【完結】王太子が「恋がしたい」と言い出したので、公爵令嬢は捨て身の復讐を始めます──みなさままとめて地獄へどうぞ

恋せよ恋

文字の大きさ
70 / 93

温もりなき葬列

しおりを挟む
 ローゼンタールの柔らかな日差しが差し込む部屋で、アナスタシアはその書簡を読み終え、静かに膝の上に置いた。

 父、リチャード・ヴェルデン公爵の急逝。死因は、心臓発作。
 皮肉なことに、彼が愛し、盲信した後妻・マリアンヌと若い庭師の不貞を目の当たりにしたことが引き金だった。

(……ああ、お父様。あなたは結局、最期まで愛を履き違えたままだったのですね)
 アナスタシアの瞳に涙はなかった。ただ、深い虚無感と、すとんと胸に落ちるような納得感があった。

 生母を亡くした自分を放置し、後妻とその連れ子に溺愛を注いだ父。彼が最後に見た景色が、信じた愛の無惨な裏切りであった事実に、運命の残酷なまでの帳尻合わせを感じずにはいられなかった。

「アナスタシア、大丈夫かい?」
 背後から、ライナスの穏やかな声がした。彼はそっと彼女の肩に手を置き、その体温を分かつように寄り添う。

「……ええ。驚きはしましたが、不思議と心は穏やかなのです。これで、私がローザリアという国に繋ぎ止められる理由が、また一つなくなりましたわ」

 現当主となった兄サミュエルは、優秀だった。彼は不貞を働いたマリアンヌを即座に離縁し、その連れ子リンダ共々、財産の一切を持たせず領地から放逐したという。
 かつてアナスタシアから居場所を奪った二人は、今や身一つで路頭に迷う身となったのだ。

「放逐された二人がどうなろうと、もう君が気にする必要はない。ヴェルデンの血を引くのは、君とサミュエルだけだ」
 ライナスはアナスタシアを正面から見つめ、その手を取った。

「アナスタシア。君の父上への義理も、国への義務も、すべては終わった。……これからは、僕の隣で、君自身の人生を歩んでほしい。ローゼンタールの空の下で、君が二度と孤独を感じないように、僕が一生をかけて君を守る」
 ライナスの誠実な瞳。そこには、裏切りも、打算も、冷徹な利害関係もない。ただ、一人の女性としてのアナスタシアを慈しむ熱い情愛だけが宿っていた。

「……ライナス。ありがとう」
 アナスタシアは、ようやく心の底から微笑んだ。

 かつて母国で浮かべていたではない。少しだけ不器用で、けれど確かな体温を宿した、一人の女性の顔だった。

 父の死という衝撃的な知らせは、彼女にとっての「過去への決別」を意味していた。
 古い蔦に絡みつかれた古城のような過去を捨て、彼女は今、ライナスの手を取って新しい世界の扉を開こうとしていた。


 その決意は、静かだったが揺るぎなかった。

「……急いで戻っても、父の葬儀には間に合わないけれど、それでも、帰るわ」
 アナスタシアは、はっきりと告げた。

 血の繋がりを断ち切るためではない。
 終わった過去に、自分自身で区切りをつけるために。

 ライナスは一瞬、言葉を失った。
 やがて、抑えきれない不安を滲ませた声で問いかける。

「アナスタシア……俺は一緒には行けない。だが……必ず、戻ってくるよな?」

 それは、トルドー公爵家としての問いではない。
 一人の男として、彼女を失うことを恐れる、切実な声だった。

 アナスタシアは、迷いなく大きく頷く。

「ええ。必ず戻ります。ここは……わたくしの帰る場所ですもの」

 その言葉が、決定打だった。

 次の瞬間、ライナスは衝動のままに彼女を抱き寄せた。強く、逃がさぬように。
 そして、堪えきれずに唇を重ねる。

「……っ」

 驚きに息を呑み、アナスタシアの頬が一気に朱に染まった。
 だが――拒まなかった。

 その事実に、ライナスの胸に熱が走る。
 もっと、確かめたい。失う前に、繋ぎ止めたい。

 深く口づけようとした、その瞬間。

 ぽす、と軽く肩を叩かれた。

「……ライナス。ダメ!」

 囁くような声。だが、確かな意思があった。

 名残惜しそうに唇を離したライナスを、アナスタシアは真っ赤な顔のまま見上げる。

「これは……戻ってきてから……よ」

 一瞬の沈黙のあと、ライナスは苦笑し、額を彼女の額に軽く触れさせた。

「……約束だな」

「……ええ。約束よ」

 別れの時間は迫っていた。
 だが、その別れは、喪失ではない。

 それは――確かに「戻る場所」があると、互いに知った者同士の、短い猶予だった。

◇◇◇

 ローザリア王国の空は、ひどく高く、冷たかった。

 王都ヴェルデン大聖堂で執り行われた、ヴェルデン前公爵リチャードの葬儀。
 荘厳な鐘の音が石壁に反響し、香の煙が重く漂っている。

 サミュエルは、黒の喪服に身を包み、喪主として参列者を見渡していた。
 この場に、妹・アナスタシアはいない。彼女は、今、ローザリアへの道中にいる。

 前方には、棺と祭壇。
 その傍らに立つサミュエルの横顔は、毅然として隙がなく、まるで最初から感情を切り離したかのようだった。

 参列者たちの視線が、ひそやかにサミュエルへと集まる。

――妹君は、参列していないのか?
――父親の葬儀だというのに、アナスタシア様はどこに?

 囁きは、風のように冷たい。

 かつてこの国で、妹・アナスタシアは「王太子妃」として扱われていた。
 だが今、その肩書はなく、代わりに残ったのは、気まずい沈黙だけだった。

 祈りの言葉が続く間、サミュエルはただ、静かに父の棺を見つめていた。

 涙は、出なかった。

 悲しみがないわけではない。だがそれ以上に、もう何も求めていない自分に気づいていた。

( 父上……これが、あなたが愛した結果です)

 愛を履き違え、家族を見誤り、そして――死してなお、家族に温もりを残さなかった場所。

 葬儀が終わると、人々は筆頭公爵家ヴェルデン公爵家の若き当主・サミュエルに挨拶を済ませ、淡々とその場を後にしていった。

◇◇◇

 石畳の回廊を一人歩きながら、アナスタシアはふと、思う。

(……寒いわ)

 だが、それは気温のせいではない。

 帰国したローザリア王国に、もう自分を温める居場所がないという事実が、はっきりと胸に落ちていた。

 そのとき、彼女は小さく息を吸い、目を閉じた。

(……でも、帰る場所はある)

 柔らかな声。
 確かな腕の温もり。
 別れ際に交わした「約束」。

 ライナスの面影が、胸の奥に灯をともす。

 アナスタシアは、ゆっくりと背筋を伸ばした。

 この国は、もはや彼女を拒んでいる。
 ならば、彼女もまた、ここに留まる理由はない。

 父の墓参という「過去への最後の儀式」を終え、彼女の心はすでに――ローゼンタールへと向かっていた。
_______________

エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

言いたいことはそれだけですか。では始めましょう

井藤 美樹
恋愛
常々、社交を苦手としていましたが、今回ばかりは仕方なく出席しておりましたの。婚約者と一緒にね。 その席で、突然始まった婚約破棄という名の茶番劇。 頭がお花畑の方々の発言が続きます。 すると、なぜが、私の名前が…… もちろん、火の粉はその場で消しましたよ。 ついでに、独立宣言もしちゃいました。 主人公、めちゃくちゃ口悪いです。 成り立てホヤホヤのミネリア王女殿下の溺愛&奮闘記。ちょっとだけ、冒険譚もあります。

婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?

ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」  華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。  目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。  ──あら、デジャヴ? 「……なるほど」

病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち
恋愛
ペルラ伯爵家の跡取り娘・フェリータの婚約者が、王女様に横取りされた。どうやら、伯爵家の天敵たるカヴァリエリ家の当主にして王女の側近・ロレンツィオが、裏で糸を引いたという。 怒り狂うフェリータは、大事な婚約者を取り返したい一心で、祝祭の日に捨て身の行動に出た。 ……それが結果的に、にっくきロレンツィオ本人と結婚することに結びつくとも知らず。 *** 『……いやホントに許せん。今更言えるか、実は前から好きだったなんて』  

前世の旦那様、貴方とだけは結婚しません。

真咲
恋愛
全21話。他サイトでも掲載しています。 一度目の人生、愛した夫には他に想い人がいた。 侯爵令嬢リリア・エンダロインは幼い頃両親同士の取り決めで、幼馴染の公爵家の嫡男であるエスター・カンザスと婚約した。彼は学園時代のクラスメイトに恋をしていたけれど、リリアを優先し、リリアだけを大切にしてくれた。 二度目の人生。 リリアは、再びリリア・エンダロインとして生まれ変わっていた。 「次は、私がエスターを幸せにする」 自分が彼に幸せにしてもらったように。そのために、何がなんでも、エスターとだけは結婚しないと決めた。

【完結】婚約破棄に祝砲を。あら、殿下ったらもうご結婚なさるのね? では、祝辞代わりに花嫁ごと吹き飛ばしに伺いますわ。

猫屋敷むぎ
恋愛
王都最古の大聖堂。 ついに幸せいっぱいの結婚式を迎えた、公女リシェル・クレイモア。 しかし、一年前。同じ場所での結婚式では―― 見知らぬ女を連れて現れたセドリック王子が、高らかに宣言した。 「俺は――愛を選ぶ! お前との婚約は……破棄だ!」 確かに愛のない政略結婚だったけれど。 ――やがて、仮面の執事クラウスと共に踏み込む、想像もできなかった真実。 「お嬢様、祝砲は芝居の終幕でと、相場は決まっております――」 仮面が落ちるとき、空を裂いて祝砲が鳴り響く。 シリアスもラブも笑いもまとめて撃ち抜く、“婚約破棄から始まる、公女と執事の逆転ロマンス劇場”、ここに開幕! ――ミステリ仕立ての愛と逆転の物語です。スッキリ逆転、ハピエン保証。 ※「小説家になろう」にも掲載。 ※ アルファポリス完結恋愛13位。応援ありがとうございます。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

【完結】私が誰だか、分かってますか?

美麗
恋愛
アスターテ皇国 時の皇太子は、皇太子妃とその侍女を妾妃とし他の妃を娶ることはなかった 出産時の出血により一時病床にあったもののゆっくり回復した。 皇太子は皇帝となり、皇太子妃は皇后となった。 そして、皇后との間に産まれた男児を皇太子とした。 以降の子は妾妃との娘のみであった。 表向きは皇帝と皇后の仲は睦まじく、皇后は妾妃を受け入れていた。 ただ、皇帝と皇后より、皇后と妾妃の仲はより睦まじくあったとの話もあるようだ。 残念ながら、この妾妃は産まれも育ちも定かではなかった。 また、後ろ盾も何もないために何故皇后の侍女となったかも不明であった。 そして、この妾妃の娘マリアーナははたしてどのような娘なのか… 17話完結予定です。 完結まで書き終わっております。 よろしくお願いいたします。

処理中です...