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二章 過去と現在
我々のことは捨てて逃げて
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背後に立つのが誰かなんて、すぐに分かる。
俺によく似た気配はあえて殺さずに近寄ってきたんだろう。
足音を消し、自分の周囲に気を張り巡らせる。教えたやり方そのまますぎて、まったく嫌になる。
立ち上がった俺はゆっくりと振り返る。
男――ジーウの着ている緋色の服が、風に揺れた。
足首がすぼまったズボン、その上に襟首の詰まった裾の長いパオを重ねる着こなしは赤龍領ならではだ。
ジーウの黒髪は裾へ向かって深い赤色へと変わり、癖のある毛束は後ろで緩く結ばれている。そのまとめられた毛先には丸い金具が付いていて、連結した金輪を介してもう一つの毛束が繋ぎ止められている。
地毛と繋ぎ合わせる金輪は、アクセサリーというよりもまるで囚人の鎖を思わせた。
その先で揺れる三つ編みは、ジーウの髪質とは全く違う、燃えるような赤色。
嫌になるほど見覚えがある、赤い髪の毛だ。
三つ編みをジーウが指先で弄ぶせいで、丸い金属がチャリ、と擦れる。
「そうだろう? ジーウ……いや赤龍様とでもお呼びした方がいいか?」
「嫌だよ。ホンスァと僕との間でそれは、他人行儀」
背が高い男は見上げないといけないほどだ。嫌味なほど緻密に組み立てられた美しい顔は、いつだって淡々としていて表情は変わらない。
なのにホンスァと話すときだけ、少し甘えたような声を出す。
これも昔から変わらない。
変わらない男の姿と、あの時を思い出さずにはいられない長い三つ編み。金具が音を立てるたびに、悪夢から目を逸らすなと強いられているようで息苦しい。
喉の奥で、なんだかジリリと焦がれる音がした。
「他人だろ」
そう冷たく言い返したというのに、ジーウはパッと表情を明るくする。
黙っていれば彫像も裸足で逃げ出すような美形だというのに、俺に構ってもらった時だけ犬のように露骨な反応をする。
こういう部分をかわいいなと、思っていた時もあったっけ。
「ホンスァ、久しぶり。全然会ってくれないから、来ちゃった」
来ちゃった、じゃ、ねえんだわ。
整いすぎて感情が抜け落ちたような男の顔が、俺と目が合った瞬間に緩む。
「おう。その時点で避けられてるって気付いてほしいもんだけどな?」
「またそんなこと言ってる。ホンスァは僕にばかり意地悪だ」
まるで子犬のようにシュンと肩を落とすような素振りをするが、身長は俺などよりずっと高い。タイラン様よりも少し高いくらいだ。
手足が長くすらりとした立ち姿は一見優男に見えるが、極限まで鍛え抜いた身体だということを俺はよく知っている。
体術はほかの奴ら同様、俺が一から仕込んだ。
だがこの男の才能が、他より抜きん出て優れていたのだ。
純粋な体術だけなら、赤龍領で最も優れた武術家であった俺に次ぐ男だと思っている。
それ以外の要素があるせいで、今の俺では勝てないが。
ジーウが一歩、足を踏み出す。
敵意はない。こちらを害するつもりはないのだろう。
だがこの男の恐ろしさはそこではない。
「ね、ホンスァ。そろそろ意地悪しないで」
敵意も害意も持ち合わせず、ただ普段通りに他人を殺めることができる男だ。
誰よりも俺に懐いていて、誰よりも俺を慕っていた男。
そしてこいつは俺を――裏切った男だ。
ジーウは両手を広げ、首を横に傾げる。
「ね、僕の奥さん?」
寝言は寝て言え。
言葉は喉元までこみ上げるものの、ギリッと奥歯で噛み殺した。
たちが悪いことに、ジーウの寝言は至って本気だ。
しかし倒れ込んだままのヤオを守りながら、一人でジーウと戦うのは分が悪い。
全盛期の俺でも今のジーウと拳を交えて勝てるかどうか。能力を封じられている今、勝率はさらに低いだろう。
「ちなみに、ホンスァの他の飼い犬は僕が捕らえてる。意味、分かる?」
そんな気はしていた。
影の中でも一番腕の立つヤオが、どうにかこの男から逃げて来たのだろう。
いや違うか、俺に危機を伝えるために駆けてきてくれたのだ。
俺は小さく息を吸い、そして吐いた。
床に伏したままのヤオが叫ぶ。
「ホンスァ、様……! 我々のことは捨てて逃げて――ウッ!」
「キャンキャンと煩い犬だな。大した力もないくせに、ホンスァの右腕気取りか?」
ヤオの手を、ジーウの靴裏が踏みつける。
容赦なく体重がかかっていく。
「やめろジーウ! お前の先輩だろ!」
慌てて男の腕を引っ張った途端、容赦なく踏みつけていた冷徹な表情がすぐに緩む。この豹変ぶりもまた、つかみどころがない。
「元、だし。ホンスァの部隊にいたから一緒にいただけで、仲間でもなんでもない」
「おまえ……」
言葉の一つ一つが俺の神経を逆撫でてる。
本当に昔からこの男は、俺を苛つかせる天才だ。
「さあどうするホンスァ。仲間思いのホンスァなら、選択肢はきっと一つだ」
この場を支配する男は、そう言って両腕を広げる。
窓から入ってくる冷たい風が、ジーウの三つ編みを揺らす。
チャリ、と金輪が嫌な音を立てた。
俺によく似た気配はあえて殺さずに近寄ってきたんだろう。
足音を消し、自分の周囲に気を張り巡らせる。教えたやり方そのまますぎて、まったく嫌になる。
立ち上がった俺はゆっくりと振り返る。
男――ジーウの着ている緋色の服が、風に揺れた。
足首がすぼまったズボン、その上に襟首の詰まった裾の長いパオを重ねる着こなしは赤龍領ならではだ。
ジーウの黒髪は裾へ向かって深い赤色へと変わり、癖のある毛束は後ろで緩く結ばれている。そのまとめられた毛先には丸い金具が付いていて、連結した金輪を介してもう一つの毛束が繋ぎ止められている。
地毛と繋ぎ合わせる金輪は、アクセサリーというよりもまるで囚人の鎖を思わせた。
その先で揺れる三つ編みは、ジーウの髪質とは全く違う、燃えるような赤色。
嫌になるほど見覚えがある、赤い髪の毛だ。
三つ編みをジーウが指先で弄ぶせいで、丸い金属がチャリ、と擦れる。
「そうだろう? ジーウ……いや赤龍様とでもお呼びした方がいいか?」
「嫌だよ。ホンスァと僕との間でそれは、他人行儀」
背が高い男は見上げないといけないほどだ。嫌味なほど緻密に組み立てられた美しい顔は、いつだって淡々としていて表情は変わらない。
なのにホンスァと話すときだけ、少し甘えたような声を出す。
これも昔から変わらない。
変わらない男の姿と、あの時を思い出さずにはいられない長い三つ編み。金具が音を立てるたびに、悪夢から目を逸らすなと強いられているようで息苦しい。
喉の奥で、なんだかジリリと焦がれる音がした。
「他人だろ」
そう冷たく言い返したというのに、ジーウはパッと表情を明るくする。
黙っていれば彫像も裸足で逃げ出すような美形だというのに、俺に構ってもらった時だけ犬のように露骨な反応をする。
こういう部分をかわいいなと、思っていた時もあったっけ。
「ホンスァ、久しぶり。全然会ってくれないから、来ちゃった」
来ちゃった、じゃ、ねえんだわ。
整いすぎて感情が抜け落ちたような男の顔が、俺と目が合った瞬間に緩む。
「おう。その時点で避けられてるって気付いてほしいもんだけどな?」
「またそんなこと言ってる。ホンスァは僕にばかり意地悪だ」
まるで子犬のようにシュンと肩を落とすような素振りをするが、身長は俺などよりずっと高い。タイラン様よりも少し高いくらいだ。
手足が長くすらりとした立ち姿は一見優男に見えるが、極限まで鍛え抜いた身体だということを俺はよく知っている。
体術はほかの奴ら同様、俺が一から仕込んだ。
だがこの男の才能が、他より抜きん出て優れていたのだ。
純粋な体術だけなら、赤龍領で最も優れた武術家であった俺に次ぐ男だと思っている。
それ以外の要素があるせいで、今の俺では勝てないが。
ジーウが一歩、足を踏み出す。
敵意はない。こちらを害するつもりはないのだろう。
だがこの男の恐ろしさはそこではない。
「ね、ホンスァ。そろそろ意地悪しないで」
敵意も害意も持ち合わせず、ただ普段通りに他人を殺めることができる男だ。
誰よりも俺に懐いていて、誰よりも俺を慕っていた男。
そしてこいつは俺を――裏切った男だ。
ジーウは両手を広げ、首を横に傾げる。
「ね、僕の奥さん?」
寝言は寝て言え。
言葉は喉元までこみ上げるものの、ギリッと奥歯で噛み殺した。
たちが悪いことに、ジーウの寝言は至って本気だ。
しかし倒れ込んだままのヤオを守りながら、一人でジーウと戦うのは分が悪い。
全盛期の俺でも今のジーウと拳を交えて勝てるかどうか。能力を封じられている今、勝率はさらに低いだろう。
「ちなみに、ホンスァの他の飼い犬は僕が捕らえてる。意味、分かる?」
そんな気はしていた。
影の中でも一番腕の立つヤオが、どうにかこの男から逃げて来たのだろう。
いや違うか、俺に危機を伝えるために駆けてきてくれたのだ。
俺は小さく息を吸い、そして吐いた。
床に伏したままのヤオが叫ぶ。
「ホンスァ、様……! 我々のことは捨てて逃げて――ウッ!」
「キャンキャンと煩い犬だな。大した力もないくせに、ホンスァの右腕気取りか?」
ヤオの手を、ジーウの靴裏が踏みつける。
容赦なく体重がかかっていく。
「やめろジーウ! お前の先輩だろ!」
慌てて男の腕を引っ張った途端、容赦なく踏みつけていた冷徹な表情がすぐに緩む。この豹変ぶりもまた、つかみどころがない。
「元、だし。ホンスァの部隊にいたから一緒にいただけで、仲間でもなんでもない」
「おまえ……」
言葉の一つ一つが俺の神経を逆撫でてる。
本当に昔からこの男は、俺を苛つかせる天才だ。
「さあどうするホンスァ。仲間思いのホンスァなら、選択肢はきっと一つだ」
この場を支配する男は、そう言って両腕を広げる。
窓から入ってくる冷たい風が、ジーウの三つ編みを揺らす。
チャリ、と金輪が嫌な音を立てた。
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