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氷の貴公子の告白、血の滲む理性
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学園卒業まで残り一ヶ月。季節は巡り、リンガー領の葡萄が再び芽吹く季節が近づいていた。
ローデン邸に戻ってからの私は、シモンの言葉通り「完璧な婚約者」として過ごしていた。学園では常に彼の腕の中にあり、夜会では彼の唯一のエスコート相手として、かつて私を嘲笑った令嬢たちの羨望と嫉妬の眼差しを一身に浴びる。
シモンはあれほど激しかった放蕩を完全にやめ、今や私の騎士として、甲斐甲斐しく、そして執拗に私の世話を焼いた。
けれど、私たちの間には、常に冷たい硝子の壁が立ちはだかっていた。
彼が私を優しく抱き寄せるたびに、私の鼻腔にはかつて彼が外から持ち帰った「他の女性の香り」が蘇る。彼が「愛している」と囁くたびに、私を置いて夜の街へ消えていった彼の背中が脳裏をよぎる。
「メルローズ、何をぼんやりしている。……また、あの男のことを考えていたのか?」
学園の図書室。資料を探していた私の腰を、シモンが背後から抱きとめた。かつての荒々しさは潜められているが、その腕には「逃がさない」という強固な意志が宿っている。
「……いいえ。卒業後の、領地の事務引き継ぎのことを考えていただけよ」
「嘘だな。お前の瞳は、俺を見ていてもどこか遠い場所を彷徨っている」
シモンが私の首筋に顔を埋める。そこにはもう、彼が以前つけた噛み傷の跡はほとんど残っていない。
「……シモン、もうやめて。ここは学園よ」
「関係ない。お前は俺の婚約者だと、全生徒が知っている」
その時、図書室の入り口に人影が現れた。ノーマンお兄様だった。
彼は私たちが密着している様子を見て、一瞬だけ表情を歪めたが、すぐに意を決したように近づいてきた。
「……シモン君。少し、話がある。メルローズ抜きで、男同士のな」
シモンは不機嫌そうに目を細めたが、ノーマン兄様のただならぬ気迫に、ゆっくりと私を解放した。
「いいだろう。メルローズ、先に馬車へ戻っていなさい」
私は不安に駆られながらも、二人の姿が見えなくなるまで見送った。
一時間後。馬車へ戻ってきたシモンの様子は、明らかにおかしかった。
顔は土気色に沈み、組んだ指が白くなるほどに震えている。邸へ向かう馬車の中でも、彼は一度も私と目を合わせようとしなかった。
その夜、嵐のような雨が邸を叩いていた。
私は喉の渇きを覚えて一階のラウンジへ向かったが、そこでブランデーのボトルを片手に、暗闇の中で座り込むシモンを見つけた。
「……シモン?」
彼が顔を上げた。その瞳は、いつになく脆く、絶望に濡れていた。
「……メルローズ。お前は、俺が外で何をしていたか、ずっと軽蔑していたんだろう?」
唐突な問いに、私は言葉を詰まらせた。
「……悲しかったわ。貴方が私を愛していると言いながら、他の人を求めているのが」
「求めてなどいない!」
シモンが激しく叫び、ボトルをテーブルに叩きつけた。
「俺が……俺がどれほどの地獄にいたか、お前は知らないんだ! 十四歳の時から、同じ屋根の下にお前がいて、日に日に美しくなっていく。お前の声、お前の匂い……そのすべてが、俺の理性を狂わせる。俺はお前を愛しすぎて、今すぐお前を押し倒して、この手で無茶苦茶にしてしまいたい衝動と、毎日、毎秒、戦っていたんだ!」
シモンがふらふらと立ち上がり、私に歩み寄る。
「お前を汚したくなかった。お前が望まぬままに、俺の欲求で傷つけるのが怖かったんだ! だから……だから、外の女たちでその汚らわしい火を消すしかなかった。……俺にとって、彼女たちはただの冷たい水だ。渇きを癒すための、道具でしかなかったんだよ!」
シモンが私の前に膝をつき、ドレスの裾を握りしめた。
「ノーマンに言われたよ。『君が彼女を守るためにしたことが、彼女の心を一番深く傷つけたんだ』とな。……俺は、馬鹿だった。お前の『心』を守ることを忘れ、自分の『理性』を守ることばかり考えていたんだ」
初めて聞く、シモンの心の叫び。
彼は私を大切に思うあまり、そのやり方を決定的に間違えてしまったのだ。
「シモン……」
「今さら謝っても許されないことは分かっている。お前の中に刻まれた俺の『汚れ』は、一生消えないだろう。……だが、メルローズ。俺はもう、お前以外で自分を癒すことはしない。たとえこの渇きで俺自身が焼き尽くされたとしてもだ」
シモンの告白は、雨音にかき消されそうなほど悲痛だった。
私は彼を見下ろしながら、初めて気づいた。彼が外で女たちを抱いていたのは、私への愛が足りなかったからではなく、愛が大きすぎて溢れ出してしまった結果だったのだと。
けれど、理解することと、許すことは違う。私の心に空いた穴は、まだ塞がってはいない。
「……シモン。貴方が苦しんでいたことは分かったわ。でも、私だって苦しかった。貴方の『初めて』になれなかったことが、何よりも悲しかったのよ」
シモンが驚いたように顔を上げた。その瞬間、私たちの間に流れる空気が、微かに変わった。
一方的な執着でも、冷徹な支配でもない。互いの欠落を晒し合う、剥き出しの心がそこにはあった。
卒業まで、あと少し。
私たちが「兄妹」でも「他人」でもなく、本当の「夫婦」になるための、長く苦しい夜はまだ続いていた。
______________
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ローデン邸に戻ってからの私は、シモンの言葉通り「完璧な婚約者」として過ごしていた。学園では常に彼の腕の中にあり、夜会では彼の唯一のエスコート相手として、かつて私を嘲笑った令嬢たちの羨望と嫉妬の眼差しを一身に浴びる。
シモンはあれほど激しかった放蕩を完全にやめ、今や私の騎士として、甲斐甲斐しく、そして執拗に私の世話を焼いた。
けれど、私たちの間には、常に冷たい硝子の壁が立ちはだかっていた。
彼が私を優しく抱き寄せるたびに、私の鼻腔にはかつて彼が外から持ち帰った「他の女性の香り」が蘇る。彼が「愛している」と囁くたびに、私を置いて夜の街へ消えていった彼の背中が脳裏をよぎる。
「メルローズ、何をぼんやりしている。……また、あの男のことを考えていたのか?」
学園の図書室。資料を探していた私の腰を、シモンが背後から抱きとめた。かつての荒々しさは潜められているが、その腕には「逃がさない」という強固な意志が宿っている。
「……いいえ。卒業後の、領地の事務引き継ぎのことを考えていただけよ」
「嘘だな。お前の瞳は、俺を見ていてもどこか遠い場所を彷徨っている」
シモンが私の首筋に顔を埋める。そこにはもう、彼が以前つけた噛み傷の跡はほとんど残っていない。
「……シモン、もうやめて。ここは学園よ」
「関係ない。お前は俺の婚約者だと、全生徒が知っている」
その時、図書室の入り口に人影が現れた。ノーマンお兄様だった。
彼は私たちが密着している様子を見て、一瞬だけ表情を歪めたが、すぐに意を決したように近づいてきた。
「……シモン君。少し、話がある。メルローズ抜きで、男同士のな」
シモンは不機嫌そうに目を細めたが、ノーマン兄様のただならぬ気迫に、ゆっくりと私を解放した。
「いいだろう。メルローズ、先に馬車へ戻っていなさい」
私は不安に駆られながらも、二人の姿が見えなくなるまで見送った。
一時間後。馬車へ戻ってきたシモンの様子は、明らかにおかしかった。
顔は土気色に沈み、組んだ指が白くなるほどに震えている。邸へ向かう馬車の中でも、彼は一度も私と目を合わせようとしなかった。
その夜、嵐のような雨が邸を叩いていた。
私は喉の渇きを覚えて一階のラウンジへ向かったが、そこでブランデーのボトルを片手に、暗闇の中で座り込むシモンを見つけた。
「……シモン?」
彼が顔を上げた。その瞳は、いつになく脆く、絶望に濡れていた。
「……メルローズ。お前は、俺が外で何をしていたか、ずっと軽蔑していたんだろう?」
唐突な問いに、私は言葉を詰まらせた。
「……悲しかったわ。貴方が私を愛していると言いながら、他の人を求めているのが」
「求めてなどいない!」
シモンが激しく叫び、ボトルをテーブルに叩きつけた。
「俺が……俺がどれほどの地獄にいたか、お前は知らないんだ! 十四歳の時から、同じ屋根の下にお前がいて、日に日に美しくなっていく。お前の声、お前の匂い……そのすべてが、俺の理性を狂わせる。俺はお前を愛しすぎて、今すぐお前を押し倒して、この手で無茶苦茶にしてしまいたい衝動と、毎日、毎秒、戦っていたんだ!」
シモンがふらふらと立ち上がり、私に歩み寄る。
「お前を汚したくなかった。お前が望まぬままに、俺の欲求で傷つけるのが怖かったんだ! だから……だから、外の女たちでその汚らわしい火を消すしかなかった。……俺にとって、彼女たちはただの冷たい水だ。渇きを癒すための、道具でしかなかったんだよ!」
シモンが私の前に膝をつき、ドレスの裾を握りしめた。
「ノーマンに言われたよ。『君が彼女を守るためにしたことが、彼女の心を一番深く傷つけたんだ』とな。……俺は、馬鹿だった。お前の『心』を守ることを忘れ、自分の『理性』を守ることばかり考えていたんだ」
初めて聞く、シモンの心の叫び。
彼は私を大切に思うあまり、そのやり方を決定的に間違えてしまったのだ。
「シモン……」
「今さら謝っても許されないことは分かっている。お前の中に刻まれた俺の『汚れ』は、一生消えないだろう。……だが、メルローズ。俺はもう、お前以外で自分を癒すことはしない。たとえこの渇きで俺自身が焼き尽くされたとしてもだ」
シモンの告白は、雨音にかき消されそうなほど悲痛だった。
私は彼を見下ろしながら、初めて気づいた。彼が外で女たちを抱いていたのは、私への愛が足りなかったからではなく、愛が大きすぎて溢れ出してしまった結果だったのだと。
けれど、理解することと、許すことは違う。私の心に空いた穴は、まだ塞がってはいない。
「……シモン。貴方が苦しんでいたことは分かったわ。でも、私だって苦しかった。貴方の『初めて』になれなかったことが、何よりも悲しかったのよ」
シモンが驚いたように顔を上げた。その瞬間、私たちの間に流れる空気が、微かに変わった。
一方的な執着でも、冷徹な支配でもない。互いの欠落を晒し合う、剥き出しの心がそこにはあった。
卒業まで、あと少し。
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