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隠された旋律
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その日の夜会、もとい顔合わせの席は、表面上は何事もなく終わった。
両親も兄も、リヒャルト様の異様な様子には気づかなかったようだ。ただ「少し緊張されていたようね」と笑う母の傍らで、私は胸の奥に刺さった冷たい棘の感触を拭えずにいた。
リヒャルト様は、伯母様と視線が合うたびに、まるで罪を咎められた子供のように目を逸らしていた。そして伯母――ミレイユ様は、そんな彼を観察するように、ゆっくりと、愉しげにワインのグラスを傾けていたのだ。
「……ミレイユ伯母様、あの……アシュベリー伯爵をご存知だったのですか?」
客人が帰り、静まり返った廊下で、私は部屋へ戻ろうとする伯母を呼び止めた。
伯母は足を止め、私を振り返る。二十七歳の彼女は、十八歳の私にはない、成熟した大人の毒のような色気を纏っている。ガヴァネスという厳格な職業に就きながら、どこか奔放な雰囲気を感じさせる女性だった。
「ええ。昔…… 少しだけね。彼がまだ、何者でもなかった頃の話よ」
伯母は細い指先で自分の唇をなぞり、ふふ、と喉の奥で笑った。
「彼、とても立派になったわね。お兄様が病気になられたとかで、次男坊だった彼が爵位を継ぐなんて。人生、何が起こるか分からないものだわ。…… ねえ…… エリカ?」
その言葉の端々に、隠しきれない棘があった。
まるで、今の彼が手にした「伯爵」という地位に、私以上に強い関心を抱いているかのような……。
「昔、彼と……何かあったのですか?」
「さあ、どうかしら。でも、彼は私を忘れていないようだったわ。だって、あの人にとって私は――」
伯母はそこで言葉を切り、私に歩み寄った。
私と彼女の身長はほぼ同じ。鏡を見ているような錯覚に陥る。けれど、その瞳に宿る光は全く別物だった。
「エリカ、あなたはまだ子供ね。……男の人が、どんな理由で『一目惚れ』なんて言葉を使うのか、少しは疑った方がいいわよ」
冷たい囁きを残して、伯母は自分の部屋へと消えていった。
翌日、リヒャルト様から誘いがあり、私たちはいつものように王都の公園を散策した。
彼は昨日よりもずっと優しく、私を気遣ってくれた。まるであの日の失態を塗り潰そうとするかのように。
「エリカ、顔色が悪い。……昨夜はあまり眠れなかったのかい?」
「ええ、少し。……リヒャルト様こそ、お疲れではないですか? 昨日は、その、私の伯母と面識があったようで驚きました」
私の問いに、リヒャルト様の手がピクリと止まった。
並んで歩く彼の横顔は、彫刻のように整っている。けれどその輪郭が、微かに強張った。
「……彼女は、学園時代の知り合いだ。もう十年も前のことだよ」
「それだけ、ですか?」
「それだけだ」
彼は立ち止まり、私の両手を包み込んだ。
手袋越しに伝わる彼の熱は、いつもよりずっと強く、縋るような必死さが混じっていた。
「エリカ。私は、君を愛している。君と出会って、私はようやく、自分の人生を歩き出せると確信したんだ。過去のことは…… 君には関係のないことだ。どうか、信じてほしい」
その言葉に嘘はないのだと思う。
私を見つめる彼の瞳には、確かに深い情愛が灯っている。
けれど、彼が「過去」と言い切ったその言葉の奥に、私は触れてはいけない暗闇を感じていた。
十年前。彼は十七歳。伯母も十七歳。若き日の二人が何を語り、何を分かち合ったのか。
私は気づいてしまった……。リヒャルト様が私を「一目惚れ」したと言った、その本当の理由。
私と伯母は、よく似ている。金色の髪、目の形、そして立ち振る舞いまで。
もしかして、私は、伯母の面影を追うための「身代わり」なのではないか。
その疑念が一度芽生えると、彼から注がれる愛の言葉すべてが、空虚な響きを持って私の胸に虚しく響いた。
リヒャルト様の指先が私の頬を撫でる。その優しさが、今は何よりも残酷だった。
数日後。私は、学園の友人からある噂を耳にする。
かつて、アシュベリー家の次男と、グロスナー侯爵家の末娘(ミレイユ伯母様)が、激しい恋に落ちていたこと。そして、彼が家督を継ぐ望みがないと知るや否や、彼女が冷酷に彼を捨てたこと。
「ミレイユ様は、もっと身分の高い、あるいは財産のある相手を求めていたのよ。でも、結局彼女は行き遅れてしまった。皮肉なものよね。今やリヒャルト様の方が、ずっと高嶺の花になってしまったんですもの」
友人の言葉に、私は眩暈を覚えた。
ミレイユ伯母様が今、どのような目でリヒャルト様を見ているのか。
そして、リヒャルト様が、自分を捨てたはずの「かつての恋人」を、どのような思いで見つめ返しているのか。
幸せだったはずの婚約期間。その歯車が、音を立てて狂い始めていた。
______________
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両親も兄も、リヒャルト様の異様な様子には気づかなかったようだ。ただ「少し緊張されていたようね」と笑う母の傍らで、私は胸の奥に刺さった冷たい棘の感触を拭えずにいた。
リヒャルト様は、伯母様と視線が合うたびに、まるで罪を咎められた子供のように目を逸らしていた。そして伯母――ミレイユ様は、そんな彼を観察するように、ゆっくりと、愉しげにワインのグラスを傾けていたのだ。
「……ミレイユ伯母様、あの……アシュベリー伯爵をご存知だったのですか?」
客人が帰り、静まり返った廊下で、私は部屋へ戻ろうとする伯母を呼び止めた。
伯母は足を止め、私を振り返る。二十七歳の彼女は、十八歳の私にはない、成熟した大人の毒のような色気を纏っている。ガヴァネスという厳格な職業に就きながら、どこか奔放な雰囲気を感じさせる女性だった。
「ええ。昔…… 少しだけね。彼がまだ、何者でもなかった頃の話よ」
伯母は細い指先で自分の唇をなぞり、ふふ、と喉の奥で笑った。
「彼、とても立派になったわね。お兄様が病気になられたとかで、次男坊だった彼が爵位を継ぐなんて。人生、何が起こるか分からないものだわ。…… ねえ…… エリカ?」
その言葉の端々に、隠しきれない棘があった。
まるで、今の彼が手にした「伯爵」という地位に、私以上に強い関心を抱いているかのような……。
「昔、彼と……何かあったのですか?」
「さあ、どうかしら。でも、彼は私を忘れていないようだったわ。だって、あの人にとって私は――」
伯母はそこで言葉を切り、私に歩み寄った。
私と彼女の身長はほぼ同じ。鏡を見ているような錯覚に陥る。けれど、その瞳に宿る光は全く別物だった。
「エリカ、あなたはまだ子供ね。……男の人が、どんな理由で『一目惚れ』なんて言葉を使うのか、少しは疑った方がいいわよ」
冷たい囁きを残して、伯母は自分の部屋へと消えていった。
翌日、リヒャルト様から誘いがあり、私たちはいつものように王都の公園を散策した。
彼は昨日よりもずっと優しく、私を気遣ってくれた。まるであの日の失態を塗り潰そうとするかのように。
「エリカ、顔色が悪い。……昨夜はあまり眠れなかったのかい?」
「ええ、少し。……リヒャルト様こそ、お疲れではないですか? 昨日は、その、私の伯母と面識があったようで驚きました」
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並んで歩く彼の横顔は、彫刻のように整っている。けれどその輪郭が、微かに強張った。
「……彼女は、学園時代の知り合いだ。もう十年も前のことだよ」
「それだけ、ですか?」
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彼は立ち止まり、私の両手を包み込んだ。
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「エリカ。私は、君を愛している。君と出会って、私はようやく、自分の人生を歩き出せると確信したんだ。過去のことは…… 君には関係のないことだ。どうか、信じてほしい」
その言葉に嘘はないのだと思う。
私を見つめる彼の瞳には、確かに深い情愛が灯っている。
けれど、彼が「過去」と言い切ったその言葉の奥に、私は触れてはいけない暗闇を感じていた。
十年前。彼は十七歳。伯母も十七歳。若き日の二人が何を語り、何を分かち合ったのか。
私は気づいてしまった……。リヒャルト様が私を「一目惚れ」したと言った、その本当の理由。
私と伯母は、よく似ている。金色の髪、目の形、そして立ち振る舞いまで。
もしかして、私は、伯母の面影を追うための「身代わり」なのではないか。
その疑念が一度芽生えると、彼から注がれる愛の言葉すべてが、空虚な響きを持って私の胸に虚しく響いた。
リヒャルト様の指先が私の頬を撫でる。その優しさが、今は何よりも残酷だった。
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そして、リヒャルト様が、自分を捨てたはずの「かつての恋人」を、どのような思いで見つめ返しているのか。
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