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番外編
ミレーヌ『道化の花嫁、偽りの自由の終焉』
鏡の中に映る自分は、誰よりも美しく、誰よりも輝いているはずだった。
燃えるような赤毛を魅力的に巻き上げ、最高級のシルクで仕立てたドレスの裾を揺らす。私はミレーヌ・カッセル。この社交界で、次期公爵であるユリアン様を虜にしている女――そう自負していた。
「見てなさい、あの陰気な女。今夜もきっと、部屋の隅で私たちの仲を指をくわえて見ているんだわ」
取り巻きたちの下品な笑い声に合わせ、私も扇で口元を隠して笑った。
ヤスミン・ファーブル。彼女は私の「引き立て役」に過ぎなかった。ユリアン様がどれほど無体な扱いをしても、雨に濡れた仔犬のような目で彼を追いかけ回す。その惨めな姿があればあるほど、ユリアン様に選ばれ、自由に振る舞う私の優越感は完成された。
あの日、ユリアン様がヤスミンに自由を宣言した時、私は勝利を確信した。これでヤスミンは泣いて学園を去り、私は公爵夫人の座を手に入れるのだと。
――けれど。
北の地から戻ってきた彼女を見た瞬間、私の背筋に、今まで感じたことのない嫌な寒気が走った。
「あら、ミレーヌ様。そのドレス、先月の流行のものではありませんか? よくお似合いですわ」
ヤスミンは微笑んでいた。けれど、その瞳には光がなかった。
以前の彼女なら、私のドレスを見るだけで、自分の地味な装いを恥じて俯いたはずだ。あるいは、私がユリアン様と腕を組んでいれば、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしたはずだ。
なのに、今の彼女は。
私が何をしても、何を言っても、まるで道端の石ころでも見るような、完璧に無関心な視線を向けてくる。
「何よ、その目……! ユリアン様は私と夜通し語り合って、貴方のことなんて一度も思い出さなかったのよ!」
必死に投げかけた言葉さえ、彼女の「無」という壁に当たって虚しく跳ね返る。
「左様ですか。ユリアン様が充実した時間を過ごされたのであれば、婚約者として喜ばしい限りですわ。では、失礼いたします」
彼女は一礼して、優雅に去っていった。
その時、私は悟った。
彼女を傷つけることはもうできない。なぜなら、彼女の心はすでに凍っているからだ。凍りついたものに、刃を立てることはできない。
そして、本当の地獄はそこから始まった。
ヤスミンが変わってから、ユリアン様が急速に狂い始めたのだ。
あんなに私を甘やかし、自由を愛していたはずの彼が、今やヤスミンの影を追い回すだけの哀れな男に成り下がった。
「ユリアン様、今夜は私と観劇に行くと約束したではありませんか!」
「うるさい、離せ。……ヤスミンが今、執務室で紅茶を飲んでいるんだ。僕は側にいないと、彼女に忘れられてしまう」
ユリアン様の瞳には、もはや私など映っていなかった。
彼はヤスミンという「心のない人形」に、必死に自分の熱を注ぎ込もうとしていた。かつての私が彼に求めていた情熱以上のものを、彼は自分を愛さなくなった女に捧げていた。
私は、ただの遊び相手だった。
ユリアン様が、ヤスミンの愛を確認するために、彼女を嫉妬させるために使っていた、安っぽいおもちゃ。
彼女が愛を捨てた瞬間、私はその役割すら失い、ただの目障りな過去の遺物になったのだ。
卒業式の後。二人が結婚し、ヤスミンが公爵夫人として社交界に現れた夜会。
私は最後のかけに出た。彼女を辱め、ユリアン様の関心を無理やりにでもこちらに向けようとした。
「あなたのことなんて、ユリアン様は一度も愛したことがないのよ!私たちは一晩中、言葉を重ね、互いの熱を分け合って……っ」
叫ぶように吐き出した私の言葉を、ヤスミンはやはり、冷たい微笑で受け流した。
「記録に残しておりますわ。当時は……ご苦労様でした」
ご苦労様……。その一言で、私のプライドは完全に粉砕された。私のしてきた略奪も、情事も、彼女にとっては家計簿の隅に書かれた雑費程度の価値しかなかったのだ。
さらに、ユリアン様が放った言葉が、私にトドメを刺した。
「……ミレーヌ、消えろ。二度と、僕のヤスミンを汚れた口で呼ぶな」
汚れた口。かつて愛を囁き合った私を、彼はゴミを見るような目で見つめた。
実家のカッセル家からも「公爵夫人を怒らせた愚か者」として冷遇され、私は地方の、冴えない老貴族への後妻話を受け入れるしかなくなった。
馬車に乗って王都を去る日。走る馬車の車窓から、私は遠くに、ゲットー公爵邸の威容を見た。
あの中には、愛を殺して人形になった女と、その人形に魂を食い潰されている男がいる。
二人を繋いでいるのは、もはや幸福ではない。それは、終わりのない贖罪と、逃げ場のない執着という名の呪いだ。
「……ふふ。あはははは!」
私は馬車の中で、狂ったように笑った。
私は負けた。惨めに、完璧に。けれど、あの中にある二人の姿もまた、救いようのない地獄ではないか。
愛されていた頃のヤスミンを笑っていた私は、道化だった。自由を手に入れたと思っていたユリアン様も、道化だった。
そして今、憎しみと愛着で互いの首を絞め合っているあの二人も、この狂った世界の道化に過ぎない。
「さようなら、ヤスミン様。……せいぜい、ユリアン様を地獄まで道連れにしなさい。貴方のその冷たい指先で、彼が骨になるまで撫で回してあげればいいわ」
私は小窓のカーテンを閉めた。王都の景色が遠ざかり、私の「自由」も、私の「偽りの恋」も、すべてが過去の記憶の中に消えていく。
そして、あれから数年が過ぎた今、鏡の中に映る自分は、もう、美しくはなかった。
けれど、不思議と心は軽かった。
私は、あの「氷の檻」から、ようやく解放されたのだから。
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燃えるような赤毛を魅力的に巻き上げ、最高級のシルクで仕立てたドレスの裾を揺らす。私はミレーヌ・カッセル。この社交界で、次期公爵であるユリアン様を虜にしている女――そう自負していた。
「見てなさい、あの陰気な女。今夜もきっと、部屋の隅で私たちの仲を指をくわえて見ているんだわ」
取り巻きたちの下品な笑い声に合わせ、私も扇で口元を隠して笑った。
ヤスミン・ファーブル。彼女は私の「引き立て役」に過ぎなかった。ユリアン様がどれほど無体な扱いをしても、雨に濡れた仔犬のような目で彼を追いかけ回す。その惨めな姿があればあるほど、ユリアン様に選ばれ、自由に振る舞う私の優越感は完成された。
あの日、ユリアン様がヤスミンに自由を宣言した時、私は勝利を確信した。これでヤスミンは泣いて学園を去り、私は公爵夫人の座を手に入れるのだと。
――けれど。
北の地から戻ってきた彼女を見た瞬間、私の背筋に、今まで感じたことのない嫌な寒気が走った。
「あら、ミレーヌ様。そのドレス、先月の流行のものではありませんか? よくお似合いですわ」
ヤスミンは微笑んでいた。けれど、その瞳には光がなかった。
以前の彼女なら、私のドレスを見るだけで、自分の地味な装いを恥じて俯いたはずだ。あるいは、私がユリアン様と腕を組んでいれば、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしたはずだ。
なのに、今の彼女は。
私が何をしても、何を言っても、まるで道端の石ころでも見るような、完璧に無関心な視線を向けてくる。
「何よ、その目……! ユリアン様は私と夜通し語り合って、貴方のことなんて一度も思い出さなかったのよ!」
必死に投げかけた言葉さえ、彼女の「無」という壁に当たって虚しく跳ね返る。
「左様ですか。ユリアン様が充実した時間を過ごされたのであれば、婚約者として喜ばしい限りですわ。では、失礼いたします」
彼女は一礼して、優雅に去っていった。
その時、私は悟った。
彼女を傷つけることはもうできない。なぜなら、彼女の心はすでに凍っているからだ。凍りついたものに、刃を立てることはできない。
そして、本当の地獄はそこから始まった。
ヤスミンが変わってから、ユリアン様が急速に狂い始めたのだ。
あんなに私を甘やかし、自由を愛していたはずの彼が、今やヤスミンの影を追い回すだけの哀れな男に成り下がった。
「ユリアン様、今夜は私と観劇に行くと約束したではありませんか!」
「うるさい、離せ。……ヤスミンが今、執務室で紅茶を飲んでいるんだ。僕は側にいないと、彼女に忘れられてしまう」
ユリアン様の瞳には、もはや私など映っていなかった。
彼はヤスミンという「心のない人形」に、必死に自分の熱を注ぎ込もうとしていた。かつての私が彼に求めていた情熱以上のものを、彼は自分を愛さなくなった女に捧げていた。
私は、ただの遊び相手だった。
ユリアン様が、ヤスミンの愛を確認するために、彼女を嫉妬させるために使っていた、安っぽいおもちゃ。
彼女が愛を捨てた瞬間、私はその役割すら失い、ただの目障りな過去の遺物になったのだ。
卒業式の後。二人が結婚し、ヤスミンが公爵夫人として社交界に現れた夜会。
私は最後のかけに出た。彼女を辱め、ユリアン様の関心を無理やりにでもこちらに向けようとした。
「あなたのことなんて、ユリアン様は一度も愛したことがないのよ!私たちは一晩中、言葉を重ね、互いの熱を分け合って……っ」
叫ぶように吐き出した私の言葉を、ヤスミンはやはり、冷たい微笑で受け流した。
「記録に残しておりますわ。当時は……ご苦労様でした」
ご苦労様……。その一言で、私のプライドは完全に粉砕された。私のしてきた略奪も、情事も、彼女にとっては家計簿の隅に書かれた雑費程度の価値しかなかったのだ。
さらに、ユリアン様が放った言葉が、私にトドメを刺した。
「……ミレーヌ、消えろ。二度と、僕のヤスミンを汚れた口で呼ぶな」
汚れた口。かつて愛を囁き合った私を、彼はゴミを見るような目で見つめた。
実家のカッセル家からも「公爵夫人を怒らせた愚か者」として冷遇され、私は地方の、冴えない老貴族への後妻話を受け入れるしかなくなった。
馬車に乗って王都を去る日。走る馬車の車窓から、私は遠くに、ゲットー公爵邸の威容を見た。
あの中には、愛を殺して人形になった女と、その人形に魂を食い潰されている男がいる。
二人を繋いでいるのは、もはや幸福ではない。それは、終わりのない贖罪と、逃げ場のない執着という名の呪いだ。
「……ふふ。あはははは!」
私は馬車の中で、狂ったように笑った。
私は負けた。惨めに、完璧に。けれど、あの中にある二人の姿もまた、救いようのない地獄ではないか。
愛されていた頃のヤスミンを笑っていた私は、道化だった。自由を手に入れたと思っていたユリアン様も、道化だった。
そして今、憎しみと愛着で互いの首を絞め合っているあの二人も、この狂った世界の道化に過ぎない。
「さようなら、ヤスミン様。……せいぜい、ユリアン様を地獄まで道連れにしなさい。貴方のその冷たい指先で、彼が骨になるまで撫で回してあげればいいわ」
私は小窓のカーテンを閉めた。王都の景色が遠ざかり、私の「自由」も、私の「偽りの恋」も、すべてが過去の記憶の中に消えていく。
そして、あれから数年が過ぎた今、鏡の中に映る自分は、もう、美しくはなかった。
けれど、不思議と心は軽かった。
私は、あの「氷の檻」から、ようやく解放されたのだから。
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