お妃候補は正直しんどい

きゃる

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第五章 急がば回れん

いざ皇国へ1

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 レスタードの朝は早く、雪解け水で顔を洗うところから始まる。
 目覚めの紅茶? 貧乏国で『贅沢は敵』の我が国に、そんな優雅な習慣はない。一気に覚醒かくせいするほどの冷たい水で洗ったら、急いで仕度をしなくっちゃ。
 
 私はクリスタ=レスタード。
 茶色の髪と緑の瞳が特徴の、大陸の北にあるレスタード国の第二王女だ。王女と言っても民より少し上の暮らしぶりで、豪華なドレスを着るのは特別な時にだけ。普段は自分で着替えられるような簡素な服を好むため、今も薄緑色と白の動きやすいドレスを選んでいる。さて、それでは朝食の用意を手伝いに行きましょうか。

 石造りの我がレスタード城の食堂は小さく、せいぜい五十名ほどが入れる広さだ。そのため、大雪で避難してきた我が国の民は、待機場所である大広間で食事をとっていた。
 ちなみに、大陸一の大きさを誇るヴェルデ皇国の食堂は二百人が一度に入れる広さで、我が国とはまったく違う。雪が降り始める前まで、私はお妃選びのためにそのヴェルデ皇国に滞在していた。

 現在、我が城にはヴェルデ皇国の皇太子をはじめとする一行が滞在している。彼らは大雪で燃料と食料が減って困っていた我が国に、物資を届けてくれたのだ。さらに皇国の騎士達は、我が国の兵士と共に雪でつぶれた民家の修復も手伝ってくれて。
 おかげで、今では半数以上の民が自分の家で過ごせるようになった。避難している人の数が著しく減ったため、今日から揃ってこの食堂で朝食をいただくことができるというわけ。

 本当に、皇国の方々には何とお礼を言えば良いのやら。幸せのため息をつきながら食堂に入った私は、給仕や女官に元気よく挨拶をした。

「おはよう、みんな。お手伝いは私で最後なの? 遅くなってごめんなさい」
「おはようございます。姫様のお手をわずらわせ、申し訳ありません」
「クリスタ様はお疲れでしょう? もう少しゆっくりなさってもよろしかったのに」

 早朝から働く人々の優しい言葉を聞き、私は首を横に振る。

「いいえ。ただでさえ甘えてばかりいるのだもの。皇国の方のお世話は、私にも手伝わせて?」

 皇太子であるランドルフ様――ランディは物資を補給してくれただけでなく、お妃選びで失礼な振る舞いをした私をここまで迎えに来てくれた。しかも私を正妃にするために、伝統ある『皇太子妃選定の儀』まで廃止したという。そんなに深く愛されているなんて、皇国にいた頃は考えもしなかった……
 
 いけない、浸っている場合ではなかったわね。
 力になろうと早起きしたのに、ボーっとしたら役に立たない。貯蔵庫が潤ったおかげで、朝からみんなで美味しい物が食べられる。ほら、今日も早速いいことを見つけたわ!
 どんなに小さなことでもいいから、一日に一つ以上のいいことを見つけよう。それだけで毎日が潤い、頑張ろうという気になれる。私はいつも、そうして自分を奮い立たせてきたのだ。

「ええっと、お皿を並べればいいかしら? それとも、お料理を運んで来ましょうか?」

 私が尋ねると、女官が顔を見合わせた。

「それなら、クリスタ様にピッタリのお仕事があります」
「ええ、確かに。姫様でないとできませんもの」

 何かしら。朝からそんなに重要な仕事があるの?

「そ、そう? それなら頑張らなくてはね?」

 役に立たないと勝手にいじけていた頃の私は、もうどこにもいない。最初の一歩を踏み出さなければ、何ごとも成し遂げられないと学んだから。

「だからって、まさかこんなお仕事だとは……」

 ぶつぶつ呟きながら、城の廊下を歩く。
 頼まれたのは、ヴェルデの皇太子であるランディを起こすこと。うちの侍従が腰を痛めたらしく、その代わりだという。

「そもそも、起こしに行っていたかしら? 勝手に起きていたような気がしたのに」

 なーんかに落ちないものを感じながら、私はランディが滞在する貴賓室に向かっている。未婚の娘が男性の部屋に入るのはおかしいけれど、私と彼は結婚を約束した仲だし、そもそもメイドに徹するならこの限りではない。サッと行ってパッと起こして、シュパッと部屋を出ましょうか?
 水差しと洗面用の器を手にしたまま、私は貴賓室の扉をそーっと開けた。



 カーテンの隙間から、朝の光が部屋に差し込んでいる。ベッドに伸びる光が、皇太子のプラチナブロンドの髪を淡く照らしていた。長いまつ毛と鼻筋の通った凛々しい顔は、寝ていても惚れ惚れするほど美しい。
 昨日も騎士達と一緒に家を修理してくれたから、疲れてぐっすり眠っているようだ。お客様なのに可哀想だし、睡眠はすごーく大事。もう少し寝かせていてもいいわよね? 

 ベッド脇の小さなテーブルに、起こさないように水差しと洗面器を置く。本来なら紅茶の香りでゆっくり目覚めてほしいけれど……ないんだからしょうがない。それに、彼は大国の皇太子でありながら、待遇面で一度も不満を漏らしたことはなかった。

『人目を気にせず、妖精さんともっと触れ合いたいな』

 快適に過ごせているか聞いたところ、こんな答えが返って来た。彼は時々私を妖精さんと呼ぶ。城は狭いが人は多く、結婚前で姉の目もある。当然二人きりになれる機会などなく……
 考えてみれば、久々かしら?
 私はベッドに近づくと、もう一度だけ大好きな彼の寝顔を見つめることにした。

「寝顔まで綺麗だなんて、ずるいわ…………うきゃっ!」
「ああ……。一日の始まりに妖精さんの顔を見ることができるなんて、最高に幸せだな」

 なんと皇太子は起きていた!
 私の腕を掴むとオフトゥン――じゃなかった、ベッドに引っ張りこもうとしたのだ。そのせいで、私の上半身が彼にちょうど覆い被さる形に。上掛けの上とは言え恥ずかしいし、背中にはいつの間にか彼の腕が回っている。

「ま、待って! 皇太子、様」
「ランディだ。何度も言っているだろう?」

 そうだった。気分はメイドだったので、つい……じゃなくって、この体勢、どういうこと?

「あ、あ、あの。あ、朝からこれは、ちょっと」
「朝から? じゃあ、お昼過ぎならいいのかな?」
「い、いえ。一日中ダメでしょう?」

 レスタードでは婚約者だと認められても、私はまだ皇国での挨拶を済ませていない。嫁入り前だし、こんなにくっつくなんて、淑女としてはしたないと思うの。
 情けないことに、緊張するとどもりが復活してしまう。治ったと思っていたし、以前よりだいぶ良くはなったものの、完璧ではなかったみたい。だけど、色気たっぷりに迫られたら……誰だって緊張するわよね?

「クリスタはつれないな。せっかく二人きりなのに残念だ」

 ランディが、私の髪のあちこちにキスを落としていく。もがけばもがくほど腕の力が強くなるようで、なかなか抜け出せない。それに、朝から過剰な色気を振りくというのは、いかがなものでしょう?
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