8 / 11
騎士様の身勝手な愛
セバスチャン・マレーネは、自分が「非道な夫」だとは露ほども思っていなかった。
むしろ、自分はとても寛大で、多忙な妻を思いやる理想的な夫であるとさえ自負していたのだ。
学園時代、ミランダ・レーゲンに恋をしたあの瞬間、彼女は文字通りセバスチャンの「女神」だった。資産家伯爵家の令嬢という高嶺の花。彼女の視線を射止めたときの万能感、プロポーズを受け入れられたときの高揚感は、今でも人生最高の記憶だ。
結婚し、騎士団に入団したばかりの頃の彼は、間違いなく彼女を命懸けで守るつもりだった。
だが、現実は甘くはなかった。
結婚してすぐにミランダは長男を身ごもった。喜びも束の間、彼女の悪阻は凄まじく、香水や食べ物の匂いすら受け付けない。夜、彼女の隣に横たわっても、触れることすら憚られた。ただ背中をさすり、静かに眠るだけの夜が数ヶ月も続いた。
長男ニコラスが生まれてからも、状況は変わらなかった。
ミランダは完璧主義ゆえに、育児を他人任せにすることを好まなかった。夜泣きをする赤ん坊を抱き、常に寝不足で憔悴している彼女。そんな妻を見て、セバスチャンは「触れたい」という情欲よりも先に、「疲れる」という感情を抱いてしまったのだ。
(ああ、ミランダ。君は相変わらず綺麗だけれど、今の君を抱くのは、なんだか仕事の延長戦みたいだよ)
それなのに、一年後には第二子のエメリアを授かった。
二度の出産と育児、そして子爵家の膨大な執務。ミランダの肌からは瑞々しさが消え、代わりに「聖母」のような厳格なオーラが漂うようになった。
夜の営みなど、もう数えるほどしかない。エメリアが生まれてからは、ミランダの寝室には常に子供たちの気配があり、セバスチャンが「男」として入り込む隙間はどこにもなかった。
そんな時、手を差し伸べてきたのが、学園時代のクラスメイト、ヤスミン男爵夫人だった。
「セバスチャン様、そんなに肩を落としてどうなさったの? ミランダ様は相変わらず『完璧な夫人』でいらっしゃるのでしょう? 息を抜く場所もないなんて、お可哀想に」
ヤスミンの誘惑は、砂漠で飲む水のように甘かった。
彼女との関係は、ただの「火遊び」のつもりだった。彼女はミランダのような難しい理屈は言わないし、子爵家の財政を心配して説教することもない。ただ、セバスチャンを「頼もしい騎士様」として扱い、贅沢な酒と悦楽を与えてくれた。
そして一年半前。騎士団の任務で赴任した北方の村で、彼は決定的な「癒やし」に出会った。
それが、十八歳の村娘、デボラだった。
「騎士様、お疲れ様です! これ、お口に合えば嬉しいのですが……」
慣れない赴任先で、身の回りの世話をしてくれたデボラ。彼女は文字すらろくに書けない。政治も経済も知らない。けれど、セバスチャンが語る誇張された戦功話を、頬を染め、瞳を輝かせて「すごいですわ!」と聞き入ってくれた。
教養に裏打ちされたミランダの鋭い指摘とは正反対の、純粋で幼い賞賛。
若く、瑞々しい彼女の体は、セバスチャンが家庭で失った「男としてのプライド」を、これ以上ないほど満たしてくれた。
(彼女だけだ。僕を『ただの男』として、心から必要としてくれるのは……)
セバスチャンは、赴任期間が終わると、デボラを王都へと連れ帰り、密かに別邸を与えた。
「何も望まないから、ただ側にいさせてほしい」と泣く彼女を、彼は本気で守りたいと思った。
もちろん、ミランダのことは愛している。彼女がいなければ子爵家は立ち行かないし、伯爵家との繋がりも失われる。彼女はマレーネ家にとって、欠かすことのできない「至高の宝石」だ。
だが、宝石は飾っておくものであり、共に生活を営むには硬すぎて、重すぎる。
「ミランダがもう少し、デボラのように僕を敬い、母上とも上手くやってくれればいいのにな……」
ある日の午後。別邸でデボラが淹れた、安物の、けれど甘い香りのする茶を飲みながら、セバスチャンは独り言ちた。
デボラが彼の膝に乗って、幼い笑顔を見せる。
「セバスチャン様、奥様はとっても真面目な方なんですってね。私、あの方に申し訳なくて……でも、こんなに疲れていらっしゃるんですもの、私がお支えしないと」
「ああ、君は本当に優しいな。……妻は強いから大丈夫だよ。彼女は、僕が少し外で羽を伸ばしたくらいで怒るような女じゃない。彼女の関心は、僕よりも『完璧な執務』にあるんだから」
セバスチャンは、デボラの柔らかい肩を抱き寄せ、心地よい優越感に浸った。
ミランダは今頃、屋敷で必死に帳簿をつけ、子供たちに英才教育を施しているだろう。彼女の稼ぎ出す金と、彼女が整えた平和な日常があるからこそ、自分はこうして自由でいられる。
そんな贅沢な二重生活が、永遠に続く。セバスチャンは、心の底からそう信じて疑わなかった。
まさか、自分が「強い」と侮っていた妻が、すでにその背中に「絶別の剣」を突きつけているとも知らずに。
セバスチャンは、デボラの耳元で囁いた。
「明日は、母上が欲しがっていた宝石の代金が、ミランダから振り込まれる日なんだ。その後で、君にも何か綺麗なものを買ってあげよう」
彼が思い描く「明日」は、マレーネ子爵家にとって、この世の終わりのような日になるとも知らずに。
__________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
📢🌹新連載【『真実の愛』という名の不貞~シンデレラに恋をした王子様。では、王子の婚約者は?~】
むしろ、自分はとても寛大で、多忙な妻を思いやる理想的な夫であるとさえ自負していたのだ。
学園時代、ミランダ・レーゲンに恋をしたあの瞬間、彼女は文字通りセバスチャンの「女神」だった。資産家伯爵家の令嬢という高嶺の花。彼女の視線を射止めたときの万能感、プロポーズを受け入れられたときの高揚感は、今でも人生最高の記憶だ。
結婚し、騎士団に入団したばかりの頃の彼は、間違いなく彼女を命懸けで守るつもりだった。
だが、現実は甘くはなかった。
結婚してすぐにミランダは長男を身ごもった。喜びも束の間、彼女の悪阻は凄まじく、香水や食べ物の匂いすら受け付けない。夜、彼女の隣に横たわっても、触れることすら憚られた。ただ背中をさすり、静かに眠るだけの夜が数ヶ月も続いた。
長男ニコラスが生まれてからも、状況は変わらなかった。
ミランダは完璧主義ゆえに、育児を他人任せにすることを好まなかった。夜泣きをする赤ん坊を抱き、常に寝不足で憔悴している彼女。そんな妻を見て、セバスチャンは「触れたい」という情欲よりも先に、「疲れる」という感情を抱いてしまったのだ。
(ああ、ミランダ。君は相変わらず綺麗だけれど、今の君を抱くのは、なんだか仕事の延長戦みたいだよ)
それなのに、一年後には第二子のエメリアを授かった。
二度の出産と育児、そして子爵家の膨大な執務。ミランダの肌からは瑞々しさが消え、代わりに「聖母」のような厳格なオーラが漂うようになった。
夜の営みなど、もう数えるほどしかない。エメリアが生まれてからは、ミランダの寝室には常に子供たちの気配があり、セバスチャンが「男」として入り込む隙間はどこにもなかった。
そんな時、手を差し伸べてきたのが、学園時代のクラスメイト、ヤスミン男爵夫人だった。
「セバスチャン様、そんなに肩を落としてどうなさったの? ミランダ様は相変わらず『完璧な夫人』でいらっしゃるのでしょう? 息を抜く場所もないなんて、お可哀想に」
ヤスミンの誘惑は、砂漠で飲む水のように甘かった。
彼女との関係は、ただの「火遊び」のつもりだった。彼女はミランダのような難しい理屈は言わないし、子爵家の財政を心配して説教することもない。ただ、セバスチャンを「頼もしい騎士様」として扱い、贅沢な酒と悦楽を与えてくれた。
そして一年半前。騎士団の任務で赴任した北方の村で、彼は決定的な「癒やし」に出会った。
それが、十八歳の村娘、デボラだった。
「騎士様、お疲れ様です! これ、お口に合えば嬉しいのですが……」
慣れない赴任先で、身の回りの世話をしてくれたデボラ。彼女は文字すらろくに書けない。政治も経済も知らない。けれど、セバスチャンが語る誇張された戦功話を、頬を染め、瞳を輝かせて「すごいですわ!」と聞き入ってくれた。
教養に裏打ちされたミランダの鋭い指摘とは正反対の、純粋で幼い賞賛。
若く、瑞々しい彼女の体は、セバスチャンが家庭で失った「男としてのプライド」を、これ以上ないほど満たしてくれた。
(彼女だけだ。僕を『ただの男』として、心から必要としてくれるのは……)
セバスチャンは、赴任期間が終わると、デボラを王都へと連れ帰り、密かに別邸を与えた。
「何も望まないから、ただ側にいさせてほしい」と泣く彼女を、彼は本気で守りたいと思った。
もちろん、ミランダのことは愛している。彼女がいなければ子爵家は立ち行かないし、伯爵家との繋がりも失われる。彼女はマレーネ家にとって、欠かすことのできない「至高の宝石」だ。
だが、宝石は飾っておくものであり、共に生活を営むには硬すぎて、重すぎる。
「ミランダがもう少し、デボラのように僕を敬い、母上とも上手くやってくれればいいのにな……」
ある日の午後。別邸でデボラが淹れた、安物の、けれど甘い香りのする茶を飲みながら、セバスチャンは独り言ちた。
デボラが彼の膝に乗って、幼い笑顔を見せる。
「セバスチャン様、奥様はとっても真面目な方なんですってね。私、あの方に申し訳なくて……でも、こんなに疲れていらっしゃるんですもの、私がお支えしないと」
「ああ、君は本当に優しいな。……妻は強いから大丈夫だよ。彼女は、僕が少し外で羽を伸ばしたくらいで怒るような女じゃない。彼女の関心は、僕よりも『完璧な執務』にあるんだから」
セバスチャンは、デボラの柔らかい肩を抱き寄せ、心地よい優越感に浸った。
ミランダは今頃、屋敷で必死に帳簿をつけ、子供たちに英才教育を施しているだろう。彼女の稼ぎ出す金と、彼女が整えた平和な日常があるからこそ、自分はこうして自由でいられる。
そんな贅沢な二重生活が、永遠に続く。セバスチャンは、心の底からそう信じて疑わなかった。
まさか、自分が「強い」と侮っていた妻が、すでにその背中に「絶別の剣」を突きつけているとも知らずに。
セバスチャンは、デボラの耳元で囁いた。
「明日は、母上が欲しがっていた宝石の代金が、ミランダから振り込まれる日なんだ。その後で、君にも何か綺麗なものを買ってあげよう」
彼が思い描く「明日」は、マレーネ子爵家にとって、この世の終わりのような日になるとも知らずに。
__________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
📢🌹新連載【『真実の愛』という名の不貞~シンデレラに恋をした王子様。では、王子の婚約者は?~】
あなたにおすすめの小説
片思いの貴方に何度も告白したけど断られ続けてきた
アリス
恋愛
幼馴染で学生の頃から、ずっと好きだった人。
高校生くらいから何十回も告白した。
全て「好きなの」
「ごめん、断る」
その繰り返しだった。
だけど彼は優しいから、時々、ご飯を食べに行ったり、デートはしてくれる。
紛らわしいと思う。
彼に好きな人がいるわけではない。
まだそれなら諦めがつく。
彼はカイル=クレシア23歳
イケメンでモテる。
私はアリア=ナターシャ20歳
普通で人には可愛い方だと言われた。
そんなある日
私が20歳になった時だった。
両親が見合い話を持ってきた。
最後の告白をしようと思った。
ダメなら見合いをすると言った。
その見合い相手に溺愛される。
夫の告白に衝撃「家を出て行け!」幼馴染と再婚するから子供も置いて出ていけと言われた。
佐藤 美奈
恋愛
伯爵家の長男レオナルド・フォックスと公爵令嬢の長女イリス・ミシュランは結婚した。
三人の子供に恵まれて平穏な生活を送っていた。
だがその日、夫のレオナルドの言葉で幸せな家庭は崩れてしまった。
レオナルドは幼馴染のエレナと再婚すると言い妻のイリスに家を出て行くように言う。
イリスは驚くべき告白に動揺したような表情になる。
「子供の親権も放棄しろ!」と言われてイリスは戸惑うことばかりで、どうすればいいのか分からなくて混乱した。
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが
マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって?
まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ?
※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。
※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。
あ、すみません。私が見ていたのはあなたではなく、別の方です。
秋月一花
恋愛
「すまないね、レディ。僕には愛しい婚約者がいるんだ。そんなに見つめられても、君とデートすることすら出来ないんだ」
「え? 私、あなたのことを見つめていませんけれど……?」
「なにを言っているんだい、さっきから熱い視線をむけていたじゃないかっ」
「あ、すみません。私が見ていたのはあなたではなく、別の方です」
あなたの護衛を見つめていました。だって好きなのだもの。見つめるくらいは許して欲しい。恋人になりたいなんて身分違いのことを考えないから、それだけはどうか。
「……やっぱり今日も格好いいわ、ライナルト様」
うっとりと呟く私に、ライナルト様はぎょっとしたような表情を浮かべて――それから、
「――俺のことが怖くないのか?」
と話し掛けられちゃった! これはライナルト様とお話しするチャンスなのでは?
よーし、せめてお友達になれるようにがんばろう!
【完結】美しい人。
❄️冬は つとめて
恋愛
「あなたが、ウイリアム兄様の婚約者? 」
「わたくし、カミーユと言いますの。ねえ、あなたがウイリアム兄様の婚約者で、間違いないかしら。」
「ねえ、返事は。」
「はい。私、ウイリアム様と婚約しています ナンシー。ナンシー・ヘルシンキ伯爵令嬢です。」
彼女の前に現れたのは、とても美しい人でした。
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載