【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬

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(二十五)蝮酒

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 善七郎を送り出した斯忠つなただであるが、梁川城から鶴ヶ城下までは片道二十里以上ある。健脚であっても往復で五日は必要と思われた。

「これじゃあ、見舞いというよりも快気祝いになりそうだな」
 当たり前のことに後から気づいた斯忠は頭を抱えたが、今更善七郎を引き返させる術はない。

 於きたが四、五日で床上げできるのなら、それはそれで喜ばしいことと気を取り直す。

 四日後には、お香が善七郎に伴われてやってきた。

 足の悪い老忍を鶴ヶ城下に留守居として残してきたこともあり、思いのほか早い到着だった。

 団子作りのためのせいろなどの道具や材料の米粉も、二人で手分けして運び込んでいる。

 今回、斯忠の身の回りの世話をさせる侍女を呼び寄せる、との名目で長義に許しを得ていたたため、お香は堂々と城門をくぐって大学館の陣屋まで足を運んでいる。

「俺の思い付きで、まったく無茶な頼みをしちまったもんだ」
 迎え入れた斯忠が、お香に向かって頭下げる。

「謝らないでくださいな。車様たっての頼みごとなんて、うれしいじゃありませんか。鶴ヶ城をただ見上げていたって、お役には立てませんからね」
 台所に向かったお香は嬉々として団子づくりに取り掛かる。

 お香は日頃から、父娘のように接している老忍から団子づくりの手ほどきを受けており、その腕前に遜色はなかった。

「重くならない程度の材料しか持ってきていないんで、量は作れませんよ。その分、腕によりをかけて作らせていただきます」
 お香が張り切って作り上げた一人前分の団子であるが、斯忠が本丸御殿の奥に暮らす於きたのところには直接持ち込めない。

 そのため、左源次が懇意にしている女中頭のお牧の伝手を再び用い、手渡してもらう算段が必要となる。

 斯忠としてはもどかしい限りだが、他に手はない。

「団子ならあとで喰わせてやるから、つまみ食いなんてするんじゃねぇぞ」
「判ってますって」
 言わずもがなの斯忠の念押しに、左源次がげんなりとした表情を見せて陣屋を出て行った。

 斯忠は、左源次がどのような手管でお牧と連絡を取り合うのか、後を付けて観察してみたい思いにとらわれたが、さすがにそんなみっともない真似はできない。

 じっと戻りを待つ斯忠であったが、焦れるほどの間も置かず、左源次は首尾よくお牧に団子を託して戻ってきた。

「お牧殿曰く、於きた様は本復間近のご様子とのこと。お口に会うかどうかは判りませぬが、とくぎを刺されましたがね。どうにか受け取ってもらいましたぜ」
 左源次は得意げに鼻をうごめかせる。

「おう、よくやった。褒美の団子をくれてやるぞ」
 斯忠は左源次の首に腕を回して頭を乱暴に撫でまわしながら、お香の名を呼んだ。

***

 年も押し詰まった頃、梁川城に鉄砲十挺と弾薬一千発が運び込まれてきた。

 斯忠は左源次と並んで、大手門から入城してくる荷駄の列を見物する。

 荷駄の列など見ても面白くもない筈なのだが、見物人は斯忠らだけでなく、城兵が列をなしていた。

 それだけ、味方の増援を心待ちにしていた者が多いのだろう。

「直江様が伊達勢の侵攻に備えるため、築地修理亮様に送られたそうですよ。さすが直江様、年末だからといって気を緩めてはおられませぬな」
 兼続のやり口がどうにも気にくわない斯忠などは「たった十挺とはケチくさい」などと例によって悪態をついた。

 実際のところ、鉄砲弾薬を上方から買い付けるのは不可能な情勢であり、弾薬一千発は無論のこと、わずか十挺の鉄砲といえども貴重だと、斯忠も頭では理解している。

 しかし、「やることはやっている」という形ばかりの仕事に見えて仕方ないのだった。

 それはさておき斯忠が驚いたのは、荷駄の護衛に就く騎馬武者の一人を見た時だった。

「あっ、てめぇ!」
 斯忠は思わず見物人の列から飛び出して、騎馬武者の前に立ちふさがる。

「おい、降りやがれ。横田大学じゃねえか!」

 すわ乱心かと慌てた見物人たちも、斯忠の口から騎馬武者の正体が開かされると、思わずどよめいた。

「これは車殿。お久しゅうござる。御尊顔を拝見しただけで、未だに顎が痛む思いがいたしますぞ」
 下馬した横田大学は顎をさすってみせる。

 既に二か月以上が経過しており、斯忠が拳を食らわせた顎に青痣が残っていたりはしない。

「ふざけんな。お前さん、牢にぶちこまれてたんじゃねえのか。なんでのこのこ出てこられるんだ」

「そりゃあもう、一生懸命、直江様に御赦免を願ったからですよ。なにしろ、裏切りが露見した以上、他家に仕官は叶いませぬ。かと申して、いまさら伊達を頼ってもまともに扱われぬのは目に見えております」

「自業自得じゃねえか。それが、入牢していた筈のお前さんがここに来られたのと、どう関係があるんだい」

「つまりですな」にやついていた横田大学が表情を引き締める。「それがしは最早、どこにも行き場はない。この城で、命を的にして働く他、光明を見出す術はない。そのことを直江様にご理解いただけたのですよ」

 その後すぐに開かれた軍評定の場で、須田長義は諸将に向け、横田大学が梁川城に在陣する旨を告げた。

 下座の端に席を占める横田大学に、諸将の訝しげな視線が集中する。

「未遂に終わったとは申せ、伊達への内応を企てた奴輩など、信用なりませぬぞ」
 真っ先に築地修理亮が声を荒げる。

 常日頃、意見が合う事の少ない男だが今回ばかりは同感だ、と斯忠は思いつつ長義の返事を待つ。

「止むを得まい。直江様もお考えあってのことであろう。ある意味で、いま最も上杉を裏切れない立場にある男である。万が一、性懲りもなく伊達の間者が接触してくるようなら、偽情報をつかませて欺くのも一興であろう」
 不躾な問いに気分を害した様子も見せず、長義は苦笑しながら横田大学が語ったのと同じ理屈を口にした。

 既に、本人から事の次第を聞いていたのかもしれない。

「それがし、この城を死にどころと心得まして、命果てるまで武者働きを致しますゆえ、どうか末席を汚すことをお許しくだされ」
 大仰に平伏する横田大学の姿に心を動かされる者はほとんどいなかったが、直江兼続肝いりで梁川城に派遣されてきたこの男を、いまさら土牢に放り込むわけにもいかない。

 長義は思わせぶりに笑みを浮かべた。

 横田大学には築地修理亮の手の者を絶えず監視につけるとの長義の裁定に、表だって反対する者はいなかった。

「なお、車殿にお預けしておる大学の元の手勢の采配は、引き続き車殿にお願いしたい」

 横田大学が復帰したからといって、斯忠から一度預けた兵力を取り上げることはしない、との宣言は、長義の配慮である。

 しかし正直なところ、斯忠は横田大学の元の配下については、いささか持て余していた。

 ただし、この場で要らぬと公言するのも角が立つ。いずれ折を見て横田大学に返しても良いか、と斯忠は内心で呟く。

 無論、兵を戻せば徒党を組んで反旗を翻す懸念はあるが、身近に置いていると横田大学の密命を帯びた輩が己の寝首を掻きに来ないとも限らないのだ。

 なんだかんだ言って、手ずから集めた五百名を頼みとしている斯忠であった。

***

 上杉の行く末に城内の誰もが不安を抱く中、慶長六年の正月を迎えた。

 今のところ、雪をかきわけていきなり伊達の大軍が城を取り囲むといった事態は想定しづらいが、いつどのような形で仕掛けてくるか判らない。

 本庄繁長が上方に送り出され、伏見留守居役の千坂景親と共に徳川との和睦の交渉を進めている折である。

 形はともかく、心から新年を祝える状況ではない。

 そんな正月の昼下がり、桜館にある築地修理亮の屋敷でボヤ騒ぎが起こった。

 真っ先に気づいたのは他ならぬ斯忠だった。

 開花にはまだ遠いと知りながら、流れ桜をふと眺めにやってきて、偶然に屋敷から立ち上る白煙に気づいたのだ。

「水だ、水持って来い」
 斯忠は持ち前の大声でそう叫び、自ら水濠に降りるや、分厚く張った氷を割って手桶で水を汲んだ。

 発見が早かったこともあって、火は台所の一部を焼いただけで消し止められた。

 当然のことながら、築地修理亮に身柄を預ける形になっている横田大学に疑いが向けられることになる。

 しかし、皮肉なことに横田大学の動向は築地修理亮の配下に逐一見張られており、図らずも付け火などには関与していないことが証言される形になった。

 結局は、年末年始ということもあって人の数が少なく、竈の火の始末が不十分だったことが出火の原因とされた。

 しかし、横田大学とは別に伊達に内応しているた者が火付けを企てたたのではないかと疑う者も当然いて、城内のささやかな正月気分はすっかり吹き飛んでしまった。

 そのうえ、張り切って先頭に立って火消しに奔走した斯忠は、寒風吹きつけるなか、水の飛沫を浴びたりしたのが良くなかったのか、風邪をひいて寝込んでしまった。

***

「はぁ、まったく情けない。これも歳かねぇ」
 陣屋の寝所で布団に仰臥して、斯忠は力なく嘆息する。

 その途端にむせてしまい、背中を丸めてしばし咳き込む。

 この程度のことで風邪をひくなど、若い頃は考えられなかったことだ。

 常陸よりも一段、二段と厳しい冬の寒さのせいにしたい気持ちもあった。

 しかしそれでは会津に腰を据えることは土台無理であり、常陸に逃げ帰るしかないとの結論になってしまう。

 それはそれで業腹であり、簡単には受け入れがたい。

 などと、斯忠が愚にもつかぬことばかり考えているところに、廊下から団吉の呼び声が聞こえた。

「なんだい、起きてるよ」
 天井をみあげたまま、斯忠は横柄な返事を寄越す。

「お、於きた様がお見えになっておられます。お通ししても構わんでしょうか」
 日頃は口の良く回る団吉も、よほど慌てているのか、珍しくどもっている。

「なんと、於きた殿が。こっちは構わねぇ、すぐに上がっていただけ」
 反射的に返事してしまってから、斯忠も慌てた。

 布団に寝たままで出迎えるのは失礼かと考え、いやむしろ軽々しく身体を起こして仮病だったと思われても馬鹿らしい、などとおろおろしている間に、戸が引き開けられた。

 於きたは緊張の面持ちで、自ら大きな徳利を抱えて入ってきた。

 その後ろからは女中頭のお牧が、困ったような表情でついてくる。

「車様、御身体の具合はいかがでしょうか」

「於きた殿。これはこれは、こんなむさくるしいところにお越しになるとは、どうにも恐縮です。なあに、へたばっちゃいますが、こうして御尊顔を拝したからにゃ、直によくなりますんで」
 斯忠の減らず口に、於きたの表情もいささか和らいだ。

「これを飲んで、元気をつけていただきたいと思い、持って参りました。遅れましたが、先日頂戴した団子の御礼です。大変美味しゅうございましたよ」
 於きたは、抱えていた徳利を斯忠に向けて掲げてみせた。

「たいしたものでもなかったでしょうが、於きた殿が喜んでいただけたのならありがたい。それに酒の差し入れとは、勿体ないことで」
 身体を起こした斯忠は、笑顔を作ってみせる。

 もっとも、彼自身は酒は嫌いではないが、毎晩呑まねば夜も明けぬ、といった類の酒豪ではない。

 手元に酒が無ければ無いで幾日でも過ごせるし、今の体調では正直なところ、酒に酔いたい気分はあまりない。

「これは相州様が、亡くなる直前に堺の商人から取り寄せた蝮酒にございます。当人が口をつける前に逝ってしまったので、会津入りの際に形見として持参したものです」
 於きたの口から発せられたのは、思いもよらぬ言葉だった。

「なんと、須田相州殿の形見、しかも蝮酒とは」
 さすがに斯忠も二重の驚きに、金壷眼を見開いて言葉を失う。

「滋養強壮によく効くのだと、生前の相州様は申しておりました」

「いやはやもう、名前を聞いただけで半分効いたようなものですな。是非とも、頂戴いたしましょう」
 軽口をたたきながら、斯忠は徳利を受け取った。

 さすがに於きたに酌はさせられない。

 みずから栓を抜き、用意された盃に注ぐ。

 蝮酒と聞いてつい連想するような毒々しい色合いなどはなく、みたところは普通の白く濁った液体である。

 斯忠は、恐る恐る盃に口を付ける。

 さほど強い酒ではないが、蝮が漬け込んであるという意識があるためか、舌がしびれるような感触がある。

「まあ、相州殿が残された酒ゆえ、毒であろう筈がないが」
 飲み干した後、かあっと息を吐きながら斯忠がつぶやく。

「まぁ。なんだと思っておられたのですか」
 於きたが柳眉を逆立てて呆れる。

「まあ、そう怒らず。ささ、わたしだけが頂戴したのでは申し訳ない。返杯させていただきますぞ」

「えっ、わたくしは結構です」
 まったく予想していなかったのか、於きたが目を丸くして首を横に振る。

 背後に控えるお牧も腰を浮かせ、厳しい顔で斯忠をにらんでいる。

「いやいや、於きた殿も先日倒れられたばかり。滋養は必要にございましょう。いや、男勝りの出で立ちをすることはあっても、お酒は嗜まれませぬかな」

 斯忠の言葉を挑発と感じたのか、於きたの眉が再びきりりと上がった。

「いえ、車様がそう仰るのであれば、お受けいたします。……少量で結構です」
 於きたは止めようと身を乗り出すお牧を制すると、懐紙で盃の縁を拭い、斯忠が傾けた徳利から流れ出る蝮酒を受けた。

(三々九度のようだ)
 などとは思ってみても、決して口にはしない斯忠である。

 そんな思いを知ってか知らずか、仇敵に挑むような表情の於きたが、顎を上げてひといきで盃をあける。

「おお、見事なのみっぷり」
 斯忠が囃すが、当の於きたは目を白黒させている。


「相州殿は会津に入る前に亡くなられたとも聞きました。その……」
 於きたが気息を整えるのを待って、斯忠は以前からの疑問を訊ねてみる気になった。

「死因が気になりますか」

「立ち入った話に首を突っ込むのは申し訳ないと思うんですがね、どうにも頭の片隅に引っかかって離れないもので。腹を切ったのと、病で亡くなったのとでは大違いだ。それが一緒くたにされてるのが不思議でね」
 斯忠は片頬を歪めながら後頭部を掻く。

「どちらも間違いではないのです」
 於きたは、どこか寂しげな笑みを浮かべた。

「というと」

「相州様は死期を悟っておりました。会津に向かう気力も体力も残っておらぬ、死ぬならば故国の信濃で死にたいと幾度も申しておりました。表立って口にこそいたしませんでしたが、いかに過失があったとて、嫡男が廃嫡の憂き目にあったのです。上杉の御家に思うところがあったとしても不思議ではございませぬ」
 於きたの声が震える。

 斯忠は、於きたの夫・須田満胤が廃嫡される原因が、どのようなものだったのか知らない。

 加えて、上杉家の宰相として全権を担い、満胤の廃嫡にも関与したであろう直江兼続は、於きたの実兄である。

 従って、なんと声をかけてよいやら判らない。

 無言の斯忠を前に、於きたは言葉を続ける。

「ですが、わたくしはどうしても、相州様を残しては行けない、相州様が残るのならば私も残ると言い張りました」

「それじゃあ……」

 口からこぼれかけた言ってはならぬ言葉を、斯忠は慌てて呑み込む。

「車様のお考えのとおりです。相州様が腹を切ると決めたのは、わたくしのせいです」
 於きたは、うつむいたまま静かに言った。

 後ろに控えるお牧も、口を真一文字に結んで黙り込んでいる。

 彼女だけは、真実を知っていたのだろう。

「……なんで、本当のところを俺、いや、わたしのような者に教えようと思われたんで」

「なぜでしょう。酔ったつもりはありませんが。車様……、いえ、虎様が相州様に似ているからかもしれません」

「そいつは光栄だけど、と、虎様って」
 思いもよらぬ言葉に斯忠はうろたえる。

「お牧から聞きました。車様は、御家中では虎様と呼ばれているのだとか」
 お牧から聞いた、とはつまり、左源次が面白おかしく語って聞かせたということだ。

 しかし今は、左源次に対する怒りはどこかに飛んでしまう。

 於きたに虎様と呼ばれて嬉しいやら恥ずかしいやらで、鼻の奥がむずがゆくなった斯忠は鼻の下を掌底でこする。

「於きた様。あまり長居しては、車様の御身体に障りがございましょう」
 いたたまれないといった口ぶりで、お牧が声をかける。

「判りました。……虎様、本復をお祈りしております。蝮酒は置いていきますので、御身体の調子と相談して、少しずつお飲みください」
 於きたは腰を上げかけたが、不意にふらついた。

 図らずも、そのまま斯忠の胸元に倒れ込むような恰好になる。

「おっと危ねぇ。さっきの蝮酒がまずかったかい」
 抱きとめた斯忠の鼻腔に、於きたの甘い体臭がふわりと流れ込む。

 華奢な身体と、その体温を腕で感じる。

「申し訳ありませぬ。どうやら、酔ってしまったようです」
 顔を真っ赤にしているのは、酔いのせいか、羞恥のせいか。

 於きたは膝をつき、急いで体を起こした。

 お牧が斯忠から引き離すように、於きたの身体を背後から支える。

「車様。此度の件は、くれぐれもご内密に願います」
 お牧が刺すような視線を斯忠に向けて、甲高い声を放つ。

「ああ、もちろん。於きた殿が酒に弱いこと、これも二人の秘密だ」
 斯忠は、身体が触れあったことにはなんでもない風を装い、「秘密」を手にしたことを喜ぶかのようににんまりと笑ってみせた。

 事実、於きたと共有する秘密が増えたことは嬉しかった。

 お牧が「三人です」と訂正するが、意にも介さない。

 そんなやりとりを横目でみる於きたの目じりに光るものがあることを、斯忠は見逃さなかった。
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