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【2】最悪
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ユアンとの出会いは今思い出しても最悪だ。
それは二人がまだ幼かった頃。かつてディアナはユアンの弟レナードと婚約関係にあった。
ディアナの生家であるフランセ家は建国より国を支える一族だ。父は帝国の魔法大臣を任され、皇帝からの信頼も厚い。母親の実家は純血として名高い魔女の名門であり、優れた家に生まれた娘には最良の伴侶を。苦労のない結婚をして欲しいというのは両親の願いだった。
レナードの父である皇帝も、皇子である我が子には早急に婚約者を与え他国からの干渉を避けたいと考えていた。強大な力を誇る帝国にとって政略結婚の必要はないが、他国にとって帝国との繋がりは魅力的なことだろう。他国に介入されるくらいなら、優秀な臣下と関係を結ぶことが最良と判断を下した。
本人の意思に関わらず、幼いうちから伴侶が定められていることは決して珍しくない。重鎮の娘と皇子の婚約は、国の未来を担う上でも都合が良く、自然な流れだったのだろう。
容姿、家柄、年齢、いずれも非の打ち所のない婚約だ。正式に婚約が発表されると、たちまち似合いの二人だと噂されるようになった。
もっとも同じ年頃の令嬢たちは第二皇子の婚約者に納まったディアナを羨み、自身の息子を大臣の娘と婚約させたいと目論んでいた一族は大いに嘆いたという。
いずれにしろ、当人たちが婚約の事実を知らされたのは婚約が決まってからのことである。それは国のため、あるいは親同士が利益のために結ばれたものだ。けれどディアナはレナードの婚約者になったことを幸せだと感じていた。
婚約が決まってから数日が経ち、ディアナはレナードとの顔合わせのため、父親とともに城を訪れていた。レナードと顔を合わせるのはこれが初めてのことである。
皇子の婚約者の名に恥じぬよう、今日のために仕立てたドレスに流行りの靴を用意した。お気に入りのリボンを結んだ娘に両親は、どこへ出しても恥ずかしくないと誇らしそうだった。
お互いの両親によって紹介されたレナードは表情に乏しく、常に難しい表情を浮かべていたが、真面目で誠実という印象を受けた。口数は少ないが、己の考えをしっかりと持っているようで、彼が補佐となり皇帝となった兄を支えたのなら、帝国はさらなる発展を遂げるだろう。幼くてもそう感じさせるような力強さがあった。
レナードはディアナについては何を言うでもなく、目の前にいる少女を将来の伴侶として受け入れている様子だった。幼いながらにこの婚約が最良の形であると理解しているのだ。
もちろんディアナも同じ思いではいるが、レナードとは少しだけ抱える感情が違っていた。
婚約者は『王子様』
なら自分は本当の『お姫様』になれる。
それはこの国の、どの令嬢よりも特別で、幸せが約束されている。
皇子の婚約者に選ばれたことで、ディアナは自分を特別な人間だと思うようになっていた。
ディアナの両親は皇子の婚約者に選ばれたことを喜び、娘を大層甘やかした。
屋敷の人間は自分たちのお嬢様が皇太子妃になることが誇らしいと語った。
城へ向かえば多くのメイドが幼いディアナを敬い接してくれた。
この国の頂点である皇帝陛下からは息子を頼むとまで言われてしまった。
レナードとの間にまだ恋は芽生えていないけれど、真面目で誠実な人だ。いつかは自分も彼を愛し、愛されるはずだと信じて疑わなかった。
なんて素敵な将来が約束されているのだろう。幸せいっぱいのディアナは城のお姫様になったような心地で廊下を歩く。
顔合わせは終えたが、大人同士の話し合いがあるため部屋で待っているようにと父から言いつけられている。けれどいつかは自分がこの城の女主人になるのだと想像しただけで、じっとしてはいられない。きらびやかな世界を前に、覗きたいという好奇心が抑えられなかった。
そこで偶然出会ったのが、レナードの兄ユアン・ランフォードだ。
レナードの兄ユアンのことは知識としては知っている。兄がいる身でありながら、何故弟のレナードと婚約することになったのかといえば、ユアンは皇帝への勉強を理由に、即位するまでは結婚をするつもりはないと明言していたからだ。立派な皇帝になるためだと言われてしまえば、周囲は頷くほかなかったという。
顔合わせには同席していなかったため、ユアンとも顔を合わせるのは初めてのことだ。けれど不思議と、彼がユアン・ランフォードだと確信出来た。まずこの年頃で王城を自由に動き回れる人物は限られるだろう。
明るい金色の髪に穏やかな顔立の少年は、無言のままディアナを見つめている。
ディアナにとってユアンは婚約者の兄という特別な人間だ。いずれは義理の兄となり、未来の皇帝陛下でもある。失礼があってはいけないと、ディアナは慎重に、教育係に習った挨拶を披露した。
「初めまして。わたくしは」
「知ってるよ。弟の婚約者だったよね」
ユアンにとっては事実を答えただけだろう。けれどディアナにとっては次期皇帝陛下から存在を認められたことになる。それはディアナに優越感を抱かせた。
「はい! ディアナ・フランセと申します」
「そう」
興奮気味に話すディアナとは対照的に、ユアンの反応はそっけない。まるで興味がないと言われているようで、いつしか視線すらも外れていた。
ディアナの想像では、これからよろしくといった挨拶や、弟と幸せにといった祝福が与えられるはずだった。けれどユアンには他に言うことがないのか、黙って立ち去ろうとしている。
せっかく未来の皇帝陛下と接点を持てた。このまま終わってしまうのが嫌で、ディアナは夢中でユアンを引き止めていた。
「ユアン様!」
「何?」
抑揚のない声に怯み、ディアナは言葉を失う。
「あ、わ、わたくし……」
ただ自分を見てほしいと思った。婚約者の兄に認めてほしかっただけなのに、ユアンの眼差しはどうしてこんなにも冷たいのか。
「皇太子妃になれたことがそんなに嬉しい?」
「え?」
「良かったね。でも、僕は弟と違って優しくないよ。きみのことを特別な人とは思えない」
ほんの少し前までは幸せだったはずなのに。
冷たい水を被せられたように身体が冷えていく。
「きみみたいな子、僕は好きになれそうにないや」
天使の様な外見の少年から発せられたのは、顔に似合わぬ毒だった。
「ああでも、安心していいよ。将来義理の妹になったら、それなりには仲良くしてあげるから。そういう演技は得意なんだ」
何を安心しろと言うのか、ディアナにはまるでわからなかった。
一方的に告げたユアンは用は済んだとばかりにどこかへ行こうとしているが、ディアナも二度は引き止めようとは思えなかった。
それは二人がまだ幼かった頃。かつてディアナはユアンの弟レナードと婚約関係にあった。
ディアナの生家であるフランセ家は建国より国を支える一族だ。父は帝国の魔法大臣を任され、皇帝からの信頼も厚い。母親の実家は純血として名高い魔女の名門であり、優れた家に生まれた娘には最良の伴侶を。苦労のない結婚をして欲しいというのは両親の願いだった。
レナードの父である皇帝も、皇子である我が子には早急に婚約者を与え他国からの干渉を避けたいと考えていた。強大な力を誇る帝国にとって政略結婚の必要はないが、他国にとって帝国との繋がりは魅力的なことだろう。他国に介入されるくらいなら、優秀な臣下と関係を結ぶことが最良と判断を下した。
本人の意思に関わらず、幼いうちから伴侶が定められていることは決して珍しくない。重鎮の娘と皇子の婚約は、国の未来を担う上でも都合が良く、自然な流れだったのだろう。
容姿、家柄、年齢、いずれも非の打ち所のない婚約だ。正式に婚約が発表されると、たちまち似合いの二人だと噂されるようになった。
もっとも同じ年頃の令嬢たちは第二皇子の婚約者に納まったディアナを羨み、自身の息子を大臣の娘と婚約させたいと目論んでいた一族は大いに嘆いたという。
いずれにしろ、当人たちが婚約の事実を知らされたのは婚約が決まってからのことである。それは国のため、あるいは親同士が利益のために結ばれたものだ。けれどディアナはレナードの婚約者になったことを幸せだと感じていた。
婚約が決まってから数日が経ち、ディアナはレナードとの顔合わせのため、父親とともに城を訪れていた。レナードと顔を合わせるのはこれが初めてのことである。
皇子の婚約者の名に恥じぬよう、今日のために仕立てたドレスに流行りの靴を用意した。お気に入りのリボンを結んだ娘に両親は、どこへ出しても恥ずかしくないと誇らしそうだった。
お互いの両親によって紹介されたレナードは表情に乏しく、常に難しい表情を浮かべていたが、真面目で誠実という印象を受けた。口数は少ないが、己の考えをしっかりと持っているようで、彼が補佐となり皇帝となった兄を支えたのなら、帝国はさらなる発展を遂げるだろう。幼くてもそう感じさせるような力強さがあった。
レナードはディアナについては何を言うでもなく、目の前にいる少女を将来の伴侶として受け入れている様子だった。幼いながらにこの婚約が最良の形であると理解しているのだ。
もちろんディアナも同じ思いではいるが、レナードとは少しだけ抱える感情が違っていた。
婚約者は『王子様』
なら自分は本当の『お姫様』になれる。
それはこの国の、どの令嬢よりも特別で、幸せが約束されている。
皇子の婚約者に選ばれたことで、ディアナは自分を特別な人間だと思うようになっていた。
ディアナの両親は皇子の婚約者に選ばれたことを喜び、娘を大層甘やかした。
屋敷の人間は自分たちのお嬢様が皇太子妃になることが誇らしいと語った。
城へ向かえば多くのメイドが幼いディアナを敬い接してくれた。
この国の頂点である皇帝陛下からは息子を頼むとまで言われてしまった。
レナードとの間にまだ恋は芽生えていないけれど、真面目で誠実な人だ。いつかは自分も彼を愛し、愛されるはずだと信じて疑わなかった。
なんて素敵な将来が約束されているのだろう。幸せいっぱいのディアナは城のお姫様になったような心地で廊下を歩く。
顔合わせは終えたが、大人同士の話し合いがあるため部屋で待っているようにと父から言いつけられている。けれどいつかは自分がこの城の女主人になるのだと想像しただけで、じっとしてはいられない。きらびやかな世界を前に、覗きたいという好奇心が抑えられなかった。
そこで偶然出会ったのが、レナードの兄ユアン・ランフォードだ。
レナードの兄ユアンのことは知識としては知っている。兄がいる身でありながら、何故弟のレナードと婚約することになったのかといえば、ユアンは皇帝への勉強を理由に、即位するまでは結婚をするつもりはないと明言していたからだ。立派な皇帝になるためだと言われてしまえば、周囲は頷くほかなかったという。
顔合わせには同席していなかったため、ユアンとも顔を合わせるのは初めてのことだ。けれど不思議と、彼がユアン・ランフォードだと確信出来た。まずこの年頃で王城を自由に動き回れる人物は限られるだろう。
明るい金色の髪に穏やかな顔立の少年は、無言のままディアナを見つめている。
ディアナにとってユアンは婚約者の兄という特別な人間だ。いずれは義理の兄となり、未来の皇帝陛下でもある。失礼があってはいけないと、ディアナは慎重に、教育係に習った挨拶を披露した。
「初めまして。わたくしは」
「知ってるよ。弟の婚約者だったよね」
ユアンにとっては事実を答えただけだろう。けれどディアナにとっては次期皇帝陛下から存在を認められたことになる。それはディアナに優越感を抱かせた。
「はい! ディアナ・フランセと申します」
「そう」
興奮気味に話すディアナとは対照的に、ユアンの反応はそっけない。まるで興味がないと言われているようで、いつしか視線すらも外れていた。
ディアナの想像では、これからよろしくといった挨拶や、弟と幸せにといった祝福が与えられるはずだった。けれどユアンには他に言うことがないのか、黙って立ち去ろうとしている。
せっかく未来の皇帝陛下と接点を持てた。このまま終わってしまうのが嫌で、ディアナは夢中でユアンを引き止めていた。
「ユアン様!」
「何?」
抑揚のない声に怯み、ディアナは言葉を失う。
「あ、わ、わたくし……」
ただ自分を見てほしいと思った。婚約者の兄に認めてほしかっただけなのに、ユアンの眼差しはどうしてこんなにも冷たいのか。
「皇太子妃になれたことがそんなに嬉しい?」
「え?」
「良かったね。でも、僕は弟と違って優しくないよ。きみのことを特別な人とは思えない」
ほんの少し前までは幸せだったはずなのに。
冷たい水を被せられたように身体が冷えていく。
「きみみたいな子、僕は好きになれそうにないや」
天使の様な外見の少年から発せられたのは、顔に似合わぬ毒だった。
「ああでも、安心していいよ。将来義理の妹になったら、それなりには仲良くしてあげるから。そういう演技は得意なんだ」
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