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第二章

第八話 堕落の楽園

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 たどり着いた場所は、楽園に近かった。

 レイはまず、今後寝泊りすることになる慰安所にたどり着いた。
 降り注ぐ陽光、淡い色の海、そしてテーブルに並べられる色とりどりの酒。
 古びた木造建築の庭では、同じような帰還兵たちが乱痴気騒ぎに興じていた。

「よぉ、新入りか?」

 ヘラヘラと笑いながら、酒気を帯びた男が話しかけて来た。

「ここは良いぞ、酒も女も不自由しねぇ! 存分に満喫しようや‼︎」
「ああ、いいね。やろうじゃん」

 そうしてレイもその宴に加わった。



「どうよ、この辺は? なかなかいい女が揃ってるだろ?」
「ああ、そうだな」

 ジラードでは酒にも不自由しなかったが、娼婦も非常に多かった。
 夜もすっかり更けた頃、レイは仲間たちに連れられて、娼館が立ち並ぶ通りを散策していた。
 客引きする娼婦たちは皆美形揃いであり、レイたちを相手にするのに慣れているようだった。

「この女なんかどうよ? 亜人だが、結構いけるぜ」
「…よろしく」

 少々無愛想ではあるものの、なかなかの人気の亜人娼婦であるらしい。

「…ああ、いいよ。よろしく」

 そしてレイも、大人しくそれに従った。




 レイは何度も性欲を発散しながら、頭の中の何かが麻痺して行く感覚を覚えた。

(心地いい…)

 心の痛みが引いて行くような、心地いい感覚だ。

(このまま…何も考えずに過ごしていたい)

 しかしそれでも、頭の奥底にある黒いものは、拭いきれないままであった。




 そうしてレイは日々享楽に溺れていった。
 夜毎うなされる悪夢や、世界からの疎外感。
 そうしたものを忘れられるようか錯覚に陥っていた。
 周りの人間も全く一緒で、日々何かに追い詰められていた人間たちである。
 そんな者たちに囲まれていれば、物事の基準も緩くなって行く。
 ただなすがままに、流れ行くままに、レイは深く堕ちていった。





 その日もレイは深酒をしていた。
 典型的な千鳥足で、足取りは覚束ない。
 朦朧とする意識の中で、慰安所への道を探していた。

「うぅ…どこだぁ? ここは…」

 次第に畦道が続くようになり、やがてレイは林の中に入っていった。

(やばい、完全に迷ったな)

 土地勘はだいぶ得たつもりではいたが、それでも迷うほどにレイは酩酊していた。
 兎にも角にも、道無き道を進んで行く。
 すると拓けた場所にレイは辿り着いた。
 そこには古びた建物が一軒建っていた。

(これは…教会か?)

 両開きのドア、その上の十字架から、教会である事は予想がついた。
 しかしレイには、この近くに教会があるという話は聞いた事がなかった。

(仕方ない、とりあえず、道順だけ、で、も…)

 そこでレイの思考は止まった。
 体の許容量を超えたアルコール摂取に、遂に耐えられなくなったらしい。
 その場にレイは倒れ伏した。






 目覚めると、そこは見慣れない場所だった。
 古びてはいるものの小綺麗にまとまっており、心が落ち着く空間だった。
 するとドアが開き、修道服に身を包んだ見慣れない女性が現れた。

「あら、目が覚めたんですね。
 教会の前で倒れていましたので…ご気分はいかがですか?」

 優しげな微笑みをレイに向けた。

「…あんまり良くないな」

 強烈な二日酔いに加え、酒が切れたのか、手が徐々に震え始めていた。

「酒…酒はないか」
「なるほど、中毒の方ですね。ちょっと待っててください」

 すると彼女は部屋を出ていった。
 戻ってきた彼女の手には、一つの瓶が握られていた。

「これを飲んでください。中毒症状がいくらか和らぎますから」
「そんな物より酒をくれ、一杯やりゃ何とでもなる」
「駄目です! さあ、飲んで」

 栓を抜き、瓶をレイの口に無理矢理ねじ込んだ。
 苦い味と香りが、喉の奥底にまで広がった。
 レイは強烈な嘔吐感を覚えたが、上を向かされていたため、それは出来なかった。

「少し眠くなりますから、そのまま寝ても大丈夫ですよ」

 その言葉通り、徐々に眠気が湧いてきた。
 手の震えも収まり、やがて瞼が重くなっていった。

「あ…」

 そのまま眠りに落ちていった。





 やがてレイは二度目の目覚めを迎えた。
 ゆっくりと起き上がると、動悸がした。

(……‼︎)

 体から冷や汗が吹き出た。
 呼吸が荒くなって行く。
 アルコールで神経を鎮めなければならない。
 おぼつかない足取りで、レイは部屋を出た。

 物音がするドアを開けると、そこは簡単なダイニングのようだった。

「起きましたか? 丁度良かった、そろそろお昼の時間ですよ」
「…そんな事より酒をくれ、頼む…」

 ふぅ、と溜息を吐くと術式をレイの方に向けた。
 すると冷や汗や心臓の鼓動が収まって行くのを感じた。

「しばらくお酒は絶対に駄目です! さぁ、食べますよ」
「あ、ああ…」





「ごちそうさまです!」
「…ごちそうさまです」

 食事を終えると、彼女はレイの分の食器まで片付けた。
 そしてレイと相対する形で椅子に腰掛けた。

「あなたも、帰還兵の方ですか?」
「…わかるのか?」
「ええ。みんな同じように虚ろな目をして、お酒に逃げたりしますから」
「みんな?」
「帰還兵の方がたくさん来ますので…」

 すると、遠くの方で鐘の音がなった。

「噂をすれば、ですね。ちょっといって来ます」
「え、行くって…」

 彼女は突然席を立った。

 教会の入り口付近には、レイと同じような帰還兵らしき者たちが10人近く固まっていた。
 皆一様に暗い表情ではあったものの、何処か希望に縋るような目をしていた。

「早いですね。礼拝の時間はまだ先ですよ?」
「ええ。ただ、ここにいると気分が落ち着くので…」
「そうですか…じゃあ、その辺に腰掛けて待っててください」

 そう言うと、彼女は奥の方に消えて行った。
 改めて周りの人間を見やった。
 レイやその周囲の帰還兵に比べると、幾ばくか顔色も良く健康そうだ。
 心の傷が多少癒えて来ているのかもしれない。

「あんた、レイ・デズモンドか?」
「え? あ、ああ、そうだけど…何で知ってるんだ?」
「みんなニュースで知ってるよ、救国の勇者。
 それがこんなとこにいるなんて、因果なもんだよな」
「…そうだな」

 しばらく双方とも黙ってしまった。

「…あんたは、よくここに来るのか?」
「ああ、罪の告白と祈りを捧げにね。
 それで何が許されるわけじゃないが…何かせざるには得られないんだ」

 しばらくすると、彼女が奥のドアから出て来た。
 糊の効いた修道服を身に纏い、横に設置されたパイプオルガンの前に座った。
 そして彼女は、礼拝の為の旋律を奏で始めた。
 荘厳、と呼ぶにふさわしいものを、レイは久しく見たことが無かった。
 その旋律に、レイはしばし呆けてしまった。
 周りの人間は、すでに両手を合わせ、祈りを捧げている。
 レイも合わせて手を合わせた。
 祈るように、縋るように。


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