愛してると泣かれても迷惑です〜お姉様の身代わりに冷徹公爵へ嫁ぐ〜

恋せよ恋

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誠実という名の光

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 マキシム様が私に膝をついて謝罪し、その舌の根も乾かぬうちに親友のリーザと密会していた事実。そして、姉のサンドラがそれを当然のように「共有」しているという歪んだ現実。

 私の心は、あの日を境に深い霧の中に閉じ込められたようだった。

 食事は喉を通らず、鏡を見るのも恐ろしい。鏡の中に映る自分に、あの「裏切りの香り」が染み付いている気がしてならなかった。

 そんな私の唯一の逃避先は、皮肉にも、かつてマキシム様のために始めた外国語の学習だった。意味の分からない単語を機械的に書き写している間だけは、胸をえぐるような思考を止められたから。

「――ジュリア。また、そんな難しい本を読んでいるのか?」

 不意に声をかけられ顔を上げると、兄のダニエルが立っていた。

 彼は私の青ざめた顔を見て、痛ましそうに目を細める。

「……お兄様。私、もうマキシム様のことが分かりません。彼が私にくれる笑顔も、贈り物も、すべてが偽りのように思えるのです」

 ダニエルはしばらく沈黙し、私の隣に座った。

「マキシムは、確かにお前を愛している。それは嘘じゃないんだ。だが……あいつにとって、女は『自分を飾るトロフィー』か『欲を満たす道具』でしかなかった。お前という『本物の愛』を見つけたとき、あいつは自分が積み上げてきた泥沼から抜け出せなくなっていたんだ」

 お兄様の言葉は、マキシム様への擁護ではなく、諦めに近かった。

 その時、お兄様の手元に一通の封書があるのが見えた。

「それは……?」

「ああ。隣国のアレックス公爵から、サンドラ宛に届いた手紙だ。サンドラは今、友人たちと観劇に出かけていて不在だろう? 執事から預かったんだが、お前、これをサンドラに届けてくれないか」

 私は力なく頷き、その手紙を預かった。

 本来、婚約者同士の手紙を盗み見るなど、淑女としてあってはならないことだ。だが、今の私は、自分を裏切る「完璧な男たち」の裏にある真実を暴かずにはいられない、醜い猜疑心の塊だった。

 自室に戻り、私は震える指で封を切った。

 そこには、マキシム様の華やかな装飾に満ちた愛の言葉とは、対極にある文章が綴られていた。

----------------------

 サンドラ嬢へ。

 前便で君が綴っていた「隣国の冬の厳しさ」への懸念について。確かにこちらの冬は長い。だが、その分、春の訪れとともに咲く花々の力強さは、君の国のものとはまた違う美しさがある。

 政略による縁組とはいえ、君を不自由な籠に閉じ込めるつもりはない。君がこの地で何を望み、何に不安を感じているのか、どうか率直に教えてほしい。私は君の夫となる者として、君の心を一番に守りたいと考えている。

 アレックス

----------------------

 流麗だが力強い文字。そこには、相手を「飾り」としてではなく、一人の人間として尊重しようとする、不器用なほどの誠実さが溢れていた。

 姉のサンドラは、この手紙を読んでも鼻で笑うだけだったのだろう。彼女が求めているのは、自分を翻弄し、熱狂させるマキシム様のような毒。アレックス公爵の静かな愛など、彼女にとっては退屈な義務に過ぎなかったのだ。

「……こんなに、真っ直ぐな言葉があるなんて」

 気づけば、私の目から涙が溢れていた。

 マキシム様に囁かれた甘い言葉の数々よりも、面識のないアレックス公爵が姉に宛てたこの簡潔な手紙の方が、今の私にはどれほど救いになったことか。

 その時、部屋の扉が乱暴に開いた。

「ジュリア! あなた、勝手に私の手紙を――」

 現れたお姉様は、私の手にある手紙を見るなり、蔑むような笑みを浮かべた。

「あら、その退屈な男の手紙がそんなに気になるの? ちょうどいいわ。来月、マイセン公爵家からアレックスが正式に挨拶に来る予定だったけれど……断るつもりよ。私は、この家を出るつもりはないもの」

「お姉様、何を言っているのですか? あなたには婚約者が……」

「婚約なんて、いくらでも壊せるわ。マキシム様が、私なしではいられないと泣いて縋るんですもの。ねえ、ジュリア。可哀想なあなたに、一ついいことを教えてあげる」

 お姉様は私に近づき、その耳元で毒を吐くように囁いた。

「マキシム様があなたに贈った、あの香水。あれを彼に教えたのは、私なのよ。私と同じ匂いを纏うあなたを抱きながら、彼は私のことを思い出していたの。……愉快でしょう?」

 頭の中で、何かが弾ける音がした。

 ――いいえ。違う。そんなはずがない、と心が叫ぶ。

 けれど、あの時の違和感が、次々と繋がっていく。植物園での視線、急に変わった態度、甘い言葉の裏に残る空虚さ。

 胸の奥が、ひどく冷えた。涙は出なかった。ただ、血の気が引いていく感覚だけがあった。

 悲しみは、その沈黙の底で、ゆっくりと形を変えていった。燃え上がる怒りへ、そして、澄み切った冷徹さへと。

「――ええ、そうですね。本当にお似合いですわ、お姉様とマキシム様は」

 私は手紙を握りしめ、姉を真っ直ぐに見返した。

 この瞬間、ようやく理解したのだ。私は、愛されてなどいなかった。最初から、選ばれていなかったのだと。

 だからこそ、決まった。

 マキシム様という泥沼から、そしてこの腐りかけた人間関係から。私は、この手紙の主が待つ、遠い隣国へと飛び立つことを。
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