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騎士の豹変
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「リリア、エレナ様がお通りになる。退いてくれ」
放課後の廊下。カイルの声は、かつて私を愛称で呼んでいた時とは似ても似つかない、刺々しく冷淡なものに変わっていた。
彼の腕には、エレナ様の高価な絹のショールが恭しく捧げられている。その姿は騎士というより、主人に媚びを売る下僕のようだった。
「……カイル様。今日こそは、お話しさせてください。貴方の実家から、再三の手紙が届いています。学業を疎かにしてエレナ様に付き従っていることを、ご両親が酷く心配されて……」
「黙れ! 父上たちは古いんだ。侯爵令嬢の侍従を務めることが、どれほどの誉れか分かっていない。それに、僕はエレナ様から直接、高度な帝王学や処世術を学んでいるんだ。教科書の文字を追うだけの授業など、今の僕には必要ない」
カイルは臆面もなく言い放った。実際には、エレナ様の買い物に付き合い、彼女の気まぐれな愚痴を聞き、望まれるままに甘い言葉を囁いているだけだというのに。
「あら、リリア。まだそんな野暮なことを言っているの?」
カイルの背後から、エレナ様が楽しげに顔を出した。彼女はわざとらしく、カイルの逞しい腕に自分の細い腕を絡める。
「カイルはね、私の大切な『守護騎士』なのよ。ねえ、カイル。この子が持っているその古臭い本、なんだか目障りじゃない?」
エレナ様が指差したのは、私が抱えていたカイルの家の紋章学の資料だった。彼の将来のために、私が夜を徹してまとめ直したものだ。
「……そうですね。エレナ様の視界に、そんな小汚い紙屑を入れるわけにはいきません」
カイルは私の手から、強引に資料を奪い取った。
「あ……っ、返して!」
「君も、こんな無駄なことに時間を使わずに、もっと自分を磨いたらどうだ? エレナ様の爪の垢でも煎じて飲めば、少しは可愛げが出るかもしれないが」
カイルは嘲笑いながら、窓の外へとその資料を放り捨てた。パラパラと中庭に散っていく紙片。私の努力と、彼への想いが、泥だらけの地面に叩きつけられた瞬間だった。
「ふふ、いいわよカイル。とっても勇敢だわ」
エレナ様はカイルの頬を撫で、私に向けて勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ねえ、リリア。今夜、学生寮で小さな茶会を開くの。あなたも来ない? カイルがどれほど『私に』尽くしてくれているか、特等席で見せてあげるわ」
それは招待ではなく、公開処刑の宣告だった。
カイルは「それは名案です!」と相好を崩し、私を蔑むような目で一瞥して去っていった。
その夜。私は断ることもできず、エレナ様の豪華なサロンへと足を運んだ。
そこには、エレナ様の取り巻きたちと、そしてやはり、壁際で静かにシャンパングラスを傾けるアルベルト様の姿があった。
「さあ、カイル。皆に披露してちょうだい」
エレナ様がソファに深く腰掛け、足を組み替える。
するとカイルは、衆人環視の中で膝をつき、彼女の靴に恭しく口づけをした。
「我が至高の薔薇、エレナ様。貴女の歩む道に、私は一生の忠誠を誓います。……かつての退屈な婚約の誓いなど、今の私には塵も同然です」
周囲から「おぉ……」という感嘆と、忍び笑いが漏れる。
カイルは、自分の婚約者がすぐそばで見ていることを知りながら、あえて私を「退屈な誓い」と呼び、踏みにじったのだ。
「あら、嬉しい。じゃあ、その証として……リリアに、あなたが私を選んだことをはっきり伝えてあげて?」
エレナ様の残酷な提案に、カイルは迷いなく立ち上がった。
彼は私の方へ歩み寄ると、氷のように冷たい声で言い放った。
「リリア・プレストン。君との婚約は、近いうちに正式に解消させてもらう。僕は、もっと高い場所へ行く男だ。君のような、何の華もない女に縛られている暇はないんだよ」
会場が静まり返る。
私は震える唇を噛み締め、カイルの目を見た。そこには、かつて私を「守る」と言った少年の光は、一欠片も残っていなかった。
「……分かりました、カイル様。貴方の望み通りに」
私は精一杯の虚勢を張り、背筋を伸ばした。涙を流して彼を追いすがることなど、絶対にしない。そんなことをすれば、エレナ様をさらに喜ばせるだけだと分かっていたから。
その時、壁際にいたアルベルト様と一瞬、視線が交差した。
彼は相変わらず無表情だったが、その瞳の奥に、以前よりも鋭い「狩人」のような光が宿っているのを、私は見逃さなかった。
エレナ様は、カイルを顎で使いながら私を嘲り続けている。だが、彼女は気づいていない。アルベルト様の手元にあるグラスが、今にも砕け散りそうなほど強く握られていることに。
そして、カイルが「婿入りできる」と信じて疑わないその椅子が、最初から用意などされていない、ただの蜃気楼であることに。
私は静かにサロンを後にした。背後で聞こえるカイルの卑屈な笑い声を、冷めた心で聞き流しながら。
(……ああ。これで、心置きなく捨てられるわ。さよなら、私の初恋)
夜風は冷たかったが、私の心は不思議と、これまでにないほど澄み渡っていた。
______________
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放課後の廊下。カイルの声は、かつて私を愛称で呼んでいた時とは似ても似つかない、刺々しく冷淡なものに変わっていた。
彼の腕には、エレナ様の高価な絹のショールが恭しく捧げられている。その姿は騎士というより、主人に媚びを売る下僕のようだった。
「……カイル様。今日こそは、お話しさせてください。貴方の実家から、再三の手紙が届いています。学業を疎かにしてエレナ様に付き従っていることを、ご両親が酷く心配されて……」
「黙れ! 父上たちは古いんだ。侯爵令嬢の侍従を務めることが、どれほどの誉れか分かっていない。それに、僕はエレナ様から直接、高度な帝王学や処世術を学んでいるんだ。教科書の文字を追うだけの授業など、今の僕には必要ない」
カイルは臆面もなく言い放った。実際には、エレナ様の買い物に付き合い、彼女の気まぐれな愚痴を聞き、望まれるままに甘い言葉を囁いているだけだというのに。
「あら、リリア。まだそんな野暮なことを言っているの?」
カイルの背後から、エレナ様が楽しげに顔を出した。彼女はわざとらしく、カイルの逞しい腕に自分の細い腕を絡める。
「カイルはね、私の大切な『守護騎士』なのよ。ねえ、カイル。この子が持っているその古臭い本、なんだか目障りじゃない?」
エレナ様が指差したのは、私が抱えていたカイルの家の紋章学の資料だった。彼の将来のために、私が夜を徹してまとめ直したものだ。
「……そうですね。エレナ様の視界に、そんな小汚い紙屑を入れるわけにはいきません」
カイルは私の手から、強引に資料を奪い取った。
「あ……っ、返して!」
「君も、こんな無駄なことに時間を使わずに、もっと自分を磨いたらどうだ? エレナ様の爪の垢でも煎じて飲めば、少しは可愛げが出るかもしれないが」
カイルは嘲笑いながら、窓の外へとその資料を放り捨てた。パラパラと中庭に散っていく紙片。私の努力と、彼への想いが、泥だらけの地面に叩きつけられた瞬間だった。
「ふふ、いいわよカイル。とっても勇敢だわ」
エレナ様はカイルの頬を撫で、私に向けて勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ねえ、リリア。今夜、学生寮で小さな茶会を開くの。あなたも来ない? カイルがどれほど『私に』尽くしてくれているか、特等席で見せてあげるわ」
それは招待ではなく、公開処刑の宣告だった。
カイルは「それは名案です!」と相好を崩し、私を蔑むような目で一瞥して去っていった。
その夜。私は断ることもできず、エレナ様の豪華なサロンへと足を運んだ。
そこには、エレナ様の取り巻きたちと、そしてやはり、壁際で静かにシャンパングラスを傾けるアルベルト様の姿があった。
「さあ、カイル。皆に披露してちょうだい」
エレナ様がソファに深く腰掛け、足を組み替える。
するとカイルは、衆人環視の中で膝をつき、彼女の靴に恭しく口づけをした。
「我が至高の薔薇、エレナ様。貴女の歩む道に、私は一生の忠誠を誓います。……かつての退屈な婚約の誓いなど、今の私には塵も同然です」
周囲から「おぉ……」という感嘆と、忍び笑いが漏れる。
カイルは、自分の婚約者がすぐそばで見ていることを知りながら、あえて私を「退屈な誓い」と呼び、踏みにじったのだ。
「あら、嬉しい。じゃあ、その証として……リリアに、あなたが私を選んだことをはっきり伝えてあげて?」
エレナ様の残酷な提案に、カイルは迷いなく立ち上がった。
彼は私の方へ歩み寄ると、氷のように冷たい声で言い放った。
「リリア・プレストン。君との婚約は、近いうちに正式に解消させてもらう。僕は、もっと高い場所へ行く男だ。君のような、何の華もない女に縛られている暇はないんだよ」
会場が静まり返る。
私は震える唇を噛み締め、カイルの目を見た。そこには、かつて私を「守る」と言った少年の光は、一欠片も残っていなかった。
「……分かりました、カイル様。貴方の望み通りに」
私は精一杯の虚勢を張り、背筋を伸ばした。涙を流して彼を追いすがることなど、絶対にしない。そんなことをすれば、エレナ様をさらに喜ばせるだけだと分かっていたから。
その時、壁際にいたアルベルト様と一瞬、視線が交差した。
彼は相変わらず無表情だったが、その瞳の奥に、以前よりも鋭い「狩人」のような光が宿っているのを、私は見逃さなかった。
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そして、カイルが「婿入りできる」と信じて疑わないその椅子が、最初から用意などされていない、ただの蜃気楼であることに。
私は静かにサロンを後にした。背後で聞こえるカイルの卑屈な笑い声を、冷めた心で聞き流しながら。
(……ああ。これで、心置きなく捨てられるわ。さよなら、私の初恋)
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