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欠落の正体
「北の魔女の元へ行ってまいります。あなたの呪いを解くために」
あの日、醜い怪物と化していた自分にそう言い残して旅立った妻の姿を、ベルナルドは忘れたことはなかった。当時は狂いそうな苦痛と絶望の中で、彼女を止めることすらできなかった。そして彼女は、約束通り呪いを解く薬を持ち帰り、自分を元の姿に戻してくれた。
すべてが解決したはずだった。だが、戻ってきた妻の「正体不明の空虚さ」が、ベルナルドの胸をざわつかせ続けていた。
(呪いを解くための対価……彼女は魔女に、何を支払ったのだ?)
ベルナルドは、かつて自分が嘲笑っていた「御伽話」の真実を求めて、再び北の地へと馬を飛ばした。エメラルダが命を懸けて辿った道を、自らの目で確かめなければならなかった。
数日の難行の末、彼は青白い炎が揺れる魔女の館へと辿り着いた。
「ほう。まさか、あの時の『化け物』が、これほどの美男子だったとはね」
館の主、モーガンは、闖入者を追い返すどころか、愉快そうにベルナルドを迎え入れた。彼女は暖炉の前でゆっくりと椅子を回転させ、焦燥に駆られたベルナルドを、値踏みするように見つめる。
「魔女モーガン。……妻がここへ来たことは知っている。彼女は私を救う薬を手に入れるために、お前に何を差し出した? 金か、領地か、それとも彼女の寿命か!」
ベルナルドの問いに、モーガンは喉を鳴らして高笑いした。その笑い声は、氷が割れるような不吉な音を立てる。
「金? 領地? そんな退屈なもの、アタシが欲しがると思ったかい。あの女が持っていたものの中で、最も価値があり、最も美しく燃えていたものをいただいたのさ」
モーガンは立ち上がり、棚から一際輝く真珠色の結晶が収まった小瓶を取り出した。
「これを見な。これが、エメラルダがお前に内緒でアタシにくれた供物だ。……お前という不実な男を、十五の時から今日まで、裏切られても、踏みにじられても、なお温め続けてきた……彼女の『恋心』そのものだよ」
「……何だと?」
ベルナルドの思考が停止した。恋心を、差し出した?
「呪いを解くには、それ相応の熱量が必要でね。アタシは彼女に条件を出したのさ。お前の命を救う代わりに、お前を愛する心を捨てろ、と。彼女は迷わなかったよ。自分の中から、お前との思い出の煌めきを、愛おしさを、嫉妬さえも、すべて引き抜くことを選んだんだ」
モーガンは小瓶をベルナルドの目の前で振った。
「今の彼女は、お前を『夫』としては認識しているが、男としては何も感じていない。お前が誰と寝ようが、誰を愛そうが、彼女の心は一滴の血も流さない。……お前が欲しがっていた『完璧で、決して怒らない妻』の誕生だ。どうだい、嬉しいだろう?」
ベルナルドは、崩れ落ちるように膝をついた。
視界が歪み、胃の奥からせり上がるような吐き気に襲われる。
あの日、彼女は確かに言った。「私は、あなたに殉じるために行くのではありません。侯爵夫人として、最善を尽くすだけです」と。
あの言葉は、単なる強がりではなかった。彼女はあの瞬間、自分を救うために「自分を愛するエメラルダ」を殺す決意を固めていたのだ。
最近の、彼女のあの完璧すぎる微笑み。
情熱を込めて抱きしめても、ただ「務めですから」と受け入れるだけの体。
裏切りを謝罪しても、「過去のことです」と穏やかに許した、あの空虚な優しさ。
それらは、寛大さなどではなかった。ただ、彼女の中から「痛み」を感じる機能が、自分を愛する熱量と共に消え去っていただけだったのだ。
「彼女は……私のために、私への愛を売ったのか……」
「そうだよ。お前を救うために、お前の愛した『エメラルダ』は消えた。今、屋敷にいるのは、お前の家名を守るためだけに最適化された、精巧な人形だ。……お前が長年、彼女に望んできたことじゃないか。嫉妬せず、騒がず、常に微笑んでいろと」
魔女の言葉が、鋭い刃となってベルナルドの胸を切り裂く。
自分を救ってくれた薬の正体は、彼女が自分に向けてくれていた情熱の残骸だった。
「……戻せるのか。その心を、彼女の中に……!」
「無理だね。契約は成立した。それに、今の彼女に聞いてごらんよ。おそらく彼女は『今のままで満足です』と言うはずだ。あんな重い愛を抱えて泣き喚くより、今のほうがずっと楽だろうからね」
ベルナルドは、喉の奥で獣のような慟哭を上げた。
元の姿に戻り、富も名声も取り戻した。けれど、彼は世界で一番大切なものを、自分の不実の代償として魔女に差し出させてしまった。
館を出たベルナルドの目に映る雪景色は、白く、ただ虚しく広がっていた。
屋敷に戻れば、エメラルダはまた、完璧な微笑みで自分を迎えるだろう。
だが、その瞳の中に「ベルナルド」という一人の男を熱烈に映す光は、二度と、永遠に灯ることはない。
それは、失って初めてその価値を知った男に与えられた、神の残酷な回答だった。
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あの日、醜い怪物と化していた自分にそう言い残して旅立った妻の姿を、ベルナルドは忘れたことはなかった。当時は狂いそうな苦痛と絶望の中で、彼女を止めることすらできなかった。そして彼女は、約束通り呪いを解く薬を持ち帰り、自分を元の姿に戻してくれた。
すべてが解決したはずだった。だが、戻ってきた妻の「正体不明の空虚さ」が、ベルナルドの胸をざわつかせ続けていた。
(呪いを解くための対価……彼女は魔女に、何を支払ったのだ?)
ベルナルドは、かつて自分が嘲笑っていた「御伽話」の真実を求めて、再び北の地へと馬を飛ばした。エメラルダが命を懸けて辿った道を、自らの目で確かめなければならなかった。
数日の難行の末、彼は青白い炎が揺れる魔女の館へと辿り着いた。
「ほう。まさか、あの時の『化け物』が、これほどの美男子だったとはね」
館の主、モーガンは、闖入者を追い返すどころか、愉快そうにベルナルドを迎え入れた。彼女は暖炉の前でゆっくりと椅子を回転させ、焦燥に駆られたベルナルドを、値踏みするように見つめる。
「魔女モーガン。……妻がここへ来たことは知っている。彼女は私を救う薬を手に入れるために、お前に何を差し出した? 金か、領地か、それとも彼女の寿命か!」
ベルナルドの問いに、モーガンは喉を鳴らして高笑いした。その笑い声は、氷が割れるような不吉な音を立てる。
「金? 領地? そんな退屈なもの、アタシが欲しがると思ったかい。あの女が持っていたものの中で、最も価値があり、最も美しく燃えていたものをいただいたのさ」
モーガンは立ち上がり、棚から一際輝く真珠色の結晶が収まった小瓶を取り出した。
「これを見な。これが、エメラルダがお前に内緒でアタシにくれた供物だ。……お前という不実な男を、十五の時から今日まで、裏切られても、踏みにじられても、なお温め続けてきた……彼女の『恋心』そのものだよ」
「……何だと?」
ベルナルドの思考が停止した。恋心を、差し出した?
「呪いを解くには、それ相応の熱量が必要でね。アタシは彼女に条件を出したのさ。お前の命を救う代わりに、お前を愛する心を捨てろ、と。彼女は迷わなかったよ。自分の中から、お前との思い出の煌めきを、愛おしさを、嫉妬さえも、すべて引き抜くことを選んだんだ」
モーガンは小瓶をベルナルドの目の前で振った。
「今の彼女は、お前を『夫』としては認識しているが、男としては何も感じていない。お前が誰と寝ようが、誰を愛そうが、彼女の心は一滴の血も流さない。……お前が欲しがっていた『完璧で、決して怒らない妻』の誕生だ。どうだい、嬉しいだろう?」
ベルナルドは、崩れ落ちるように膝をついた。
視界が歪み、胃の奥からせり上がるような吐き気に襲われる。
あの日、彼女は確かに言った。「私は、あなたに殉じるために行くのではありません。侯爵夫人として、最善を尽くすだけです」と。
あの言葉は、単なる強がりではなかった。彼女はあの瞬間、自分を救うために「自分を愛するエメラルダ」を殺す決意を固めていたのだ。
最近の、彼女のあの完璧すぎる微笑み。
情熱を込めて抱きしめても、ただ「務めですから」と受け入れるだけの体。
裏切りを謝罪しても、「過去のことです」と穏やかに許した、あの空虚な優しさ。
それらは、寛大さなどではなかった。ただ、彼女の中から「痛み」を感じる機能が、自分を愛する熱量と共に消え去っていただけだったのだ。
「彼女は……私のために、私への愛を売ったのか……」
「そうだよ。お前を救うために、お前の愛した『エメラルダ』は消えた。今、屋敷にいるのは、お前の家名を守るためだけに最適化された、精巧な人形だ。……お前が長年、彼女に望んできたことじゃないか。嫉妬せず、騒がず、常に微笑んでいろと」
魔女の言葉が、鋭い刃となってベルナルドの胸を切り裂く。
自分を救ってくれた薬の正体は、彼女が自分に向けてくれていた情熱の残骸だった。
「……戻せるのか。その心を、彼女の中に……!」
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ベルナルドは、喉の奥で獣のような慟哭を上げた。
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館を出たベルナルドの目に映る雪景色は、白く、ただ虚しく広がっていた。
屋敷に戻れば、エメラルダはまた、完璧な微笑みで自分を迎えるだろう。
だが、その瞳の中に「ベルナルド」という一人の男を熱烈に映す光は、二度と、永遠に灯ることはない。
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