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CHAPTER1
1
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九月二十四日、水曜日。
港区芝一丁目。
三十九階建てのタワーマンション二十九階の一室。外では、一時間ほど前から降り出した雨が激しさを増しているというのに、室内は全く雨音が気にならない。流石に一億円以上もする高級マンションだけあって、気密性も静粛性も優れている。その代わりといってはなんだが、先ほどから執拗に子宮を突上げられ、絶頂を迎えようとする嗚咽にも似た女性の嬌声が、室内に響いていた。
その声にシンクロして、強化ガラス製のテーブルの上に置かれたヴィトンのバッグの中のスマートフォンが、派手な着うたを奏で始めた。
絶頂に達しようとする比嘉可南子を、現実世界へと引き摺り戻す流行りのJ-POP。
事件発生を告げる『着うた』だ。
一瞬の沈黙。
――チェッあと少しでイケそうだったのに……。
如何にも残念そうに舌打ちする。
「ごめん」
と彼氏に告げ、可南子はベッドから這い上がった。
ツンと張った乳房を晒して、ガウンも纏わず全裸のままガラステーブルに向かって気怠く歩き出した。激しい劣情の嵐の余韻の所為か、その足取りは覚束ない。先ほど膣内射精された精液が、フローリングの上に零れ落ちた。
右手でスマホを取り、左手は煙草の箱に伸ばす。ピアニッシモ・アリア・メンソールを一本口に咥えると、ライターで火を点けた。
「ふん、ジュンちゃんか……、他人の恋路を邪魔すんなってのぉ。そんな奴は犬に喰われて死んぢまえっていうのっ」
愚痴を零したあと、可南子は煙草を吹かしながら、指先でスマホのタッチパネルを操作する。
デジタル表示は、23:40だ。あと二十分で日付が変わる。
スマホを耳に当てる。
「はい比嘉」
恐ろしく低い声で告げる。
《……彼氏さんとご一緒でしたか?》
不機嫌な声の質で悟ったらしく、可南子の部下の一人である緒川順次巡査部長が、申し訳なさそうに訊ねた。
「そんなことはいいから、さっさと要件を伝えてよね」
《殺しです。渋谷区松濤二丁目の住宅地で、IT企業経営者犀川昌史一家四人の他殺体が発見されました》
「よ、四人……」
思わず咥えていた煙草を落としそうになる。
暫らくの沈黙のあと、ゆっくりと振り返り、ベッドの上で不安気に見守る彼氏の顔を凝視する。
――彼に、聞かれては不味い。
咄嗟にそう判断した可南子は、灰皿で煙草を揉み消すと、全裸のままキッチンの方へ歩き出した。
《三係は別件を抱えており、四係に臨場要請が出ました》
可南子率いる捜査一課四係は、先月の末、江戸川区春江町三丁目で発生した女子大生ストーカー殺人事件を解決したばかりだった。現在は、臨場要請に備えて本庁在庁期間だ。
「松原管理官には連絡入れたの?」
《先ほど東海林の方から……》
緒川は、東海林啓介巡査部長の名を告げた。そのまま話を続ける。
《うちからは既に森さんと徳丸が現場に向かっています。残りの連中は連絡取り次第、直行させます》
「そう……。私も行くわ」
《じゃあ、千尋を迎えに遣ります》
「ありがとう、そうしてくれるとホント助かるわ」
一旦電話を切り、スマホを元のガラステーブルの上へ置きに戻る。現在交際中の彼氏との結婚は、今のところ全く考えていない。避妊のためのアフターピルをミネラルウォーターで喉の奥へ流し込むと、今度はシャワールームへ向かって歩き出した。
「……ねえ可南子、事件なの?」
と背中越しに問い掛ける彼氏に、無言で頷いて見せ、
「シャワー浴びて来る」
と答えた。
身体に纏わりついた汗と体液を、入念に洗い落としたあと、紫色のブラジャーと同色のショーツを身に着け、無地の白いTシャツにローライズのジーンズを穿いた。全身が映る等身大の鏡でチェックする。
「まあ、いいか……普段着でも」
首筋にキスマーク三つ。少し気になったが、独身女性が休暇中に彼氏と肉体関係を結んだって別に問題はない。
「じゃあ行って来るね」
玄関で彼氏とキスを交わすと、可南子は九十八号室を出た。
マンション一階、エントランスで迎えの車を待つ。
十数分後、正面玄関前の車寄せに、黒のクラウンが到着した。
「お待たせしました主任」
有村千尋巡査は、すぐさま覆面パトカーから降り、敬礼する。
濃紺のパンツスーツ姿が実に初々しい。少し切れ長の猫目を隠すように太い黒縁の眼鏡に、肉厚の唇。この女性巡査は、比嘉が特に目を掛けている部下の一人だった。
「どうぞ」
千尋が後部座席のドアを開ける。
「ありがとう。気が利くのね……」
「主任……?」
ドアを閉める間際、千尋が訊ねて来た。
「うん、どうした」
可南子は小首を傾げる。
「……」
千尋は無言のまま運転席に向かう。ドアを開け、車に乗り込むと、バックミラー越しに再び訪ねて来た。
「主任の彼氏さんって、凄いマンションンに住んでいらっしゃるんですね。羨ましい」
「ああ、あの子の父親のモノよ……」
答えながら可南子は、車内にあった捜一と記入された腕章を左腕に通す。
「父親って……」
「大手外資系企業の取締役」
「セレブですか……」
「まあ、そういうことね」
移動中、他愛もない世間話で貴重な時間を潰す気など全くなく、可南子は早速事件の概要を訊ねる。
「マル害一家四人の他殺体が発見された時刻は?」
「ええーと、確か、午後十時三十分過ぎだった筈です」
「第一発見者は?」
「私も詳しいことはわかりませんが、近所の住人だそうです」
千尋はバックミラー越しに答えた。
フロントグラスに大粒の雨が当たった。
雨脚が酷くなり、千尋はワイパーの速度を上げた。
港区芝一丁目。
三十九階建てのタワーマンション二十九階の一室。外では、一時間ほど前から降り出した雨が激しさを増しているというのに、室内は全く雨音が気にならない。流石に一億円以上もする高級マンションだけあって、気密性も静粛性も優れている。その代わりといってはなんだが、先ほどから執拗に子宮を突上げられ、絶頂を迎えようとする嗚咽にも似た女性の嬌声が、室内に響いていた。
その声にシンクロして、強化ガラス製のテーブルの上に置かれたヴィトンのバッグの中のスマートフォンが、派手な着うたを奏で始めた。
絶頂に達しようとする比嘉可南子を、現実世界へと引き摺り戻す流行りのJ-POP。
事件発生を告げる『着うた』だ。
一瞬の沈黙。
――チェッあと少しでイケそうだったのに……。
如何にも残念そうに舌打ちする。
「ごめん」
と彼氏に告げ、可南子はベッドから這い上がった。
ツンと張った乳房を晒して、ガウンも纏わず全裸のままガラステーブルに向かって気怠く歩き出した。激しい劣情の嵐の余韻の所為か、その足取りは覚束ない。先ほど膣内射精された精液が、フローリングの上に零れ落ちた。
右手でスマホを取り、左手は煙草の箱に伸ばす。ピアニッシモ・アリア・メンソールを一本口に咥えると、ライターで火を点けた。
「ふん、ジュンちゃんか……、他人の恋路を邪魔すんなってのぉ。そんな奴は犬に喰われて死んぢまえっていうのっ」
愚痴を零したあと、可南子は煙草を吹かしながら、指先でスマホのタッチパネルを操作する。
デジタル表示は、23:40だ。あと二十分で日付が変わる。
スマホを耳に当てる。
「はい比嘉」
恐ろしく低い声で告げる。
《……彼氏さんとご一緒でしたか?》
不機嫌な声の質で悟ったらしく、可南子の部下の一人である緒川順次巡査部長が、申し訳なさそうに訊ねた。
「そんなことはいいから、さっさと要件を伝えてよね」
《殺しです。渋谷区松濤二丁目の住宅地で、IT企業経営者犀川昌史一家四人の他殺体が発見されました》
「よ、四人……」
思わず咥えていた煙草を落としそうになる。
暫らくの沈黙のあと、ゆっくりと振り返り、ベッドの上で不安気に見守る彼氏の顔を凝視する。
――彼に、聞かれては不味い。
咄嗟にそう判断した可南子は、灰皿で煙草を揉み消すと、全裸のままキッチンの方へ歩き出した。
《三係は別件を抱えており、四係に臨場要請が出ました》
可南子率いる捜査一課四係は、先月の末、江戸川区春江町三丁目で発生した女子大生ストーカー殺人事件を解決したばかりだった。現在は、臨場要請に備えて本庁在庁期間だ。
「松原管理官には連絡入れたの?」
《先ほど東海林の方から……》
緒川は、東海林啓介巡査部長の名を告げた。そのまま話を続ける。
《うちからは既に森さんと徳丸が現場に向かっています。残りの連中は連絡取り次第、直行させます》
「そう……。私も行くわ」
《じゃあ、千尋を迎えに遣ります》
「ありがとう、そうしてくれるとホント助かるわ」
一旦電話を切り、スマホを元のガラステーブルの上へ置きに戻る。現在交際中の彼氏との結婚は、今のところ全く考えていない。避妊のためのアフターピルをミネラルウォーターで喉の奥へ流し込むと、今度はシャワールームへ向かって歩き出した。
「……ねえ可南子、事件なの?」
と背中越しに問い掛ける彼氏に、無言で頷いて見せ、
「シャワー浴びて来る」
と答えた。
身体に纏わりついた汗と体液を、入念に洗い落としたあと、紫色のブラジャーと同色のショーツを身に着け、無地の白いTシャツにローライズのジーンズを穿いた。全身が映る等身大の鏡でチェックする。
「まあ、いいか……普段着でも」
首筋にキスマーク三つ。少し気になったが、独身女性が休暇中に彼氏と肉体関係を結んだって別に問題はない。
「じゃあ行って来るね」
玄関で彼氏とキスを交わすと、可南子は九十八号室を出た。
マンション一階、エントランスで迎えの車を待つ。
十数分後、正面玄関前の車寄せに、黒のクラウンが到着した。
「お待たせしました主任」
有村千尋巡査は、すぐさま覆面パトカーから降り、敬礼する。
濃紺のパンツスーツ姿が実に初々しい。少し切れ長の猫目を隠すように太い黒縁の眼鏡に、肉厚の唇。この女性巡査は、比嘉が特に目を掛けている部下の一人だった。
「どうぞ」
千尋が後部座席のドアを開ける。
「ありがとう。気が利くのね……」
「主任……?」
ドアを閉める間際、千尋が訊ねて来た。
「うん、どうした」
可南子は小首を傾げる。
「……」
千尋は無言のまま運転席に向かう。ドアを開け、車に乗り込むと、バックミラー越しに再び訪ねて来た。
「主任の彼氏さんって、凄いマンションンに住んでいらっしゃるんですね。羨ましい」
「ああ、あの子の父親のモノよ……」
答えながら可南子は、車内にあった捜一と記入された腕章を左腕に通す。
「父親って……」
「大手外資系企業の取締役」
「セレブですか……」
「まあ、そういうことね」
移動中、他愛もない世間話で貴重な時間を潰す気など全くなく、可南子は早速事件の概要を訊ねる。
「マル害一家四人の他殺体が発見された時刻は?」
「ええーと、確か、午後十時三十分過ぎだった筈です」
「第一発見者は?」
「私も詳しいことはわかりませんが、近所の住人だそうです」
千尋はバックミラー越しに答えた。
フロントグラスに大粒の雨が当たった。
雨脚が酷くなり、千尋はワイパーの速度を上げた。
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