【完結】王太子が「恋がしたい」と言い出したので、公爵令嬢は捨て身の復讐を始めます──みなさままとめて地獄へどうぞ

恋せよ恋

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成功したはずの事故

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 その日は、あまりにも穏やかだった。王宮の回廊には午後の光が差し込み、公爵家としての公務に同行するアナスタシアの足取りも静かだ。白い石床に落ちる影は短く、空気には、まだ緊張の欠片すら感じられなかった。

 ――だからこそ、“事故”は起こる。

「……っ!」

 鈍い音とともに、天井付近から装飾用の金属枠が外れ、落下した。

 狙いは、明確だった。

 通路を歩いていたアナスタシアの――半歩後ろ。

 ____ ガンッ!! 衝撃音。石床に弾かれる金属。悲鳴が上がる。

「アナスタシア様!!」

 だがーー 彼女は、倒れていなかった。

 ――落下の瞬間、護衛の一人が“偶然よろめいた”ように彼女を引き寄せ、位置をずらしていたのだ。

 金属枠は、誰にも直撃せず、床で無残に歪んだだけだった。

「……大丈夫ですわっ……」

 アナスタシアは、少し息を整えてから、そう言った。

 だが、その声は――“怯えた令嬢”のものではない。

「皆さま。今の落下……ご覧になりまして?」

 静かな問いかけ。集まった視線の先で、彼女は落下物を見下ろした。

「固定金具が、外側から緩められているようですわね……」

 ざわ、と空気が変わる。

 駆け寄ってきたサミュエルが、即座に命じた。

「回廊を封鎖。三十分前からの出入りを洗い出せ」

「はっ!」

 護衛たちは、すでに動いていた。混乱ではない。予定通りの動きだった。

 ――そして。

 少し離れた場所で、青ざめた顔の下級侍従が、後ずさった。

「……ち、違う……私は、ただ――」

 その瞬間、腕を掴まれる。

「逃げる必要はない。事故だろう?」

 低い声。背後に立っていたのは、王宮警備隊長だった。

「だが、“偶然”にしては、手順が良すぎる」

 侍従の膝が、崩れ落ちる。

「だ、誰かに……少し手を貸せばいいだけだと……」

 そこまで言って、口を噤んだが、遅い。すでに、必要な言葉は揃っていた。

 その頃。

 カークランド公爵邸で、クラークは報告を受けていた。

「……失敗、だと?」

「は、はい。事故として処理されるはずが……」

 クラークは、舌打ちをした。

「使えん駒だ」

 ほんの一瞬、苛立ちが浮かぶ。だが――すぐに、いつもの余裕を取り戻した。

「問題ない。末端が切られただけだ」

 事故は事故。自分には、何の傷もつかない……はずだった。

 ――その時。

「公爵閣下」

 侍従が、声を潜めて告げる。

「王宮から、“安全管理に関する協議”の正式要請が届いております」

「……協議?」

 クラークの眉が、僅かに動いた。

 さらに、追い打ちのように続く。

「ヴェルデン公爵家が、主導権を取る形で、です」

 沈黙。

(……おかしい)

 事故は、恐怖を植え付けるためのものだった。なのに――



 その頃、王宮の一室で。

「――これで、三度目です」

 アナスタシアは、静かに言った。

「偶然は、重なりすぎると“必然”になります」

 サミュエルが、頷く。

「でも――偶然ほど、証拠が残りやすいものはありませんわ」

 その瞬間。

 クラークが信じていた世界が、ゆっくりと、音を立てて軋み始めていた。

◇◇◇

 事故の翌日。

 王宮内では、目に見えない潮目が変わっていた。

 表向きは――「落下事故に関する安全点検の強化」。

 だが実際には、“誰が管理していたか”“誰が責任を負うか”という問いが、静かに、しかし確実に広がっていた。

「例の回廊、修繕の最終承認はどこでしたか?」

「……ええと、書類上は……カークランド公爵家が推薦した業者です」

「ほう」

 その一言で、空気が変わる。

 会議室に集まった貴族たちは、誰も声を荒げない。だが、視線だけが、ゆっくりと同じ方向へ揃っていく。

 ――クラーク・カークランド公爵



 その頃、当人はまだ“余裕”を装っていた。

「事故の一つや二つで、大げさな」

 自室で紅茶を啜りながら、鼻で笑う。

「王宮の設備管理が甘かっただけだ。私の知るところではない」

 そう言い切れると、信じていた……信じたかった。

 しかし。

「公爵閣下」

 側近が、顔色を変えて報告する。

「王宮監査局が、過去三年分の修繕契約を再点検するそうです」

「……再点検?」

「はい。特に、“事故が起きた箇所と関連のある業者”を重点的に」

 クラークの指が、カップの縁で止まった。

「……誰の差し金だ」

「ヴェルデン公爵家が、正式に要請したと」

 クラークは、ゆっくりとカップを置いた。

「……あの女か」

 だが、その声には、昨日までの余裕はない。




 同じ頃。アナスタシアは、兄サミュエルと向かい合っていた。

 机の上には、整理された報告書が並ぶ。

 修繕業者の変更履歴
 承認印の流れ
 “たまたま”立ち会っていた侍従の証言

「脅しは、“黙らせる”ためのもの。でも今回は――」

 アナスタシアは、淡々と続ける。

「王宮全体を、“動かす理由”になった……」

 サミュエルは、わずかに口角を上げた。

「守る側が萎縮するどころか、逆に動いたしな、ははは」

「ええ。事故が起きたからこそ、“見て見ぬふり”ができなくなった、ふふふ」

 アナスタシアは、視線を上げる。

「事故は、誰のせいにもならない――そう思っているのは、仕掛ける側だけです」

 静かな、しかし断定的な声音だった。




 その日の午後には、カークランド公爵家に、次々と“招かれざる知らせ”が届く。

 推薦していた業者が、契約停止
 王宮内の発言力を持つ貴族から、距離を置かれる
 茶会の招待状が、急に途絶える

 ――孤立。それは、音もなく始まった。

「……妙だな」

 クラークは、窓の外を睨んだ。

「……事故は、成功だったはずだ」

 呟きは、空虚だった。




 その夜。アナスタシアは、日記を閉じながら、静かに思う。

(事故を狙う人は、恐怖を植えたい)

 ランプを消す。

(でも、恐怖は――共有された瞬間、“警戒”に変わる)

 彼女は、一度も怯えていない。

(そして警戒は、組織を動かす)

 窓の外で、夜風が吹いた。

 ――次に追い詰められるのは、どちらか。

 それはもう、明白だった。

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