義兄妹になったその日、恋は帰る場所を失った

恋せよ恋

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毒蛇の最後、真実の盾

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 結婚式を翌月に控え、ローデン伯爵邸は慌ただしくも華やかな空気に包まれていた。

 純白のシルクに最高級のレース、そしてリンガー領の葡萄を模したアメジストの装飾。私に贈られる婚礼衣装は、シモンの異常なまでのこだわりによって、一針ごとに「愛」という名の執念が縫い込まれているようだった。

「……綺麗だ、メルローズ。だが、これでもまだ足りない。お前の美しさを際立たせるには、王冠の宝石をすべて埋め込んでも足りないくらいだ」

 仮縫いの最中、シモンは跪いて私の裾を整えながら、熱に浮かされたような声で呟く。
 今のシモンに、かつての冷徹な「氷の貴公子」の面影はない。彼は暇さえあれば私の側に侍り、まるでお気に入りの聖遺物を守る敬虔な信徒のように、私の一挙手一投足を熱心に見守っていた。

 しかし、そんな私たちの幸福を苦々しく思う者たちがいた。

「あら、お忙しいところ申し訳ありませんわ。どうしてもシモン様に、お返ししなければならないものがありましたの」

 邸のサロンに、招かれざる客が訪れた。カサンドラ夫人だ。かつてシモンが放蕩の果てに身を寄せていた、あの未亡人である。

 彼女は周囲の視線も構わず、艶然とした笑みを浮かべてシモンの前に立った。その手には、見覚えのある意匠のタイピンが握られている。

「これは……シモン様が私の寝室に忘れていかれたものですわ。大切な『愛の証』でしょう?」
 サロンにいた使用人たちが息を呑む。

 カサンドラ夫人の狙いは明白だった。結婚式を目前に控えた私に、シモンの「汚れ」を突きつけ、その心を挫くこと。そして、あわよくばシモンとの縁を繋ぎ止めようという、毒蛇のような執着だった。

 私は、心臓が痛いほど脈打つのを感じた。
 分かっていたはずだ。彼の過去は消えない。それでも、目の前で具体的な「証拠」を突きつけられると、呼吸が苦しくなる。

 けれど、シモンの反応は私の予想を遥かに超えるものだった。

「……汚れ物に、素手で触れるなと言ったはずだが」
 シモンの声は、氷点下まで凍りついていた。

 彼はカサンドラ夫人が差し出したタイピンを一瞥もせず、まるで道端に落ちている石ころを見るような冷淡な瞳で彼女を見下ろした。

「シモン様……? 何を仰るの。あんなに熱く私を抱きしめていた貴方が……」

「黙れ。不浄な口で俺の名を呼ぶな」
 シモンが一歩踏み出す。その殺気にも似た威圧感に、夫人が後ずさった。

「それは、俺がメルローズを愛しすぎる自分に耐えきれず、自暴自棄になっていた頃の『ゴミ』だ。そんなものを持ち歩いて、恥を知れ」
 シモンは夫人の手からタイピンをひったくると、そのまま近くの暖炉の炎の中へと投げ捨てた。

「あ……っ!」

「カサンドラ夫人。お前たちとの時間は、俺にとってただの苦痛でしかなかった。メルローズへの欲情を紛らわせるために、お前という名の『器』に毒を捨てていただけだ。お前に与えた宝石も金も、すべては俺の理性を保つための代価に過ぎない」

 シモンは夫人の絶望に満ちた顔を見据え、一文字ずつ刻みつけるように宣告した。

「二度と、俺たちの前に現れるな。もし次にメルローズを不快にさせるような真似をすれば、お前の実家ごと、この社交界から抹消してやる。……衛兵! この不審者を外へ叩き出せ!」

 騒然とするサロンから、カサンドラ夫人は引きずり出されるように去っていった。

 静寂が戻った部屋で、シモンは深く、深く、私に向かって頭を下げた。

「……メルローズ。汚らわしいものを見せてしまった。……許してくれとは言わない。だが、信じてほしい。今の俺にとって、この世界にはお前という光と、それ以外の影しかないんだ」
 シモンが私の前に跪き、私の震える手を両手で包み込んだ。

「俺は最低な男だ。お前を傷つけた過去は、どんなに悔やんでも消えない。……だが、だからこそ、これからの人生、一分一秒をかけてお前の心を癒したい。お前が俺を愛してくれた『五歳の時からの想い』に、ようやく、本当の意味で応えたいんだ」
 シモンの瞳から、一筋の涙がこぼれ、私の手に落ちた。

 それは、過去の放蕩への決別であり、彼が初めて自分の弱さを認め、私にすべてを委ねた瞬間だった。

 私は、炎の中で溶けていくタイピンを見つめた。

 彼が他の女を抱いていたという事実は、確かに私の中に傷を残した。けれど、今こうして私の前で震え、泣き、謝罪し続けるこの男の執着こそが、その傷を塞ぐ唯一の薬であることも分かっていた。

「……シモン。もういいの」
 私は彼の頭を優しく抱き寄せた。

「そのタイピンと一緒に、あなたの汚れは全部燃えたわ。……これからは、私のことだけを見て。私を抱きしめるその腕が、もう二度と他の誰にも触れないと、私に毎日、何度でも誓って」

「ああ。……誓う。何度でも、何千回でも。……お前が俺に飽きるまで、いや、死んで土に還るまで、俺はメルローズ、お前だけの犬として生きるよ」
 シモンが私の腰に腕を回し、縋るように顔を埋める。

 かつてのギラつくような暴力的な熱は、今や、どこまでも深く、重く、甘ったるい献身へと変わっていた。

 窓の外、リンガー領から届いた葡萄の苗木が、新しい芽を吹かせている。
 暗い流行病の影も、歪な再婚のわだかまりも、ようやくこの春の光の中に溶け始めていた。
______________

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