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壊れゆく箱庭
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北の辺境領での生活は、驚くほど忙しく、そして充実していた。
私が着任して二週間。領主代行のディラン様は、私の処理した書類の山を見て、深いため息をついた。
「リリア君……君は人間か? それとも、事務処理を司る精霊か何かなのか?」
「ふふ、ただの人間ですよ。王都で鍛えられましたから」
「これだけの量を、一切のミスなく、しかも関連資料の添削まで付けて……。君を追い出した奴らは、よっぽどの馬鹿か、あるいは目が節穴だったんだろうな」
ディラン様は呆れたように笑ったが、その瞳には確かな敬意が宿っていた。
ここでは、私が「親友」や「幼馴染」という役割をこなす必要はない。ただ、リリアという一人の人間としての仕事が評価される。
その事実が、凍りついていた私の心を少しずつ溶かしてくれていた。
一方その頃。王都の太陽は、カイルとミーナにとって、もはや眩しいだけのものではなくなっていた。
「……ねえ、カイル様。どうしてなの? 誰も私たちの結婚を祝ってくれないの」
ミーナが、泣き腫らした目でカイルに縋り付いた。
先日、二人はささやかな結婚パーティーを開こうと、共通の友人に招待状を送ったのだ。名目は『苦難を乗り越えた真実の愛を誓う会』。
しかし、返ってきたのは「欠席」の二文字、あるいは無視。
さらに、かつてミーナに同情的だった友人たちからは、耳を疑うような手紙が届いていた。
『ミーナ、悪いけど行けないわ。不倫を美談にするのは勝手だけど、それに付き合わされるこちらの身にもなって。それから、リリアに返してない借金があるって本当? 彼女の両親が激怒して、あなたの実家に連絡を入れたらしいわよ』
「借金だなんて、人聞きの悪い! あれはリリアが『困っているなら使って』って、親友として貸してくれた――いえ、プレゼントしてくれたものなのに!」
ミーナは憤慨するが、現実は無情だった。
リリアが実家へ「婚約破棄に至った経緯」を正確に報告したため、彼女の両親……地元でも顔の広い豪商が、娘を傷つけた二人に対して法的な回収手続きを開始したのだ。
「カイル様、なんとか言ってよ! あのパーティー、私、新しいドレスも注文しちゃったのよ?」
「……ミーナ、落ち着いてくれ。僕だって、今それどころじゃないんだ」
カイルは頭を抱えていた。
騎士団での立場が、急速に悪化している。
彼が提出する書類は相変わらず不備だらけ。それどころか、今までリリアが根回ししていた他部署との調整も、カイル自身が行うと「なぜ僕の言うことが聞けないんだ! 正直に話せば分かるはずだろう!」と熱弁を振るうばかりで、一向に進まない。
「カイル・クロム。君を副隊長職から解任し、平騎士へ降格とする」
昨日、グレイヴ閣下から言い渡された言葉が、呪いのように頭の中で回っている。
「閣下! どうしてですか! 僕は、ただ自分の愛に誠実に生きようとしただけで――」
「その愛が仕事の役に立つのか? 君が提出した予算書を見てみろ。必要な防具の予算を削り、なぜか『騎士団内でのメンタルケアのためのティータイム費用』を増額申請している。正気か?」
「それは……隊員たちの心が荒んでいると思ったから、善意で……」
「善意で組織が回ると思うな。下がれ」
平騎士。給料はこれまでの半分以下になる。
そうなれば、今の「新居」の家賃など到底払えない。リリアが肩代わりしていた光熱費や生活費の督促も、日に日にその額を増している。
「……ねえ、カイル様。リリアに手紙を書かない? 私たち、あんなに仲が良かったじゃない。彼女にお願いすれば、きっとお金だって貸してくれるし、騎士団長様にも口を利いてくれるわ。彼女、私たちの幸せを願っているんだから、助けてくれるのが当たり前でしょ?」
ミーナは、本気でそう提案した。
彼女の中では、自分たちがリリアを傷つけたことよりも、「親友として助け合う」という理想の図式の方が優先されているのだ。
「そうだね……。リリアなら、きっと分かってくれる。彼女は優しい子だから。僕たちの窮地を知れば、放っておくはずがない」
カイルの瞳に、希望の光が宿る。
それは、自分たちの過ちを省みることなく、他者の慈悲を当然のように搾取しようとする、無自覚で分厚い「善意」だった。
二人は、自分たちの足元が崩れ落ちていることに、まだ気づかない。
ただ、遠い辺境で新しい人生を始めた「かつての被害者」が、自分たちを救ってくれると信じて疑わないのだ。
その厚かましさが、破滅へのカウントダウンであることを。
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私が着任して二週間。領主代行のディラン様は、私の処理した書類の山を見て、深いため息をついた。
「リリア君……君は人間か? それとも、事務処理を司る精霊か何かなのか?」
「ふふ、ただの人間ですよ。王都で鍛えられましたから」
「これだけの量を、一切のミスなく、しかも関連資料の添削まで付けて……。君を追い出した奴らは、よっぽどの馬鹿か、あるいは目が節穴だったんだろうな」
ディラン様は呆れたように笑ったが、その瞳には確かな敬意が宿っていた。
ここでは、私が「親友」や「幼馴染」という役割をこなす必要はない。ただ、リリアという一人の人間としての仕事が評価される。
その事実が、凍りついていた私の心を少しずつ溶かしてくれていた。
一方その頃。王都の太陽は、カイルとミーナにとって、もはや眩しいだけのものではなくなっていた。
「……ねえ、カイル様。どうしてなの? 誰も私たちの結婚を祝ってくれないの」
ミーナが、泣き腫らした目でカイルに縋り付いた。
先日、二人はささやかな結婚パーティーを開こうと、共通の友人に招待状を送ったのだ。名目は『苦難を乗り越えた真実の愛を誓う会』。
しかし、返ってきたのは「欠席」の二文字、あるいは無視。
さらに、かつてミーナに同情的だった友人たちからは、耳を疑うような手紙が届いていた。
『ミーナ、悪いけど行けないわ。不倫を美談にするのは勝手だけど、それに付き合わされるこちらの身にもなって。それから、リリアに返してない借金があるって本当? 彼女の両親が激怒して、あなたの実家に連絡を入れたらしいわよ』
「借金だなんて、人聞きの悪い! あれはリリアが『困っているなら使って』って、親友として貸してくれた――いえ、プレゼントしてくれたものなのに!」
ミーナは憤慨するが、現実は無情だった。
リリアが実家へ「婚約破棄に至った経緯」を正確に報告したため、彼女の両親……地元でも顔の広い豪商が、娘を傷つけた二人に対して法的な回収手続きを開始したのだ。
「カイル様、なんとか言ってよ! あのパーティー、私、新しいドレスも注文しちゃったのよ?」
「……ミーナ、落ち着いてくれ。僕だって、今それどころじゃないんだ」
カイルは頭を抱えていた。
騎士団での立場が、急速に悪化している。
彼が提出する書類は相変わらず不備だらけ。それどころか、今までリリアが根回ししていた他部署との調整も、カイル自身が行うと「なぜ僕の言うことが聞けないんだ! 正直に話せば分かるはずだろう!」と熱弁を振るうばかりで、一向に進まない。
「カイル・クロム。君を副隊長職から解任し、平騎士へ降格とする」
昨日、グレイヴ閣下から言い渡された言葉が、呪いのように頭の中で回っている。
「閣下! どうしてですか! 僕は、ただ自分の愛に誠実に生きようとしただけで――」
「その愛が仕事の役に立つのか? 君が提出した予算書を見てみろ。必要な防具の予算を削り、なぜか『騎士団内でのメンタルケアのためのティータイム費用』を増額申請している。正気か?」
「それは……隊員たちの心が荒んでいると思ったから、善意で……」
「善意で組織が回ると思うな。下がれ」
平騎士。給料はこれまでの半分以下になる。
そうなれば、今の「新居」の家賃など到底払えない。リリアが肩代わりしていた光熱費や生活費の督促も、日に日にその額を増している。
「……ねえ、カイル様。リリアに手紙を書かない? 私たち、あんなに仲が良かったじゃない。彼女にお願いすれば、きっとお金だって貸してくれるし、騎士団長様にも口を利いてくれるわ。彼女、私たちの幸せを願っているんだから、助けてくれるのが当たり前でしょ?」
ミーナは、本気でそう提案した。
彼女の中では、自分たちがリリアを傷つけたことよりも、「親友として助け合う」という理想の図式の方が優先されているのだ。
「そうだね……。リリアなら、きっと分かってくれる。彼女は優しい子だから。僕たちの窮地を知れば、放っておくはずがない」
カイルの瞳に、希望の光が宿る。
それは、自分たちの過ちを省みることなく、他者の慈悲を当然のように搾取しようとする、無自覚で分厚い「善意」だった。
二人は、自分たちの足元が崩れ落ちていることに、まだ気づかない。
ただ、遠い辺境で新しい人生を始めた「かつての被害者」が、自分たちを救ってくれると信じて疑わないのだ。
その厚かましさが、破滅へのカウントダウンであることを。
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