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沈黙を貫く伯爵令息
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カイルとの婚約解消を突きつけられた翌日。学院の廊下を歩く私の耳には、昨日以上の騒がしい噂話が届いていた。
「聞いた? 昨日のお茶会。カイル様、エレナ様の靴にキスをしたんですって」
「まあ、はしたない。侍従というより、もはや寵奴ね」
「リリア様が可哀想。あんなに尽くしていらしたのに、公衆の面前で『退屈な女』だなんて……」
同情の視線が突き刺さる。けれど、私は不思議と傷ついていなかった。一度死んだ心は、かえって冷静さを取り戻していた。
中庭を通りかかると、大声で笑うカイルの声が響いた。彼はエレナ様の取り巻きたちに囲まれ、まるで自分がこの学院の王にでもなったかのように振舞っている。
「……ははは! ですから、私がアルヴィス侯爵家を継いだ暁には、皆さんの領地の税率も見直しましょう。エレナ様は慈悲深いお方ですからね」
私は耳を疑った。カイルはまだ、エレナ様の「ただの侍従 兼 護衛」に過ぎない。しかも彼女には、アルベルト様という正式な婚約者がいるのだ。
それなのに、彼は本気で自分が侯爵家に婿入りし、次期侯爵として君臨できると思い込んでいるらしい。
「カイル様、またそんな大口を……。アルベルト様が聞いたら、どうされるおつもり?」
取り巻きの一人が、面白がるように、あるいは呆れたように尋ねる。カイルは鼻で笑った。
「アルベルト? あんな陰気で冷淡な男、エレナ様が愛するはずがない。彼はただの政略的なお飾りだ。彼女の心も、未来の椅子も、すでに僕が手に入れているのさ」
その言葉が響いた瞬間、周囲の空気が凍りついた。
カイルの背後、数歩の距離に、アルベルト・ローゼンバーグ本人が立っていたからだ。
「……アルベルト様」
誰かが呟いた声で、カイルがようやく振り返る。カイルの顔が一瞬引き攣ったが、彼はすぐに傲慢な態度を取り直した。エレナ様という「後ろ盾」があるという万能感が、彼から最低限の礼節すら奪っていた。
「やあ、アルベルト様。奇遇ですね。ちょうど貴方の話をしていたところだ。……エレナ様の婚約者の座、いつまでしがみついているつもりですか? 彼女の隣に相応しいのは、貴方のような石像ではなく、情熱的な私だ」
カイルの不敬極まりない発言に、周囲の生徒たちは顔を青くした。
だが、アルベルト様は激昂するどころか、眉ひとつ動かさなかった。彼はただ、深淵のような瞳でカイルを見つめ、静かに口を開いた。
「……彼女の不貞は、今に始まったことではない」
その声は驚くほど平坦で、どこか諦念に似た響きがあった。
「え……?」
カイルが拍子抜けしたような声を出す。
「彼女は昔からそうだ。美しいものを集め、他人が大切にしているものを奪い、飽きれば捨てる。……カイル・プレストン。君は、自分が彼女の特別な存在だと本気で信じているのか?」
「何を……! 貴方の嫉妬は見苦しいですよ、アルベルト様! エレナ様は僕に『貴方だけが本当の理解者だ』と仰ってくださったんだ!」
カイルが顔を真っ赤にして叫ぶ。
アルベルト様は小さくため息をつき、視線をカイルから、少し離れた場所にいた私へと移した。
「……プレストン令嬢。君も聞いたな? 彼は自ら、その身を崖っぷちに追い込んでいる」
「はい、アルベルト様」
私は一歩前に出て、カイルにではなく、アルベルト様に深く頭を下げた。
「カイル・プレストン様。貴方との婚約は、本日を以て正式に解消させていただきます。実家へはすでに早馬で手紙を出しました。……もう、貴方の不敬な言動に巻き込まれるのは御免です」
「リリア! 君に何ができるというんだ! 僕は侯爵家に入る男だぞ、君のような没落寸前の家の女なんて……」
カイルの罵倒を無視し、私はアルベルト様を見た。
アルベルト様は、わずかに口角を上げた。それは嘲笑ではなく、何か「計画通り」に進んでいることを確信した男の笑みだった。
「静観するのも退屈になってきたところだ。……リリア嬢、少し話をしよう。エレナの『不貞』の証拠は、すでに十分揃っている」
アルベルト様は私の隣に並ぶと、まるで守るようにエスコートの手を差し出した。
カイルが「待て! 誰の許しを得てリリアに触れている!」と叫んだが、アルベルト様は一瞥もくれずに言い放つ。
「君には関係のないことだ、カイル。……今の君に、彼女を繋ぎ止める資格も、名前を呼ぶ権利もない」
私たちは、呆然と立ち尽くすカイルを残してその場を去った。
「アルベルト様、よろしいのですか? 婚約者の不貞を、あのように公衆の面前で認められて……」
歩きながら尋ねると、彼は前を見据えたまま静かに答えた。
「もともと政略だ。彼女が誰と遊ぼうが、私の心は一度も揺れたことはない。……だが、私の名前を利用して君を傷つけ、侯爵家の権威を汚す不快な害虫を放置しておく理由はなくなった」
彼の声には、静かな怒りと、それ以上に冷徹な意思が宿っていた。
アルベルト様は、カイルやエレナ様が想像しているような、ただの「お飾り」ではなかった。彼は、虎が獲物を仕留めるその瞬間を、ずっと沈黙の中で待っていたのだ。
「リリア嬢。君は、あんな男のために涙を流す必要はない。……これからは、君自身の価値を正しく評価する者のそばにいればいい」
その言葉が、凍りついていた私の心にじんわりと染み込んでいく。
一方、背後の遠くでは、カイルがまだ「僕は次期侯爵だ!」と虚しい叫びを上げているのが聞こえた。
破滅の足音がすぐそこまで迫っていることも知らずに。
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同情の視線が突き刺さる。けれど、私は不思議と傷ついていなかった。一度死んだ心は、かえって冷静さを取り戻していた。
中庭を通りかかると、大声で笑うカイルの声が響いた。彼はエレナ様の取り巻きたちに囲まれ、まるで自分がこの学院の王にでもなったかのように振舞っている。
「……ははは! ですから、私がアルヴィス侯爵家を継いだ暁には、皆さんの領地の税率も見直しましょう。エレナ様は慈悲深いお方ですからね」
私は耳を疑った。カイルはまだ、エレナ様の「ただの侍従 兼 護衛」に過ぎない。しかも彼女には、アルベルト様という正式な婚約者がいるのだ。
それなのに、彼は本気で自分が侯爵家に婿入りし、次期侯爵として君臨できると思い込んでいるらしい。
「カイル様、またそんな大口を……。アルベルト様が聞いたら、どうされるおつもり?」
取り巻きの一人が、面白がるように、あるいは呆れたように尋ねる。カイルは鼻で笑った。
「アルベルト? あんな陰気で冷淡な男、エレナ様が愛するはずがない。彼はただの政略的なお飾りだ。彼女の心も、未来の椅子も、すでに僕が手に入れているのさ」
その言葉が響いた瞬間、周囲の空気が凍りついた。
カイルの背後、数歩の距離に、アルベルト・ローゼンバーグ本人が立っていたからだ。
「……アルベルト様」
誰かが呟いた声で、カイルがようやく振り返る。カイルの顔が一瞬引き攣ったが、彼はすぐに傲慢な態度を取り直した。エレナ様という「後ろ盾」があるという万能感が、彼から最低限の礼節すら奪っていた。
「やあ、アルベルト様。奇遇ですね。ちょうど貴方の話をしていたところだ。……エレナ様の婚約者の座、いつまでしがみついているつもりですか? 彼女の隣に相応しいのは、貴方のような石像ではなく、情熱的な私だ」
カイルの不敬極まりない発言に、周囲の生徒たちは顔を青くした。
だが、アルベルト様は激昂するどころか、眉ひとつ動かさなかった。彼はただ、深淵のような瞳でカイルを見つめ、静かに口を開いた。
「……彼女の不貞は、今に始まったことではない」
その声は驚くほど平坦で、どこか諦念に似た響きがあった。
「え……?」
カイルが拍子抜けしたような声を出す。
「彼女は昔からそうだ。美しいものを集め、他人が大切にしているものを奪い、飽きれば捨てる。……カイル・プレストン。君は、自分が彼女の特別な存在だと本気で信じているのか?」
「何を……! 貴方の嫉妬は見苦しいですよ、アルベルト様! エレナ様は僕に『貴方だけが本当の理解者だ』と仰ってくださったんだ!」
カイルが顔を真っ赤にして叫ぶ。
アルベルト様は小さくため息をつき、視線をカイルから、少し離れた場所にいた私へと移した。
「……プレストン令嬢。君も聞いたな? 彼は自ら、その身を崖っぷちに追い込んでいる」
「はい、アルベルト様」
私は一歩前に出て、カイルにではなく、アルベルト様に深く頭を下げた。
「カイル・プレストン様。貴方との婚約は、本日を以て正式に解消させていただきます。実家へはすでに早馬で手紙を出しました。……もう、貴方の不敬な言動に巻き込まれるのは御免です」
「リリア! 君に何ができるというんだ! 僕は侯爵家に入る男だぞ、君のような没落寸前の家の女なんて……」
カイルの罵倒を無視し、私はアルベルト様を見た。
アルベルト様は、わずかに口角を上げた。それは嘲笑ではなく、何か「計画通り」に進んでいることを確信した男の笑みだった。
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アルベルト様は私の隣に並ぶと、まるで守るようにエスコートの手を差し出した。
カイルが「待て! 誰の許しを得てリリアに触れている!」と叫んだが、アルベルト様は一瞥もくれずに言い放つ。
「君には関係のないことだ、カイル。……今の君に、彼女を繋ぎ止める資格も、名前を呼ぶ権利もない」
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「アルベルト様、よろしいのですか? 婚約者の不貞を、あのように公衆の面前で認められて……」
歩きながら尋ねると、彼は前を見据えたまま静かに答えた。
「もともと政略だ。彼女が誰と遊ぼうが、私の心は一度も揺れたことはない。……だが、私の名前を利用して君を傷つけ、侯爵家の権威を汚す不快な害虫を放置しておく理由はなくなった」
彼の声には、静かな怒りと、それ以上に冷徹な意思が宿っていた。
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