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第六章 一男去ってまた一男
公国のプリンス10
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身分の高い人の言葉は絶対だというのが、貴族社会の常識だ。ジルに他意はなく、励ますつもりだったと思う。けれど彼らはこの地に暮らす民で、もう十分頑張っている。先の見えない生活のため、これ以上何をどうすれば良いのかわからない、というのが正直なところだろう。
「ありがとうございます。さすがは公国の王子殿下。みなもやる気になったようで」
領主の言葉に、ジルが硬い表情で頷く。反応しない人々に、激励したジル自身が戸惑っているみたい。
「クリスタ様は、演説しないのですか?」
皇妃の秘書官が、淡々と私に問う。ここまで来て何も言わずに帰るのかと、いぶかしんでいるようだ。私はレスタード城で、大雪の被害に遭った我が国の民と接した。ここにいる人々も、同じように悲しみ傷ついている。それなら私にできるのは――
「はい。大勢の前で語る必要はないと思います。ですが、皆様と直接お話してもいいですか?」
「直接……?」
「ええ。ここにいる方々が、お嫌でなければ」
驚く領主に私は微笑む。
避難してきた人々は、もう何度も励まされてきたはずだ。復旧に携わる兵士を見て、感謝の念も抱いたことだろう。何とかしなくてはいけないと、彼ら自身が一番良くわかっている。けれど不安の方が大きくて、元気が出ないのだ――かつての私達のように。
それなら私は、人々の悲しみに寄り添いたい。そして少しでも、暗い気分を変えることができたなら。
避難してきた人々は一家族ごとに固まって、床に直接座っている。私は端から順に回り、彼らの話を聞くことにした。その際、籠に入れた焼き菓子を、連れてきた女官に配ってもらう。
始めは怪訝な顔をされた。食べ物は足りている、と断られたりして。
「皇宮でしか味わえないお菓子ですが……。ごめんなさい、お嫌いなら仕方がありませんね」
「いや、待て待て。嫌いだとは言っていない」
「それならどうぞ。お口に合えば嬉しいです」
さらに健康状態を尋ね、心配事に耳を傾ける。眠りが浅いと言う者には、連れてきた女官にマッサージをお願いし、怖かったと泣く人は、黙って抱き締めた。心配事の多くは今後の生活や農作物のことで、秘書官がしっかりと紙に書き付けている。
「貴女に何がわかる。どうせすぐに帰るのだろう?」
「お許しいただけるのでしたら、また伺いますね」
私への文句や不満を口にしても、決して否定してはいけない。悲しみも苦しみも全てその人の経験で、私は推し量ることしかできないから。ただ、最後に必ず「お会い出来て良かったです」と、付け加えることにした。
ジルも途中から加わり、側で話を聞いている。心を開いたおばさんが、兵達への感謝の言葉をジルに告げていた。
「皇国の兵隊さんは、真面目に頑張ってくれているよ。あたしらがここでゆっくり出来るのも、あの人達のおかげだ。なんでも帰れば、綺麗なお姫さんが真剣に話を聞いて、褒めてくれるんだとか」
「姫?」
「北国から来た姫さんは、そりゃあもう綺麗で可愛くて、ものすごく優しいらしい。なんだったっけね? きらきらした名前だったような。褒められたくて頑張るなんておかしいですよねって、兵隊さんは照れてたけど、あたしはそうは思わない。その姫さんのおかげで、みんなが助かっているからね」
思わず赤面してしまう。
確かに私は夕食会で、兵士達から話を聞いた覚えがある。けれど、綺麗で可愛く優しいかは甚だ疑問だ。誰だかわからないけれど、相当話を膨らませている人がいる。
「だから、貴方の口からお礼を言ってほしいんだ。偉い人同士、知り合いだろう?」
ジルは気づいたようで、私を横目で見ながら首肯していた。
「わかった。確実に彼女の耳に入れよう」
「ありがたい。世の中には本当にすごい人がいるよ。いったいどんな人なんだろうねえ」
おばさんの中で、私はかなり美化されている。夢を壊してはいけないので、このまま名乗らない方がいいみたい。そうこうしているうちに、お菓子を食べ終えた子供達が寄って来て、持参した焼き菓子の感想を興奮気味に語ってくれる。
「こんなにうまいの、初めて食べた」
「甘くてほっぺが落っこちそう」
「木の実のケーキが好き~」
一生懸命話す可愛らしい姿に、私は子供達の頭を撫でた。
「上手にお話ししてくれてありがとう。嬉しいわ」
飛びっきりの笑顔に、持ってきて良かったと胸が熱くなる。美味しい物を食べれば、自然と顔が綻ぶから。生きていて良かったと、感じてくれればそれでいい。
明るい子供達の様子に、大人達の表情も優しくなる。みんながこのまま少しずつ、元気を取り戻してくれますように。
私は子供達にせがまれて、お妃教育で覚えたばかりの皇国の歌を歌う。愛の歌はまだ少し早いような気がするけれど、家族愛だって愛情に違いない。情感たっぷりに歌い上げると、「上手だね」と褒められる。大変な時でも他人を気遣う子供達の優しさに、頬が緩む。持参した絵本は好きな時に読んでもらおうと、置いていくことにした。
ゆっくり回ったために、結構な時間が過ぎている。それほど嫌がられず、受け入れてもらえて良かったわ。お菓子は全て配り終えたの?
「ここにいる方で全部? 他に避難された方はいらっしゃらないかしら?」
外出している者はいないかと、聞いてみた。その方の分も、残しておく必要があるからだ。
「そういえば、マルヌさんがいないな」
「本当だ。あの婆さん、昨日も家を見に行っていたぞ。止めたって聞きやしない」
「変わり者のお婆さんでしょう? 今日はここにいなくちゃいけないって、領主様から言われていたのにねえ」
言葉を交わした人達が、口々に教えてくれる。聞けばマルヌさんという高齢の女性が、崩れた自分の家を毎日見に行っているそうだ。いったいどうして?
私はお礼を言い、マルヌさんに会いに行こうと決めた。けれど領主に、反対されてしまう。
「水が引いたといっても、泥の多い地区です。見る物は何もないかと」
「いいえ。見学ではなく、マルヌさんにもお話を伺おうかと思って」
すぐ横のジルも、私を引き留める。
「クリスタがそこまでする必要があるのかな? もう十分話は聞いたよね」
「でも、その方の様子も気になるの。人一倍苦しんでいるのではないかしら?」
無理を承知で、皇妃の秘書官にお願いすることにした。彼に断られたら、おとなしく引き下がろう。
「帰りに寄ることはできませんか?」
「馬車の通れる範囲は限られております。危険がない所までなら、近づけるでしょう」
「それなら是非! お願いします」
お別れを言いに、ほとんどの人が屋敷の外まで出てきてくれた。ほんの少し表情が明るくなった人々と、元気な子供達。領主は最後まで頭を下げ通しだ。私はまた来ると約束し、館を後にした。
「ありがとうございます。さすがは公国の王子殿下。みなもやる気になったようで」
領主の言葉に、ジルが硬い表情で頷く。反応しない人々に、激励したジル自身が戸惑っているみたい。
「クリスタ様は、演説しないのですか?」
皇妃の秘書官が、淡々と私に問う。ここまで来て何も言わずに帰るのかと、いぶかしんでいるようだ。私はレスタード城で、大雪の被害に遭った我が国の民と接した。ここにいる人々も、同じように悲しみ傷ついている。それなら私にできるのは――
「はい。大勢の前で語る必要はないと思います。ですが、皆様と直接お話してもいいですか?」
「直接……?」
「ええ。ここにいる方々が、お嫌でなければ」
驚く領主に私は微笑む。
避難してきた人々は、もう何度も励まされてきたはずだ。復旧に携わる兵士を見て、感謝の念も抱いたことだろう。何とかしなくてはいけないと、彼ら自身が一番良くわかっている。けれど不安の方が大きくて、元気が出ないのだ――かつての私達のように。
それなら私は、人々の悲しみに寄り添いたい。そして少しでも、暗い気分を変えることができたなら。
避難してきた人々は一家族ごとに固まって、床に直接座っている。私は端から順に回り、彼らの話を聞くことにした。その際、籠に入れた焼き菓子を、連れてきた女官に配ってもらう。
始めは怪訝な顔をされた。食べ物は足りている、と断られたりして。
「皇宮でしか味わえないお菓子ですが……。ごめんなさい、お嫌いなら仕方がありませんね」
「いや、待て待て。嫌いだとは言っていない」
「それならどうぞ。お口に合えば嬉しいです」
さらに健康状態を尋ね、心配事に耳を傾ける。眠りが浅いと言う者には、連れてきた女官にマッサージをお願いし、怖かったと泣く人は、黙って抱き締めた。心配事の多くは今後の生活や農作物のことで、秘書官がしっかりと紙に書き付けている。
「貴女に何がわかる。どうせすぐに帰るのだろう?」
「お許しいただけるのでしたら、また伺いますね」
私への文句や不満を口にしても、決して否定してはいけない。悲しみも苦しみも全てその人の経験で、私は推し量ることしかできないから。ただ、最後に必ず「お会い出来て良かったです」と、付け加えることにした。
ジルも途中から加わり、側で話を聞いている。心を開いたおばさんが、兵達への感謝の言葉をジルに告げていた。
「皇国の兵隊さんは、真面目に頑張ってくれているよ。あたしらがここでゆっくり出来るのも、あの人達のおかげだ。なんでも帰れば、綺麗なお姫さんが真剣に話を聞いて、褒めてくれるんだとか」
「姫?」
「北国から来た姫さんは、そりゃあもう綺麗で可愛くて、ものすごく優しいらしい。なんだったっけね? きらきらした名前だったような。褒められたくて頑張るなんておかしいですよねって、兵隊さんは照れてたけど、あたしはそうは思わない。その姫さんのおかげで、みんなが助かっているからね」
思わず赤面してしまう。
確かに私は夕食会で、兵士達から話を聞いた覚えがある。けれど、綺麗で可愛く優しいかは甚だ疑問だ。誰だかわからないけれど、相当話を膨らませている人がいる。
「だから、貴方の口からお礼を言ってほしいんだ。偉い人同士、知り合いだろう?」
ジルは気づいたようで、私を横目で見ながら首肯していた。
「わかった。確実に彼女の耳に入れよう」
「ありがたい。世の中には本当にすごい人がいるよ。いったいどんな人なんだろうねえ」
おばさんの中で、私はかなり美化されている。夢を壊してはいけないので、このまま名乗らない方がいいみたい。そうこうしているうちに、お菓子を食べ終えた子供達が寄って来て、持参した焼き菓子の感想を興奮気味に語ってくれる。
「こんなにうまいの、初めて食べた」
「甘くてほっぺが落っこちそう」
「木の実のケーキが好き~」
一生懸命話す可愛らしい姿に、私は子供達の頭を撫でた。
「上手にお話ししてくれてありがとう。嬉しいわ」
飛びっきりの笑顔に、持ってきて良かったと胸が熱くなる。美味しい物を食べれば、自然と顔が綻ぶから。生きていて良かったと、感じてくれればそれでいい。
明るい子供達の様子に、大人達の表情も優しくなる。みんながこのまま少しずつ、元気を取り戻してくれますように。
私は子供達にせがまれて、お妃教育で覚えたばかりの皇国の歌を歌う。愛の歌はまだ少し早いような気がするけれど、家族愛だって愛情に違いない。情感たっぷりに歌い上げると、「上手だね」と褒められる。大変な時でも他人を気遣う子供達の優しさに、頬が緩む。持参した絵本は好きな時に読んでもらおうと、置いていくことにした。
ゆっくり回ったために、結構な時間が過ぎている。それほど嫌がられず、受け入れてもらえて良かったわ。お菓子は全て配り終えたの?
「ここにいる方で全部? 他に避難された方はいらっしゃらないかしら?」
外出している者はいないかと、聞いてみた。その方の分も、残しておく必要があるからだ。
「そういえば、マルヌさんがいないな」
「本当だ。あの婆さん、昨日も家を見に行っていたぞ。止めたって聞きやしない」
「変わり者のお婆さんでしょう? 今日はここにいなくちゃいけないって、領主様から言われていたのにねえ」
言葉を交わした人達が、口々に教えてくれる。聞けばマルヌさんという高齢の女性が、崩れた自分の家を毎日見に行っているそうだ。いったいどうして?
私はお礼を言い、マルヌさんに会いに行こうと決めた。けれど領主に、反対されてしまう。
「水が引いたといっても、泥の多い地区です。見る物は何もないかと」
「いいえ。見学ではなく、マルヌさんにもお話を伺おうかと思って」
すぐ横のジルも、私を引き留める。
「クリスタがそこまでする必要があるのかな? もう十分話は聞いたよね」
「でも、その方の様子も気になるの。人一倍苦しんでいるのではないかしら?」
無理を承知で、皇妃の秘書官にお願いすることにした。彼に断られたら、おとなしく引き下がろう。
「帰りに寄ることはできませんか?」
「馬車の通れる範囲は限られております。危険がない所までなら、近づけるでしょう」
「それなら是非! お願いします」
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