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女狐の影
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リカルドがエルンスト伯爵家の嫡男となってから、学園内の空気は一変した。
彼はその卓越した実務能力と家門の威光を背景に、異例の速さで王太子の側近候補、その筆頭へと上り詰めたのだ。
だが、それは同時に、毒に満ちた園へと足を踏み入れることでもあった。
「あら、セシリア様。本日もお一人ですの? エドワード様はわたくしと、午後のティータイムの約束がございますのよ」
学園の回廊。取り巻きを連れたミナ・アルベールが、勝ち誇ったような笑みで私の前に立ちはだかる。
彼女は最近、王太子殿下の寵愛を盾に、学園内の風紀を乱し始めていた。それだけではない。殿下の側近候補である四人の令息たち――侯爵家の次男や伯爵家の嫡男たち――にも、巧妙に媚を売っているという噂だ。
「そう。殿下がお楽しみなら、何よりだわ」
私が無感情に答えようとした、その時だった。
「アルベール嬢。公爵令嬢の進路を塞ぐとは、いつから伯爵家は王家以上の礼節を身につけたのかな?」
冷徹な声と共に現れたのは、リカルドだった。
彼の背後には、同じく側近候補に選ばれた三人の男子生徒たちが控えている。リカルドは彼らのリーダー格として、すでに隠然たる影響力を築いていた。
「リ、リカルド様……! わたくし、そんなつもりでは……」
「退きなさい。君の香水の匂いは、セシリア様の好む花の香りを汚している」
リカルドの冷ややかな一言に、ミナは顔を屈辱で赤く染め、逃げるように去っていった。
取り残された私とリカルド。彼は一瞬だけ、かつて私が見せたことのないほど深い、慈しむような目で私を見た。けれど、次の瞬間にはそれを隠し、事務的な一礼を捧げる。
「……リカルド。側近に選ばれたそうね。おめでとう」
「ありがとうございます、セシリア様。……すべては、計画通りです」
彼の囁きは、私にしか聞こえないほど小さかった。
計画? 私は首を傾げたが、彼はそれ以上何も語らず、側近たちを引き連れて殿下の執務室へと向かっていった。
数日後、私は耳を疑うような光景を目撃した。
学園の温室。そこでは、エドワード殿下がミナと、目を覆いたくなるほど親密な様子で語らっていた。
それだけではない。殿下は、ミナが他の側近たちと親しくしていることさえ「彼女の愛嬌だ」と笑って許しているというのだ。
「……狂っているわ」
私は一人、図書室のテラスで溜息をついた。
殿下はミナという毒婦に骨抜きにされ、国政や義務を疎かにしている。このままでは、オーブライト公爵家が支えるこの国の土台が腐り落ちてしまう。
だが、今の私に何ができる? 婚約者という名の、発言権のない飾りに過ぎない私が。
その時、テラスの陰から人影が現れた。
リカルドではない。それは、病弱を理由に滅多に表舞台に姿を見せない、第二王子・リュカ殿下だった。
「……セシリア嬢。冷えたお茶を飲むのは体に毒だよ」
「リュカ殿下……。失礼いたしました、気づきもせず」
私が慌てて立ち上がろうとすると、リュカ殿下は穏やかな手つきでそれを制した。その瞳は、兄である王太子とは対照的に、理知的で鋭い。
「兄上とミナ嬢の件、心を痛めているだろう? だが、安心していい。……君の育てた『宝石』は、実に有能だ」
「え……?」
リュカ殿下が微笑む。その笑みには、王族特有の冷酷な計算が見え隠れしていた。
「彼は先日、僕の元を訪ねてきたよ。『王冠を貴方に。その代わり、彼女を僕に』――そう、堂々と取引を持ちかけてきた。貧乏子爵の三男坊だった頃の彼なら笑い飛ばしたが、今の彼には、その価値がある」
私は衝撃に言葉を失った。リカルドが、第二王子と裏で繋がっている?王太子を失脚させ、私を「貰い受ける」ために?
「彼は今、側近という立場を利用して、兄上とミナ嬢の不貞、そして汚職の証拠をすべて集めている。あとの三人の側近たちも、すでに彼の掌の上だ。彼らはミナ嬢に誘惑されながら、同時にリカルドに弱みを握られているのさ」
リュカ殿下は楽しげに告げた。
「セシリア嬢。君が彼を『完璧』に育てすぎたせいだ。彼は、君を手に入れるためなら、この国を壊すことさえ厭わない。……愛されているね、氷の令嬢」
足元が崩れるような感覚に陥った。私を救うため? いいえ、これは救済ではない。これは、私が教えた「知略」と「気品」を武器にした、執念の略奪だ。
遠くで、リカルドが側近たちを従えて歩く姿が見えた。彼は一度もこちらを振り返らなかったが、その背中からは、誰にも邪魔をさせないという強固な意志が溢れていた。
私が磨いた「秋色の宝石」。それは今や、持ち主である私を飲み込もうとする、巨大な闇へと変貌を遂げようとしていた。
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彼はその卓越した実務能力と家門の威光を背景に、異例の速さで王太子の側近候補、その筆頭へと上り詰めたのだ。
だが、それは同時に、毒に満ちた園へと足を踏み入れることでもあった。
「あら、セシリア様。本日もお一人ですの? エドワード様はわたくしと、午後のティータイムの約束がございますのよ」
学園の回廊。取り巻きを連れたミナ・アルベールが、勝ち誇ったような笑みで私の前に立ちはだかる。
彼女は最近、王太子殿下の寵愛を盾に、学園内の風紀を乱し始めていた。それだけではない。殿下の側近候補である四人の令息たち――侯爵家の次男や伯爵家の嫡男たち――にも、巧妙に媚を売っているという噂だ。
「そう。殿下がお楽しみなら、何よりだわ」
私が無感情に答えようとした、その時だった。
「アルベール嬢。公爵令嬢の進路を塞ぐとは、いつから伯爵家は王家以上の礼節を身につけたのかな?」
冷徹な声と共に現れたのは、リカルドだった。
彼の背後には、同じく側近候補に選ばれた三人の男子生徒たちが控えている。リカルドは彼らのリーダー格として、すでに隠然たる影響力を築いていた。
「リ、リカルド様……! わたくし、そんなつもりでは……」
「退きなさい。君の香水の匂いは、セシリア様の好む花の香りを汚している」
リカルドの冷ややかな一言に、ミナは顔を屈辱で赤く染め、逃げるように去っていった。
取り残された私とリカルド。彼は一瞬だけ、かつて私が見せたことのないほど深い、慈しむような目で私を見た。けれど、次の瞬間にはそれを隠し、事務的な一礼を捧げる。
「……リカルド。側近に選ばれたそうね。おめでとう」
「ありがとうございます、セシリア様。……すべては、計画通りです」
彼の囁きは、私にしか聞こえないほど小さかった。
計画? 私は首を傾げたが、彼はそれ以上何も語らず、側近たちを引き連れて殿下の執務室へと向かっていった。
数日後、私は耳を疑うような光景を目撃した。
学園の温室。そこでは、エドワード殿下がミナと、目を覆いたくなるほど親密な様子で語らっていた。
それだけではない。殿下は、ミナが他の側近たちと親しくしていることさえ「彼女の愛嬌だ」と笑って許しているというのだ。
「……狂っているわ」
私は一人、図書室のテラスで溜息をついた。
殿下はミナという毒婦に骨抜きにされ、国政や義務を疎かにしている。このままでは、オーブライト公爵家が支えるこの国の土台が腐り落ちてしまう。
だが、今の私に何ができる? 婚約者という名の、発言権のない飾りに過ぎない私が。
その時、テラスの陰から人影が現れた。
リカルドではない。それは、病弱を理由に滅多に表舞台に姿を見せない、第二王子・リュカ殿下だった。
「……セシリア嬢。冷えたお茶を飲むのは体に毒だよ」
「リュカ殿下……。失礼いたしました、気づきもせず」
私が慌てて立ち上がろうとすると、リュカ殿下は穏やかな手つきでそれを制した。その瞳は、兄である王太子とは対照的に、理知的で鋭い。
「兄上とミナ嬢の件、心を痛めているだろう? だが、安心していい。……君の育てた『宝石』は、実に有能だ」
「え……?」
リュカ殿下が微笑む。その笑みには、王族特有の冷酷な計算が見え隠れしていた。
「彼は先日、僕の元を訪ねてきたよ。『王冠を貴方に。その代わり、彼女を僕に』――そう、堂々と取引を持ちかけてきた。貧乏子爵の三男坊だった頃の彼なら笑い飛ばしたが、今の彼には、その価値がある」
私は衝撃に言葉を失った。リカルドが、第二王子と裏で繋がっている?王太子を失脚させ、私を「貰い受ける」ために?
「彼は今、側近という立場を利用して、兄上とミナ嬢の不貞、そして汚職の証拠をすべて集めている。あとの三人の側近たちも、すでに彼の掌の上だ。彼らはミナ嬢に誘惑されながら、同時にリカルドに弱みを握られているのさ」
リュカ殿下は楽しげに告げた。
「セシリア嬢。君が彼を『完璧』に育てすぎたせいだ。彼は、君を手に入れるためなら、この国を壊すことさえ厭わない。……愛されているね、氷の令嬢」
足元が崩れるような感覚に陥った。私を救うため? いいえ、これは救済ではない。これは、私が教えた「知略」と「気品」を武器にした、執念の略奪だ。
遠くで、リカルドが側近たちを従えて歩く姿が見えた。彼は一度もこちらを振り返らなかったが、その背中からは、誰にも邪魔をさせないという強固な意志が溢れていた。
私が磨いた「秋色の宝石」。それは今や、持ち主である私を飲み込もうとする、巨大な闇へと変貌を遂げようとしていた。
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