その口付けに、愛はありましたか?

恋せよ恋

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この男、許すまじ

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 王宮での「見合い」を経て、パドック侯爵家はハーマニー公爵家からの婚約の申し込みを受諾せざるを得なかった。今日はその顔合わせを兼ねた、二人きりのお茶会である。

 場所はハーマニー公爵邸の庭園。陽光を背に受けて座るパスカルは、相変わらずの麗しい容姿に、胡散臭いほど完璧な「公爵令息然」とした微笑を浮かべ、優雅に紅茶を口に運んでいた。

「こうして正式に君と婚約できて嬉しいよ、エリザベート嬢。これから仲良くやっていこう」
 その清々しいまでの笑顔に、エリザベートは冷ややかな眼差しを向けた。

「仲良く、ですわね。……パスカル様には、すでに多くの『仲良し』なご婦人方がいらっしゃると伺っておりますけれど。私のような地味な女では、すぐに飽きてしまわれるのではありませんか?」

 精一杯の当て擦り。しかし、パスカルは眉一つ動かさず、むしろ愉快そうに声を立てて笑った。

「ははは。十七歳の令嬢にしては、ずいぶんと手厳しいね。確かに僕には浮名があるけれど、それは君と出会うまでの話だよ。これからは君だけを大切にすると誓おう」

(……どの口が、そんなことを!)

 息を吐くように嘘をつくこの男を、どうやって黙らせてやろうか。エリザベートはティーカップを置き、唇の端を吊り上げた。

「まあ、頼もしいことですわ。……では、お探しだった『ジャネット子爵令嬢』とも、すでにお別れになられたのですか?」

 パスカルの手が、ぴたりと止まった。

 先ほどまでの余裕の笑みが消え、彼は怪訝そうに目を細めてエリザベートを見つめる。

「……君。今、なんて言った?」

「お忘れですか?……まさか、あれほど失礼な真似をしておいて、記憶にございませんとは仰いませんわよね?」

 パスカルの顔から色が消え、次いで信じられないものを見るような表情に変わった。

「……まさか、あの時の令嬢が、君だったのか?」

 ようやく繋がった事実に驚愕するパスカル。だが、彼が次に口にしたのは、謝罪ではなく「言い訳」だった。

「いや……驚いたな。あの時は少し酔っていたからね。灯りも暗かったし……正直、君の顔までは細かく覚えていなかったんだよ」

 ――酔っていた。
 ――覚えていなかった。

 その言葉が、エリザベートの怒りに火をつけた。

 自分にとっては、夜も眠れぬほど屈辱的で、大切な初めてを奪われた忘れられない夜だった。それを、この男は「酒のせい」で済ませようとしている。

「……最低ですわ」
 エリザベートの声が、怒りで低く震える。

「酔っていたから許されるとお思いなの? 人違いで他人の唇を奪い、挙句に誰かも覚えていない……。そんな不誠実な方を夫にするなんて、死んでもお断りですわ!」

 立ち上がったエリザベートの瞳には、燃えるような決意が宿っていた。

「パスカル様。この婚約、絶対に破棄して差し上げますから。覚悟なさってくださいませ!」

 パスカルの呼び止める声も聞かず、エリザベートは一度も振り返ることなくその場を後にした。


 エリザベートが怒りに震え、背を向けて去った後。一人取り残されたパスカルは、飲みかけの紅茶を眺め、深く溜息をついた。その足で向かったのは、王宮にある王太子の私室だ。

「……振られたよ、エドワード。それも、完膚なきまでにね」
 ソファに深く身を沈めたパスカルのボヤきに、王太子エドワードは楽しげに喉を鳴らした。

「ほう。あのパスカルが、十七歳の令嬢に婚約破棄を突きつけられたか。それで、原因は何だ?」

「……あの夜のことだよ」
 パスカルは苦々しく、ことの顛末を白状した。ジャネット子爵令嬢を待っていた休憩室に、迷い込んできた銀髪の令嬢。暗がりの中、彼女をジャネットだと思い込み、強引に口付けたこと。それが他ならぬエリザベートだったこと。

「信じられるかい? あんな風に僕を拒絶した女は初めてだが、まさかそれが、僕が王家まで動かして手に入れた婚約者だったなんて。……縁があるってことだろうね、これは」

 パスカルは自嘲気味に笑い、天を仰いだ。

「だけど、最悪なことに『酔っていて覚えていない』なんて、口が滑ってしまったんだ。彼女のあの、怒りに燃える紫の瞳……。あれはあれで、まっすぐで可愛いんだよ。それだけに、初めての彼女の口付けを覚えてないなんてな。……自分でも残念で仕方ないよ」

 パスカルの言葉に、エドワードは呆れたように首を振った。

「自業自得だな。だがパスカル、彼女は本気のようだぞ。パドック侯爵家が動けば、この婚約は本当に白紙になりかねない」

「させるものか。あんな面白い令嬢、二度と現れないよ」
 パスカルの瞳に、先ほどまでの軽薄な光ではなく、執着に近い鋭い色が宿る。

 嫌われたのなら、惚れ直させるまで。色恋ごとには百戦錬磨、手段を選ばぬ「仕事中毒の側近」は、すでに次の一手を考え始めていた。
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