5 / 11
勘違いの絶頂
しおりを挟む
「リリア、まだそんなところにいたのか。もう君の居場所なんて、この学院のどこにもないというのに」
婚約破棄を宣言してから数日後。学生寮の共有ロビーで、カイルはこれ見よがしに豪華な金細工のブローチを胸に飾り、私を見下ろした。
それはアルヴィス侯爵家の紋章が入った、本来なら一族の者か、それに準ずる功績を上げた者にしか許されない品だった。
「そのブローチ……。カイル様、それはエレナ様から頂いたものなのですか?」
「ああ、そうだ。昨夜、エレナ様の私室でね。『あなたの胸にこそ、これが相応しいわ』と、彼女自身の手で付けてくださったんだよ」
カイルは陶酔しきった表情で、ブローチを撫でる。
侍従が主人の女子寮の私室に入ること自体、もはや公序良俗に反する。ましてや、婚約者でもない男に家紋入りの装飾品を与えるなど、本来なら廃嫡騒動に発展しかねない醜聞だ。だが、カイルにはそれが「寵愛の証」であり、「次期侯爵への内定」にしか見えていない。
「……身の程を弁えてください、カイル様。それは貴方が身につけて良いものではありません。アルベルト様や、侯爵閣下が黙っていらっしゃるとは思えませんわ」
「ふん、負け惜しみを。アルベルトはもう終わりだ。エレナ様は近々、彼との婚約を解消し、僕を正式な婚約者として発表すると仰ってくださった。僕はプレストン家を捨て、アルヴィス侯爵家を継ぐ。君のような下級貴族の娘とは、住む世界が変わるんだよ」
カイルの声は大きく、周囲にいた生徒たちがざわめき出した。
カイルは増長しきっていた。エレナが囁く「あなたは私の特別」「あんな冷血な婚約者なんていらない」という甘い毒を、一滴残らず飲み干してしまったのだ。
その時、ロビーの入り口に優雅な人影が現れた。エレナ様だ。カイルは犬のように尻尾を振って駆け寄る。
「エレナ様! 今、リリアに話していたところです。僕たちの輝かしい未来について……」
「あら、カイル。気が早いのね。でも、そういう情熱的なところ、嫌いじゃないわ」
エレナ様はカイルの頬を撫でながら、私に向けて冷笑を投げかけた。
「ねえ、リリア。私、決めたの。今週末の夜会で、大きな『発表』をすることにしたわ。カイル、あなたも最高の礼装でいらっしゃいね?」
「はい! もちろんです、エレナ様!」
カイルは歓喜に震えていた。その発表が、自分との婚約発表だと信じて疑っていないのだ。
だが、エレナ様の瞳の奥にあるのは、深い愛情などではなく、獲物を罠に嵌めた狩人の、残酷で退屈そうな光だった。
私は、彼女の視線がロビーの二階、手すりに手を置いている人物へと向けられたのを見た。そこには、アルベルト様が立っていた。
彼は無表情に、階下の狂言を見下ろしている。
エレナ様はわざとらしく、カイルの首筋に指を這わせ、アルベルト様を挑発するように微笑んだ。
「……愚かな。これ以上ないほどに」
アルベルト様の呟きが、喧騒の中で私にだけ聞こえた気がした。
彼は静かに二階の奥へと消えていったが、その背中には、冷徹な執行官のような威厳が漂っていた。
その日の午後、私はアルベルト様に呼び出された。人気のない図書室の奥。彼は数通の手紙と、分厚い書類の束を机に置いていた。
「プレストン令嬢。君の元婚約者は、自分の墓穴を掘り終えたようだ」
「……発表というのは、やはり嘘なのですか?」
「半分は本当だ。だが、彼が期待しているような内容ではない。……私の父、ローゼンバーグ伯爵は、すでに侯爵閣下と面会している。エレナの度重なる不貞、そして家紋の私的利用。これらはすべて、侯爵家にとって致命的な汚点だ」
アルベルト様の手元にあるのは、エレナ様がこれまでに「おもちゃ」にしてきた男たちのリスト。そして、カイルが侯爵家の名前を騙って、外部の商人や貴族たちに不遜な振る舞いをした証拠の数々だった。
「侯爵閣下は、エレナを見捨てた。彼女の気まぐれが、家の存続を危うくすると判断されたのだ」
「では、次の夜会で……」
「ああ。地獄の幕が上がるだろう。……リリア嬢、君にはその『特等席』を用意してある。あのような男に、君の人生を汚されたまま終わらせるわけにはいかないからな」
アルベルト様は、私の手を取り、その甲に静かに唇を落とした。
それはカイルが見せたような卑屈な忠誠ではなく、一人の女性に対する、誠実で重みのある誓いのようだった。
カイルはまだ知らない。自分が纏っている侯爵家のブローチが、自分を縛り首にするための鎖に変わろうとしていることを。
そして、彼が捨てた私が、自分など到底届かないほどの高い場所へ引き上げられようとしていることを。
______________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
婚約破棄を宣言してから数日後。学生寮の共有ロビーで、カイルはこれ見よがしに豪華な金細工のブローチを胸に飾り、私を見下ろした。
それはアルヴィス侯爵家の紋章が入った、本来なら一族の者か、それに準ずる功績を上げた者にしか許されない品だった。
「そのブローチ……。カイル様、それはエレナ様から頂いたものなのですか?」
「ああ、そうだ。昨夜、エレナ様の私室でね。『あなたの胸にこそ、これが相応しいわ』と、彼女自身の手で付けてくださったんだよ」
カイルは陶酔しきった表情で、ブローチを撫でる。
侍従が主人の女子寮の私室に入ること自体、もはや公序良俗に反する。ましてや、婚約者でもない男に家紋入りの装飾品を与えるなど、本来なら廃嫡騒動に発展しかねない醜聞だ。だが、カイルにはそれが「寵愛の証」であり、「次期侯爵への内定」にしか見えていない。
「……身の程を弁えてください、カイル様。それは貴方が身につけて良いものではありません。アルベルト様や、侯爵閣下が黙っていらっしゃるとは思えませんわ」
「ふん、負け惜しみを。アルベルトはもう終わりだ。エレナ様は近々、彼との婚約を解消し、僕を正式な婚約者として発表すると仰ってくださった。僕はプレストン家を捨て、アルヴィス侯爵家を継ぐ。君のような下級貴族の娘とは、住む世界が変わるんだよ」
カイルの声は大きく、周囲にいた生徒たちがざわめき出した。
カイルは増長しきっていた。エレナが囁く「あなたは私の特別」「あんな冷血な婚約者なんていらない」という甘い毒を、一滴残らず飲み干してしまったのだ。
その時、ロビーの入り口に優雅な人影が現れた。エレナ様だ。カイルは犬のように尻尾を振って駆け寄る。
「エレナ様! 今、リリアに話していたところです。僕たちの輝かしい未来について……」
「あら、カイル。気が早いのね。でも、そういう情熱的なところ、嫌いじゃないわ」
エレナ様はカイルの頬を撫でながら、私に向けて冷笑を投げかけた。
「ねえ、リリア。私、決めたの。今週末の夜会で、大きな『発表』をすることにしたわ。カイル、あなたも最高の礼装でいらっしゃいね?」
「はい! もちろんです、エレナ様!」
カイルは歓喜に震えていた。その発表が、自分との婚約発表だと信じて疑っていないのだ。
だが、エレナ様の瞳の奥にあるのは、深い愛情などではなく、獲物を罠に嵌めた狩人の、残酷で退屈そうな光だった。
私は、彼女の視線がロビーの二階、手すりに手を置いている人物へと向けられたのを見た。そこには、アルベルト様が立っていた。
彼は無表情に、階下の狂言を見下ろしている。
エレナ様はわざとらしく、カイルの首筋に指を這わせ、アルベルト様を挑発するように微笑んだ。
「……愚かな。これ以上ないほどに」
アルベルト様の呟きが、喧騒の中で私にだけ聞こえた気がした。
彼は静かに二階の奥へと消えていったが、その背中には、冷徹な執行官のような威厳が漂っていた。
その日の午後、私はアルベルト様に呼び出された。人気のない図書室の奥。彼は数通の手紙と、分厚い書類の束を机に置いていた。
「プレストン令嬢。君の元婚約者は、自分の墓穴を掘り終えたようだ」
「……発表というのは、やはり嘘なのですか?」
「半分は本当だ。だが、彼が期待しているような内容ではない。……私の父、ローゼンバーグ伯爵は、すでに侯爵閣下と面会している。エレナの度重なる不貞、そして家紋の私的利用。これらはすべて、侯爵家にとって致命的な汚点だ」
アルベルト様の手元にあるのは、エレナ様がこれまでに「おもちゃ」にしてきた男たちのリスト。そして、カイルが侯爵家の名前を騙って、外部の商人や貴族たちに不遜な振る舞いをした証拠の数々だった。
「侯爵閣下は、エレナを見捨てた。彼女の気まぐれが、家の存続を危うくすると判断されたのだ」
「では、次の夜会で……」
「ああ。地獄の幕が上がるだろう。……リリア嬢、君にはその『特等席』を用意してある。あのような男に、君の人生を汚されたまま終わらせるわけにはいかないからな」
アルベルト様は、私の手を取り、その甲に静かに唇を落とした。
それはカイルが見せたような卑屈な忠誠ではなく、一人の女性に対する、誠実で重みのある誓いのようだった。
カイルはまだ知らない。自分が纏っている侯爵家のブローチが、自分を縛り首にするための鎖に変わろうとしていることを。
そして、彼が捨てた私が、自分など到底届かないほどの高い場所へ引き上げられようとしていることを。
______________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
549
あなたにおすすめの小説
王太子に婚約破棄されてから一年、今更何の用ですか?
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しいます。
ゴードン公爵家の長女ノヴァは、辺境の冒険者街で薬屋を開業していた。ちょうど一年前、婚約者だった王太子が平民娘相手に恋の熱病にかかり、婚約を破棄されてしまっていた。王太子の恋愛問題が王位継承問題に発展するくらいの大問題となり、平民娘に負けて社交界に残れないほどの大恥をかかされ、理不尽にも公爵家を追放されてしまったのだ。ようやく傷心が癒えたノヴァのところに、やつれた王太子が現れた。
どう見ても貴方はもう一人の幼馴染が好きなので別れてください
ルイス
恋愛
レレイとアルカは伯爵令嬢であり幼馴染だった。同じく伯爵令息のクローヴィスも幼馴染だ。
やがてレレイとクローヴィスが婚約し幸せを手に入れるはずだったが……
クローヴィスは理想の婚約者に憧れを抱いており、何かともう一人の幼馴染のアルカと、婚約者になったはずのレレイを比べるのだった。
さらにはアルカの方を優先していくなど、明らかにおかしな事態になっていく。
どう見てもクローヴィスはアルカの方が好きになっている……そう感じたレレイは、彼との婚約解消を申し出た。
婚約解消は無事に果たされ悲しみを持ちながらもレレイは前へ進んでいくことを決心した。
その後、国一番の美男子で性格、剣術も最高とされる公爵令息に求婚されることになり……彼女は別の幸せの一歩を刻んでいく。
しかし、クローヴィスが急にレレイを溺愛してくるのだった。アルカとの仲も上手く行かなかったようで、真実の愛とか言っているけれど……怪しさ満点だ。ひたすらに女々しいクローヴィス……レレイは冷たい視線を送るのだった。
「あなたとはもう終わったんですよ? いつまでも、キスが出来ると思っていませんか?」
わたくし、残念ながらその書類にはサインしておりませんの。
朝霧心惺
恋愛
「リリーシア・ソフィア・リーラー。冷酷卑劣な守銭奴女め、今この瞬間を持って俺は、貴様との婚約を破棄する!!」
テオドール・ライリッヒ・クロイツ侯爵令息に高らかと告げられた言葉に、リリーシアは純白の髪を靡かせ高圧的に微笑みながら首を傾げる。
「誰と誰の婚約ですって?」
「俺と!お前のだよ!!」
怒り心頭のテオドールに向け、リリーシアは真実を告げる。
「わたくし、残念ながらその書類にはサインしておりませんの」
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろうにも掲載中です)
政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。
恩知らずの婚約破棄とその顛末
みっちぇる。
恋愛
シェリスは婚約者であったジェスに婚約解消を告げられる。
それも、婚約披露宴の前日に。
さらに婚約披露宴はパートナーを変えてそのまま開催予定だという!
家族の支えもあり、婚約披露宴に招待客として参加するシェリスだが……
好奇にさらされる彼女を助けた人は。
前後編+おまけ、執筆済みです。
【続編開始しました】
執筆しながらの更新ですので、のんびりお待ちいただけると嬉しいです。
矛盾が出たら修正するので、その時はお知らせいたします。
【完結】精神的に弱い幼馴染を優先する婚約者を捨てたら、彼の兄と結婚することになりました
当麻リコ
恋愛
侯爵令嬢アメリアの婚約者であるミュスカーは、幼馴染みであるリリィばかりを優先する。
リリィは繊細だから僕が支えてあげないといけないのだと、誇らしそうに。
結婚を間近に控え、アメリアは不安だった。
指輪選びや衣装決めにはじまり、結婚に関する大事な話し合いの全てにおいて、ミュスカーはリリィの呼び出しに応じて行ってしまう。
そんな彼を見続けて、とうとうアメリアは彼との結婚生活を諦めた。
けれど正式に婚約の解消を求めてミュスカーの父親に相談すると、少し時間をくれと言って保留にされてしまう。
仕方なく保留を承知した一ヵ月後、国外視察で家を空けていたミュスカーの兄、アーロンが帰ってきてアメリアにこう告げた。
「必ず幸せにすると約束する。どうか俺と結婚して欲しい」
ずっと好きで、けれど他に好きな女性がいるからと諦めていたアーロンからの告白に、アメリアは戸惑いながらも頷くことしか出来なかった。
冤罪で処刑された悪女ですが、死に戻ったらループ前の記憶を持つ王太子殿下が必死に機嫌を取ってきます。もう遅いですが?
六角
恋愛
公爵令嬢ヴィオレッタは、聖女を害したという無実の罪を着せられ、婚約者である王太子アレクサンダーによって断罪された。 「お前のような性悪女、愛したことなど一度もない!」 彼が吐き捨てた言葉と共に、ギロチンが落下し――ヴィオレッタの人生は終わったはずだった。
しかし、目を覚ますとそこは断罪される一年前。 処刑の記憶と痛みを持ったまま、時間が巻き戻っていたのだ。 (またあの苦しみを味わうの? 冗談じゃないわ。今度はさっさと婚約破棄して、王都から逃げ出そう)
そう決意して登城したヴィオレッタだったが、事態は思わぬ方向へ。 なんと、再会したアレクサンダーがいきなり涙を流して抱きついてきたのだ。 「すまなかった! 俺が間違っていた、やり直させてくれ!」
どうやら彼も「ヴィオレッタを処刑した後、冤罪だったと知って絶望し、時間を巻き戻した記憶」を持っているらしい。 心を入れ替え、情熱的に愛を囁く王太子。しかし、ヴィオレッタの心は氷点下だった。 (何を必死になっているのかしら? 私の首を落としたその手で、よく触れられるわね)
そんなある日、ヴィオレッタは王宮の隅で、周囲から「死神」と忌み嫌われる葬儀卿・シルヴィオ公爵と出会う。 王太子の眩しすぎる愛に疲弊していたヴィオレッタに、シルヴィオは静かに告げた。 「美しい。君の瞳は、まるで極上の遺体のようだ」
これは、かつての愛を取り戻そうと暴走する「太陽」のような王太子と、 傷ついた心を「静寂」で包み込む「夜」のような葬儀卿との間で揺れる……ことは全くなく、 全力で死神公爵との「平穏な余生(スローデス)」を目指す元悪女の、温度差MAXのラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる