お妃候補は正直しんどい

きゃる

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第六章 一男去ってまた一男

公国のプリンス9

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「わ、私、ですか?」

 思わず口を挟んでしまう。
 皇妃直々の指名って、いったい……

「はい。お聞き及びかと存知ぞんじますが、長雨の影響で河川が氾濫はんらんした地域があります。本日はそこを訪れる予定でした」

 それなら私も知っている。五日程前、皇国の東にあるスルナ川の水位が増し、周辺の住民が被害を受けた。大量の土砂が流れ込み、住めなくなった家も多い。皇国軍が交代で復旧に当たっているが、住民の悲しみは相当深いものだという。戻って来た兵士の話を、いつもの夕食会で私はみんなと一緒に聞いていたのだ。
 交渉術の教師が、重々しく頷く。

「それはそれは。クリスタ様、そういうことならすぐに行っておあげなさい」
「もちろんです! でも、皇妃様の代わりだなんて……」

 そんな大役が、私に務まるのだろうか?

「大丈夫。今のクリスタ様なら問題ないでしょう。秘書の貴方も同行されますよね?」
「当然です。よろしいでしょうか?」

 伊達眼鏡を外すとワイルド系の秘書官が、真剣な顔で私に尋ねた。それだけ重要な予定だったのだ。皇妃に遠く及ばないと、不安に思っている場合ではない。私は私に出来ることを、一生懸命頑張らなくちゃ。

「お役に立てるのなら喜んで。では、準備をしてきますね」

 私は急いで部屋の出口に向かう。
 その時、背後から声がかかる。

「待って、クリスタ。僕も一緒に行くよ。いいですよね? 先生」

 ジルの申し出に、教師に代わって秘書官が答えた。

「ジルベール様のご訪問は想定しておりませんでした。ですが、許可さえ下りれば可能かと。あいにく皇太子殿下は不在なので、皇妃様と直接交渉して下さい」
「わかりました」

 ただの婚約者である私より、公国の王子かつ皇国の皇位継承権を持つジルの方が、立場は上だ。教師も皇妃の秘書官も、彼の頼みを断ることはできない。ランディの反応が気になるけれど、今はそんなことを心配している場合ではないような。

 スルナ川流域は、ここから馬車で二時間半程の距離らしい。手配は秘書官が終えているため、私は現地に行くだけで良いと告げられた。けれど、できることなら少しでも、人々の力になりたい。
 出発までのわずかな時間、私はまず、付き添いの女官を選んでもらうようにマーサにお願いした。手先が器用で明るい者を優先してほしい、と告げる。次に調理場を目指し、目当ての人物を捕まえた。

「料理長! お願いがあります」
「これはこれはクリスタ様。もうお腹が空きましたかな?」

 料理長には、私が食いしん坊だとバレている。でも今は、楽しく会話をしている時間はない。私は事情を説明し、ありったけの焼き菓子をかき集めてもらうことにした。持ち運びやすく、日持ちがするからだ。

「せっかく作っていただいた物を、横取りしてごめんなさい。皇宮の外への持ち出しは禁止だと伺っているのに、巻き込んでしまって済みません」
「さて、何のことですかな? 私は作りすぎた分を、たまたま処分しようと思っただけです。ちょうどそこに、貴女がいらした。それに皇妃様の代理であれば、断る必要もないのかと」
「いいえ。私は他人の威光を借りることは望みません。ご迷惑をおかけしたのは私です。問われたら、責任は私にあるとお答え下さい」
「迷惑だとはちっとも思っていませんよ。こちらのことは心配なさらず……お気をつけて」
「ありがとうございます」

 女官や顔なじみの料理人達が、大量のお菓子を運んでくれた。あとはレスタードから持ってきた絵本を、荷物に入れるだけでいい。皇妃の秘書官は不思議そうな顔をしただけで、何も言わなかった。とりあえず見逃してくれたようだ。
 未婚の女性は婚約者以外の男性と同乗できないため、ジルや秘書官とは別になる。手間がかかって申し訳ないけれど、そこは考慮してあった。三人の女官と共に私は馬車に乗り込む。



 雨が降りそうな灰色の空に、気分がどんどん沈んでいく。倒れた木やどこから来たともわからない大きな石、泥に埋まった家や押し潰された建物、進むのも苦労する荒れた道。想像以上に悲惨な状況に、私は思わず言葉を失くす。 ここで暮らす人々は、大事な家が潰れてどんな思いをしただろう? 怪我人や被害に遭った人々への対応は、行き届いているのかしら?
 川沿いの住民は、高台にある領主の家に避難していた。私達を出迎えた領主が、何度も頭を下げている。

「皇太子殿下の婚約者様と公国の王子殿下でしたか。辺鄙へんぴな場所にわざわざご足労いただきまして、ありがとうございます。お疲れでしょう? 早速お茶のご用意を」

 こんな時に優雅にお茶? まさか!
 私は慌てて断った。状況の把握に来た以上、余計な気遣いは無用だ。

「いいえ、お茶は要りません。どうぞお顔を上げて下さい。領主様こそ、この度は大変な思いをされたはず。素早いご判断のおかげで、死者が出なかったと聞きました。本当にありがとうございます」

 私が頭を下げた途端、領主が慌てだす。

「と、とんでもございません! そんな、礼を言われることなど何も」
「いいえ。民の命を救うことが、一番大切ですもの。みんなも感謝しているでしょう」
「も、もったいないお言葉で……」

 恐縮してますます小さくなる領主。
 困っていると、皇妃の秘書官が助け船を出してくれた。

「貴方の働きを、皇妃様も高く評価しておいでです。近く皇宮に呼ばれることになるかと。そのつもりでいて下さい」
「ははー」

 腰の低い領主は、今にも床に頭をこすりつけそうだ。そのため私は「ここにいる方々に会いたい」と、希望を伝えることにした。領主が早速、私達を広間に案内してくれる。
 被害を受けた人は四十~五十人ほどで、みながっかりして肩を落としていた。大雪のレスタードと似た状況に、胸が痛む。領主や村長の呼びかけでここに集まったものの、帰る家が酷い状態なので、動く気力もないのだとか。
 何人かは私達が気になるようで、こちらに目を向けている。

「あのう……よろしければ、彼らの前で演説をお願いします」
「クリスタ様、どうぞ。それともジルベール様が?」

 領主の言葉に、秘書官が私とジルを代わる代わる眺めた。演説までは予想していなかったため、私は一瞬固まってしまう。すると、隣にいたジルが前に進み出る。

「それなら僕が」

 ジルはその場にいる人々からよく見える位置に立つと、身分を明かす。

「僕はこの国に留学しているユグノ国の王子で、皇族とは縁戚関係だ。此度のことは気の毒であったし、皆も苦労したと思う。ここに来るまでの様子は痛ましく、目を覆う程であった」

 広間は静まり返り、小さな子供の声さえ聞こえない。皆真剣に、ジルの話に耳を傾けている。

「だが、皇国の民の誇りがあるならば、また一からやり直せるはずだ。皆の頑張りと健闘を望む」

 ――違う。気力を失くした人々にいくら「頑張れ」と言っても、心には響かない!
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