王妃か、それとも駒か ~護衛騎士と王宮の罠~

ツヅミツヅ

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14、軍靴の音を止めるもの

 リリエは執務室に急いだ。
 義母のカスタネアが領軍を動かそうとしているという話を侍女達から伝え聞いたからだ。
 廊下を決して走ってるようには見えないようしなやかに。それでも全速力で。
 執務室に着いた時には、執務室にはカスタネアとノエリア、そして戦略担当のヘルムート先生とカスパル先生がいた。
「まあ、リリエどうしたの?」
「失礼いたします、お義母様。領軍を動かそうと検討されているとか」
 カスタネアは一瞬無表情でリリエを見つめたがすぐに笑顔に変わる。
「リリエ? あなたはいずれ王家に嫁ぐ身です。この領内の事で煩う事は何もないのよ?」
 カスタネアの隣にいたノエリアも同じように笑う。
「そうよ? 何も心配せずに私達に任せておいて?」
「いいえ。今回ばかりは口を挟ませていただきます。領軍の兵士が民を傷つける様な事があってはヴァルタリアの恥部となります。お考え直しを」
 口を挟んだのは、ヘルムート先生だった。
 ヘルムート先生は少し楽しむ様に言葉を放った。
 「しかし、ただでさえ落ちた産出量が彼らのこの一斉休業のせいで更に落ち込む事になる。仕事を怠け、義務を放棄したのであれば、罰せられるのは当然ではないかい?」
 「そこには事情がある筈です。それを調べに私の護衛騎士が貧民街へ向かいました。せめて彼らの主張をレクスが持ち帰るのをお待ちください」
  「リリエ嬢、あなたはまだ軍事に関して実務を学ぶ段階にはない。王妃教育の一環として理論は教えているが、実際の兵の運用は専門家に任せるべきではないかね?」
 ヘルムート先生の楽しむ様な色は消えるどころかますます濃くなる。リリエはそれを跳ね除ける気概で答えた。
 「理論を学んでいるからこそ申し上げます、ヘルムート先生。今回の問題の本質は兵の運用ではなく、民の不満です。軍を出すことが火に油を注ぐ事になります」
 ヘルムート先生は目を細め、微笑を浮かべた。
 「ふむ……確かに、下手に手を出せば余計に事態を悪化させる可能性もある。だが、秩序を維持するためには示威行動も必要だ。兵を動かさなければ、彼らはどこまでも図に乗るだろう。力を示すことで逆に暴動を抑えることができるのだよ」
 「それは“暴動”ではなく“主張”です。ヘルムート先生は、領民の声を聞くよりも、威圧を選ばれるのですか?」
 「王とは秩序を管理する者だ。力なき統治は脆弱だよ、リリエ嬢」
 ヘルムート先生はまるで試すように言った。
 「私は力を否定するわけではありません。ただ、その使いどころを誤るべきではないと申し上げているのです。今は話し合いの余地があります。レクスが戻るまで待つことが、最も理に適う選択かと」
 その時、静かにカスパル先生が口を開いた。
 「……リリエ嬢の言う通りだ」
 低く、落ち着いた声だった。
 「軍の出動は最終手段であるべきだ。事態の全容が掴めぬまま兵を動かすことは、むしろ統治の信用を損なう。これは戦略的に見ても愚策だ」
 ヘルムート先生はゆっくりとカスパル先生を振り返る。
 「ほう……君が私に意見するとは珍しいな、カスパル先生。君はこれまで政治的な話にはあまり口を挟まなかったのに」
 「口を挟む必要のない時はな。だが、今回は話が違う」
 カスパル先生はヘルムート先生の目を真っ直ぐに見据えた。
 「君は常々リリエ嬢の知略を評価していたな?」
 「そうだが?」
 「ならば、なぜ今、彼女の冷静な判断を軽視する? 君が彼女を王妃として相応しいと考えているのなら、こういう場面でこそ彼女の言葉を尊重すべきではないか?」
 ヘルムート先生は一瞬だけ沈黙した。そして、くつくつと笑った。
 「なるほど、確かにそういう考え方もあるな。……では、リリエ嬢、君の判断を見せてもらおう。もし君の護衛騎士が民の不満の核心を正しく掴んでくるのなら、その報告を聞いてから動くのも一つの手だ」
 リリエは微笑を返した。
 「ええ。ご判断、感謝いたしますわ、ヘルムート先生」
 ヘルムート先生はカスタネアを振り返って笑顔で声をかけた。
 「そういう訳です。兵を派遣する事はいつでも出来ます。大丈夫。オスヴァルト・グフタス・クラヴァードの名が傷つくような事にはなりませんから」
 カスタネアは少し複雑なものを抱えた表情でしぶしぶ頷いた。
「……ノヴァーク様がそう仰るのであれば……」
 その隣に控えていたノエリアにも声をかける。
「ノエリア嬢も、いいね?」
「わかりました……」
 その返答にホッと胸を撫でおろしたい心境だったが、それを王妃の笑顔で包み隠す。
「お父様の名誉が守れて本当に良かった」
 リリエのその言葉にピクリと反応したのはカスタネアだった。
「お父様の名誉? どういう事?」
 リリエは王妃の仮面を外す事なくカスタネアの方を見る。
「ここで兵を動かせば、無抵抗の民を傷つけた愚かな領主として、その名が王都にまで届くことになるでしょう。王家は統治の安定を重んじます。無益な圧政が王都に伝われば、ヴァルタリアの信頼は大きく損なわれ、ひいてはお父様が王のご信任を失うことにもなりかねません。そんな愚策を取らずに済んで安心しました。さすがはお義母様ですね、賢明なご判断です」
 カスタネアは少し眉を上げてリリエを見て言った。
「まあ、民には慈悲も施さねばなりませんからね」
 執務室の扉がノックされ皆がそちらに注目した。
 カスタネアが告げる。
「どうぞ」
 開かれた扉の向こうには微笑を浮かべたレクスが立っていた。
 その姿を見つけて、リリエは安堵する。
 無事だった事、そしてここに一緒にいてくれる事。
 二つの意味でホッとした。
 いつの間にリリエの中でレクスはこんなにも心預けられる人になっている。
 その事に自覚しながらも、ここではそんな事は表情に出せないので、にっこりと王妃の微笑みをレクスに返す。
「ただいま戻りました。リリエ嬢」
「ご苦労でしたね、レクス。それで、民達はなんと?」
「鉱山夫達が申すには、支給された道具に不満があるようです」
「そう。では賃上げや労働条件への不満ではないのですね?」
「はい。鉱山夫達は粗悪な機材に対して不満を抱いてるとのことです。彼らに支給された道具を見てきましたが、確かに粗悪なものでした」
 リリエは王妃の微笑みのまま、カスタネア達に言った。
「今回のこの騒動は、不当な要求ではなく道具の改善を求めの事。もしこれで派兵していたら本当にお父様の面目は潰れておりました。レクス? 現在鉱山に出入する商会の名は?」
「グロックナー商会です」
「そう、ではそのグロックナー商会についてまずは調べるべきでしょう。調べた上でお父様に報告して、御用商人の取り消しを行いましょう」
 ノエリアが手を軽く上げた。
「ではその役目は私が」
 リリエはノエリアに微笑みかける。
「お義姉様が調べて下さるなら、お父様もきっとその調査結果に御不審をお持ちにならないでしょう。お義姉様? よろしくお願いします」
「ええ、任せておいてちょうだい」
 リリエは王妃の笑顔のまま、皆に一礼した。
「お話は終わりですわね。皆さま私の様な若輩の言葉に耳を傾けて下さったこと、感謝いたします。これ以上お邪魔してはいけませんので下がらせていただきますね。それでは失礼します」
 リリエはレクスを伴って部屋を出た。
 こんな風に領の運営に関して口を挟んだのは初めての事で緊張したが、なんとか派兵を防げた。
 二人の足早な歩調はほぼ同じで遠く長い廊下を歩き、リリエの居室の前に辿り着くと、レクスが扉を開く。
 そしてそれをリリエとレクスが潜ったあと、静かに扉は閉められた。
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