞は、美談でもなんでもござらぬ」
「なるほど」
斯忠は思いがけない話を聞いて、曖昧に頷く。
実際はどうあれ、表向きには病死ということにしておかなければ、事は須田家の立場に関わる。
となれば、あまり触れられたくない話題であろう。
その後、斯忠は酒を酌み交わしながら、話題を己の佐竹時代の手柄話に切り替えて面白おかしく語り、大いに長義を笑わせ、喜ばせた。
伊達勢の姿が城下に現れなかったことで、張りつめていた空気がわずかに緩む感があった。
そんな中、小具足を付けた斯忠は険しい表情を隠すこともなく、城の曲輪を巡り歩いていた。
もちろん、夜襲がないと決めつけるのは危険であるが、斯忠が見上げて確認する限り、高櫓で見張りにつく兵は油断なく城下の動きを警戒している様子が見受けられた。
あの調子であれば、そうそう奇襲を受けるものではない、と自らに言い聞かせるように斯忠はうなずく。
ただ、城内の様子を見て回っているのは、兵の士気を確かめることだけが目的ではなかった。
一つは、内応者のことである。
梁川城に派遣されて以来、善七郎とその配下の風車衆は、伊達が送り込んで内応者と接触を図るであろう間者を発見するべく、城外に網を張っていた。
しかし、今のところ成果は出ていない。
善七郎が見つけられない相手を自分が探し出せるとは斯忠自身も思っていないが、伊達の侵攻が間近に迫るとなれば、何もせずにはいられない。
なにかしらの兆候をつかめるかもしれない、と考えての見回りである。
もう一つは、於きたのことである。
於きた率いる女中衆の巡回は、本人の意気込みとは裏腹に、城兵にとってはある種の癒しとなっていた。
しかし、斯忠の暮らす大学館には立ち寄らない日が続いていた。
最初は、叱咤激励の必要がないからかと呑気に構えていた斯忠であるが、さすがに何日も顔を見られないと気になってくる。
かといって、本丸御殿の奥の間に暮らす彼女の元に押しかけることなど出来るはずもない。
考えたのは、巡回中の於きたに偶然を装って出くわすことだった。
(戦さが近いかもしれないってのに、俺は何をやってるんだかね)
思わず自嘲してしまう斯忠であるが、於きたの顔をもう一度見ぬまま戦さとなって討死するようなことがあっては死んでも死にきれない。
しかしながら、初めて立ち入った南側の二の丸の様子をあれこれと眺めながら歩いていた斯忠が出くわしたのは、意に反して数名の兵を連れた築地修理亮であった。
「ここはその方の持ち場ではないぞ。うろうろと何をしておる」
斯忠の姿を目ざとく見咎めた築地修理亮が、険しい顔つきで声をかけてくる。
「ご案じ召さるな。当方はこの城に来て日も浅く不案内ゆえ、どこの曲輪、どこの門に向かえと加勢を命ぜられた際に迷わぬよう、こうして見て回って覚えておるだけにござる」
これは本来、巡回中の於きたから詰問された時に使うつもりだった言い訳である。
事前に準備していただけあり、すらすらと言葉が出てきた。
「ふん。口ばかりは達者じゃの。敵に通じて何やら探っておるのではないかと思うたわ。以後、疑われるような真似は慎まれよ」
築地修理亮は憎々しげくぎを刺すや、兵を引き連れて立ち去ってしまった。
「随分とお偉いことで」
斯忠は肩をすくめる。
ただ、築地修理亮の口から、内応者の存在をうかがわせるような言葉を聞けたのは予想外だった。
もしかすると、本庄繁長から聞いた内応者の話は、築地修理亮が出所かもしれないと斯忠は思った。
***
梁川城の南側には、阿武隈川の支流である広瀬川が流れている。
もちろん阿武隈川に比べれば幅が広いとはいえないが、水量がある限り埋め立てて押し渡ることはほぼ不可能という点で水濠より強固であり、城の南を守る重要な存在である。
二の丸曲輪のさらに南側、広瀬川に面する部分には蔵屋敷と呼ばれる、その名の通り建物が建ち並ぶ曲輪が設けられている。
さらに蔵屋敷の西側にある小さな曲輪に向かうと、夕餉の支度に出払っているのか、ひと気のない場所に出た。
「随分と不用心じゃねぇか。まあ、こんなところから伊達勢が登ってくる筈もねぇんだが」
引き返そうとした斯忠の足が止まる。
声が聞こえたのだ。
それも、聞き違いで泣ければ女の声。
向き直った斯忠が土塁の柵の陰から向こうを伺うと、於きたが、横田大学と一対一で向かい合い、なにやら話をしている姿が目に入った。
(なんでまた、あの二人が)
反射的に男女の逢瀬を連想してしまう斯忠であったが、よくみればとてもそんな甘い雰囲気ではないことがすぐに判った。
話している内容ははっきりとは聞こえないが、問い詰めるきたに対して、横田大学は言葉を左右にしてはぐらかしているといった様子である。
於きたの周囲には、いつも引き連れている女中たちの姿がない。
女中たちは河川敷にでも下りているのか、於きたは横田大学に向かいあいながらも、広瀬川のほうをしきりに気にしている。
だが、川の方角に気を取られるあまり、於きたは目の前の横田大学が殺気を帯びて腰の刀に手を伸ばしたことに気づいていない。
「あぶねぇ、間に合うかっ?」
斯忠は迷わず柵の陰から飛び出した。
このような危急の時にためらいなく動けるのが、車丹波という男である。
走り込んだ勢いのまま、身体を投げ出すようにして、きたと横田大学の間に飛び込む。
「ええい、邪魔なっ」
一撃で於きたを仕留めようと抜き払った刀を振りかぶった横田大学が、突然の乱入に目を見開く。
しかし、すぐさま我に返るや、威力の乗った斬撃を斯忠目掛けて降り下ろす。
ガキン、と高い音が響いた。
於きたの悲鳴が重なる。
「……効いたぜ、こんちくしょう」
「なっ」
不敵に笑みを浮かべる斯忠に、横田大学が信じられないといった顔つきで言葉を失う。
渾身の斬撃は、斯忠がかざした左の籠手で、がっちりと受け止められていた。
「驚くこたぁねぇや。こいつには、筋金をこれでもかと仕込んであるんだ、よ!」
言い終わると同時に、斯忠の右拳が弧を描き、動きの止まった横田大学の顎を捉える。
「ぎゃっ」
悲鳴を上げた横田大学は四肢を伸ばして真横に吹っ飛び、地面に倒れ込む。
間髪入れず、横田大学が右手に持ったままの刀を、斯忠は乱暴に蹴り飛ばした。
「ふう……。畜生め、こればっかりはたまらねぇ」
安堵のため息に続き、斯忠はうめき声をもらした。
顔をしかめ、目じりに涙さえ浮かべて何度も大きく左腕を振る。
横田大学にはいきがってみせたものの、鉄筋の入った籠手は斬撃に耐えこそすれ、その衝撃は斯忠の左腕の肘から先を手酷く痺れさせていた。
骨にひびでもはいったかと思うほどだ。
「あ、あの」
突然の出来事に顔を青ざめさせて立ち尽くしていた於きたが、おずおずと言葉をかけてくる。
「おお、怪我はないかい、於きた殿」
腕の痺れをこらえて、斯忠は無理に笑顔を作る。
怜悧な美貌をこわばらせている於きたを前にして、みっともない姿を晒す訳にはいかない。
何かを言いかけた於きたが、ふと声に気づいて顔をあげる。
悲鳴を聞きつけたのか、女中達が於きたの名を呼びながら駆け戻ってくる姿が斯忠にも見えた。
「なにがあったんで」
「横田殿が、何者かと密談していたのです」
於きたは、地面に大の字を描いて失神している横田大学を一瞥した。
「伊達の間者か……」
斯忠は思わず声をあげると、於きたはこくりと頷いた。
「おそらくは。わたくし達に気づいて城の外に逃れ出たのでお牧らに追わせたのですが、あの様子では逃げられたのでしょう」
「まったく、無茶をしなさる。だが、お手柄だね。……それにしても、伊達に内応していたのはこいつだったのか」
左腕の痺れに閉口しつつも、事の次第に驚きを隠せない斯忠だった。
***
斯忠は召し取った横田大学を長義の元に連れていき、事の次第を説明した。
思いがけない話に長義も驚き、即座に横田大学を土牢に入れるよう家臣に命じると、斯忠を本丸の書院に招き入れた。
「此度はこの城と、さらには於きた殿も救っていただき、御礼の言葉もございませぬ」
そういって長義が膝に手を置いて頭を下げた。
小姓が、二人分の膳部を運んでくる。
「酒宴は控えるのではございませんでしたかな」
梁川城に入城した際のことを思い起こした斯忠は、からかい口調で尋ねる。
「これは手厳しい。ただ、前言を翻すようで他の者には心苦しくはあるが、かと申して此度の一件がある以上、何もせぬ訳にはいきませぬでな」
「元をただせば、梁川に内応者がいるらしいとの動きを掴んだのは本庄様にござる。わたしは、本庄様の意を受けて探っておっただけのことなれば。もっとも、於きた殿がおらねば見つけられませなんだが」
「それがしも、よもや横田大学が籠絡されているなどとは、全く気付きませんでした。己の不明を恥じるばかりにござる」
曲輪の普請などを任せるほど信頼していた横田大学の背信は堪えたらしく、長義は沈痛の面持ちである。
「あの者はどうなりますでしょうな。打ち首の後、首級をこの城の大手門前にでも曝すのでございましょうか」
斯忠は横田大学の処遇を思った。
「さて、どうなりますかな。伊達に関して知りうることを全て吐き出させるのは当然でありましょうが、その後は、お屋形様と直江様の腹一つといったところかと」
「はて。どうあれ裏切り者なれば、死罪は免れぬものと存じますが」
斯忠は首を傾げて訊ね返す。
「とも限りませぬ。何分、当家は人手不足でありますゆえ。案外、何かに使えるやも知れませぬぞ。伊達も、よもや今更あの男を用いた策謀は仕掛けようがないでしょうから」
長義は意味ありげに微笑んでみせる。
「そのようなものですかな。まあ、大学の処遇には、わたしもとやかくは申しますまい」
のみこめないながらもそう応じる斯忠に対し、長義は「それにしても」と言葉を継いだ。
「於きた殿も、此度の一件で少しは反省してくれれば良いのですが。あまり危ない真似はさせたくないとかねがね思うておりましたが、猶更ですな」
その口ぶりからは、於きたが女中を連れて行う見回りは、城兵の士気を保つ効果があることは長義も認めており、強引にやめさせる訳にもいかない様子だった。
「わたしにも妹がひとりおりますが、嫁ぎ先であのように薙刀を抱えて城内を練り歩くなど、想像もつきませぬなぁ。ところで、於きた殿とはそもそもいかなる御方なのですかな」
何気ない風を装って、斯忠はかねてよりの疑問を長義にぶつける。
於きたが長義の姉なら、「於きた殿」などという他人行儀な呼び方はしないように思われた。
「ああ、これは失礼。於きた殿は、我が兄、右衛門大夫満胤の元の妻にござる」
「はて。元の妻、とは……?」
「身内の恥を晒すようですが、我が兄は三年前、伏見城普請における失態の責めを負って廃嫡となりましてな」
首をすくめ気味にして長義は重い口を開く。
曰く、満胤は牢人するにあたって、離縁した妻・於きたを須田家に残すことを、当時まだ健在だった義父・須田満親に懇願した。
満親と於きたは実の父娘のように仲がよく、時に満胤を嫉妬させるほどであったので、満親もこの申し出を許し、事実上の養女として於きたを須田家中に残したのだという。
「それで、須田相州の娘と名乗られておったのですな。於きた殿は実家に戻りたいとは申されなかったので」
相州とは、相模守を称した須田満親のことである。
孫の顔まで見た古女房ならばともかく、いくら義父との仲が良かったとはいえ、夫が改易になった家に養女扱いでとどまるなどという話は、あまり聞かない。
無論、家の形など家の数だけあるもの。斯忠が口を挟む話でもないのだが。
「これが難しい話でしてな。於きた殿は、米沢城留守居役の樋口伊予守様のご息女。いや、車殿には直江山城守様のご実妹と申し上げたほうが、とおりがよろしいかな」
悪戯っぽい表情をみせた長義の言葉に、斯忠はあっと声をあげて膝を打った。
初めて出会った時から、どこかで見覚えのある眼だと感じていた。
その理由が今やっと判ったのだ。
「確かにあの目は、筆頭家老様にそっくりだ。そうか、於きた殿はあの御方の妹御であるのか……」
「嫁入りの話はなくはないのですが、兄と於きた殿との間には男子が一人おりましてな。於きた殿はなんとしても息子に須田姓を名乗らせたいと言って聞きませぬ。なにしろ、あの気性ですからな。我が父を尊敬しているのは良いにしても、『相州様にも劣らぬ勇将が相手でなければ再嫁などできませぬ』などと申すので、困りますよ」
義姉の身を案じる長義の表情は、年相応の若さを感じさせた。
一方、「嫁入り」の言葉を耳にして、斯忠の脳裏に反射的にあらぬ光景がよぎる。
己の後添えに於きたを迎え入れて、祝言を挙げている姿だ。
既に斯忠の頭には、於きたが子連れであるという話は耳に入っていても、意識の端にも引っかかっていない。
(馬鹿野郎。親子ほどの歳の差があって、しかも筆頭家老の妹様だぞ。身の程知らずなことを考えるんじゃねえ)
思わず、自分の右手でにやけかけた己の頬をぴしゃりと叩く斯忠である。
「はて。季節外れの蚊でもおりましたかな」
時ならぬ音が響いて、向かい合う長義が目を丸くしている。
「いや、なんでもござりませぬ。御父上と申せば、本庄様が須田殿のことを誉めておりましたぞ。いずれ父上にも劣らぬ将になるであろうと」
斯忠は慌てて強引に話題を変える。
「いや、それがしなどはまだまだ駆け出しにござる。恥ずかしながら、我が父が生きていてくれればどれほど心強かったかろうかと思わぬ日はござらぬ」
長義が遠い目をする。飾るところのない本音であろう。
侮られまいと肩ひじ張って力みかえるよりも、弱音をさらりと口にできることが、却って長義の将器を感じさせた。
斯忠は長義に好ましいものを感じると同時に、彼を育てた須田満親のことが知りたくなった。
「なんでも御父上は会津への転封を拒み、居城にて自害されたと。本庄越前守様からそう伺っております」
「ああ、それは」
長義は酸っぱいものを口に含んだかのように頬をすぼめた。
「実のところ、それは誤解でござる。会津入りの話が出る少し前から、父は胸を病んでおりましてな。血を吐いて倒れ伏していた父を、最初に見つけた近習が腹を切ったと触れて回ったのでござる」
思わぬ話に、斯忠は金壷眼を瞬かせた。
驚きはしたが、他ならぬ満親の後継者である当人が口にした言葉を「本当ですか」と訊ね返す訳にもいかない。
「本庄様からお聞きした話と、随分違いますな」
首をひねる斯忠に対して、長義は表情を暗くして言葉を継ぐ。
「どうも、我が父が腹を切ったことにしたいと考える方々が多く、正直なところ難儀してござります。ただでさえ兄のことがあるうえ、会津への移封はお屋形様が直江様とよくよく話し合われた末にご決断なされたこと。それを不服として腹を切ったなどという風聞は、美談でもなんでもござらぬ」
「なるほど」
斯忠は思いがけない話を聞いて、曖昧に頷く。
実際はどうあれ、表向きには病死ということにしておかなければ、事は須田家の立場に関わる。
となれば、あまり触れられたくない話題であろう。
その後、斯忠は酒を酌み交わしながら、話題を己の佐竹時代の手柄話に切り替えて面白おかしく語り、大いに長義を笑わせ、喜ばせた。
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※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
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