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伯爵家への養子縁組
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貧乏子爵家の三男坊に過ぎなかったリカルドが、我がオーブライト公爵家の傘下でも屈指の勢力を誇る「エルンスト伯爵家」の養子、そして次期嫡男として迎え入れられたのだ。
エルンスト伯爵には男子がいなかった。とはいえ、家門の将来を左右する養子縁組に、どこの馬の骨ともしれない三男坊が選ばれるなど前代未聞だ。だが、リカルドがこれまで学園で見せてきた圧倒的な成績と、公爵令嬢である私が後ろ盾になっていたという事実は、反対派の口を封じるに十分な説得力を持っていた。
「リカルド・エルンスト、と。これからはそう呼ぶべきかしら」
放課後の生徒会室。私は書類を整理しながら、窓辺に立つ青年へ声をかけた。
リカルドは、以前の安物の制服ではなく、伯爵家の紋章が刻まれた最高級の生地の制服を纏っている。背負う「家」が変わったことで、彼の纏う空気はさらに鋭く、近寄りがたいほどの気品を放っていた。
「呼び方など、あなたが好きにすればいい。……すべては、あなたの隣に立つ権利を得るための、第一歩に過ぎません」
リカルドは静かに振り返った。その茶色の瞳には、かつての焦燥ではなく、底知れない覚悟が沈んでいる。
「……やりすぎよ。伯爵家の嫡男になれば、もう後戻りはできないわ。あなたは一生、政治という泥沼に身を置くことになるのよ」
「泥沼なら、出会った時から浸かっています。……あなたを独りで歩かせるよりはマシだ」
私は胸の奥が熱くなるのを必死に抑え、わざと書類に視線を落とした。
彼がどれほどの執念でこの地位をもぎ取ったのか。伯爵を納得させるために、どれほどの利益を提示し、どのような策を弄したのか。私が手配したあの教育を、彼は私の想像を絶する形で武器に変えていた。
リカルドの地位向上は、学園内のパワーバランスを瞬く間に塗り替えた。
これまで彼を「成金の愛玩動物」のように見ていた上位貴族たちも、今や彼に媚びを売り始めている。
一方で、面白くないのはエドワード王太子だ。
「セシリア。君の犬が、少々吠え面をかいているようじゃないか」
数日後、王宮で行われた夜会。エドワード殿下は、私の隣で不機嫌そうに酒を煽っていた。
殿下の視線の先には、令嬢たちに囲まれながらも、冷徹な態度で貴族たちと談笑するリカルドの姿がある。
「犬ではありませんわ、殿下。彼は我が家門の大切な支柱です。殿下の側近候補としても、これ以上の適任はいないかと」
「側近? あんな生意気な奴をか? 私は、もっとこう……私の心を癒してくれるような、素直な者がいい」
そう言って殿下が目を向けたのは、華やかなドレスで着飾ったミナ・アルベール伯爵令嬢だった。
ミナ嬢は、殿下の側近候補である若手貴族たち数人を従え、まるで自分が王太子妃であるかのように振舞っている。
「エドワード様、あまりセシリア様をいじめてはいけませんわ」
ミナ嬢が、扇子で口元を隠しながら近づいてきた。その瞳には、私に対する明白な敵意と嘲弄が浮かんでいる。
「セシリア様はあまりに優秀すぎて、殿下には少しばかり重荷なのですものね。……殿下、あちらに新しい果実酒が届いたそうですわ。わたくしと一緒にいかが?」
「ああ、行こう。……セシリア、君はそこで得意の『公爵令嬢らしい完璧な置物』でも演じていろ」
殿下は私を一顧だにせず、ミナ嬢の腰に手を添えて去っていった。
周囲の視線が痛い。憐れみ、蔑み、好奇。私はただ、背筋を伸ばし、冷めたシャンパンを口にした。悔しいのではない。ただ、この茶番がどこまで続くのかという、底冷えするような虚無感だけが私を支配していた。
その時。
「……ダンスを一曲、いかがでしょうか。オーブライト公爵令嬢」
騒がしい会場の音が、一瞬で遠のいた。
目の前に差し出された、逞しい手。見上げれば、そこにはリカルドが立っていた。彼は周囲の貴族たちが息を呑むのも構わず、私の前に深々と跪いている。
「リカルド、やめなさい。あなたは今、注目を浴びているのよ。私のような……『殿下に捨てられた女』と踊れば、あなたの名に傷がつくわ」
「誰が捨てられたと? ……俺の目には、あなたが不相応な泥を振り払ったようにしか見えませんが」
彼は私の返事も待たず、強引に私の手を取り、そのまま、ホールの中心へと連れ出される。
楽団が演奏を始めたのは、激しく、情熱的な旋律のワルツだった。リカルドのリードは、驚くほど力強く、それでいて私の動きを完璧に予測していた。かつて、私がレッスンで「エスコートは女性の影になりなさい」と教えた通りに。
「……あんな女狐と王太子に、好き勝手させておくつもりですか」
踊りながら、リカルドが耳元で囁く。その声は低く、怒りで震えていた。
「どうしようもないわ。これがこの国の形。私は駒に過ぎないの」
「なら、俺が盤面をひっくり返す。……セシリア、あなたはただ、そこで見ていてください」
リカルドの瞳が、爛々と輝く。
それは、獲物を追い詰める捕食者の目だった。私はその瞳の中に、私が育てたはずのない「魔性」を見て、震えた。
曲が終わると同時に、リカルドは私の手にそっと唇を寄せ、周囲に聞こえるような声で告げた。
「エルンスト伯爵家は、今後もオーブライト公爵家、そしてセシリア様に忠誠を誓います。……何があろうとも」
その宣言は、王太子への事実上の反逆にも等しいものだった。
遠くでミナ嬢と笑っていたエドワード殿下の顔が、怒りで真っ赤に染まる。王宮の夜会という華やかな舞台の裏で、ついに決定的な亀裂が走った。
そしてリカルドは、密かに次の駒を動かし始めていた。王位継承権を持ちながらも、冷遇されている「第二王子」という、最強のカードを。
______________
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エルンスト伯爵には男子がいなかった。とはいえ、家門の将来を左右する養子縁組に、どこの馬の骨ともしれない三男坊が選ばれるなど前代未聞だ。だが、リカルドがこれまで学園で見せてきた圧倒的な成績と、公爵令嬢である私が後ろ盾になっていたという事実は、反対派の口を封じるに十分な説得力を持っていた。
「リカルド・エルンスト、と。これからはそう呼ぶべきかしら」
放課後の生徒会室。私は書類を整理しながら、窓辺に立つ青年へ声をかけた。
リカルドは、以前の安物の制服ではなく、伯爵家の紋章が刻まれた最高級の生地の制服を纏っている。背負う「家」が変わったことで、彼の纏う空気はさらに鋭く、近寄りがたいほどの気品を放っていた。
「呼び方など、あなたが好きにすればいい。……すべては、あなたの隣に立つ権利を得るための、第一歩に過ぎません」
リカルドは静かに振り返った。その茶色の瞳には、かつての焦燥ではなく、底知れない覚悟が沈んでいる。
「……やりすぎよ。伯爵家の嫡男になれば、もう後戻りはできないわ。あなたは一生、政治という泥沼に身を置くことになるのよ」
「泥沼なら、出会った時から浸かっています。……あなたを独りで歩かせるよりはマシだ」
私は胸の奥が熱くなるのを必死に抑え、わざと書類に視線を落とした。
彼がどれほどの執念でこの地位をもぎ取ったのか。伯爵を納得させるために、どれほどの利益を提示し、どのような策を弄したのか。私が手配したあの教育を、彼は私の想像を絶する形で武器に変えていた。
リカルドの地位向上は、学園内のパワーバランスを瞬く間に塗り替えた。
これまで彼を「成金の愛玩動物」のように見ていた上位貴族たちも、今や彼に媚びを売り始めている。
一方で、面白くないのはエドワード王太子だ。
「セシリア。君の犬が、少々吠え面をかいているようじゃないか」
数日後、王宮で行われた夜会。エドワード殿下は、私の隣で不機嫌そうに酒を煽っていた。
殿下の視線の先には、令嬢たちに囲まれながらも、冷徹な態度で貴族たちと談笑するリカルドの姿がある。
「犬ではありませんわ、殿下。彼は我が家門の大切な支柱です。殿下の側近候補としても、これ以上の適任はいないかと」
「側近? あんな生意気な奴をか? 私は、もっとこう……私の心を癒してくれるような、素直な者がいい」
そう言って殿下が目を向けたのは、華やかなドレスで着飾ったミナ・アルベール伯爵令嬢だった。
ミナ嬢は、殿下の側近候補である若手貴族たち数人を従え、まるで自分が王太子妃であるかのように振舞っている。
「エドワード様、あまりセシリア様をいじめてはいけませんわ」
ミナ嬢が、扇子で口元を隠しながら近づいてきた。その瞳には、私に対する明白な敵意と嘲弄が浮かんでいる。
「セシリア様はあまりに優秀すぎて、殿下には少しばかり重荷なのですものね。……殿下、あちらに新しい果実酒が届いたそうですわ。わたくしと一緒にいかが?」
「ああ、行こう。……セシリア、君はそこで得意の『公爵令嬢らしい完璧な置物』でも演じていろ」
殿下は私を一顧だにせず、ミナ嬢の腰に手を添えて去っていった。
周囲の視線が痛い。憐れみ、蔑み、好奇。私はただ、背筋を伸ばし、冷めたシャンパンを口にした。悔しいのではない。ただ、この茶番がどこまで続くのかという、底冷えするような虚無感だけが私を支配していた。
その時。
「……ダンスを一曲、いかがでしょうか。オーブライト公爵令嬢」
騒がしい会場の音が、一瞬で遠のいた。
目の前に差し出された、逞しい手。見上げれば、そこにはリカルドが立っていた。彼は周囲の貴族たちが息を呑むのも構わず、私の前に深々と跪いている。
「リカルド、やめなさい。あなたは今、注目を浴びているのよ。私のような……『殿下に捨てられた女』と踊れば、あなたの名に傷がつくわ」
「誰が捨てられたと? ……俺の目には、あなたが不相応な泥を振り払ったようにしか見えませんが」
彼は私の返事も待たず、強引に私の手を取り、そのまま、ホールの中心へと連れ出される。
楽団が演奏を始めたのは、激しく、情熱的な旋律のワルツだった。リカルドのリードは、驚くほど力強く、それでいて私の動きを完璧に予測していた。かつて、私がレッスンで「エスコートは女性の影になりなさい」と教えた通りに。
「……あんな女狐と王太子に、好き勝手させておくつもりですか」
踊りながら、リカルドが耳元で囁く。その声は低く、怒りで震えていた。
「どうしようもないわ。これがこの国の形。私は駒に過ぎないの」
「なら、俺が盤面をひっくり返す。……セシリア、あなたはただ、そこで見ていてください」
リカルドの瞳が、爛々と輝く。
それは、獲物を追い詰める捕食者の目だった。私はその瞳の中に、私が育てたはずのない「魔性」を見て、震えた。
曲が終わると同時に、リカルドは私の手にそっと唇を寄せ、周囲に聞こえるような声で告げた。
「エルンスト伯爵家は、今後もオーブライト公爵家、そしてセシリア様に忠誠を誓います。……何があろうとも」
その宣言は、王太子への事実上の反逆にも等しいものだった。
遠くでミナ嬢と笑っていたエドワード殿下の顔が、怒りで真っ赤に染まる。王宮の夜会という華やかな舞台の裏で、ついに決定的な亀裂が走った。
そしてリカルドは、密かに次の駒を動かし始めていた。王位継承権を持ちながらも、冷遇されている「第二王子」という、最強のカードを。
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