魔法学院の偽りの恋人

美早卯花

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【20】優しさ

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「もしかして初めてだった? だとしたら悪いことをしてしまったね。ごめんよ」

 憤りを前にユアンも誠心誠意謝るが、この謝り方である。どうしても頬が引きつってしまった。
 ユアンはディアナにとってこの行為が初めてであると確信を突いた。もちろん恋愛から退いていたディアナにとって、異性との触れ合いは初めてのことである。
 しかしユアンに知られるのは複雑だ。キスもしたことのない女だと馬鹿にされたくはない。
 それに、ユアンの表情は本当に苦しそうだ。痛ましくディアナを見つめる瞳からはいつもの明るさが消えている。心から申し訳ないと頭を下げていた。そのせいでディアナはつい虚勢を張ってしまう。

「初めてではありませんわ!」

 本当はしたこともないくせに……。

「た、ただ、こういったことは、本当に好きな方とするべきものです。いくら恋人とはいえ、軽率にしていいことでもありません!」

 何を経験者のように語っているのか自分でもわからなくなっている。

「そうだね。僕が軽率だった」

「ユアン様?」

 至近距離で揺れた瞳をディアナは見逃さなかった。いつも堂々と物を言うユアンにしては大人しいことも気掛かりだ。

「弟の婚約者であったきみが、僕と付き合えばなんて言われるか、配慮に欠けていた。きみに惨めな思いをさせるつもりはなかったんだ。本当にごめん」

 その言葉を聞いて、ディアナはこれまでのユアンらしからぬ態度の全てに納得がいく。
 ユアンは彼女たちの前でキスをすることで、これ以上ディアナが惨めな思いをすることがないように庇ってくれたのだ。自分がディアナを愛し求めたのだと、行動で示してくれた。それは恋人契約を申し出たユアンなりの罪滅ぼしなのかもしれない。
 だからといっていきなりキスをするというのは褒められたことではないだろう。けれどそれは紛れもなくディアナのための行動であると伝わった。
 ユアンは身内とそうでない人間との区切りを明確に引いている。そのユアンがディアナのために、好きでもない相手を守るためにキスまでしてくれたのだ。
 ユアンにディアナという人間を思いやる優しさが存在したことに驚かされる。それを知って、憤るばかりだった感情が落ち着きを取り戻したことは確かだ。それと同時に、気を使われてばかりいることを申し訳ないと思う。ほんの一時ではあるけれど、ユアンは自分を物語の主人公にしてくれたのだから。

「ユアン様」

 ディアナの呼びかけにユアンは身を引く。罰を受ける覚悟はあるようだ。

「確かにユアン様がなさったことは軽率にして良いことではありません」

 ディアンは毅然と言い放つ。本当はキスという言葉一つにも赤くなるというのに。
 しかしユアンに弱みを見せるわけにはいかない。自分のためを思ってくれたユアンにこれ以上気を使わせたくはない。

「ですがユアン様は、わたくしのためを思って下さったのですよね?」

 どう伝えるのが正しいだろう。目まぐるしく訪れるばかりの初めてにディアナは言葉を探す。
 あの時の彼女たちの顔を思い出した時、湧き上がる感情には高揚があった。意地悪く自分の噂を繰り返し、にやにやと嫌な視線を向けられたことを、やはり快くは思えない。それが先ほどの二人はどうだろう。

「彼女たちの顔、ご覧になりました?」

 もちろん背にしていたユアンが彼女たちの表儒緒を知るはずがない。

「大きく目を見開いて、とても驚いた顔をしていたの。顔を青くして取り乱して、慌てて二人して駆け出して行った。わたくし胸がすっとしたような心地でした」

 話しているうちにディアナは虚勢を張る事を忘れていた。意地ばかりで塗り固めていたはずの表情が抜け落ち、年相応の自分として笑っていたのだ。
 ユアンの表情は痛ましいものから驚きに満ちたものへと変化している。それでもまだ何か言いたそうなユアンに、ディアナは告げてやった。

「ユアン様が来て下さった時、わたくしまるで物語の主人公になったようでした。わたくしの元へ来て下さって、ありがとうございます。おかげでわたくしは、可哀想ではないのです」

 ディアナは刹那の幸せに笑う。
 その笑顔を見たユアンは憂いを消していた。そして情熱的なキスを送った人物とは思わせないほど、子どもっぽい振る舞いでディアナに応える。

 ぽんぽん――

 頭を撫でられていた。

「ありがとう」

 ユアンにはディアナが望んだ言葉が伝わっていた。これ以上謝られても、ディアナには受け取るつもりがないのだ。

「でもね。きみが他人のために怒ってばかりいるからいけないんだよ」

「な、わたくしが悪いと言いたいのですか?」

 他人のためという意味はまだわからないが、自分が悪者にされているという事だけはしっかりと伝わる。

「自分は何を言われても黙っているくせに、あの子のことになると飛び出していくんだね」

「あの子って……リゼリカ?」

 否定しないところを見ると正解らしい。

「きみが誰かのために怒るのなら、僕がきみのために怒ってあげるしかないよね?」

 だから自分に罪はないと言うのか。とんでもない理屈だ。けれど自分のために怒ってくてた。それがこの行動の真意であれば気持ちは揺らぐ。
 唇はまだ熱を持ち、触れればあの生々しい感触が頭をかすめる。それでもディアナはなんとか押し込め口を開いた。

「ありがとうございます」

「まさか、感謝されるとは思わなかったな。それじゃあ、どういたしまして。きみのそういうところ、恋人役を選んで正解だったと思わされるよ」

「どういうところです? それは」

「うーん……きみの傍は案外居心地が良いのかもしれなよ」

 ユアンの発言を聞いたディアナはすぐにその理由に思い当たる。

「他の令嬢たちの様に追いかけまわされる心配がないからでしょう。一応、褒めて頂けたということで、有り難く受け取らせてもらいます」

 そっぽを向いているのは照れ隠しだ。そこにどんな理由があるにしろ、ユアンはこの場へとやってきてくれた。きっと今だけは、この場において彼はディアナにとっての王子様なのだ。

「ありがとうございます。ユアン様」

「ディアナ?」

 何度目の感謝だろう。ユアンは訳が分からないという顔をしていた。
 本当はディアナにだって良くわからない。ただ、感謝したくてたまらないのだ。

「なんでもありません」

 分からなくていい。伝えるつもりもない。ただ、胸が温かいと思う。それだけでいい。
 明確な言葉は必要ない。ただ、いつのまにかあの令嬢たちの嫌な声は消えていた。
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