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【24】偽り聖女と風邪
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翌朝、リエーベルは鳥のさえずりによって覚醒を促された。それは塔で耳にするものとは違う音色であり、懐かしい記憶を呼び起こさせるものだった。
かつて少女の一日は鳥たちの会話から始まっていた。
まずは家中の窓を開けて家族を起こし、朝食を作る母の手伝いをする。テーブルに運ぶと朝の支度を終えた父と、眠たそうに目をこする妹が席に着く。家族そろってテーブルを囲み、食べ終えると街へ仕事に向かう父を見送った。
雲一つない青空の下では洗濯をする。風にはためく白いシーツがまるで雲のようだった。
母が庭の手入れをしている時には妹の面倒を見ながら昼食を用意する。お昼を食べると森に向かい、木の実や薬草をかごいっぱいに集めた。たくさん摘んで帰ると母が喜んでくれるから、少女はいつも張り切って集めるのだ。
夜になれば仕事から戻った父を交えて、また四人でテーブルを囲ぶ。たまに父が土産と称して買ってくれるキャンディーやチョコレートは少女にとっての贅沢だった。美味しいかいと期待に満ちた眼差しで訪ねられると、いつも姉妹そろって何度も頷いていた。
そうして一日が終わるとまたいつも通りの朝が訪れる。
けれどこれは遠い日の出来事。
儚い夢だと知っている――
「んんっ……」
カーテン越しに感じる外の気配は昨日の大雨が嘘のように賑やかだ。晴れやかな眩しさが朝の訪れを告げ、雨音に掻き消されていた人々の活気が戻っていた。
「今、何時……」
外の気配を察したリエーベルは寝過ごしてしまったと焦りを覚えた。いつもなら朝になれば自然と目が覚めるのに。多少寝過ごしたとしてもエイダたちが扉を叩いて起こしてくれるだろう。しかしこの場に眠りを妨げる者はおらず、リエーベルもまた昨夜の疲労から深く眠りに落ちてしまった。
ところが急いで抜け出そうとしても身体に抱き着いた腕が邪魔をする。頭の下にはアロイスの腕があり、そのまま抱き込むようにぴったりと身体が密着していた。
「……アロイス様!?」
一度現状を認識すると覚醒するのは急激だ。本当に彼は一晩中、傍にいてくれたのだろう。
「っえ、あ……!?」
作り物のように繊細で完璧な寝顔が目の前にある。意識がなかったとはいえ、これまで抱擁に甘んじて心地よく眠っていたくせに、覚醒した途端に冷静ではいられなくなった。意識をするとこんなにも緊張してしまうのに、どうして今の今までぐっすり眠っていられたのか、不思議でならない。
「あのっ……、アロイス様?」
アロイスはリエーベルが取り乱している傍らで未だに眠っている。早くアロイスを起こして解放してもらわなければ心臓が持たないだろう。
「アロイス様、あの、起きませんか?」
昨夜あれほど勝手に縋りついておきながら、場面が変わると肌に触れることさえ戸惑うものである。しかしリエーベルは自らを奮い立たせアロイスの肩を揺さぶった。
「……アロイス様?」
気のせいか、触れた肌は熱い気がした。てっきり自分が羞恥に染まっているせいだと考えていたのだが、赤みの差す顔色は熱っぽくもある。薄く開いた唇から零れる吐息も同様に熱く、リエーベルは衝動的にアロイスの額へと触れていた。
「た、大変!」
昨夜肌を触れ合わせていた時以上に熱い。
アロイスの腕から強引に這い出たリエーベルは慌てていた。こんな時、まずはどうすればいいのだったか……。二人が二度目の一夜を過ごした次の日もまた、忙しなく一日が始まるのだった。
「やはり私が先にお湯をいただいてしまったことがいけなかったのですね」
アロイスが意識を取り戻すとリエーベルは真っ先に謝った。どう考えたって彼が熱を出す原因はそれくらいしか思い当たらない。
「それに……」
「それに?」
激しく求め合い、雨に濡れた身体で力尽きるように眠ってしまったから……
すべて鮮明に意識してから、リエーベルは改めて口を閉ざす。
「な、何も……あ、うっ……ですから……っ、私が悪いのです! ずっと、その、抱きしめていてくださったのでしょう?」
身体を重ねたのも、雨に濡れた身体で眠ってしまったことも、元を辿れば自分のせいなのだ。
「今、そういうことを言ってほしくはないかな」
「はい……すみません」
「本当だよ。今すぐにでもきみを抱きたいのに、身体が言うことを利かないから……困る」
リエーベルは無言だった。この数日で頻繁に経験するようになった、いわゆる会話が噛み合わない状態である。しかもそういう時に限ってアロイスは大層嬉しそうであり、いつかは理解したいとも思っていた。
「と、とにかくです。私が看病いたしますので、安心して休まれて下さいね」
「はぁ……俺は自分が情けない」
アロイスはベッドから起き出せないまま低く呻いた。
「何故ですか? アロイス様はいつでも素晴らしい方です。たとえお風邪を召されていたとしてもそれは変わりません」
リエーベルは自身でも驚くほどすんなりと口にするが、やはりアロイスは納得いかないらしかった。
「いや、謝らせて。本当にごめん。せっかく晴れたんだ、きみを色々な所へ連れていってあげたかった」
「アロイス様、いいのです。どうか謝らないでください。私にはアロイス様に謝っていただくことなど何もないのですから」
「でも、退屈だろう?」
リエーベルは首を振るとアロイスの枕元に膝をつく。
もしも立場が変わっていたら、リエーベルはやるせなさに何度も謝っていただろう。だからこそアロイスの気持ちも痛いほど理解できる。けれどアロイスだって、恋人が体調を崩していたら責めたりはしないはずだ。
「私はアロイス様のお役に立てることが嬉しいのです。ですから諦めて下さい。大人しく私に看病をされて下さいね」
「きみ……」
「して欲しいことはありませんか? あの、食べたいものとか! 私、なんでも致しますから!」
「ははっ、さすがになんでもは気前がよすぎない?」
アロイスにも気持ちが通じたのだろう。反論を引き下げこの状況を受け入れてくれた。
「こういう時は、ありがとうと言うべきなんだろうね」
ようやく彼の為にできることがあるのだと、リエーベルは力強く頷いていた。
汗を拭い、支えるように水を飲ませ、冷たく絞られたタオルを額に乗せる。姉として育ったリエーベルは本来世話を焼かれるよりも焼く方が性に合っているのだろう。久しぶりの感覚にてきぱきと行動して見せた。
横になると熱が高いのか、アロイスはすぐに寝入ってしまう。このまま一眠りするだけでも随分と楽になるだろう。リエーベルは手を組み恋人の回復を願った。
かつて少女の一日は鳥たちの会話から始まっていた。
まずは家中の窓を開けて家族を起こし、朝食を作る母の手伝いをする。テーブルに運ぶと朝の支度を終えた父と、眠たそうに目をこする妹が席に着く。家族そろってテーブルを囲み、食べ終えると街へ仕事に向かう父を見送った。
雲一つない青空の下では洗濯をする。風にはためく白いシーツがまるで雲のようだった。
母が庭の手入れをしている時には妹の面倒を見ながら昼食を用意する。お昼を食べると森に向かい、木の実や薬草をかごいっぱいに集めた。たくさん摘んで帰ると母が喜んでくれるから、少女はいつも張り切って集めるのだ。
夜になれば仕事から戻った父を交えて、また四人でテーブルを囲ぶ。たまに父が土産と称して買ってくれるキャンディーやチョコレートは少女にとっての贅沢だった。美味しいかいと期待に満ちた眼差しで訪ねられると、いつも姉妹そろって何度も頷いていた。
そうして一日が終わるとまたいつも通りの朝が訪れる。
けれどこれは遠い日の出来事。
儚い夢だと知っている――
「んんっ……」
カーテン越しに感じる外の気配は昨日の大雨が嘘のように賑やかだ。晴れやかな眩しさが朝の訪れを告げ、雨音に掻き消されていた人々の活気が戻っていた。
「今、何時……」
外の気配を察したリエーベルは寝過ごしてしまったと焦りを覚えた。いつもなら朝になれば自然と目が覚めるのに。多少寝過ごしたとしてもエイダたちが扉を叩いて起こしてくれるだろう。しかしこの場に眠りを妨げる者はおらず、リエーベルもまた昨夜の疲労から深く眠りに落ちてしまった。
ところが急いで抜け出そうとしても身体に抱き着いた腕が邪魔をする。頭の下にはアロイスの腕があり、そのまま抱き込むようにぴったりと身体が密着していた。
「……アロイス様!?」
一度現状を認識すると覚醒するのは急激だ。本当に彼は一晩中、傍にいてくれたのだろう。
「っえ、あ……!?」
作り物のように繊細で完璧な寝顔が目の前にある。意識がなかったとはいえ、これまで抱擁に甘んじて心地よく眠っていたくせに、覚醒した途端に冷静ではいられなくなった。意識をするとこんなにも緊張してしまうのに、どうして今の今までぐっすり眠っていられたのか、不思議でならない。
「あのっ……、アロイス様?」
アロイスはリエーベルが取り乱している傍らで未だに眠っている。早くアロイスを起こして解放してもらわなければ心臓が持たないだろう。
「アロイス様、あの、起きませんか?」
昨夜あれほど勝手に縋りついておきながら、場面が変わると肌に触れることさえ戸惑うものである。しかしリエーベルは自らを奮い立たせアロイスの肩を揺さぶった。
「……アロイス様?」
気のせいか、触れた肌は熱い気がした。てっきり自分が羞恥に染まっているせいだと考えていたのだが、赤みの差す顔色は熱っぽくもある。薄く開いた唇から零れる吐息も同様に熱く、リエーベルは衝動的にアロイスの額へと触れていた。
「た、大変!」
昨夜肌を触れ合わせていた時以上に熱い。
アロイスの腕から強引に這い出たリエーベルは慌てていた。こんな時、まずはどうすればいいのだったか……。二人が二度目の一夜を過ごした次の日もまた、忙しなく一日が始まるのだった。
「やはり私が先にお湯をいただいてしまったことがいけなかったのですね」
アロイスが意識を取り戻すとリエーベルは真っ先に謝った。どう考えたって彼が熱を出す原因はそれくらいしか思い当たらない。
「それに……」
「それに?」
激しく求め合い、雨に濡れた身体で力尽きるように眠ってしまったから……
すべて鮮明に意識してから、リエーベルは改めて口を閉ざす。
「な、何も……あ、うっ……ですから……っ、私が悪いのです! ずっと、その、抱きしめていてくださったのでしょう?」
身体を重ねたのも、雨に濡れた身体で眠ってしまったことも、元を辿れば自分のせいなのだ。
「今、そういうことを言ってほしくはないかな」
「はい……すみません」
「本当だよ。今すぐにでもきみを抱きたいのに、身体が言うことを利かないから……困る」
リエーベルは無言だった。この数日で頻繁に経験するようになった、いわゆる会話が噛み合わない状態である。しかもそういう時に限ってアロイスは大層嬉しそうであり、いつかは理解したいとも思っていた。
「と、とにかくです。私が看病いたしますので、安心して休まれて下さいね」
「はぁ……俺は自分が情けない」
アロイスはベッドから起き出せないまま低く呻いた。
「何故ですか? アロイス様はいつでも素晴らしい方です。たとえお風邪を召されていたとしてもそれは変わりません」
リエーベルは自身でも驚くほどすんなりと口にするが、やはりアロイスは納得いかないらしかった。
「いや、謝らせて。本当にごめん。せっかく晴れたんだ、きみを色々な所へ連れていってあげたかった」
「アロイス様、いいのです。どうか謝らないでください。私にはアロイス様に謝っていただくことなど何もないのですから」
「でも、退屈だろう?」
リエーベルは首を振るとアロイスの枕元に膝をつく。
もしも立場が変わっていたら、リエーベルはやるせなさに何度も謝っていただろう。だからこそアロイスの気持ちも痛いほど理解できる。けれどアロイスだって、恋人が体調を崩していたら責めたりはしないはずだ。
「私はアロイス様のお役に立てることが嬉しいのです。ですから諦めて下さい。大人しく私に看病をされて下さいね」
「きみ……」
「して欲しいことはありませんか? あの、食べたいものとか! 私、なんでも致しますから!」
「ははっ、さすがになんでもは気前がよすぎない?」
アロイスにも気持ちが通じたのだろう。反論を引き下げこの状況を受け入れてくれた。
「こういう時は、ありがとうと言うべきなんだろうね」
ようやく彼の為にできることがあるのだと、リエーベルは力強く頷いていた。
汗を拭い、支えるように水を飲ませ、冷たく絞られたタオルを額に乗せる。姉として育ったリエーベルは本来世話を焼かれるよりも焼く方が性に合っているのだろう。久しぶりの感覚にてきぱきと行動して見せた。
横になると熱が高いのか、アロイスはすぐに寝入ってしまう。このまま一眠りするだけでも随分と楽になるだろう。リエーベルは手を組み恋人の回復を願った。
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