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CHAPTER6
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牛丼チェーン店で昼食を済ませると、私は立花君がハンドルを握る車で、新宿六丁目のT医科大学へ向かった。今回は、前回とは違い、事前にアポイントを取っておいた。
「まさか、あの清志君までが、殺人鬼の犠牲になってしまうとは……」
平泉教授は悄然として呟いた。
「はい。私も信じられません。今でも目を閉じると、瞼に十年前実の母を殺害し恍惚の笑みを浮かべ暗闇の中に立ち尽くしていた小林清志の姿が浮かんでくることがあります。その小林が、あのような最期を迎えるなんて想像もしませんでした」
「それで、刑事さん」
「何でしょうか、先生」
私が問うと、平泉教授は一呼吸置いてから口を開いた。
「清志君を死に追いやった犯人の目星は付いているのでしょうか」
「いいえ、全く付いておりません。犯人像すら掴めていません」
私は半ばお手あげであるというように、左右に首を振った。
「ただ……」
「ただ、どうかしましたか?」
「この坊やが」
といって、私はキャリア刑事をちらりと見た。
「ジル・ド・レのような快楽殺人鬼じゃないかといっておりましてね」
「ほうジル・ド・レですか? これはなかなか面白い」
平泉教授は唇端を僅かに動かした。
「いけませんか」
と立花君は真顔で訊ねた。
「いや、いけないことはありませんよ」
平泉教授は小さくかぶりを振りながら答えた。そしてペンを左手で持つと、大学ノートの端にジル・ド・レと書いた。
「……あの、先生は左利きだったんですか?」
私はペンを走らす平泉の左手に注目した。獲物を狙う猛禽類のように眼光が鋭い。
平泉教授は頷きつつ、
「そうですが、それがどうかしたのですか、刑事さん」
と怪訝そうにいった。
「実を申し上げますと、検視を行った警察の人間が、もしかするとこの一連の事件の真犯人は左利きではないか、と疑っておりまして」
「私を疑っているのですか?」
「いいえ、そのようなことは決して」
私は間髪入れず、否定した。
「もし、左利きの人間が真犯人だと仮定すれば、全国の左利きの人間を、片っ端から指名手配しなくちゃなりませんね」
「ええ、まあ確かに」
私はバツ悪そうにいった。研究室内を見回し、
「そういえば、助手の方のお姿が見えませんね」
と訊ねた。
「蛭子君のことですか?」
「はい」
私は頷いた。
平泉教授は、ボールペンを机の上に置くと、冷めて温くなったコーヒーを一口飲み、
「体調が優れないといって、今日は午前中で早退しました」
「そうでしたか」
「……小林清志君には、サディスティックパーソナリティ障害と、スキゾイドパーソナリティ障害の傾向が見られた。共にアルファベットのSPDで表されている訳だが、前者は、苦痛や不快を被る他者を見ることで快楽を得る、つまり加虐的な人間。後者は、身の回りへの興味、関心と自己表現力の欠如、他社と交流を極端に拒む傾向のある人間だ。彼の母親はネグレストだったそうだ。幼少の頃の彼は、いつも一人で天井ばかりを見詰めていた。つまり蛍光管ベビーだった訳だ。他者と交わりを嫌う彼が、なぜ、国際窃盗団なんかに……これに付いては私にはさっぱり理解できない」
「蛍光管ベビーですか……」
私が口にした直後、彼女の傍で平泉教授の話を黙って聞いていた立花君のスマホが、最新のヒット曲を奏で始めた。
「また電話、どうせ例の彼女からでしょ。早く出なさいよ」
「す、済みません」
立花君はスマホを胸のポケットから取り出した。
「やっぱり彼女からだった」
電話を掛けてきたのは、立花君の交際相手祖父江優樹菜からだった。
「まさか、あの清志君までが、殺人鬼の犠牲になってしまうとは……」
平泉教授は悄然として呟いた。
「はい。私も信じられません。今でも目を閉じると、瞼に十年前実の母を殺害し恍惚の笑みを浮かべ暗闇の中に立ち尽くしていた小林清志の姿が浮かんでくることがあります。その小林が、あのような最期を迎えるなんて想像もしませんでした」
「それで、刑事さん」
「何でしょうか、先生」
私が問うと、平泉教授は一呼吸置いてから口を開いた。
「清志君を死に追いやった犯人の目星は付いているのでしょうか」
「いいえ、全く付いておりません。犯人像すら掴めていません」
私は半ばお手あげであるというように、左右に首を振った。
「ただ……」
「ただ、どうかしましたか?」
「この坊やが」
といって、私はキャリア刑事をちらりと見た。
「ジル・ド・レのような快楽殺人鬼じゃないかといっておりましてね」
「ほうジル・ド・レですか? これはなかなか面白い」
平泉教授は唇端を僅かに動かした。
「いけませんか」
と立花君は真顔で訊ねた。
「いや、いけないことはありませんよ」
平泉教授は小さくかぶりを振りながら答えた。そしてペンを左手で持つと、大学ノートの端にジル・ド・レと書いた。
「……あの、先生は左利きだったんですか?」
私はペンを走らす平泉の左手に注目した。獲物を狙う猛禽類のように眼光が鋭い。
平泉教授は頷きつつ、
「そうですが、それがどうかしたのですか、刑事さん」
と怪訝そうにいった。
「実を申し上げますと、検視を行った警察の人間が、もしかするとこの一連の事件の真犯人は左利きではないか、と疑っておりまして」
「私を疑っているのですか?」
「いいえ、そのようなことは決して」
私は間髪入れず、否定した。
「もし、左利きの人間が真犯人だと仮定すれば、全国の左利きの人間を、片っ端から指名手配しなくちゃなりませんね」
「ええ、まあ確かに」
私はバツ悪そうにいった。研究室内を見回し、
「そういえば、助手の方のお姿が見えませんね」
と訊ねた。
「蛭子君のことですか?」
「はい」
私は頷いた。
平泉教授は、ボールペンを机の上に置くと、冷めて温くなったコーヒーを一口飲み、
「体調が優れないといって、今日は午前中で早退しました」
「そうでしたか」
「……小林清志君には、サディスティックパーソナリティ障害と、スキゾイドパーソナリティ障害の傾向が見られた。共にアルファベットのSPDで表されている訳だが、前者は、苦痛や不快を被る他者を見ることで快楽を得る、つまり加虐的な人間。後者は、身の回りへの興味、関心と自己表現力の欠如、他社と交流を極端に拒む傾向のある人間だ。彼の母親はネグレストだったそうだ。幼少の頃の彼は、いつも一人で天井ばかりを見詰めていた。つまり蛍光管ベビーだった訳だ。他者と交わりを嫌う彼が、なぜ、国際窃盗団なんかに……これに付いては私にはさっぱり理解できない」
「蛍光管ベビーですか……」
私が口にした直後、彼女の傍で平泉教授の話を黙って聞いていた立花君のスマホが、最新のヒット曲を奏で始めた。
「また電話、どうせ例の彼女からでしょ。早く出なさいよ」
「す、済みません」
立花君はスマホを胸のポケットから取り出した。
「やっぱり彼女からだった」
電話を掛けてきたのは、立花君の交際相手祖父江優樹菜からだった。
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