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意に沿わぬ婚約の成立
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学園の専用サロンでランチタイムを共にするエリザベート、ステファニー、そしてクリスチャン殿下の間には、どこか重苦しい空気が漂っていた。
「それで、結局のところ……パスカル様とは婚約成立ということになったのね」
ステファニーの言葉には、親友を慮る深い同情が滲んでいた。エリザベートは力なく頷き、銀のフォークを置く。
「ええ。さすがに王家の推薦……いえ、半ば『王命』に近いあのお招きを断る勇気は、パドック侯爵家にはないわ。それに、追い打ちをかけるようにハーマニー公爵ご夫妻からの強い要望もあったの。今の我が家に、あれを撥ね除ける術はないわよ」
快活で凛としているはずのエリザベートが、珍しく疲弊した表情を隠せずにいた。それほどまでに、外堀を埋められる圧力が異常だったのだ。
婚約者であるステファニーの隣で、クリスチャン殿下が申し訳なさそうに苦笑を浮かべる。
「すまないね、エリザベート嬢。僕からも謝らせてほしい。エドワード兄上に悪気はないんだよ。あれでいて、本心からパスカルの無茶な生活を心配しているんだ。信頼する右腕に、君のような素晴らしい伴侶を得させて、落ち着かせたい……。兄上なりの、権力を行使した王太子らしい親心のようなものなんだろうけれどね」
「ええ……。王太子殿下のご配慮も、ハーマニー公爵ご夫妻の親心も、頭では理解しておりますわ。皆様、善意で動いていらっしゃるのでしょう」
そこまで言って、エリザベートの紫の瞳に、冷たく鋭い火が灯った。
「ただ……私が、あの方を、どうしても許せないだけですわ」
その言葉は低く、けれど確かな拒絶を孕んで響いた。
事情を知るステファニーと、その端々を察しているクリスチャンは、思わず顔を見合わせた。
「……無理もないわ。エリザベート、あなたの誇りを傷つけるような真似をした男だもの」
ステファニーがそっと手を重ねる。二人の沈痛で気の毒そうな表情を受けながらも、エリザベートの決意が揺らぐことはなかった。
善意という名の権力の行使で結ばれたこの縁。だが、エリザベートの心までは縛れはしない。
( 皆様が私を『手綱』に選んだのなら、見せて差し上げますわ。手綱は、時に乗り手を振り落とし、御しきれぬほど強く締め上げることもあるのだということを……)
学園の回廊を歩いていたエリザベートは、ふと耳に飛び込んできた名前に足を止めた。
「……えっ、嘘でしょ。学園の生徒だったの!?」
衝撃に、思わず声が漏れる。あの夜、パスカルが探していた「ジャネット子爵令嬢」が、よもや自分たちと同じ学園に通う学生だったとは。
( 学生と休憩室で、あんな……。気持ち悪い。無理だわ、本当に最悪!)
湧き上がる嫌悪感を抑え、エリザベートはその足でステファニーの元へ向かった。
「ステファニー、『ジャネット子爵令嬢』という名に心当たりはあるかしら?」
「いいえ。子爵令嬢なの? 家名は?」
「ううん、そこまでは分からないのだけれど……」
「そう。でも、どうしたの急に。知り合い……ではないのでしょう?」
「いいえ。ただ――パスカル様に関連する女性よ」
その一言で、ステファニーの瞳に鋭い光が宿った。
「……ああ、なるほど。分かったわ、ガーランド公爵家の情報網を使って調べてみる。明日まで待ってて」
翌日、届けられた報告は驚くほど迅速だった。
「ジャネット・シルリー。シルリー子爵家の三女よ。特にさしたる産業もない、領地を持たない王宮役人の家系だわ」
「そう。私たちが名前を知らなくても無理はないわね」
「それとね、エリザベート。彼女、私たちより一つ下の二年生よ」
「えっ!? 年下なの!?」
エリザベートの驚愕ぶりに、ステファニーが不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの、そんなに驚いて。……よほど大人びた、魅力的な令嬢なの?」
「いいえ、お会いしたことはないわ。ただ……あの男が『あの夜』、休憩室で待ち合わせていた相手なのよ」
「なんですって!? 彼女があの時の……!」
その足で、二人は遠巻きにジャネット子爵令嬢の姿を確認した。
「普通ね」
「ええ……本当に、普通だわ」
そこにいたのは、艶やかな茶色の髪に、穏やかな茶色の瞳をした、十七歳の見た目通りの少女だった。派手な噂のあるパスカルの相手にしては、あまりに毒気がない。
「本当に、彼女があの男と……?」
「ええ、あの日パスカル様が呼んでいたのは、確かに彼女の名前だったわ」
「人は見かけによらない、ということかしら。……怖いわね」
「でも、本人に確かめるまでは確定ではないわよ」
「えっ! まさか、本人に声をかける気?」
ステファニーの驚きに、エリザベートは大きく頷いた。
「ええ。聞かなければ、真実は分からないもの」
「……ふふ、そうね。いかにもエリザベートらしいわ」
親友の呆れ混じりの賞賛を受けながら、エリザベートは遠くで笑う少女を見つめ続けた。
この平凡な令嬢の口から、パスカルの不誠実さを決定づける言葉を引き出してやる。その決意を胸に、二人はその場を後にした。
__________
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「それで、結局のところ……パスカル様とは婚約成立ということになったのね」
ステファニーの言葉には、親友を慮る深い同情が滲んでいた。エリザベートは力なく頷き、銀のフォークを置く。
「ええ。さすがに王家の推薦……いえ、半ば『王命』に近いあのお招きを断る勇気は、パドック侯爵家にはないわ。それに、追い打ちをかけるようにハーマニー公爵ご夫妻からの強い要望もあったの。今の我が家に、あれを撥ね除ける術はないわよ」
快活で凛としているはずのエリザベートが、珍しく疲弊した表情を隠せずにいた。それほどまでに、外堀を埋められる圧力が異常だったのだ。
婚約者であるステファニーの隣で、クリスチャン殿下が申し訳なさそうに苦笑を浮かべる。
「すまないね、エリザベート嬢。僕からも謝らせてほしい。エドワード兄上に悪気はないんだよ。あれでいて、本心からパスカルの無茶な生活を心配しているんだ。信頼する右腕に、君のような素晴らしい伴侶を得させて、落ち着かせたい……。兄上なりの、権力を行使した王太子らしい親心のようなものなんだろうけれどね」
「ええ……。王太子殿下のご配慮も、ハーマニー公爵ご夫妻の親心も、頭では理解しておりますわ。皆様、善意で動いていらっしゃるのでしょう」
そこまで言って、エリザベートの紫の瞳に、冷たく鋭い火が灯った。
「ただ……私が、あの方を、どうしても許せないだけですわ」
その言葉は低く、けれど確かな拒絶を孕んで響いた。
事情を知るステファニーと、その端々を察しているクリスチャンは、思わず顔を見合わせた。
「……無理もないわ。エリザベート、あなたの誇りを傷つけるような真似をした男だもの」
ステファニーがそっと手を重ねる。二人の沈痛で気の毒そうな表情を受けながらも、エリザベートの決意が揺らぐことはなかった。
善意という名の権力の行使で結ばれたこの縁。だが、エリザベートの心までは縛れはしない。
( 皆様が私を『手綱』に選んだのなら、見せて差し上げますわ。手綱は、時に乗り手を振り落とし、御しきれぬほど強く締め上げることもあるのだということを……)
学園の回廊を歩いていたエリザベートは、ふと耳に飛び込んできた名前に足を止めた。
「……えっ、嘘でしょ。学園の生徒だったの!?」
衝撃に、思わず声が漏れる。あの夜、パスカルが探していた「ジャネット子爵令嬢」が、よもや自分たちと同じ学園に通う学生だったとは。
( 学生と休憩室で、あんな……。気持ち悪い。無理だわ、本当に最悪!)
湧き上がる嫌悪感を抑え、エリザベートはその足でステファニーの元へ向かった。
「ステファニー、『ジャネット子爵令嬢』という名に心当たりはあるかしら?」
「いいえ。子爵令嬢なの? 家名は?」
「ううん、そこまでは分からないのだけれど……」
「そう。でも、どうしたの急に。知り合い……ではないのでしょう?」
「いいえ。ただ――パスカル様に関連する女性よ」
その一言で、ステファニーの瞳に鋭い光が宿った。
「……ああ、なるほど。分かったわ、ガーランド公爵家の情報網を使って調べてみる。明日まで待ってて」
翌日、届けられた報告は驚くほど迅速だった。
「ジャネット・シルリー。シルリー子爵家の三女よ。特にさしたる産業もない、領地を持たない王宮役人の家系だわ」
「そう。私たちが名前を知らなくても無理はないわね」
「それとね、エリザベート。彼女、私たちより一つ下の二年生よ」
「えっ!? 年下なの!?」
エリザベートの驚愕ぶりに、ステファニーが不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの、そんなに驚いて。……よほど大人びた、魅力的な令嬢なの?」
「いいえ、お会いしたことはないわ。ただ……あの男が『あの夜』、休憩室で待ち合わせていた相手なのよ」
「なんですって!? 彼女があの時の……!」
その足で、二人は遠巻きにジャネット子爵令嬢の姿を確認した。
「普通ね」
「ええ……本当に、普通だわ」
そこにいたのは、艶やかな茶色の髪に、穏やかな茶色の瞳をした、十七歳の見た目通りの少女だった。派手な噂のあるパスカルの相手にしては、あまりに毒気がない。
「本当に、彼女があの男と……?」
「ええ、あの日パスカル様が呼んでいたのは、確かに彼女の名前だったわ」
「人は見かけによらない、ということかしら。……怖いわね」
「でも、本人に確かめるまでは確定ではないわよ」
「えっ! まさか、本人に声をかける気?」
ステファニーの驚きに、エリザベートは大きく頷いた。
「ええ。聞かなければ、真実は分からないもの」
「……ふふ、そうね。いかにもエリザベートらしいわ」
親友の呆れ混じりの賞賛を受けながら、エリザベートは遠くで笑う少女を見つめ続けた。
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