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(十一)
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「『アークロイヤル級またはイラストリアス級空母二隻を発見』とはな」
「浅間丸」の艦橋。
通信兵が持ってきた殊勲の艦攻からの通信文を見た厨屋は、つい苦笑いする。
アークロイヤル級とはいうものの、「アークロイヤル」以外の同型艦は確認されていないうえ、ネームシップの「アークロイヤル」自身はすでにUボートに撃沈されている。
イギリスの正規空母ならば、イラストリアス級の装甲空母でまず間違いないだろう。
とはいうものの、妙に雑な報告を笑っている場合ではない。
れっきとしたイギリスの正規空母二隻を相手に、十二機の九七式四号艦攻しか打撃力を持たない「浅間丸」一隻で戦えるものではない。
「敵艦隊を発見したのは良いのですが、艦攻を運用する空母が近くにいることを知られたことになります。痛しかゆしですな」
知らせを受けて格納庫から艦橋まであがってきた万代少佐が、息を弾ませつつ渋面をつくる。
通信が正しければ、彼我の距離はおよそ二百八十浬。九七式四号艦攻の攻撃の間合いに既に入っている。
米海軍の艦載機の攻撃半径がおよそ二百浬とされるが、英海軍の艦載機ではどれほどになるのか、艦載機が不明であることもあり、確たる情報は手元にない。
ただ、「浅間丸」から仮にアウトレンジ攻撃が可能だとしたところで、何がどうなるものでもないだろう。
「艦長。残念ながら、ここは撤収するしかないと思われます。万代少佐の言うとおり、こちらに空母があると知った敵が追跡してくる可能性は非常に高いと思われます」
厨屋が勝見大佐に向けて進言するのに対し、さすがに傍らの万代少佐も横から口は挟まない。
そこに、「天龍」から、第二航空護衛戦隊の針路を北西方向に変更するとの発光信号による指示が届いた。
松山司令にしても、この状況では逃げに徹するほかはないと判断したのだろう。
ただ、示されたのはペナンへ向かう針路であるが、オーストラリアに向かっているであろう英艦隊の眼前を横切る形になる。
「やはり、撤退か。しかしこの針路では、敵に補足される危険があるぞ。距離を取るなら、南にかわすべきでは」
厨屋は首をひねった。
「確かに南側に針路をとれば、いくらでも逃げ場はあります。しかしそれでは、英空母に退路を絶たれれる恰好になります。そうなったら、我々はどこにも寄港できないままインド洋のど真ん中で立往生ですよ」
それまで厨屋らのやりとりを無言で様子見していた航海長の田丸少佐が、海図をにらみつつ嘆息する。
「針路は変更する。だが、攻撃隊も出す。松山司令にはその旨、意見具申しよう」
それまで黙考していた勝見大佐がふいに発した言葉に、厨屋は思わず万代少佐と顔を見合わせる。
(正規空母二隻を相手に、「浅間丸」一隻で立ち向かうなど、狂気の沙汰だ)
思わず声を上げかけた厨屋を、勝見大佐は片手で制して言葉を継ぐ。
「いいか。我々は単に、商船を撃沈するためだけにインド洋まで来たのではない。我々が実施しているのは、インド洋における乙号作戦であることを忘れるな」
「乙号作戦……」
厨屋も確かに、そのように聞かされていた。インド洋における通商破壊戦は、米豪遮断の一環である、と。
だが本音のところでは、ソロモン海方面と同様に重要な戦線だと将兵の士気を鼓舞する題目以上のものではないと考えていたのも事実だ。
「ここで二隻の英空母を見逃せば、米海軍との合同は必至だ。撃沈出来ぬまでも二隻に痛打を与え、合同を遅らせねばならん」
勝見大佐の言葉からは、迷いの色は一切感じられなかった。
(そうだ。艦長はそういうお方だった。空母「加賀」を守るためなら、乗艦の駆逐艦「谷風」を投げ出せる覚悟をお持ちの方なのだ)
そんな艦長であれば、作戦遂行のために「浅間丸」を投げ出すことも厭わないのだろう。
「浅間丸」を撃沈され、果てしなく漂流する己の姿を想像すると恐ろしくはあったが、覚悟の決め時だと厨屋は観念した。
「……承知いたしました。正規空母が二隻なら、相手にとって不足なしというものです」
「まぁ、逃げるにしろ、そもそも敵のほうが足が速いですからね。まず鼻づらに一発かまして突き放しておかないと、逃げるに逃げられないのも確かですな」
万代少佐もまた、何かを悟ったのか、やけにさばばした口調で首肯した。
「攻撃隊はどれぐらい出せる」
「四号艦攻は索敵に出している三機を除き、九機。六機は雷装。三機は八十番を積みます。装甲空母が相手なら、出し惜しみは無用でしょう」
万代少佐はあらかじめ考えていたのか、勝見大佐の問いによどみなく応じる。
八〇番こと八百キロ爆弾は長門型戦艦の四〇センチ砲弾を改造して製作され、真珠湾攻撃の際に雷撃できない位置にいる戦艦の装甲を水平爆撃で破るために用いられたことで知られる。
イギリス自慢の装甲空母といえど、戦艦の装甲すらぶち抜く八百キロ爆弾が飛行甲板に命中すればただでは済まないはずだ。
ただし、航空魚雷も八百キロ爆弾も、「浅間丸」の弾薬庫にはほとんど積まれていない。
具体的には九一式航空魚雷が九本、九九式八〇番五号爆弾が三発のみである。一回の出撃で大部分を使い果たすことになる。
商船や護衛艦艇を攻撃することは想定されていたが、正規空母を相手取るのはそもそも荷が勝ちすぎるのだ。
むしろ、申し訳程度でも八百キロ爆弾や魚雷が積まれていただけでも御の字であろう。
「よかろう。直掩はどうする」
「本当なら一機でも多くつけてやりたいところですが、戦隊の守りをがら空きにする訳にも参りません。六機を攻撃に出して四機を直掩に残します」
応じる万代少佐が苦しげな表情を見せる。
第二航空護衛戦隊の「天龍」も「汐風」も、対空兵装はお寒い限りで、ほとんど期待できない。「浅間丸」自身を守るためにも、零戦はいくらか残さざるを得ない。
手数の少なさは言うまでもない。だが、逆さに振っても、零戦三二型が十機、九七式四号艦攻が十二機であることは変えられないのだ。
「合計十五機か。よし。急ぎ、出撃準備をなせ」
「浅間丸」の整備兵にとって、航空魚雷や八百キロ爆弾の装着は慣れているとは言えなかったが、訓練の甲斐もあって手間取ることなく出撃準備が完了する。
「敵は正規空母二隻。遺憾ながら諸君らの攻撃をもってしても、一度の攻撃で二隻を撃沈するのは困難であろう。本来であれば攻撃を反復し、戦果を拡大すべきところであるが、残念ながら充分な弾薬がないため、一度の攻撃に全力を尽くす他はない。諸君らには己の技量を信じ、ぜひとも全力を尽くしてもらいたい」
搭乗員の待機室で、勝見艦長が飛行隊長の小弓大尉をはじめとする搭乗員たちを前に、手短に訓示する。
「必ず、英空母二隻に痛撃を与えてまいります!」
小弓大尉が気負った口調で応じる。搭乗員の士気は概して高い。
無謀な攻撃に狩り出される不満や不安よりも、思いがけず大物をしとめる機会がめぐってきたことを喜んでいる様子がうかがえた。
搭乗員の敬礼、勝見大佐の答礼ののち、搭乗員は待機室を飛び出し、飛行甲板後部に並べられて暖機運転を行っている己の愛機に向かって駆け出していく。
やがて、出撃準備がすべて整った。
「発艦はじめ!」
号令とともに、まず増槽を腹に吊るした零戦三二型が六機、油圧式射出機を用いることなく次々と発艦していく。
続いて発艦するのは魚雷を抱えた九七式四号艦攻である。
小弓大尉が搭乗する第一小隊一番機が油圧式射出機を用いて射出される。
無事に射出を終えるとすぐにシャトルが発射位置に戻され、九七式四号艦攻は一機、また一機と射出されていく。
むろん、一機飛び立つたびに手早く油漏れがないことが点検される。
もし万一、油漏れで射出機の出力が規定どおりあがらなければ、射出された九七式艦攻は「浅間丸」の針路上の海面に力なく投げ出される羽目になる。
したがって点検はおろそかにはできないが、時間ばかりかけている訳にもいかない。
およそ一分間隔で都合九機が飛び立った九七式艦攻のうち、最後に飛び立った第四小隊の三機が八百キロ爆弾を吊り下げている。
射出機で送り出された九機目の九七式四号艦攻が発艦後、飛行甲板の下まで沈み込んだのちに力強く上昇を始める。
それまで帽振れで見送っていた乗組員の間から、期せずして「万歳、万歳」の声が湧き上がる。
「気の早い連中だ。これからが大変だというのに。それにしても、九機連続射出に成功できたのはありがたい」
発着艦指揮所で九機目の九七式四号艦攻の発艦を見届け、艦橋へと戻る厨屋の胸中には、感慨深いもの湧き上がる。
「浅間丸」がドーリットル爆撃で深く傷ついてからおよそ十か月。
降ってわいた空母への改装計画を実現させるため、知恵を絞り、機材の調達に奔走した日々が思い起こされる。
松木技師が売り込んできた油圧式射出機も、シール材の交換により、どうにか実用性が認められた。
様々な努力の甲斐あって、今こうして、ささやかながらも商船改造空母が雷装した攻撃隊を送り出すことができたのだ。
これまでの苦労は、今日のためにあったのだとの思いが湧き上がってくる。
「発艦作業、無事に完了しました。射出機の油圧低下により、大規模な整備を行わないとこれ以上の射出は不可能との報告を受けております」
発着機部から艦橋に姿を見せた万代少佐の言葉は、どことなく感傷的な空気に包まれかけていた厨屋の意識を現実に引き戻した。
なお、「浅間丸」においては、油圧式射出機の運用は飛行科の職掌となっている。
「よくやってくれた」
勝見大佐が大きくうなずき返す。
「すぐに射出機の整備を開始してよろしいでしょうか」
「いや、気がかりではあろうが、今は許可できん。飛行甲板をふさぐ訳にはいかんからな。とりあえず油漏れを防ぐ最小限の措置だけを急がせろ。本格的な修理は日没を待って行うように」
「了解しました。直ちに伝えます」
万代少佐は踵を返した。
「遮光テントの出番がきそうですね」
厨屋は笑いを含ませてつぶやきつつ、内心の懸念は消えない。
現地時間では、まだ正午も迎えてはいない。
(果たして、無事に日没を迎えることはできるのだろうか)
イラストリアス級空母の艦載機はおよど五十機程度だという。
(やはり、狂気の沙汰か……)
二隻あわせて百機もの攻撃隊が「浅間丸」に殺到する光景を脳裏に描き、厨屋は思わず身震いした。
「浅間丸」の艦橋。
通信兵が持ってきた殊勲の艦攻からの通信文を見た厨屋は、つい苦笑いする。
アークロイヤル級とはいうものの、「アークロイヤル」以外の同型艦は確認されていないうえ、ネームシップの「アークロイヤル」自身はすでにUボートに撃沈されている。
イギリスの正規空母ならば、イラストリアス級の装甲空母でまず間違いないだろう。
とはいうものの、妙に雑な報告を笑っている場合ではない。
れっきとしたイギリスの正規空母二隻を相手に、十二機の九七式四号艦攻しか打撃力を持たない「浅間丸」一隻で戦えるものではない。
「敵艦隊を発見したのは良いのですが、艦攻を運用する空母が近くにいることを知られたことになります。痛しかゆしですな」
知らせを受けて格納庫から艦橋まであがってきた万代少佐が、息を弾ませつつ渋面をつくる。
通信が正しければ、彼我の距離はおよそ二百八十浬。九七式四号艦攻の攻撃の間合いに既に入っている。
米海軍の艦載機の攻撃半径がおよそ二百浬とされるが、英海軍の艦載機ではどれほどになるのか、艦載機が不明であることもあり、確たる情報は手元にない。
ただ、「浅間丸」から仮にアウトレンジ攻撃が可能だとしたところで、何がどうなるものでもないだろう。
「艦長。残念ながら、ここは撤収するしかないと思われます。万代少佐の言うとおり、こちらに空母があると知った敵が追跡してくる可能性は非常に高いと思われます」
厨屋が勝見大佐に向けて進言するのに対し、さすがに傍らの万代少佐も横から口は挟まない。
そこに、「天龍」から、第二航空護衛戦隊の針路を北西方向に変更するとの発光信号による指示が届いた。
松山司令にしても、この状況では逃げに徹するほかはないと判断したのだろう。
ただ、示されたのはペナンへ向かう針路であるが、オーストラリアに向かっているであろう英艦隊の眼前を横切る形になる。
「やはり、撤退か。しかしこの針路では、敵に補足される危険があるぞ。距離を取るなら、南にかわすべきでは」
厨屋は首をひねった。
「確かに南側に針路をとれば、いくらでも逃げ場はあります。しかしそれでは、英空母に退路を絶たれれる恰好になります。そうなったら、我々はどこにも寄港できないままインド洋のど真ん中で立往生ですよ」
それまで厨屋らのやりとりを無言で様子見していた航海長の田丸少佐が、海図をにらみつつ嘆息する。
「針路は変更する。だが、攻撃隊も出す。松山司令にはその旨、意見具申しよう」
それまで黙考していた勝見大佐がふいに発した言葉に、厨屋は思わず万代少佐と顔を見合わせる。
(正規空母二隻を相手に、「浅間丸」一隻で立ち向かうなど、狂気の沙汰だ)
思わず声を上げかけた厨屋を、勝見大佐は片手で制して言葉を継ぐ。
「いいか。我々は単に、商船を撃沈するためだけにインド洋まで来たのではない。我々が実施しているのは、インド洋における乙号作戦であることを忘れるな」
「乙号作戦……」
厨屋も確かに、そのように聞かされていた。インド洋における通商破壊戦は、米豪遮断の一環である、と。
だが本音のところでは、ソロモン海方面と同様に重要な戦線だと将兵の士気を鼓舞する題目以上のものではないと考えていたのも事実だ。
「ここで二隻の英空母を見逃せば、米海軍との合同は必至だ。撃沈出来ぬまでも二隻に痛打を与え、合同を遅らせねばならん」
勝見大佐の言葉からは、迷いの色は一切感じられなかった。
(そうだ。艦長はそういうお方だった。空母「加賀」を守るためなら、乗艦の駆逐艦「谷風」を投げ出せる覚悟をお持ちの方なのだ)
そんな艦長であれば、作戦遂行のために「浅間丸」を投げ出すことも厭わないのだろう。
「浅間丸」を撃沈され、果てしなく漂流する己の姿を想像すると恐ろしくはあったが、覚悟の決め時だと厨屋は観念した。
「……承知いたしました。正規空母が二隻なら、相手にとって不足なしというものです」
「まぁ、逃げるにしろ、そもそも敵のほうが足が速いですからね。まず鼻づらに一発かまして突き放しておかないと、逃げるに逃げられないのも確かですな」
万代少佐もまた、何かを悟ったのか、やけにさばばした口調で首肯した。
「攻撃隊はどれぐらい出せる」
「四号艦攻は索敵に出している三機を除き、九機。六機は雷装。三機は八十番を積みます。装甲空母が相手なら、出し惜しみは無用でしょう」
万代少佐はあらかじめ考えていたのか、勝見大佐の問いによどみなく応じる。
八〇番こと八百キロ爆弾は長門型戦艦の四〇センチ砲弾を改造して製作され、真珠湾攻撃の際に雷撃できない位置にいる戦艦の装甲を水平爆撃で破るために用いられたことで知られる。
イギリス自慢の装甲空母といえど、戦艦の装甲すらぶち抜く八百キロ爆弾が飛行甲板に命中すればただでは済まないはずだ。
ただし、航空魚雷も八百キロ爆弾も、「浅間丸」の弾薬庫にはほとんど積まれていない。
具体的には九一式航空魚雷が九本、九九式八〇番五号爆弾が三発のみである。一回の出撃で大部分を使い果たすことになる。
商船や護衛艦艇を攻撃することは想定されていたが、正規空母を相手取るのはそもそも荷が勝ちすぎるのだ。
むしろ、申し訳程度でも八百キロ爆弾や魚雷が積まれていただけでも御の字であろう。
「よかろう。直掩はどうする」
「本当なら一機でも多くつけてやりたいところですが、戦隊の守りをがら空きにする訳にも参りません。六機を攻撃に出して四機を直掩に残します」
応じる万代少佐が苦しげな表情を見せる。
第二航空護衛戦隊の「天龍」も「汐風」も、対空兵装はお寒い限りで、ほとんど期待できない。「浅間丸」自身を守るためにも、零戦はいくらか残さざるを得ない。
手数の少なさは言うまでもない。だが、逆さに振っても、零戦三二型が十機、九七式四号艦攻が十二機であることは変えられないのだ。
「合計十五機か。よし。急ぎ、出撃準備をなせ」
「浅間丸」の整備兵にとって、航空魚雷や八百キロ爆弾の装着は慣れているとは言えなかったが、訓練の甲斐もあって手間取ることなく出撃準備が完了する。
「敵は正規空母二隻。遺憾ながら諸君らの攻撃をもってしても、一度の攻撃で二隻を撃沈するのは困難であろう。本来であれば攻撃を反復し、戦果を拡大すべきところであるが、残念ながら充分な弾薬がないため、一度の攻撃に全力を尽くす他はない。諸君らには己の技量を信じ、ぜひとも全力を尽くしてもらいたい」
搭乗員の待機室で、勝見艦長が飛行隊長の小弓大尉をはじめとする搭乗員たちを前に、手短に訓示する。
「必ず、英空母二隻に痛撃を与えてまいります!」
小弓大尉が気負った口調で応じる。搭乗員の士気は概して高い。
無謀な攻撃に狩り出される不満や不安よりも、思いがけず大物をしとめる機会がめぐってきたことを喜んでいる様子がうかがえた。
搭乗員の敬礼、勝見大佐の答礼ののち、搭乗員は待機室を飛び出し、飛行甲板後部に並べられて暖機運転を行っている己の愛機に向かって駆け出していく。
やがて、出撃準備がすべて整った。
「発艦はじめ!」
号令とともに、まず増槽を腹に吊るした零戦三二型が六機、油圧式射出機を用いることなく次々と発艦していく。
続いて発艦するのは魚雷を抱えた九七式四号艦攻である。
小弓大尉が搭乗する第一小隊一番機が油圧式射出機を用いて射出される。
無事に射出を終えるとすぐにシャトルが発射位置に戻され、九七式四号艦攻は一機、また一機と射出されていく。
むろん、一機飛び立つたびに手早く油漏れがないことが点検される。
もし万一、油漏れで射出機の出力が規定どおりあがらなければ、射出された九七式艦攻は「浅間丸」の針路上の海面に力なく投げ出される羽目になる。
したがって点検はおろそかにはできないが、時間ばかりかけている訳にもいかない。
およそ一分間隔で都合九機が飛び立った九七式艦攻のうち、最後に飛び立った第四小隊の三機が八百キロ爆弾を吊り下げている。
射出機で送り出された九機目の九七式四号艦攻が発艦後、飛行甲板の下まで沈み込んだのちに力強く上昇を始める。
それまで帽振れで見送っていた乗組員の間から、期せずして「万歳、万歳」の声が湧き上がる。
「気の早い連中だ。これからが大変だというのに。それにしても、九機連続射出に成功できたのはありがたい」
発着艦指揮所で九機目の九七式四号艦攻の発艦を見届け、艦橋へと戻る厨屋の胸中には、感慨深いもの湧き上がる。
「浅間丸」がドーリットル爆撃で深く傷ついてからおよそ十か月。
降ってわいた空母への改装計画を実現させるため、知恵を絞り、機材の調達に奔走した日々が思い起こされる。
松木技師が売り込んできた油圧式射出機も、シール材の交換により、どうにか実用性が認められた。
様々な努力の甲斐あって、今こうして、ささやかながらも商船改造空母が雷装した攻撃隊を送り出すことができたのだ。
これまでの苦労は、今日のためにあったのだとの思いが湧き上がってくる。
「発艦作業、無事に完了しました。射出機の油圧低下により、大規模な整備を行わないとこれ以上の射出は不可能との報告を受けております」
発着機部から艦橋に姿を見せた万代少佐の言葉は、どことなく感傷的な空気に包まれかけていた厨屋の意識を現実に引き戻した。
なお、「浅間丸」においては、油圧式射出機の運用は飛行科の職掌となっている。
「よくやってくれた」
勝見大佐が大きくうなずき返す。
「すぐに射出機の整備を開始してよろしいでしょうか」
「いや、気がかりではあろうが、今は許可できん。飛行甲板をふさぐ訳にはいかんからな。とりあえず油漏れを防ぐ最小限の措置だけを急がせろ。本格的な修理は日没を待って行うように」
「了解しました。直ちに伝えます」
万代少佐は踵を返した。
「遮光テントの出番がきそうですね」
厨屋は笑いを含ませてつぶやきつつ、内心の懸念は消えない。
現地時間では、まだ正午も迎えてはいない。
(果たして、無事に日没を迎えることはできるのだろうか)
イラストリアス級空母の艦載機はおよど五十機程度だという。
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