6 / 35
CHAPTER1
5
しおりを挟む
捜査会議が始まる前、可南子は鎌倉から上京してきた犀川の両親に一通りの事情聴取を済ませていた。特に変わった様子もなく、事件解決の手掛かりに繋がる有力な情報も得られなかった。
一方妻の遥の実家は、千葉県勝浦市鵜原○○だ。現在五十九歳になる母親の緒方尚子が、夫に先立たれ独りで暮らしている。尚子には、殺害された遥の他に二人の子供がいた。関西の方へ嫁いだ長女の松浦和美と、遥の弟にあたる長男の緒方翔平だ。
翔平はW大商学部卒業後、外資系の証券会社に就職し、現在はアメリカ東海岸バージニア州リッチモンドに滞在中だった。
昨夜、娘夫婦殺害の一報を受けた尚子は、実家の千葉県木更津市祇園一丁目○○‐○で暮らす兄夫婦とともに、今朝八時過ぎに上京して来た。犀川昌史の両親同様、死体安置所で変わり果てた娘夫婦と対面した。
兵庫県尼崎市へ嫁いだ姉の和美は、始発の新幹線で上京。弟の翔平は、チケットが取れ次第、急遽帰国する予定だ。
高山とともに講堂を出た可南子は、渋谷中央署庁舎内に設けられた遺族の待合室へ直行した。突然の不幸に見舞われ狼狽え、或いは憔悴する遺族の前で、可南子はこれから事情聴取を行わなければならない。考えただけでも気が重い。憂鬱な溜め息を吐く。
待合室となった小会議室の引戸を開け、室内へ入る。泣き腫れ赤く充血した目で、可南子と高山を凝視する遺族の視線が突き刺さり、心が痛い。
「け、刑事さん……、遥ちゃんたちを殺した犯人の目星は付いたのか?」
唐突に年配の男性が質問して来た。
遥の伯父に当たる田川佑次郎だ。白髪頭のこの老人は、まるで可南子が殺害実行犯そのものであるかのように睨み付けて来る。思わず視線を逸らした。
「いいえ、まだ……」
面目なさ気にかぶりを振りつつ、可南子は遺族たちに対座する形で手前のパイプ椅子を引き、浅く腰掛けた。右隣に高山が座る。
「犀川昌史さんご一家四名を殺害した実行犯に付いてですが、我々警察の方では、現金、貴金属等がなくなっている点を考慮して、強盗による犯行と考えております」
「強盗……?」
尚子は嗚咽を漏らした。
すると兄は、娘一家を喪い悲しみに打ち拉がれる妹の背中を擦りながら、慰めの言葉を掛ける。
犀川老夫妻は項垂れるだけだった。泣き疲れた様子が比嘉にも手に取るようにわかり、この信じ難い状況を受け入れるのが流石に難しく思えた。
可南子は、一度深呼吸したあと、改めて遺族たちを観察するように見回した。
向かって左側、尚子の隣に座る三十過ぎの女性と目が合った。遥の姉松浦和美だ。彼女の姿は、捜査会議が始まる前にはなかった。
急いで上京して来たのだろう。化粧もしていない。白いブラウスに、黒いジャケットを羽織っただけのラフなスタイルだ。和美は慌てて視線を逸らし、隣に座る男性とヒソヒソと話し始めた。和美の夫である。関西に本社がある大手食品会社に勤務する営業マンだ。
夫とヒソヒソ話を終えた和美が、再び正面を向いた。黒い瞳は、何か言いた気に可南子を見据えている。
「何か……?」
妙な素振りが気になって可南子の方から訊ねてみると、和美は堰を切ったように口を開いた。
「……あの刑事さん?」
「何でしょうか? どんな些細なことでも結構です。気になったことがあれば何でも仰って下さい」
「あの、実はですね。その……、あの子、殺害される十日ほど前、近所の歯医者さんへ出かけた際に、ひき逃げ事故を目撃した、と電話で私に話していたことを思い出し……」
「ひき逃げ事故ですか……?」
可南子は怪訝気味に問う。
「はい」
「詳しい状況など、妹さんから伺っておられませんか?」
「いいえ。ただ……」
和美はとても悲し気な表情で息を吸い込み、瞼を閉じた。
「どうしたのですか?」
話の続きを聞きたそうな素振りで、可南子は小首を傾げる。
「事故を目撃した直後から、家の周りを見知らぬ人がうろつき回っていて、何だか少し怖いといっていました」
「家の周りをうろつく不審人物ですか? それは男性ですか、それとも女性ですか?」
「さあ、わかりません」
和美はかぶりを振った。
「そうですか。警察などに相談は?」
「それもわかりません」
和美がかぶりを振りつつ答えるのを確認したあと、可南子は右隣の高山に、
「 渋谷中央署の地域課に問い合わせておいて、相談とかあったのかってね?」
と伝えた。
「わかりました」
それまで退屈そうにペンをクルクルと回し弄んでいた高山は、可南子の言葉に耳を傾けて小さく頷くと、手帳にペンを走らせた。
可南子は姿勢を正すと、正面を向き直して、真顔で、
「先ほどの事故、十日前と仰いましたよね?」
と訊ねた。
「はい」
和美が頷いたのを確認すると、可南子は少し間を置き、高山に告げた。
「念のため調べて、そのひき逃げ事故のこと。所轄はどこか、現場はどこか、他に目撃情報はないか」
「わかりました、比嘉さん」
高山は鮸なく答えた。
そのあと一時間ほど、遺族たちからの事情聴取を行ったが、結局特にこれといった情報は得られなかった。仕方なく可南子はキャリアの高山を連れ、殺害された犀川の仕事関係者から話を聴くため、渋谷中央署を離れた。しかし、この日は日曜日ということもあり、仕事関係者は殆ど皆、家族サービスの名目で行楽地に出掛けていた。結局、明日出直すことになった。
翌二十六日、月曜日。
この日の捜査会議は、各班の進捗状況を確認するだけで、特にこれといった新たな情報は上がらなかった。一時間ほどで終了した。
午前十時過ぎから、足が棒になるまで二十三区を中心に都内を歩き回って交友関係を洗ってみたが、犯人逮捕に繫がる有力な情報は得られなかった。
「やっぱり、奥さんが目撃したというひき逃げ事件が、一番怪しいな」
独り言を口にしたあと、可南子は、
「明日の会議で管理官に報告してみるか」
と自分に言い聞かせるようにいった。
「ひき逃げですか……」
高山が穿った目で可南子を見詰め、低い声でいった。
「うん」
と頷くと、可南子は覆面パトカーの助手席側のドアを開け、
「十分ほどで戻るから」
と高山に伝え、車から降りた。
これから可南子の向かう先は、警視庁職員の女子待機寮だった。
一方妻の遥の実家は、千葉県勝浦市鵜原○○だ。現在五十九歳になる母親の緒方尚子が、夫に先立たれ独りで暮らしている。尚子には、殺害された遥の他に二人の子供がいた。関西の方へ嫁いだ長女の松浦和美と、遥の弟にあたる長男の緒方翔平だ。
翔平はW大商学部卒業後、外資系の証券会社に就職し、現在はアメリカ東海岸バージニア州リッチモンドに滞在中だった。
昨夜、娘夫婦殺害の一報を受けた尚子は、実家の千葉県木更津市祇園一丁目○○‐○で暮らす兄夫婦とともに、今朝八時過ぎに上京して来た。犀川昌史の両親同様、死体安置所で変わり果てた娘夫婦と対面した。
兵庫県尼崎市へ嫁いだ姉の和美は、始発の新幹線で上京。弟の翔平は、チケットが取れ次第、急遽帰国する予定だ。
高山とともに講堂を出た可南子は、渋谷中央署庁舎内に設けられた遺族の待合室へ直行した。突然の不幸に見舞われ狼狽え、或いは憔悴する遺族の前で、可南子はこれから事情聴取を行わなければならない。考えただけでも気が重い。憂鬱な溜め息を吐く。
待合室となった小会議室の引戸を開け、室内へ入る。泣き腫れ赤く充血した目で、可南子と高山を凝視する遺族の視線が突き刺さり、心が痛い。
「け、刑事さん……、遥ちゃんたちを殺した犯人の目星は付いたのか?」
唐突に年配の男性が質問して来た。
遥の伯父に当たる田川佑次郎だ。白髪頭のこの老人は、まるで可南子が殺害実行犯そのものであるかのように睨み付けて来る。思わず視線を逸らした。
「いいえ、まだ……」
面目なさ気にかぶりを振りつつ、可南子は遺族たちに対座する形で手前のパイプ椅子を引き、浅く腰掛けた。右隣に高山が座る。
「犀川昌史さんご一家四名を殺害した実行犯に付いてですが、我々警察の方では、現金、貴金属等がなくなっている点を考慮して、強盗による犯行と考えております」
「強盗……?」
尚子は嗚咽を漏らした。
すると兄は、娘一家を喪い悲しみに打ち拉がれる妹の背中を擦りながら、慰めの言葉を掛ける。
犀川老夫妻は項垂れるだけだった。泣き疲れた様子が比嘉にも手に取るようにわかり、この信じ難い状況を受け入れるのが流石に難しく思えた。
可南子は、一度深呼吸したあと、改めて遺族たちを観察するように見回した。
向かって左側、尚子の隣に座る三十過ぎの女性と目が合った。遥の姉松浦和美だ。彼女の姿は、捜査会議が始まる前にはなかった。
急いで上京して来たのだろう。化粧もしていない。白いブラウスに、黒いジャケットを羽織っただけのラフなスタイルだ。和美は慌てて視線を逸らし、隣に座る男性とヒソヒソと話し始めた。和美の夫である。関西に本社がある大手食品会社に勤務する営業マンだ。
夫とヒソヒソ話を終えた和美が、再び正面を向いた。黒い瞳は、何か言いた気に可南子を見据えている。
「何か……?」
妙な素振りが気になって可南子の方から訊ねてみると、和美は堰を切ったように口を開いた。
「……あの刑事さん?」
「何でしょうか? どんな些細なことでも結構です。気になったことがあれば何でも仰って下さい」
「あの、実はですね。その……、あの子、殺害される十日ほど前、近所の歯医者さんへ出かけた際に、ひき逃げ事故を目撃した、と電話で私に話していたことを思い出し……」
「ひき逃げ事故ですか……?」
可南子は怪訝気味に問う。
「はい」
「詳しい状況など、妹さんから伺っておられませんか?」
「いいえ。ただ……」
和美はとても悲し気な表情で息を吸い込み、瞼を閉じた。
「どうしたのですか?」
話の続きを聞きたそうな素振りで、可南子は小首を傾げる。
「事故を目撃した直後から、家の周りを見知らぬ人がうろつき回っていて、何だか少し怖いといっていました」
「家の周りをうろつく不審人物ですか? それは男性ですか、それとも女性ですか?」
「さあ、わかりません」
和美はかぶりを振った。
「そうですか。警察などに相談は?」
「それもわかりません」
和美がかぶりを振りつつ答えるのを確認したあと、可南子は右隣の高山に、
「 渋谷中央署の地域課に問い合わせておいて、相談とかあったのかってね?」
と伝えた。
「わかりました」
それまで退屈そうにペンをクルクルと回し弄んでいた高山は、可南子の言葉に耳を傾けて小さく頷くと、手帳にペンを走らせた。
可南子は姿勢を正すと、正面を向き直して、真顔で、
「先ほどの事故、十日前と仰いましたよね?」
と訊ねた。
「はい」
和美が頷いたのを確認すると、可南子は少し間を置き、高山に告げた。
「念のため調べて、そのひき逃げ事故のこと。所轄はどこか、現場はどこか、他に目撃情報はないか」
「わかりました、比嘉さん」
高山は鮸なく答えた。
そのあと一時間ほど、遺族たちからの事情聴取を行ったが、結局特にこれといった情報は得られなかった。仕方なく可南子はキャリアの高山を連れ、殺害された犀川の仕事関係者から話を聴くため、渋谷中央署を離れた。しかし、この日は日曜日ということもあり、仕事関係者は殆ど皆、家族サービスの名目で行楽地に出掛けていた。結局、明日出直すことになった。
翌二十六日、月曜日。
この日の捜査会議は、各班の進捗状況を確認するだけで、特にこれといった新たな情報は上がらなかった。一時間ほどで終了した。
午前十時過ぎから、足が棒になるまで二十三区を中心に都内を歩き回って交友関係を洗ってみたが、犯人逮捕に繫がる有力な情報は得られなかった。
「やっぱり、奥さんが目撃したというひき逃げ事件が、一番怪しいな」
独り言を口にしたあと、可南子は、
「明日の会議で管理官に報告してみるか」
と自分に言い聞かせるようにいった。
「ひき逃げですか……」
高山が穿った目で可南子を見詰め、低い声でいった。
「うん」
と頷くと、可南子は覆面パトカーの助手席側のドアを開け、
「十分ほどで戻るから」
と高山に伝え、車から降りた。
これから可南子の向かう先は、警視庁職員の女子待機寮だった。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜
桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。
上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。
「私も……私も交配したい」
太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる