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番外編
たった一つ
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緑の芝に腰を下ろした彼が、僕に笑顔を向けた。口調はいつものように優しく、眼差しも温かい。
『大丈夫だよ、ジル。私が君の歳には、何もできなかったから』
しかし僕は反発し、大きな声で言い返す。
『嘘をつくな、嘘を!』
年上の従兄に何一つ勝てない自分が、悔しく情けない。十歳になったばかりの僕は、剣が苦手だ。怪我はせずに済んだものの、息が上がっている。一方ランディは涼しい顔で、汗一つかいていなかった。
僕は身体を動かすことより、静かに過ごす方がいい。読書を好むため、それなりに知識もついた。けれどどんなに頑張っても、ランディに追いつける気がしない。
大国の皇太子であるランディことランドルフ・ヴェルデュールは、周囲の期待に見事に応えた。学問や剣など全てが一流の彼は、大陸で最高峰の『皇立学問所』を首席で卒業したのだ。今は政務に携わり、皇国を支えている。
眉目秀麗、知勇兼備。大陸中の女性が彼に憧れていたとしても、驚かない。彼と僕は従兄弟同士。なのに、どうしてこんなに違うのか――
*****
朝の寝覚めは最悪だった。昔の夢を見たが、圧倒的な存在の前では、今でも劣等感に苛まれてしまう。
僕は大きなため息をつく。起きた瞬間からジゼルとして振る舞わなければならないから、なんとも複雑な心境だ。見回せば豪華な調度品に囲まれているが、女性用として整えられている部屋なので、なんとも落ち着かない。僕は額に手を当てて、再びため息をつく。
口の固い女官の世話で、コルセットなんてものを身につけた。あってもなくても同じだと思うが、そうはいかないらしい。限界まで締めつけられ、上にドレスを纏う。
藤色の衣装はハイネックで、袖にリボンがついていた。どんなに暑く恥ずかしくても、我慢しなければならない。
窮屈なドレスに比べれば、男性の服は動きやすくはるかに楽だ。この恰好を見て笑うなら、ランディだってただじゃおかない。
「引き受けるなんて、簡単に言わなきゃ良かったな」
後悔してももう遅い。
皇国からの要請を受けて喜ぶ両親の顔を、僕は頭に描く。
ユグノ公国の大公と妃が、僕の親だ。皇帝陛下の実の弟とは思えないほどのんきな父と、頭の中が常にお花畑の母。夫婦仲は良好だが、自分は本当に二人の子供なのかと疑ったこともある。
父はひと通りの政務はこなしているから、無能ではないはずだ。それとも部下が優秀なのか?
そんな父にも、誇れるところはある。
芸術を愛する彼は、画家や彫刻家、演奏家などをユグノ公国に多く呼び寄せていた。だから領土はそこまで広くないが、我が国の文化は独自の発展を遂げつつある。美術館の絵画の数は、ヴェルデ皇国をも凌ぐ。
我が国の学問は、残念ながらいまいちだ。図書館もあるにはあるが、皇国に比べて蔵書数も少なく、古いものが多い。ヴェルデ宮殿ならたくさんの本が読めるので、僕は皇国行きに同意した。もちろん、従兄が変な女性に引っかからないよう助けになりたい、というのも本心だ。
ヴェルデには小さな頃から時々遊びに行っていたから、勝手はわかっている。久々だが、それほど変わってないはずだ。そのため、能天気な両親も安心して僕を送り出す。
『未来の皇帝の力になれるなんて、名誉なことじゃないか。ついでにお前も伴侶を見つけておいで』
『そうよ。ジルだってランドルフ君と同じくらい素敵だもの。綺麗な女性に気に入られるといいわね』
まったく、二人ともいい加減にしてほしい。女装した息子が、隣国の『皇太子妃選定の儀』で、未来の伴侶を見つけられるわけないだろう? これは仕事のようなもので、遊びに行くわけじゃない。
それでも、女装をすれば跡継ぎの身分は隠せるはずだ。僕自身、ヴェルデとユグノの継承権を持っている。地位や権力狙いの女性に煩わされることなく、心静かに最先端の知識を学ぼう。
そう、思っていたけれど――
最終選考に残った候補は、全部で五名。中にはもちろん、僕も含まれていた。実質四人で争うが、野心溢れるのは三人で、一人だけポワンとしている――それが、クリスタだ。
なにげなく窓の外を見ると、彼女は中庭の薔薇に近づき、香りを楽しんでいた。それだけのことで、本当に嬉しそうに笑う。
クリスタも母と同じく、脳内がお花畑なのか? それでは、ヴェルデの皇太子妃には相応しくないな。うちならまだしも……
ほら、もう赤毛の女性に絡まれているじゃないか。
僕は肩を竦め、図書室に向かうことにした。当然ながら女同士の争いに興味はなく、半分義務のようなもの。『運命』と言ったのは、そのためだ。
協力することで、大国ヴェルデに恩も売れる。我が国に害が及ばなければ、誰が妃になってもいい。妃が必要なのはランディで、僕には何の意味もない。
だけど――
彼女から目が離せないのはなぜだろう? 『お友達になってほしい』と言われた時、思わずうろたえたのは?
僕はいつもの声を出せていただろうか。変なことを口走ってはいなかった?
胸の前で組まれた白い手と、潤む緑の瞳。あまりに綺麗で可愛くて、僕は息を呑む。素っ気ないフリをして彼女に冷たく告げたのは、僕が必死に自分に言い聞かせた言葉でもあった。
ある日図書室で、彼女の姿を見かけた。いつものように挨拶を交わした後で、ふと気づく。
――そうか。ランディに何も勝てない僕だけど、たった一つ、彼より優れているものがあったな。
それは、不自然に見えないこの恰好。
ほら、今日も君は僕の正体に気づかない。
『大丈夫だよ、ジル。私が君の歳には、何もできなかったから』
しかし僕は反発し、大きな声で言い返す。
『嘘をつくな、嘘を!』
年上の従兄に何一つ勝てない自分が、悔しく情けない。十歳になったばかりの僕は、剣が苦手だ。怪我はせずに済んだものの、息が上がっている。一方ランディは涼しい顔で、汗一つかいていなかった。
僕は身体を動かすことより、静かに過ごす方がいい。読書を好むため、それなりに知識もついた。けれどどんなに頑張っても、ランディに追いつける気がしない。
大国の皇太子であるランディことランドルフ・ヴェルデュールは、周囲の期待に見事に応えた。学問や剣など全てが一流の彼は、大陸で最高峰の『皇立学問所』を首席で卒業したのだ。今は政務に携わり、皇国を支えている。
眉目秀麗、知勇兼備。大陸中の女性が彼に憧れていたとしても、驚かない。彼と僕は従兄弟同士。なのに、どうしてこんなに違うのか――
*****
朝の寝覚めは最悪だった。昔の夢を見たが、圧倒的な存在の前では、今でも劣等感に苛まれてしまう。
僕は大きなため息をつく。起きた瞬間からジゼルとして振る舞わなければならないから、なんとも複雑な心境だ。見回せば豪華な調度品に囲まれているが、女性用として整えられている部屋なので、なんとも落ち着かない。僕は額に手を当てて、再びため息をつく。
口の固い女官の世話で、コルセットなんてものを身につけた。あってもなくても同じだと思うが、そうはいかないらしい。限界まで締めつけられ、上にドレスを纏う。
藤色の衣装はハイネックで、袖にリボンがついていた。どんなに暑く恥ずかしくても、我慢しなければならない。
窮屈なドレスに比べれば、男性の服は動きやすくはるかに楽だ。この恰好を見て笑うなら、ランディだってただじゃおかない。
「引き受けるなんて、簡単に言わなきゃ良かったな」
後悔してももう遅い。
皇国からの要請を受けて喜ぶ両親の顔を、僕は頭に描く。
ユグノ公国の大公と妃が、僕の親だ。皇帝陛下の実の弟とは思えないほどのんきな父と、頭の中が常にお花畑の母。夫婦仲は良好だが、自分は本当に二人の子供なのかと疑ったこともある。
父はひと通りの政務はこなしているから、無能ではないはずだ。それとも部下が優秀なのか?
そんな父にも、誇れるところはある。
芸術を愛する彼は、画家や彫刻家、演奏家などをユグノ公国に多く呼び寄せていた。だから領土はそこまで広くないが、我が国の文化は独自の発展を遂げつつある。美術館の絵画の数は、ヴェルデ皇国をも凌ぐ。
我が国の学問は、残念ながらいまいちだ。図書館もあるにはあるが、皇国に比べて蔵書数も少なく、古いものが多い。ヴェルデ宮殿ならたくさんの本が読めるので、僕は皇国行きに同意した。もちろん、従兄が変な女性に引っかからないよう助けになりたい、というのも本心だ。
ヴェルデには小さな頃から時々遊びに行っていたから、勝手はわかっている。久々だが、それほど変わってないはずだ。そのため、能天気な両親も安心して僕を送り出す。
『未来の皇帝の力になれるなんて、名誉なことじゃないか。ついでにお前も伴侶を見つけておいで』
『そうよ。ジルだってランドルフ君と同じくらい素敵だもの。綺麗な女性に気に入られるといいわね』
まったく、二人ともいい加減にしてほしい。女装した息子が、隣国の『皇太子妃選定の儀』で、未来の伴侶を見つけられるわけないだろう? これは仕事のようなもので、遊びに行くわけじゃない。
それでも、女装をすれば跡継ぎの身分は隠せるはずだ。僕自身、ヴェルデとユグノの継承権を持っている。地位や権力狙いの女性に煩わされることなく、心静かに最先端の知識を学ぼう。
そう、思っていたけれど――
最終選考に残った候補は、全部で五名。中にはもちろん、僕も含まれていた。実質四人で争うが、野心溢れるのは三人で、一人だけポワンとしている――それが、クリスタだ。
なにげなく窓の外を見ると、彼女は中庭の薔薇に近づき、香りを楽しんでいた。それだけのことで、本当に嬉しそうに笑う。
クリスタも母と同じく、脳内がお花畑なのか? それでは、ヴェルデの皇太子妃には相応しくないな。うちならまだしも……
ほら、もう赤毛の女性に絡まれているじゃないか。
僕は肩を竦め、図書室に向かうことにした。当然ながら女同士の争いに興味はなく、半分義務のようなもの。『運命』と言ったのは、そのためだ。
協力することで、大国ヴェルデに恩も売れる。我が国に害が及ばなければ、誰が妃になってもいい。妃が必要なのはランディで、僕には何の意味もない。
だけど――
彼女から目が離せないのはなぜだろう? 『お友達になってほしい』と言われた時、思わずうろたえたのは?
僕はいつもの声を出せていただろうか。変なことを口走ってはいなかった?
胸の前で組まれた白い手と、潤む緑の瞳。あまりに綺麗で可愛くて、僕は息を呑む。素っ気ないフリをして彼女に冷たく告げたのは、僕が必死に自分に言い聞かせた言葉でもあった。
ある日図書室で、彼女の姿を見かけた。いつものように挨拶を交わした後で、ふと気づく。
――そうか。ランディに何も勝てない僕だけど、たった一つ、彼より優れているものがあったな。
それは、不自然に見えないこの恰好。
ほら、今日も君は僕の正体に気づかない。
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書籍買いました!!!!
2人の初夜などは書かれたり………しませんか!?王太子がかっこよくてめちゃくちゃ好きです。買って良かったです!
以下、書籍の感想です。
ネタバレになるのであまり言えませんが、紆余曲折あった末に結ばれる展開と、王太子がクリスタの意志を優先したところ、あと雪の反射を抑えるために仮面にシート貼ってたシーンが好きです。
挿絵は最後のものが一番好きです。ドキドキしました。クリスタの枕持ってるシーンめちゃくちゃ可愛いです。よく王太子手を出さずにすんでるな………!とおもいながらよみました♡
素敵なお話ありがとうございます!個人的にフェリシアが好きでした。イボンヌもステラもいい味出してた!
Hddjd様。
買って良かったとのお言葉、めちゃくちゃ嬉しいですヽ(^0^)ノ♪
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(私もたぶん、目をやられる……(^^ゞ)
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おっしゃる通り、ランディの自制心はすごい!
こちらこそ、素敵なご感想をありがとうございました☆
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こんにちは。まさにお布団に包まれたい季節ですね。クリスタ可愛くて好きです。
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待鳥園子様、こちらにもありがとうございます(*⁰▿⁰*)オフトゥン、良いですよね〜♪
可愛いと褒められて嬉しいです!
寒くなったり暖かくなったり。風邪なども流行っているようですので、お互い身体には気をつけましょうね☆
クリスタかわい~、いえ失礼しました。
表紙から枕を持ってずっと寝ていたいなんて。
所々、改版されていましたが見つけるのも楽しかったです。
惜しまれるのは番外であった皇妃さまと皇帝の会話が無くなってしまったことですね。(小鹿~て言うところの)。
話が変わりますがジルの両親ってお花畑ですか?さすがに女装で伴侶は無理がありますよね。
クリスタが選ばれなかったらお持ち帰していたかもしれませんけど、彼女は最初からロックオンされていましたから。
第3章と二巻発売を心待にしています。
kaede様、ご購入いただきありがとうございます。
クリスタが本当に可愛くて(〃'▽'〃)、私も見るたびににやけています。
文章もおっしゃる通り、削ったり付け足したりとWebとは少し変えました。
(皇妃は主役よりも目立たないようにしたつもりですが、初めて読む方にはインパクトがあったようです)
続きは読者のみなさま次第!?
書籍が売れるといいなあ~♪