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【5】偽り聖女の出会い
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初めてアロイスと出会ったのはリエーベルが塔に幽閉されて数日が経ってから。つまり現在となっては三年ほど昔の出来事である。
リエーベルの塔での日々は緩やかに過ぎていく。控えている世話役たちは懸命に話しかけようとしているようだがあまり記憶には残っていない。
「おはようございます。聖女様」
身なりを整えられ、運ばれてきた食事を口にする。ここでリエーベルという聖女が生きていることが大切なのだから、最低限死なないようには生きなければならなかった。
エイダなどは特に気を遣ってくれている様子だったが、ぼんやりとしているうちに一日は終ってく。何をして過ごしたと聞かれても、ただ時間が過ぎていったとしか答えられない。部屋にはたくさんの本が並んでいたけれど手をつける気分にはなれなかった。
聖女の演じ方など知るはずもない。真実さえ話さなければそれでいいと言われたけれど、他は? 投げやりな助言をくれた指導者を密かに恨んだ。
この状況が緩やかに首を絞めていく。
聖女を演じ始めてからというもの常に気を貼り、笑うことさえ控えていたリエーベルは次第に限界が近付いているのを感じていた。けれど誰にも話してはいけないと、最初に男たちと誓いを立てている。
来客を告げられたのはそんな時だった。急いで扉の鍵を開けるといつも世話を焼いてくれるエイダが部屋に入る。
「聖女様にお客様でございます」
「私に……?」
信じられないとエイダの背後にある扉を見つめる。その向こうには誰かが待機しているらしく、リエーベルの疑問にエイダは困り顔で続けた。
「はい。それが、男性の方でして……その、本来であれば私は下がるべきなのでしょうが、聖女様に万が一のことがあってはいけません。ご同席させていただいてもよろしいでしょうか?」
リエーベルはぜひ提案にそうしてほしいと申し出た。
「公爵様、どうぞお通り下さい」
エイダが通した人物は美しい青年だった。細い体躯に、彼のために仕立てられたような服は上品で、一目で上流階級の人間なのだと察する。
「初めまして聖女様」
「初めまして……」
リエーベルは当然警戒しながら話すのだが、彼の態度は違う。まるで親しい間柄であるかのように話しかけられた。
「ああでも、聖女様ってなんだか堅苦しいね。きみ、名前は? 俺はアロイス・ブローシェン。どうぞよろしく」
この国に連れてこられてから、一度だけ国王という地位の人と顔を合わせたことがあった。とても厳格な、かしこまった挨拶を少しだけ交わしたことは憶えている。残りは緊張のあまり忘れてしまったのだが、このアロイスの挨拶はとても貴族とは思えない軽いものだった。これまでリエーベルが村人たちと交わしていたような、懐かしさの込み上げるものだった。
危うく本当の名を告げたくなる。けれどリエーベルは聖女で在ろうと振る舞った。
「リエーベルと申します。公爵様」
せっかく名乗ってくれたというのにリエーベルはあえて堅苦しい挨拶を交わした。初めて塔に訪れた来客を警戒してのことである。まだ訪問の目的すら定かではないのだ。
「私に何か、ご用がおありででいらっしゃいますか?」
毅然と振る舞おう。きっと本物の聖女であればそうするはずだ。そんな偶像に縋りつく。
「改めてそう聞かれると難しい質問だな。きみが退屈だろうからと、陛下から話し相手として呼ばれたんだ」
どうして同じ女性ではないのだろうか。
可愛くない不満はもちろん口には出さないが、疑問はアロイス自身の手で解決された。
「本当は同じ女性を連れてこられたらよかったんだけど、聖女であるきみを危険には晒せない。俺は公爵家の者として、陛下に信頼されているようでね。王太子殿下とも親しいこともあって、今回の任務を任されたんだ」
「そう、ですか……」
何が気に入らなかったのかと言われれば、任務と明言されたことだろう。仕事で彼はここにいる。だからこれは仕事の内。仕事以上の関係にはならないのだと警戒を続けた。
結局その日はエイダが無言に耐え兼ねてあれこれと話を弾ませてくれたのだが、アロイスはまた来るよと言って返っていった。
リエーベルは塔で過ごしてから初めての感情を胸に抱く。また、この憂鬱な時間が来るのかと億劫になった。
それから訪れるたび、アロイスは土産を持参して現れた。
最初に抱えてきたのは花だ。花といってもリエーベルが知る野山に咲いているようなものではなく、いかにも高価そうな薔薇の花束であった。贅沢なことに一瞥しただけでは本数がわからないほど束ねられていた。
次に装飾品。
リエーベルの髪色に似合うような髪飾りや、ドレスを華やかに見せるブローチを贈られた。
次に宝石。
首から胸元を飾るような大きなダイヤの首飾りだとか、耳に付けたら重いのではないかと驚くほど大きなイヤリング。指輪はサイズがわからなかったからと、丁寧に指輪だけない理由まで説明された。
次に本。
最近若い女性の間で人気になっている恋愛小説らしかった。一応、字は読めるのだが。日常生活に支障が出ないための手段であり、リエーベルはこれまで本というものを満足に読んだことがなかった。
いったい彼は何がしたいのだろう。
通われるほど、何かをもらうたび、リエーベルの警戒心は膨らむばかりだった。王の命令と言っていたが、聖女を懐柔でもしようとしているのだろうか。
「聖女様はお幸せですね」
エイダはそう言ってくれたけれど、リエーベルには何が幸せなのかちっとも理解が及ばなかった。
そもそもアロイスは話し相手と名乗っていたはずだが、一向に話し相手としての役割を果たしてはくれない。公爵を、それも異性を相手に何を話せばいいのか、リエーベルはいつも困り果てている。エイダにも苦笑され、見かねて助言までされる始末だ。
いい加減、諦めるだろう。
もう明日は来ないだろう。
捻くれているといわれようが、早く通うのを止めればいいのにと何度思ったことか。自分が王に告げ口などできるはずもないのだから、適当に誤魔化してしまえばいいのだ。それなのに毎日毎日、アロイスは不満も言わずにあの長い螺旋階段を上る。
いったいこの人は何をしに来ているのだろう。
アロイスを様子を盗み見ながらそんなことを考える。
本日のアロイスは大きなホールケーキを手にして現れた。真っ白なクリームのデコレーションが眩しくて、つやつやとしたフルーツがふんだんに盛り付けられたケーキ。これもまた街で人気なのだと言われ、遠慮なく食べるようにと勧められた。
しかしケーキはテーブルの上に置かれたきりである。素直にはいそうですかと食べる気分にはなれず、今日も気まずい時間が過ぎていた。
リエーベルの塔での日々は緩やかに過ぎていく。控えている世話役たちは懸命に話しかけようとしているようだがあまり記憶には残っていない。
「おはようございます。聖女様」
身なりを整えられ、運ばれてきた食事を口にする。ここでリエーベルという聖女が生きていることが大切なのだから、最低限死なないようには生きなければならなかった。
エイダなどは特に気を遣ってくれている様子だったが、ぼんやりとしているうちに一日は終ってく。何をして過ごしたと聞かれても、ただ時間が過ぎていったとしか答えられない。部屋にはたくさんの本が並んでいたけれど手をつける気分にはなれなかった。
聖女の演じ方など知るはずもない。真実さえ話さなければそれでいいと言われたけれど、他は? 投げやりな助言をくれた指導者を密かに恨んだ。
この状況が緩やかに首を絞めていく。
聖女を演じ始めてからというもの常に気を貼り、笑うことさえ控えていたリエーベルは次第に限界が近付いているのを感じていた。けれど誰にも話してはいけないと、最初に男たちと誓いを立てている。
来客を告げられたのはそんな時だった。急いで扉の鍵を開けるといつも世話を焼いてくれるエイダが部屋に入る。
「聖女様にお客様でございます」
「私に……?」
信じられないとエイダの背後にある扉を見つめる。その向こうには誰かが待機しているらしく、リエーベルの疑問にエイダは困り顔で続けた。
「はい。それが、男性の方でして……その、本来であれば私は下がるべきなのでしょうが、聖女様に万が一のことがあってはいけません。ご同席させていただいてもよろしいでしょうか?」
リエーベルはぜひ提案にそうしてほしいと申し出た。
「公爵様、どうぞお通り下さい」
エイダが通した人物は美しい青年だった。細い体躯に、彼のために仕立てられたような服は上品で、一目で上流階級の人間なのだと察する。
「初めまして聖女様」
「初めまして……」
リエーベルは当然警戒しながら話すのだが、彼の態度は違う。まるで親しい間柄であるかのように話しかけられた。
「ああでも、聖女様ってなんだか堅苦しいね。きみ、名前は? 俺はアロイス・ブローシェン。どうぞよろしく」
この国に連れてこられてから、一度だけ国王という地位の人と顔を合わせたことがあった。とても厳格な、かしこまった挨拶を少しだけ交わしたことは憶えている。残りは緊張のあまり忘れてしまったのだが、このアロイスの挨拶はとても貴族とは思えない軽いものだった。これまでリエーベルが村人たちと交わしていたような、懐かしさの込み上げるものだった。
危うく本当の名を告げたくなる。けれどリエーベルは聖女で在ろうと振る舞った。
「リエーベルと申します。公爵様」
せっかく名乗ってくれたというのにリエーベルはあえて堅苦しい挨拶を交わした。初めて塔に訪れた来客を警戒してのことである。まだ訪問の目的すら定かではないのだ。
「私に何か、ご用がおありででいらっしゃいますか?」
毅然と振る舞おう。きっと本物の聖女であればそうするはずだ。そんな偶像に縋りつく。
「改めてそう聞かれると難しい質問だな。きみが退屈だろうからと、陛下から話し相手として呼ばれたんだ」
どうして同じ女性ではないのだろうか。
可愛くない不満はもちろん口には出さないが、疑問はアロイス自身の手で解決された。
「本当は同じ女性を連れてこられたらよかったんだけど、聖女であるきみを危険には晒せない。俺は公爵家の者として、陛下に信頼されているようでね。王太子殿下とも親しいこともあって、今回の任務を任されたんだ」
「そう、ですか……」
何が気に入らなかったのかと言われれば、任務と明言されたことだろう。仕事で彼はここにいる。だからこれは仕事の内。仕事以上の関係にはならないのだと警戒を続けた。
結局その日はエイダが無言に耐え兼ねてあれこれと話を弾ませてくれたのだが、アロイスはまた来るよと言って返っていった。
リエーベルは塔で過ごしてから初めての感情を胸に抱く。また、この憂鬱な時間が来るのかと億劫になった。
それから訪れるたび、アロイスは土産を持参して現れた。
最初に抱えてきたのは花だ。花といってもリエーベルが知る野山に咲いているようなものではなく、いかにも高価そうな薔薇の花束であった。贅沢なことに一瞥しただけでは本数がわからないほど束ねられていた。
次に装飾品。
リエーベルの髪色に似合うような髪飾りや、ドレスを華やかに見せるブローチを贈られた。
次に宝石。
首から胸元を飾るような大きなダイヤの首飾りだとか、耳に付けたら重いのではないかと驚くほど大きなイヤリング。指輪はサイズがわからなかったからと、丁寧に指輪だけない理由まで説明された。
次に本。
最近若い女性の間で人気になっている恋愛小説らしかった。一応、字は読めるのだが。日常生活に支障が出ないための手段であり、リエーベルはこれまで本というものを満足に読んだことがなかった。
いったい彼は何がしたいのだろう。
通われるほど、何かをもらうたび、リエーベルの警戒心は膨らむばかりだった。王の命令と言っていたが、聖女を懐柔でもしようとしているのだろうか。
「聖女様はお幸せですね」
エイダはそう言ってくれたけれど、リエーベルには何が幸せなのかちっとも理解が及ばなかった。
そもそもアロイスは話し相手と名乗っていたはずだが、一向に話し相手としての役割を果たしてはくれない。公爵を、それも異性を相手に何を話せばいいのか、リエーベルはいつも困り果てている。エイダにも苦笑され、見かねて助言までされる始末だ。
いい加減、諦めるだろう。
もう明日は来ないだろう。
捻くれているといわれようが、早く通うのを止めればいいのにと何度思ったことか。自分が王に告げ口などできるはずもないのだから、適当に誤魔化してしまえばいいのだ。それなのに毎日毎日、アロイスは不満も言わずにあの長い螺旋階段を上る。
いったいこの人は何をしに来ているのだろう。
アロイスを様子を盗み見ながらそんなことを考える。
本日のアロイスは大きなホールケーキを手にして現れた。真っ白なクリームのデコレーションが眩しくて、つやつやとしたフルーツがふんだんに盛り付けられたケーキ。これもまた街で人気なのだと言われ、遠慮なく食べるようにと勧められた。
しかしケーキはテーブルの上に置かれたきりである。素直にはいそうですかと食べる気分にはなれず、今日も気まずい時間が過ぎていた。
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