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【9】恋人契約
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決定権はディアナにあるらしく、ユアンは大人しく椅子に座り答えを待っている。あとはお前の好きにしろと言われているようだった。
ユアンのことだ。断ればすんなりと受け入れ、何事もなかったようにこの話は終わるだろう。運命を変えるとするのなら、それはディアナの意思だ。
やがてディアナは魔法大臣の娘として、誰もが認める令嬢の顔で応えようとする。たとえ相手に皇子としての気品が感じられなかったとしても、自分は違うのだと示したかった。
「その提案、お受けします」
自分から提案しておきながら、ユアンは目を丸くしている。なんて顔をしているのだろう。
「いいのかい? 提案したのは僕だけど、てっきりきみは断ると思っていたよ」
ユアンも幼い頃の出会いを覚えているのだろう。あんなことがあっては誘いに乗るとは思わないだろう。もしかしたらユアンはあの日の延長でディアナをからかいたかっただけかもしれない。けれどディアナにとってはまたとないチャンスなのだ。
「わたくしにとっても有り難いお話ですもの、断る理由がありませんわ。あの中から誰を選び、なおかつ恋人として振る舞うなんて労力の無駄です。その点、院長先生は話の分かる方のようですから」
「それは光栄だな」
「皇子殿下を利用するなんて、二度とない体験ですもの」
利用されるのはディアナも同じだが、それはとびきり魅力的な言葉だった。
かつて自分を傷つけたように復讐をしたいというほど大それたものではないが、利用という謳い文句はプライドを傷つけられたディアナにとってせめてもの仕返しだ。学院を卒業することでリゼリカやレナードへの感情は清算していたが、ユアンについてはまだ悔恨が残っている。決着を付けたいと、どこかでは望んでいたのかもしれない。
それによく考えてみればディアナにとっても有り難い申し出だ。これで研究に時間を費やせる。誰かを選び傷つける必要もない。
笑顔の裏にはお前を利用してやると訴えた。しかしユアンはディアナの視線をものともせず、のんびりと構えている。
「それじゃあこれからよろしくね。ええと……」
おそらくユアンは入室した時と同じように呼び方を考えているのだろう。あの時は好きに呼ぶようにと言ったが、恋人契約を結んだのなら話は変わる。
「恋人なのですから仕事中はともかく、わたくしのことは今後名前で呼ぶべきかと思います」
「成程。それじゃあ、愛しのディアナ姫と呼ばせてもらおうかな」
美丈夫から愛しいと告げられたディアナはそれが偽りであると知っているためときめくことはない。それに色々と、過剰に間違えている気がする。
「僭越ながら、わざわざ愛しのと付加する必要はありません。それと、わたくしはどこかの姫でもありません。普通に名前を呼び合うだけで最低限の体裁は整います」
「そういうものかい?」
「連れ立ってパーティーへ出席するだけで牽制になりますわ。これでわたくしたちに縁談を迫る声も止むことでしょう」
お互いに、それぞれの親族を黙らせる威力のある家柄だ。
「あとはそれとなく恋人のようなふりをして下されば問題ありません」
「そうなのかい? まあ僕はその手のことに関しては疎いからね。きみの言う通りにさせてもらうよ」
「それではわたくしからも。一応、形式に乗っ取らせていただきますわ。これから恋人として、どうぞよろしくお願い致します。ユアン様」
自分もまた彼の名前を読んでみるが、本人を目の前にしても想像していたほど緊張することはなかった。これが本当の恋人同士であれば、名前を呼ぶことにさえ躊躇いと恥じらいを覚えるのだろうか。
告げると同時にディアナが差し出したのは研究の申請書だ。随分と遠回りしてしまったが、ようやく本来の要件を達成することが出来る。
「こちらこそよろしくね。ディアナ」
ユアンが発掘したペンで流暢に名を綴る。それはまるで恋人契約を結んだ契約書のように見えた。
そう、契約を……
「それとユアン様。わたくしたちが恋人である間、わたくしからの発言はすべて不敬に問わないと、お約束をいただけますか?」
ユアンは皇帝候補から退いたとはいえ、この国の第一皇子であることに変わりはない。考えたくはないが、レナードにもしものことがあれば、王位継承に最も近いのはユアンなのだ。後で失礼があったと問題にされては困る。これまでのやり取りから、ディアナにはその失礼にあたる態度を取る可能性が高いことを感じていた。というより、もう既に取っている自覚もある。けれどそれは院長であるユアンに対してということで掘り起こすのは止めておこう。
「きみはしっかりしているね」
ユアンはその辺に落ちていた適当な紙を拾うと、簡潔な文面を記入したのであった。
ユアンのことだ。断ればすんなりと受け入れ、何事もなかったようにこの話は終わるだろう。運命を変えるとするのなら、それはディアナの意思だ。
やがてディアナは魔法大臣の娘として、誰もが認める令嬢の顔で応えようとする。たとえ相手に皇子としての気品が感じられなかったとしても、自分は違うのだと示したかった。
「その提案、お受けします」
自分から提案しておきながら、ユアンは目を丸くしている。なんて顔をしているのだろう。
「いいのかい? 提案したのは僕だけど、てっきりきみは断ると思っていたよ」
ユアンも幼い頃の出会いを覚えているのだろう。あんなことがあっては誘いに乗るとは思わないだろう。もしかしたらユアンはあの日の延長でディアナをからかいたかっただけかもしれない。けれどディアナにとってはまたとないチャンスなのだ。
「わたくしにとっても有り難いお話ですもの、断る理由がありませんわ。あの中から誰を選び、なおかつ恋人として振る舞うなんて労力の無駄です。その点、院長先生は話の分かる方のようですから」
「それは光栄だな」
「皇子殿下を利用するなんて、二度とない体験ですもの」
利用されるのはディアナも同じだが、それはとびきり魅力的な言葉だった。
かつて自分を傷つけたように復讐をしたいというほど大それたものではないが、利用という謳い文句はプライドを傷つけられたディアナにとってせめてもの仕返しだ。学院を卒業することでリゼリカやレナードへの感情は清算していたが、ユアンについてはまだ悔恨が残っている。決着を付けたいと、どこかでは望んでいたのかもしれない。
それによく考えてみればディアナにとっても有り難い申し出だ。これで研究に時間を費やせる。誰かを選び傷つける必要もない。
笑顔の裏にはお前を利用してやると訴えた。しかしユアンはディアナの視線をものともせず、のんびりと構えている。
「それじゃあこれからよろしくね。ええと……」
おそらくユアンは入室した時と同じように呼び方を考えているのだろう。あの時は好きに呼ぶようにと言ったが、恋人契約を結んだのなら話は変わる。
「恋人なのですから仕事中はともかく、わたくしのことは今後名前で呼ぶべきかと思います」
「成程。それじゃあ、愛しのディアナ姫と呼ばせてもらおうかな」
美丈夫から愛しいと告げられたディアナはそれが偽りであると知っているためときめくことはない。それに色々と、過剰に間違えている気がする。
「僭越ながら、わざわざ愛しのと付加する必要はありません。それと、わたくしはどこかの姫でもありません。普通に名前を呼び合うだけで最低限の体裁は整います」
「そういうものかい?」
「連れ立ってパーティーへ出席するだけで牽制になりますわ。これでわたくしたちに縁談を迫る声も止むことでしょう」
お互いに、それぞれの親族を黙らせる威力のある家柄だ。
「あとはそれとなく恋人のようなふりをして下されば問題ありません」
「そうなのかい? まあ僕はその手のことに関しては疎いからね。きみの言う通りにさせてもらうよ」
「それではわたくしからも。一応、形式に乗っ取らせていただきますわ。これから恋人として、どうぞよろしくお願い致します。ユアン様」
自分もまた彼の名前を読んでみるが、本人を目の前にしても想像していたほど緊張することはなかった。これが本当の恋人同士であれば、名前を呼ぶことにさえ躊躇いと恥じらいを覚えるのだろうか。
告げると同時にディアナが差し出したのは研究の申請書だ。随分と遠回りしてしまったが、ようやく本来の要件を達成することが出来る。
「こちらこそよろしくね。ディアナ」
ユアンが発掘したペンで流暢に名を綴る。それはまるで恋人契約を結んだ契約書のように見えた。
そう、契約を……
「それとユアン様。わたくしたちが恋人である間、わたくしからの発言はすべて不敬に問わないと、お約束をいただけますか?」
ユアンは皇帝候補から退いたとはいえ、この国の第一皇子であることに変わりはない。考えたくはないが、レナードにもしものことがあれば、王位継承に最も近いのはユアンなのだ。後で失礼があったと問題にされては困る。これまでのやり取りから、ディアナにはその失礼にあたる態度を取る可能性が高いことを感じていた。というより、もう既に取っている自覚もある。けれどそれは院長であるユアンに対してということで掘り起こすのは止めておこう。
「きみはしっかりしているね」
ユアンはその辺に落ちていた適当な紙を拾うと、簡潔な文面を記入したのであった。
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