悪女は愛より老後を望む

きゃる

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第三章 偽の恋人

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「正気なの?」

 思わず本音がこぼれた。私ごと、ここを焼き払おうと考えるなんて。

「もちろんよ。ご自慢の顔が焼けただれるなんて、楽しみなこと。汚い場所も野良猫にはお似合いね」

 面白そうにクスクス笑うエルゼは、もはや人の心を失くしている。自己中心的な考え方も、ここまで来ればおしまいだ。男達のリーダーも、さすがにそこまでするとは思っていなかったらしい。
 
「エ、エルゼ様、それはっ」
「あら。お前ごときがわたくしに盾突くの?」
「ひっ」

 リーダーがエルゼに怯えている。これまで相当酷い扱いを受けて来たのだろうか?
 私には置かれた状況をなげき、打ちひしがれている暇はない。今のうち、誰も見ていない間に手の縄を解くことができれば!

「可愛い顔して相当えげつねぇな。それって人殺しだぞ」
「そうだ。そんな仕事だなんて聞いてない」
「やってられん、俺は降りる」

 私を攫った男達も口々に文句を言う。けれどエルゼは、顔色一つ変えなかった。

「おかしいわね、誰が発言を許可したの? まあいいわ、許してあげる。人殺しなんて……が、そんな恐ろしいことをするはずないじゃない」

 ホッとしたように顔を見合わせる男達。でも、油断はできない。私は手首の縄を外そうと、必死に試みる。

「ここにいるのは王子達をたぶらかした野良猫で、人ではないもの。それに、実行するのはよ?」
「なっ」
「バカな!」
「帰る。相手にしていられない」

 それは一瞬――
 背中を向けた男に、エルゼの後ろに控えていた従僕が忍び寄る。彼は音もなく、出て行こうとした男を斬りつけた。

「がはっ、痛い~~」

 ざっくり腕を斬られている。
 エルゼの目の前で、何のためらいもなく? 

「もう、嫌ね。ドレスが汚れてしまうじゃない。汚れると言えば、こんな場所一秒だっていたくないわ。わたくしは外にいるから、お前達あとはよろしくね」

 すぐ側で人が斬られたというのに、エルゼは全く動じない。彼女にとっては、これが日常茶飯時なの? 私は驚きのあまり固まって、言葉も出なかった。他の男達も同じ目に遭うことを恐れ、口を閉じている。

「バカな野良猫。わたくしに逆らうからよ」

 最後に私を一瞥いちべつし、そう吐き捨てたエルゼは、そのまま振り返らずに去って行く。彼女の姿が見えなくなると、無表情の従僕が代わって指示を出す。

「お前達は外で火をける準備をしろ。デリア、縄を縛り直せ」

 リーダーはデリアという名前らしい。彼女は無言で従うと、私の背後に立つ。状況は絶望的で、死の予感が頭をよぎった。腕を斬られた男は痛みのあまり、床をのたうち回っている。

「ぐああ~~、助けてくれ~」
「すぐに止血しないと! お願い、この縄を外して」

 私はここぞとばかりに声を上げた。けれど従僕は、首を横に振る。

「必要ない。彼もここへ置いて行く」
「なっ……嫌だーー!」

 男は突然起き上がると、小屋の外へ飛び出した。痛さより怖さが勝ったみたい。彼のことも気になるけれど、まずは我が身だ。私は従僕の気を変えるため、疑問をぶつけることにした。

「ねえ、貴方はどうしてこんなことを?」 
「どうして、とは? エルゼ様が私の全てだ。それ以上でも以下でもない」

 予想しなかった答えに、私は目を丸くする。従僕はエルゼに比べ、かなり年上なのに! エルゼに心酔する者は、年齢や性別問わず徹底的に従うようだ。彼女が良い人なら、それは素晴らしい。悪人だと……その人を巻き添えにして、未来をも狂わせてしまう。

「こんなこと、良くないわ! 苦しむのは貴方よ」
「苦しむ? 高貴な方に尽くすのは、至上の喜びだ」

 この世ではそうでも、生まれ変われば永遠に苦しむことになる。だけどエルゼの信奉者を前にして、これ以上の説得は無駄かもしれない。諦めてうなだれる私の後ろで、小さな声がした。

「振り返らずに聞いて下さい。縄に切れ目を入れました。この小屋は、積んである薪の横ならもろいかと。申し訳ありません、貴女の無事を祈ります」

 私に話しかけたのはリーダーよね? なぜ彼女が?
 小さな声は幸い、従僕には聞えなかったようだ。彼は屋外の様子が気になるらしく、意識を外に向けていた。残る二人が手伝わず、この隙に逃げてくれればいいのに。
 残念ながら、願いは届かなかった。

「火の用意ができました」
「わかった。証拠を残してはいけないな。撤収するぞ」

 従僕が私の縄を確認するかと冷や冷やしたけれど、デリアと呼ばれたリーダーは、彼に信頼されているようだ。彼女は従僕に続くと小屋の扉を閉めた。閉める直前、頭巾を取って私にわざと素顔を晒す。

「あ、貴女は!」

 特徴的な細い目は、先日廊下で私が助け起こした料理人だった。彼女のおかげでのアイディアがひらめいたのに、まさか公爵側の人だなんて……
 私はいつから見張られていたのだろう? いえ、そんなことより手の縄を解かないといけない。このままボーっとしていれば、エルゼの宣告通り跡形もなく焼け死んでしまう!



 表に火が放たれたらしく、中にどんどん煙が入り込んできた。縄は相当きつく縛られていたらしく、切れ目があってもなかなか外れない。

「ゴホッ、ゴホッ」

 喉がイガイガし、目も痛い。必死に引っ張ると、ようやく切れて手が自由になった。薪の近くに走るけど、壁際の方が煙が充満していてよく見えない。あれは馬のいななく声? 彼らは小屋が焼け落ちるのを待たずに、ここを離れるつもりらしい。

「ゴホゴホ、ゴホ」

 思ったよりも火の回りは遅かった。正面の扉近くが最も燃え、反対側の薪の近くはまだだ。それでも煙が多く息が苦しいことに変わりはない。呼吸が出来ずに死ぬのは嫌だ。せめて、口を覆うものでもあれば…………あった!
 届けるはずの手巾ハンカチで、私は鼻と口を覆い隠した。一角獣の刺繍が、負けるなと励ましてくれているようで。
 
 ――まだよ、私はまだ死ぬわけにはいかないの。だってあの人に、好きだと告げてはいないもの!

 渾身こんしんの力を込めて、扉を蹴破る。音はしたけど、まだまだ足りない。火の粉がすそに飛んだため、裾をレースごと慌てて引き裂く。早く、早く逃げないと。もう一度、どうかお願い――

「開いた!」

 下の方にできた穴に、私は無理やり身体を通す。転がるように小屋を出た私は、そのまま急いで駆け出した。炎が燃え広がらないうちに、できるだけ遠くへ!
 木の枝や葉が肌を傷つけても気にせずに、無我夢中で森を走る。遠くの方から、小屋が崩れ落ちるような大きな音が聞こえてきた。湿った薪のおかげか、男達が正面にだけ火を点けたからなのか、裏手の火の回りがゆるやかなせいで助かった。

「だからといって、安心はできない。追手が来たら殺されてしまうわ」

 追手だけでなく、真冬の森は脅威だ。この国は比較的暖かいとはいえ、夜は気温が下がるし、お腹を空かせた動物達が徘徊しているかもしれない。
 熊はいないと思うけど、もし出てきたらどうしよう? 確か、自分を大きく見せればいいんだっけ。死んだフリなんてとんでもない! 襲ってきたら、眉間か鼻を狙えば良かったはず。狼は集団で行動するので、一匹でも見かけたらそこで終わり。一匹狼という言葉は、野生ではほとんどないからこそ成り立つ語句だ。

 私は村人や女兵士であった頃の記憶を、必死に思い起こした。ここが王都の東にある『暗い森――ドゥンケルヴァルト』なら、西に行けば街道に出られる。
 ドゥンケルヴァルトはかなりの広さがあるけれど、方角は太陽の沈む位置や切り株の年輪を見ればいい。渇く喉は途中の小川で潤して、食べられる木の実があるなら取っておこう。本当は森の中では動かない方がいいけれど、私がここにいると家の者は知らない。確認のためにエルゼの配下が戻って来るかもしれないので、じっとしていたら今度こそ命がなくなってしまう。

「せっかくの手巾ハンカチが、すすと火の粉でボロボロになってしまったわね。もう、クラウス様には渡せない」
 
 気力を保つため、私は大好きなあの人を想う。二度と会えなくなる前に、間近でお話したかった。もうすぐ陽が暮れる。夜はほとんど進めないから、今のうちに距離を稼いでおかなくちゃ。
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