「責任」から始まる結婚は、裏切りの予感〜遊び人副団長と女騎士 ~

恋せよ恋

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北の保養地と、崩れ去る信頼

  王都から遠く離れた北部の保養地、クリスタル・レイク。そこは、冬になると湖面が鏡のように凍りつき、王族や高位貴族が静養に訪れる美しい場所である。

 セレフィーネは今、第一王女マグノリアの護衛として、この地にいた。

 新婚早々、夫ユリウスが北部討伐に召集されてから数ヶ月。セレフィーネは、夫のいない寂しさを紛らわせるように、王女殿下からの要請もあり友人兼護衛として保養地へと同道していた。

 ユリウスからの手紙が途絶え、不穏な噂が王都に流れても、彼女は「あの方に限って」という盲目的な信頼を胸に、背筋を伸ばし続けていたのだ。

「……セレフィーネ、顔色が悪いわよ。少し休んだらどうかしら」

 マグノリアが、毛皮のコートに身を包みながら案じるように声をかけた。マグノリアはセレフィーネにとって恩人であり、今は良き友人でもある。彼女もまた、親友の夫であるユリウスの不穏な動向を、独自に調査させ始めていた。

「いいえ、マグノリア殿下。私は騎士です。任務中に私情を挟むことはございません」

「……あら。セレフィーネは、今回の旅では貴方は友人でもあるのよ。さあ、今日は少し、私の『気まぐれ』に付き合ってもらうわよ」

 マグノリアが向かったのは、保養地から少し離れた場所にある私設の別荘地だった。そこは、討伐軍の将校たちが休息に使うための施設が点在している。

 セレフィーネの心臓が、嫌な予感で早鐘を打った。
 ユリウスは今、この近くの駐屯地にいるはずだ。手紙には「戦況が厳しく、一歩も動けない」と書かれていたはずだが。

 雪が静かに舞い落ちる中、マグノリアに連れられて歩いた先には、ひっそりと佇む瀟洒なログハウスがあった。

 庭先には、見覚えのある白銀の紋章が入った馬が繋がれている。ユリウスの愛馬だ。

「……あ」
 セレフィーネの喉から、小さな乾いた音が出た。

 ログハウスのテラス。そこには、厚い毛皮を二人で分け合うようにして椅子に座る、男女の姿があった。

 男は、ユリウスだ。戦場にいるはずの彼は、鎧を脱ぎ捨て、リラックスした部屋着姿で、傍らの女性を愛おしそうに見つめている。

 その女性は、雪のように白い肌を持ち、蜂蜜色の髪を美しく編み込んだ、儚げな美女だった。

「……ユリウス様、見て。あんなに綺麗な氷の結晶が……」

「ああ。君の瞳のようだ、セザンヌ」

 ユリウスの声は、セレフィーネが聞いたこともないほど甘く、とろけるような響きを帯びていた。彼は、女性『セザンヌ』の細い指先を取り、それを自分の唇へと運ぶ。セザンヌは恥ずかしそうに頬を染め、彼の肩にそっと頭を預けた。

 セレフィーネは、足元の地面が消失したかのような感覚に陥った。
 吹雪よりも冷たい衝撃が、彼女の全身を貫く。
 
 自分が王都で、次期侯爵であるユリウスを支え、将来、共に家門を守るために義父母からの学びを深め、一通の手紙に一喜一憂していた間。
 彼は、この美しい保養地で、かつて愛したという女を抱き、囁きを交わしていたのか。
 
「……セレフィーネ、戻りましょう。これ以上見る必要はないわ」

 マグノリアが彼女の肩を強く抱き寄せた。その瞳には、ユリウスに対する激しい怒りの炎が宿っていた。

 セレフィーネは、動けなかった。

 目の前の光景が、何かの悪い冗談であってほしいと願った。だが、ユリウスがセザンヌの髪を愛おしそうに撫で、その頬にキスを落とす姿は、あまりにも残酷な現実だった。

「……マグノリア殿下、私は……」

「言わなくていいわ。あいつは、王家の信頼を裏切った。そして何より、あなたを裏切った。……私が、すべてを暴いてあげるわ」

 セレフィーネは、自分がどうやって宿舎まで戻ったのか覚えていない。部屋に戻った瞬間、彼女は吐き気に襲われ、その場に崩れ落ちた。
 胃の中からせり上がってくるのは、絶望と、そして、今まで感じたことのない、妙な身体の違和感だった。

(……お腹が、重い)

 騎士として、自分の肉体の変化には敏感だったはずだ。だが、夫を想うあまり、その兆候を見逃していた。

 震える手で自分の腹部に触れる。
 そこには、皮肉にも、愛を裏切られた瞬間に気づいた「新しい命」の気配があった。

  翌朝、マグノリアの密偵たちが報告を持ってきた。

 セザンヌ・チャールズ。ユリウスの元婚約者であり、数ヶ月前に未亡人として隣国から逃れてきた女性。ユリウスは彼女を「人道的保護」という名目で駐屯地に滞在させ、軍の経費を使ってこの保養地を訪れていたのだ。

「セレフィーネ、決めるのはあなたよ。このまま黙って王都へ帰るか、それとも――」

「……帰ります、マグノリア殿下」
 セレフィーネの声は、氷のように冷えていた。

「私は、まだヴァルト次期侯爵夫人です。……あの方が帰還したとき、正式に、すべてを清算いたします」

 彼女の瞳から、愛という名の光が消えた。

 代わりに宿ったのは、我が子を守るという母としての本能と、自分を貶めた者への、静かな、けれど苛烈な殺意に近い決意だった。

 北の地の凍てつく風が、彼女の決意を嘲笑うように吹き荒れていた。
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