婚約破棄された王宮女官―人違いの媚薬の夜から、側近公爵令息の執着が始まりました

恋せよ恋

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近づくほどに、壊れる

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 ウォルターは、とにかく女にモテた。
 バークレー辺境伯家の嫡男という身分ゆえか、それとも彫像のように整った顔立ちと、逞しい体躯ゆえか。

 だから、あの日の出来事も――彼にとっては、よくある厄介事のひとつとして片付けていた。

 休憩時間を、かしましい侍女たちに邪魔されることを嫌い、小部屋で昼寝をしていた時のことだ。
 突然、誰かが扉を押し開けて飛び込んできたかと思えば、その女は、ドアノブを握ったまま、扉に額を押しつけて震えていた。

 昼寝を邪魔された寝起きだったこともあり、ウォルターは反射的に、いつもの女たちと同じ、迷惑な追っかけだと判断した。そして、冷たい言葉を投げかけ、邪険に追い払った。

――だが、今にして思えば。

 あの時の彼女の態度や様子は、明らかに切羽詰まっていた。決して、ウォルターの寝込みを狙うような、節操のない女たちと同類ではなかったはずだ。

 それでも当時は、眠気と、昼寝を邪魔された不機嫌さが勝っていた。

 そして今。

 自分の目の前で、めまいに耐えきれずふらつき、思わず腕に抱きとめた彼女――王女付き女官、オレーリア。

 触れて、初めてわかった。その身体は、驚くほどに細く、軽かった。顔色も、化粧で隠しているのだろうが、青白く、どこか具合が悪そうだ。

 ウォルターの胸に、素朴な疑問が湧き上がる。王宮の女官といえば、成績も優秀で、身分や人品も確かな者ばかりのはずだ。
 
 そんな彼女が、なぜ、ここまで――“何かに追い詰められている”ような状態にあるのか。

 オレーリアを医務室へと連れて行くウォルターの表情は、自然と、思案げなものになっていた。



 医務室のベッドで休むオレーリアの顔色は、幾分か赤みを取り戻していた。
 それでも、皮膚や唇は乾き、肌からは張りが失われている。目元や表情に滲む深い疲労は、見る者の胸を締めつけるほど――痛ましい姿だった。

 王宮付き女医シャーロットは、診察をしながら、ひとつの事実に気づいていた。オレーリアの受け答えの仕方、身体に現れている症状。それらが、明確にひとつの事実を示している。

――意に沿わぬ行為によって、心と身体に深い傷を負った者の反応。

 だが、本人が“それ”を口にしない限り、シャーロットから踏み込むことはしない。ただ静かに、寄り添い、待つ。それが彼女の信条だった。

「目が覚めた? 眠っていたのは一時間ほどよ。エスメラルダ王女殿下には報告してあるわ。午後からは休むように、とお言葉をいただいています。」

 ゆっくりと瞼が上がり、一瞬、不安そうな表情を浮かべたオレーリアに、シャーロットが穏やかに声をかける。

「……お世話になりました。ありがとうございます。」

 そう言うと、すぐに起き上がり、医務室を後にしようとするオレーリアに、シャーロットが静かに語りかけた。

「あなたのような苦しみを抱える女性は、他にもいるわ。あなただけじゃない。だから――苦しくなったら、また、話しに来てちょうだい。」

 その言葉が、張り詰めていたオレーリアの心に、ゆっくりと沁み込んでいく。

 誰かに聞いてほしかった。わかってほしかった。理不尽さも、悲しみも、怒りも――。

 気づけば、オレーリアの瞳から涙が溢れ落ちていた。それはやがて嗚咽となり、声を抑えきれない号泣へと変わる。

 そして、彼女はぽつり、ぽつりと、あの夜の出来事を語り始めた。こんな場面でさえ、エドワードの名を伏せることだけは、忘れなかった。

――その声は、オレーリアの様子が気になり、医務室の扉の前まで来ていたウォルターの耳に、断片的な囁きとして届いた。

 訓練を積んだ者でなければ聞き取れないほどの、微かな囁き声。だが、ウォルターには――すべてが、はっきりと聞こえた。

 次の瞬間、胸の奥から、激しい怒りと正義感が噴き上がる。その矛先が、誰に向けられるべきものなのか、考えるまでもなかった。

 行き場のない感情を抑えるように、ウォルターは拳を強く握り締め、無言のまま、その場を後にした。



 エドワードは、エイドリアン王太子のお供として、エスメラルダ王女の居室で茶を口にしていた。
 だが、その視線は無意識のうちに室内を巡り、オレーリアの姿を探してしまう。――どこにも、いない。

 その様子に気づいたのか、エイドリアンが軽く首を傾げて尋ねた。

「おや? オレーリア女官の姿が見えないのは珍しいね。確か、エスメラルダのお気に入りだっただろう?」

「ええ。オレーリアは体調を崩したようで、午後からお休みしてもらったの。医務室で診てもらって、シャーロット先生から連絡があったわ」

 王女の言葉に、エドワードの顔がわずかに強張る。その微かな変化を、エイドリアンは見逃さなかった。

「そうか。大事がなければいいね。……エド、ここはもういいよ。僕は護衛と戻るから、君は先に帰りなさい」

 その心遣いに感謝しつつ、エドワードは静かに席を立つと、真っ直ぐ医務室へと足を向けた。

 

 医務室のある廊下の角を曲がったところで、ちょうど医務室に背を向けて立ち去るウォルターの姿が目に入る。その瞬間、エドワードの胸に、黒い染みのようなものがじわりと広がった。

__トントンッ  大きく息を吐いてから、医務室の扉を叩く。

「失礼します」

 声をかけ、エドワードが医務室に入室する。

 室内は白いカーテンでいくつかに仕切られており、そのうち一箇所だけが引かれていた。そこから、シャーロット医師が顔をのぞかせる。

「あら、珍しい方ね。エドワード様、どうなさいました?」

 気安い調子で声をかけるシャーロットに対し、エドワードはすぐには答えず、室内を見回す。その視線は、明らかに“誰か”を探していた。それは彼にしては、あまりにも人間味のある反応だった。

「……あの……オレーリア女官が、こちらにいると聞いたのですが……」

 その名を耳にした瞬間、オレーリアの表情が、目に見えて強張った。その反応だけで、シャーロットは多くを悟る。――同時に、信じがたい思いも胸をよぎった。

(まさか……エドワード公爵令息が?そんなことが……いえ……でも……)

 シャーロットは答える前に、オレーリアの意思を確かめようと、静かに視線を向けた。

 その先にいたのは――膝の上で両手を固く握り締め、顔を伏せたまま、微かに肩を震わせるオレーリアの姿だった。

 その一瞬で、シャーロットは悟る。

――彼だ。エドワード・チャーチル公爵令息こそが、オレーリア嬢を傷つけた相手なのだ、と。

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本作は、登場人物の心情や葛藤を重く描く場面が含まれます。
読み進める中で、不安や痛みを感じられる方もいらっしゃるかもしれません。

それでも、この物語を最後まで丁寧に紡いでいきたいと思っています。
ご理解いただける方に、そっと見守っていただけたら幸いです。


 
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