【完結】王太子が「恋がしたい」と言い出したので、公爵令嬢は捨て身の復讐を始めます──みなさままとめて地獄へどうぞ

恋せよ恋

文字の大きさ
37 / 93

悪意の事故

しおりを挟む

 午後の光が、王宮の回廊に柔らかく差し込んでいた。学生代表として王宮行事に参列するため礼拝堂へ向かう途中、白い石畳の先には、小さなテラスがある。普段なら何の変哲もない、静かな通路だ。

「こちらです、アナスタシア様」

 護衛の声に、彼女は軽く頷いた。

 その一歩目だった。

 ――す、と。

 足裏が、ほんの一瞬、意思を失う。

「……っ」

 音もなく、視界が傾いた。

 石畳の一部が、わずかに欠けていた。昨夜の雨で湿った苔が、その上に薄く広がっている。

 気づいた時には遅かった。

「アナスタシア様!」

 叫び声。腕を引かれる感触。だが、体勢はもう崩れている。

 重心が、テラスの外へと引きずられる。

 ――落ちる。

 そう思った瞬間、強く抱き留められた。護衛の腕が彼女を庇い、二人まとめて石床に転がる。

 鈍い音。息が詰まる。視界が白く弾け、次に来たのは――痛みだった。

「……っ、ぁ……」

 右足首の嫌な感触が、はっきりと伝わってくる。

「動かないでください!」
「医官を呼べ!早く!」

 周囲が一気に騒然とする。誰かが駆け出し、誰かが膝をつく。
 アナスタシアは、仰向けのまま天井を見つめていた。

(……なるほどね)

 痛みの奥で、冷静な思考が働く。

(今度は――“事故”なのね)

 欠けた石。濡れた床。誰かが細工した証拠は、どこにも残らない。

 護衛がいたから、命は助かった。だが――

(しばらく、歩けない)

 それだけで十分だった。

 医官が到着し、担架が運ばれる。人垣の向こうで、誰かが「管理不備だ」と声を荒げていた。
 その混乱の中で、アナスタシアは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。

(……次は、もっと露骨に来るでしょうね)

◇◇◇

クラーク側の一瞬の満足

 同じ頃。カークランド公爵邸の書斎では、静かな報告が届けられていた。

「王宮のテラスにて転倒。命に別状はなし。ただし――足を負傷。しばらく公の場には出られぬかと」

 クラーク公爵は、ゆっくりと目を細めた。

「そうか」

 それだけ言って、紅茶に口をつける。ほんの一瞬。口元が、わずかに緩んだ。

「上出来だ」

 殺していない。触れてもいない。それでいて、確実に“外へ出る理由”を奪った。

「事故は、雄弁だな」

 椅子にもたれ、静かに息を吐く。

「守る側は疑心暗鬼に陥る。本人は、恐怖を覚える。――これでいい」

 窓の外で、風が木々を揺らした。

「……次は、様子を見る」

 それだけ言って、クラークは報告書を閉じた。

 彼はまだ知らない。

 この“事故”が、アナスタシアの心に芽生えたのが、恐怖ではなく、覚悟だったことを。

◇◇◇

 王宮医務室は、静まり返っていた。

 白い天蓋越しに差し込む光の中で、アナスタシアはゆっくりと瞬きをした。右足首は厚く包帯で固定され、動かすたびに鈍い痛みが走る。

「……骨に異常はありません。ただ、靱帯を痛めています。無理をすれば、長引くでしょう」

 医官の言葉に、彼女は静かに頷いた。

「外出は、しばらく控えたほうがいいでしょう。最低でも――数週間」

 それを聞いて、アナスタシアは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。

(敵の狙い通り、ね)

 だが、次の瞬間には、はっきりとした声で答えていた。

「承知しました。ただし――完全に籠るつもりはありません」

 医官が、わずかに目を見開く。

「孤児院の視察まで止める理由は、ありませんもの」

 そこへ、扉が勢いよく開いた。

「アナスタシア!」

 サミュエルだった。普段は冷静な兄の顔に、露わな怒りが浮かんでいる。

「“事故”だと?」

 彼は、医官から説明を受けると、拳を強く握りしめた。

「……管理不備? 笑わせるな」

 護衛の一人が、深く頭を下げる。

「申し訳ありません。配置に不備が――」

「君たちを責めてはいない」

 サミュエルは、低い声で遮った。

「これは、“狙われた結果”だ」

 そして、妹の方を見る。

「怖かったか?」

 優しく気遣う兄の声に、アナスタシアは、少し考えてから答えた。

「いいえ」

 きっぱりと。

「怖がらせようとしただけですもの。――成功したと思われたくありませんの」

 その言葉に、サミュエルは息を呑んだ。

「……覚悟は、できているんだな」

「はい。退けば、次はもっと酷くなります」

 視線が合う。兄妹は、同じ結論に辿り着いていた。

「護衛を、倍に増やす」

「ええ。でも――見せ方は変えてください」

 アナスタシアは、ゆっくりと上体を起こす。

「“守られている令嬢”ではなく、“動けないから周囲が過剰に集まっている”ように」

「……誘う気か」

「ええ。事故を選ぶ人間は、“偶然”を信じていますから」



 その頃。

 カークランド公爵邸では、二通目の報告が届いていた。

「……外出を控える、か」

 クラークは、顎に手を当てた。

「恐怖は、根付いたな」

 だが、報告の続きを聞いた瞬間――彼の指が、わずかに止まる。

「……孤児院などへの視察は、継続?」

「はい。面会も、限定的ながら受けているとのことです」

「ほう」

 クラークは、ゆっくりと笑った。

「強がりだ。無理をすれば、いずれ――」

 言葉を切る。

 なぜか、胸の奥に、微かな違和感が残った。

(……本当に、怯えている女の動きか?)

 だが、その感覚を振り払うように、彼は言った。

「次も、事故でいい」

 より自然に。より誰にも疑われぬ形で。

「“運が悪い女”という印象を、確実に定着させろ」

 クラークは、まだ知らない。彼が信じている“偶然”こそが、すでに――狙われ返されているということを。

________________

あなたの
エール📣
いいね❤️
お気に入り⭐
が、作者の背中をそっと押してくれます🍀


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

言いたいことはそれだけですか。では始めましょう

井藤 美樹
恋愛
常々、社交を苦手としていましたが、今回ばかりは仕方なく出席しておりましたの。婚約者と一緒にね。 その席で、突然始まった婚約破棄という名の茶番劇。 頭がお花畑の方々の発言が続きます。 すると、なぜが、私の名前が…… もちろん、火の粉はその場で消しましたよ。 ついでに、独立宣言もしちゃいました。 主人公、めちゃくちゃ口悪いです。 成り立てホヤホヤのミネリア王女殿下の溺愛&奮闘記。ちょっとだけ、冒険譚もあります。

【完結】私が誰だか、分かってますか?

美麗
恋愛
アスターテ皇国 時の皇太子は、皇太子妃とその侍女を妾妃とし他の妃を娶ることはなかった 出産時の出血により一時病床にあったもののゆっくり回復した。 皇太子は皇帝となり、皇太子妃は皇后となった。 そして、皇后との間に産まれた男児を皇太子とした。 以降の子は妾妃との娘のみであった。 表向きは皇帝と皇后の仲は睦まじく、皇后は妾妃を受け入れていた。 ただ、皇帝と皇后より、皇后と妾妃の仲はより睦まじくあったとの話もあるようだ。 残念ながら、この妾妃は産まれも育ちも定かではなかった。 また、後ろ盾も何もないために何故皇后の侍女となったかも不明であった。 そして、この妾妃の娘マリアーナははたしてどのような娘なのか… 17話完結予定です。 完結まで書き終わっております。 よろしくお願いいたします。

病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち
恋愛
ペルラ伯爵家の跡取り娘・フェリータの婚約者が、王女様に横取りされた。どうやら、伯爵家の天敵たるカヴァリエリ家の当主にして王女の側近・ロレンツィオが、裏で糸を引いたという。 怒り狂うフェリータは、大事な婚約者を取り返したい一心で、祝祭の日に捨て身の行動に出た。 ……それが結果的に、にっくきロレンツィオ本人と結婚することに結びつくとも知らず。 *** 『……いやホントに許せん。今更言えるか、実は前から好きだったなんて』  

前世の旦那様、貴方とだけは結婚しません。

真咲
恋愛
全21話。他サイトでも掲載しています。 一度目の人生、愛した夫には他に想い人がいた。 侯爵令嬢リリア・エンダロインは幼い頃両親同士の取り決めで、幼馴染の公爵家の嫡男であるエスター・カンザスと婚約した。彼は学園時代のクラスメイトに恋をしていたけれど、リリアを優先し、リリアだけを大切にしてくれた。 二度目の人生。 リリアは、再びリリア・エンダロインとして生まれ変わっていた。 「次は、私がエスターを幸せにする」 自分が彼に幸せにしてもらったように。そのために、何がなんでも、エスターとだけは結婚しないと決めた。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

なぜ、虐げてはいけないのですか?

碧井 汐桜香
恋愛
男爵令嬢を虐げた罪で、婚約者である第一王子に投獄された公爵令嬢。 処刑前日の彼女の獄中記。 そして、それぞれ関係者目線のお話

妹に一度殺された。明日結婚するはずの死に戻り公爵令嬢は、もう二度と死にたくない。

たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】
恋愛
婚約者アルフレッドとの結婚を明日に控えた、公爵令嬢のバレッタ。 しかしその夜、無惨にも殺害されてしまう。 それを指示したのは、妹であるエライザであった。 姉が幸せになることを憎んだのだ。 容姿が整っていることから皆や父に気に入られてきた妹と、 顔が醜いことから蔑まされてきた自分。 やっとそのしがらみから逃れられる、そう思った矢先の突然の死だった。 しかし、バレッタは甦る。死に戻りにより、殺される数時間前へと時間を遡ったのだ。 幸せな結婚式を迎えるため、己のこれまでを精算するため、バレッタは妹、協力者である父を捕まえ処罰するべく動き出す。 もう二度と死なない。 そう、心に決めて。

処理中です...