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2 助けられる
9 西の森で……
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「――なんてことがあったんですけど……どう思います?」
僕はイチゴに、役所でもらった依頼について相談してみた。
「そうだね……絶対に面倒くさいことに巻き込まれるだろうね。けど冒険者なんてそんなもんだ」
イチゴは料理を作りながら、僕に現実を突きつける。
面倒ごとを押し付けられる。そんな現実から目を背けたいがために、イチゴの口から否定の言葉が出ることに期待していたが、断定されてしまった。
悠々自適に暮らしたい僕にとって、たった1つの厄介事すら一大事だ。厄介事というのは、一度巻き込まれると、二度三度と巻き込まれ、一生面倒ごとと付き合う羽目になるものだと僕は思う。
優秀なも者が、一度の厄介事に成功してまったがために、面倒事ばかりを押し付けられるという例を知っている。失敗した場合は、反対に信用を失い、二度とまともな仕事を任せてもられないという。まさに二段落ちだ。――つまるところ、どちらにせよ積みである。
それ故に、僕は可でもなく不可でもなくを目指していた。それが、最初の段階で頓挫することとなるとは……。
現実から目を背けたくなるのも、仕方のないことだろう。
「いい匂いですね……」
現実から目を背けようと、僕は次の話題に方向転換をはかる。
僕の村では、料理なんてものはほとんどが同じメニューで、狩った魔物の肉か、野菜の悪い部分を使った炒め物だった。味付けは大雑把で、食べられるのは食べられるが、味を楽しめるようなものでも、ましてや香りを楽しめるものであるはずがなかった。
だからこそ、この匂いは悪魔的だ。
「当たり前だ。私が作っているんだぞ? 味だっていいに決まっている」
イチゴは自信満々に笑う。
どこからそんな自信がわいてくるのだろうかと、僕は店内を一通り見渡してみる。
残念なことに、僕は文字が読めない。だから看板メニューどころか、何が売りの店なのかすらわからない。それでも、形態からなんとなく理解できるものもある。壁に飾られた表彰状のようなものだ。それらの中にある一際豪華な装飾が施された物には、星が3つ描かれているものもあった。おそらく、この店の評価だろう。
星3つ……それがどれほど凄いものなのかはわからない。だが、それがおいてあるだけでも十分選ばれし店だ。
「ありがとうございます」
僕はイチゴに向けて深々と頭を下げる。
改めて、彼女の料理が食べられることに感謝したからだ。
しかし、イチゴの反応は薄い。
「そんなことより、メリーはまだ起きないのか? ちょっと早めに起こしておいたほうがいいんじゃないか? 寝起きでご飯なんて食べられないだろうし」
彼女はメリーのことばかり気にしているようだ。
だけど、メリーはいつもこんな感じだ。寝る、食う、遊ぶの3パターンを主軸に生きている。
「いえ、大丈夫です。メリーは寝起きでもすぐに食べられますから」
寝起きご飯は、あまり体に良くないんだろうけど、成長期のメリーにとっては睡眠も大切だ。少しでも長く眠らせてあげたい。
メリーはまだまだ子供だから。食事に関しても我慢なんてさせたくない。しっかりとした栄養素を与えて、きちんとした大人に成長してもらいたい。
犬種に生まれてきたことを後悔させたくないからな。
「睡眠時間を管理しているのか? 兄というのも大変なのだな……まあ、これも何かの縁だ。ケンがきっちり稼げるようになるまで、私が2人まとめて食わせてやるよ」
イチゴはそう提案してくれるが、そういうわけにもいかないだろう。
僕は彼女の恩に報いるだけのものを持っていない。受け取るばかりでは不公平だし、僕が納得できない。
「ずいぶんと助けられたんです。住む場所も貸してくれて、メリーの仕事も斡旋してもらって、二度も食事をごちそうしてくださったんです。これ以上何かをしてもらうというのは気が引けますよ」
僕の言葉に、イチゴは態度を変えて、僕の胸ぐらに掴みかかった。
「ガキが……舐めてると潰すぞ? 私がしてやるって言ってるんだ。お前はそれをありがたく受け取るのが筋ってもんだろう?」
「ですが――」
「――ですがもクソもない。お前はともかく、メリーに苦労を掛けるのはちがうだろ? それにこれは先行投資ってやつだ。儲けられるようになったら、返してもらうさ……だから遠慮なんてすんじゃねえ。同じ犬種なんだからよ」
彼女は僕が口を挟むまもないぐらい凄い剣幕で説教を始める。ただ単純に怒りからくるものではなく、どこか哀しさを感じさせるものだ。
見た目はかなりの美人で、名前はかわいらしいのに、中身は男前なイチゴだ。厳しい口調でありながら、僕のことを気にかけてくれていることが、節々から伝わってくる。
「そうです……ね。わかりました。ご恩はいつか返します」
僕は再びイチゴに深々と頭を下げた。
イチゴは、照れ隠しとも言わんばかりにそっぽをむいている。
「そんなことより、早くメリーを起こしてやりな。うまい飯っていうのは、熱いうちに食べた方がうまいからね」
どうやらご飯が出来たらしい。
男勝りな口調で荒々しいが、細かいことに気を配ってくれる。イチゴはとてもいい人だ。
――僕がご飯を食べ終え、メリーが食べ終わるのを今か今かと待っていた時だ。
ずっと客がいなかった店に、一人の客が入ってくる。
身なりはそれなりによく、燕尾服をまとったロマンスグレーな初老の男性だ。彼の真っ黒な目は吊り上がっており、人を射殺すような視線を僕に対し一瞬だけ向けた。彼はさしずめ、貴族といったところだろう。犬種を見るときの目が、他の貴族と同じだ。
ずいぶんと発達した街だが、金持ちではなく貴族が幅を利かせている。それは、金持ちが貴族の顔色をうかがっていることからもわかる。
しかし、こんなところで貴族を見かけるのも珍しい。貴族というものは、街においても上層と呼ばれる場所にしか顔を出さないのが基本だ。そんな貴族が、下街の喫茶店に何の用があるというのだろう。
「イチゴさん、いつものもらえるかな?」
貴族の男は、カウンター席に座って何かを注文した。
その様子を見るに、常連客らしい。
貴族が犬種の獣人にさん付けするなんて、珍しいこともあるものだ。僕の知っている貴族が、貴族や王族以外に『さん』をつけるところは見たことがない。それほどイチゴがすごい人物なのだろう。
注文を受けたイチゴは、男の方をちらりと見る。
「あんたか……ちょっと待ってくれ」
彼女は貴族の男にそう返事をして、僕の方へ顔を寄せる。彼女の神妙な表情を見れば、厄介なことが持ち込まれたことは簡単に理解できる。
「なんですか?」
言いにくそうに口を閉じているイチゴに、僕の方からたずねてみる。
「悪いけど、ちょっと出ててくれないか? 貴族とマスターっていえば、大抵秘密の話ってやつだ。部外者に聞かれるのはまずいんだよ……あーそうだ。明日の下見で、森に行ってみたらどうだい? どんな魔物がいるか、見ておくと厄介ごとも楽にこなせるってもんだ!」
イチゴの頼みごとだ。是が非でも聞いてやりたい。だが1つのだけ問題がある。
僕はメリーの方に視線をやった。まだ食べ終わるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
「メリーがまだ食べ終わるのを待ってもらうということは出来ませんか?」
「メリーはそのまま食べていても……いやそうもいかないか。わかった、メリーが食べ終わるまでは待っててもらうよ」
彼女はメリーの方を見て、頭を抱えながらもそう決断し、男にその旨を伝えるために男の元へと向かった。
そこからはちょっとした地獄だ。ずっと、二人の視線を常に感じる。食事がいつ終わるのか、と待っているようで、貴族の男にいたってはイライラしている様子だ。それでも待っていてくれるだけ、イチゴの力がすごいということだけはよくわかる。
たった十数分の間だが、心臓が爆発するんじゃないかと思えるほどの緊張感だった。
「――話ってなんだろうね?」
店を出たところで、メリーが僕に聞いてくる。
イチゴからのお願いは『二時間ほど外に出ていてくれ』というものだったが、そんな長い時間話し合うことなんてあるはずがない。世間話というのならばまだしも、あの雰囲気でそれはないだろう。もっと何か怪しい依頼とか、怪しい物の密売だとか、そんなものじゃないかと僕は思う。
「さあ、あんまりいいことじゃないとは思うけどね……」
僕だって話の内容が気にならないわけじゃない。だがしかし、それを盗み聞きするわけにもいかないし、仮に盗み聞いたところで状況が悪くなるだけだ。最悪、イチゴとの関係性は崩壊するだろう。そうなれば、仕事でお金が稼げるようになるまでの間、暮らすところがなくなる。
「大人って色々あるんだね」
僕の表情を見て、メリーは色々察したのだろう。イチゴのことに関してはそれ以上聞いてこなかった。
大人の事情とやらを察して大人になっていくメリーを複雑な気持ちだ。子供にはいつまでも子供でいてほしい。無垢な犬……その方が可愛いからな。
「ふーん、それでケン兄ちゃん。どこにいくの?」
メリーの好奇心は別に移ったようで、今度は行き先について尋ねてくる。
別に目的地があって飛び出したわけでもないので、少しだけ返答に困った。かといって、町の中になじみの場所があるわけでもないし、イチゴに言われた通りにするしかないだろう。
「そうだね……まずは街の西にある森に向かってみようかなぁって思ってる」
役所のお姉さんも、西の森が初心者向けだとか言っていてたことだし、一度行っておいても損ではないだろう。
「森かぁ……魔物が多そうだね」
メリーは楽しそうに歩いている。
彼女を連れて行くのは少しばかり不安だ。いざという時に、守れない可能性だってあるからだ。
預かってくれるはずのイチゴは客の対応に追われているし、ほかに預けられるところがあるわけでない。最悪が起こらないように、全力で逃げられるような体制だけは整えておこう。
「メリー、強い魔物が出たらすぐに逃げるから……いつでも走れるように、心の準備だけはしておいてね?」
「うん、わかった」
素直にうなずくメリーの手を引いて、街をひたすら西に歩く。
この街には非常に多くの種族がいる。それなのに、犬種はあまり見かけなかった。それだけ犬種にとって暮らしにくい街なのだろう。西の門番が犬種に対して差別的だったことも、それを顕著に表している。
それでも何とか森に入ることが出来たわけだし、まるで暮らせない街というほどでもない。
森は風情豊かで、まるで里山を彷彿とさせる。魔物の数は少なく、今のところ一体たりとも発見できていない。
森と呼ぶには少し物足りないが、自然豊かでいいところではある。むしろ、冒険者が訪れる場所というよりも、ハイキングとかするところっていう感じだ。
メリーも同じようなことを思ったのだろう。先ほどからはしゃぎっぱなしだ。
「油断は出来ないけど、この感じなら厄介者を押し付けられたとしても少しぐらいなら問題なさそうだ……」
僕は走り回るメリーを目で追いながら、明日のことを考えていた。
もし仮に、めちゃくちゃのろまな冒険者を押し付けられたとしても、この見晴らしの良さなら、一人逃がすぐらいは余裕だろう。だけど、魔物がかなり素早いものだったら厄介だ。
僕が一人で倒せる魔物となれば限られてくるし、『ボア』だっけか? それが現れたら、一人で戦うことなんて無理だろう。とはいっても、あのイノシシ見たいな魔物はこちらから近づきでもしない限りは、攻撃もしてこないだろうし、今は発情期から大きくずれているし、心配する必要もないだろう。
問題があるとしたら、熊みたいなやつだ。地元の森では何度か遭遇し、仲間が何人も犠牲になってしまった。あれは苦い思い出だ。あんな思いは二度としたくないし、出会えば逃げられないかもしれない。まあ、役所のお姉さんが存在に関して情報を出さなかったし、出没はしないのだろう。一応念頭には置いておくが、心配する必要はない。
「ケン兄ちゃん。魔物だよ」
突然、メリーが僕のズボンを強く引っ張る。
考え事をしているうちに、囲まれてしまったようだ。魔物の見た目から察するに、『コボルト』と呼ばれる魔物だろう。数は3体とそれほど多くはない。人を殺すほど凶暴でもないらしいが、メリーに怪我なんてさせられたらたまったもんじゃない。
やつらが仕掛けてきたら、始末して……それはやりすぎか、ぼこぼこにして二度と僕達を襲わないように教育してやろう。それが支配者の務めというやつだ。――別に何も支配なんてしてないけどな。
「来るなら来い! 僕はあまり剣をふるのが得意じゃないから、間違って切り刻んでしまうかもしれないけど、それぐらいは覚悟してるんだろう?」
下級の魔物というやつは、殺気に滅法弱い。だから一応殺気を放ってはみる。
僕ごときが発する殺気など、自然界において与えられる死の気配とは程遠いものだろう。所詮は元人間だ。犬になろうとその根底は変わっていない。人間だった記憶があるからこそ、僕は二足歩行の魔物を殺す気になれない。殺せば殺人を犯したような気分になるからだ。
コボルト達もそれを感じ取っているのだろう。僕の殺意は本気ではないと。
コボルトは不気味な声を上げて笑う。
まるで、僕のことを馬鹿にしているようだ、
「来ないのか? 低脳ども……」
挑発をしてみるが、知能の低いコボルトには僕の言葉が理解できないらしい。首をかしげて、こちらをじっと見ている。
ずっとこう着状態が続いている。コボルト達は何かを待っているようにまるで動こうとしない。
もし、待っているものが仲間だとするなら、早く行動に移さなければならない。これ以上、敵が増えると勝てるものも勝てなくなる。
僕はメリーを背中の方に押しやり、コボルト達をけん制する。
「来ないならこっちから行くまで……」
僕は腰にかけた短刀に右手を当て、その時を待つ。
僕の育ての親、この親というのは、元の世界における乾健二の親を指すのだが、その親曰く、危険を避けるもっとも有効な手段が1つだけあるらしい。
コボルトは、確かに低級の魔物だ。とはいっても、メリーを守りながらとなると、怪我をしないとも限らない。これが、依頼の際に負った傷というならば、名誉の勲章とも言えようが、プライベートで危険なところに行って負った傷となると、単なる自己管理が出来ない人間に成り下がる。つまり、信用性を失うということだ。
それだけは何としても避けたい。
だからこそ、コボルトの行動を限界まで読み取り――
「――逃げる!」
僕の親が教えてくれた唯一の手段……真の護身とは、危険を避けるということだ。危険な道は選ばないし、勝てない相手とは戦わない。戦わなければ傷つくこともない。
コボルトが待っている危険な『何か』を僕が待ってやる必要性などあるはずがない。
「ケン……兄ちゃんなら、そ、そう言うと思った」
息を切らせながら、メリーは僕の足に必死でついてくる。街で言った言葉を覚えていたのだろう。彼女がすぐに逃げの体制をとってくれたからこそ、すぐに行動に移せた。
コボルトはというと、呆気に取られてるようでまるでついて来られていない。
だがその代わりに、何か異様な気配がする。じっとりと舐め回すような、いやらしい視線が僕達に向けられている。
その視線はコボルトが待っていた『何か』のものだろう。こんなにも恐ろしい気配は初めてだ。
「メリー、僕の背中におぶされ!」
何者かはわからないが、多分かなり強い魔物だろう。僕達の力を見極めようとしているのがいい証拠だ。強者というのは、相手のことをじっくりと観察するだけの余裕を与えられた存在だ。その何かは、僕たちに時間的猶予を与えても、逃がさない自信があるということだろう。
僕は妹を背に抱え、全力で走った。犬は人間と同じで、持久力がある生き物だから、森から門まで全力疾走しても耐えられる筈だ。妹の足よりかは、妹を背負った僕の足の方が幾分かは早い。そのちょっとのスピードアップに、相手があきらめてくれるならいいのだが……
「ケン兄ちゃん! あれ!」
メリーが突然大声を上げて、指をさす。
僕は彼女が指す方向を見上げる。後方右斜め上だ。視線の主は巨木に引っ付いていた。全長は2、3メートルはあるだろう尻尾も合わせればもっと大きい。そいつが、鋭い牙を顎下まで伸ばし、巨大な4枚の羽を携えている。
長い尻尾を巨木に巻きつせたそいつは、濃い紫色の鱗により気味悪さを増していた。
「なんだ……あれは!?」
それは、ドラゴンと呼ぶにはあまりにも体が細長く、蛇と言うには異様な雰囲気を纏っている。かといって、バジリスクとも違う。見たことも聞いたこともない魔物だ。
先ほどまで隠れて僕達を見守っていたそれが、突然僕達に見える範囲に現れたのだ。僕たちを殺す算段があるということだろう。
スピードはあまり速くはないが、それでも妹を抱えた僕よりはずっと速い。
「兄ちゃんもっと速く!」
メリーが騒ぎ始める。
木が生い茂っている場所ならまだしも、まばらなこの森において、相手の巨体はハンデにならない。足を持たないそいつは、木を避けて這って追ってきている。
いちいち木を避けている僕の方が若干不利だ。あの気持ちの悪い羽根で空を飛んでこないだけマシだが、それでもまずいことには違いない。
――すぐ後ろまで迫っているし、このままじゃ、おしまいだ。
人生の幕引きにまで妹まで巻き込む必要はない。
僕は妹を下ろして、怒鳴るよう言った。
「メリーっ! さっさと逃げろ!!」
生まれて初めて怒鳴られたものだから、メリーは何か言おうとしたが、言えずに、そのまま泣きそうな顔で走り去った。
化け物は僕の行動を理解できなかったのか、一瞬だけ動きを止めた。
「さて、やるか……」
格好つけて妹を逃がしてはみたものの、あんな化け物に勝てる見込みなんてまるでない。
僕よりも体長がデカく、重量に至っては僕の二倍では済まないだろう。そいつが這っていた道を見ただけでも、数トン単位の体重を持つことは理解できた。蛇が通った道とは思えないほど土がえぐれて、まるで人工的に造られた一本の道のように果てまで続いている。
先ほどまでの速さで、突撃されたら内臓破裂……いや、重さと速さを考えれば即死するだろう。
そんな化け物が、動きを再開し僕の横を通りすぎようとした。
やつの狙いは、弱そうなメリーらしい……舐められたものだ。僕を差し置いて、妹に近づけると思われているとは。
「僕を無視するつもりか……?」
横を通りすぎる化け物の鱗を、縦横無尽に切り付ける。
化け物は少しだけひるんで、再び動きを止めた。
僕一人なら、やつのスピードについていくことなど容易だ。出来るだけ、時間を稼いで、それから街に帰ればメリーも無事に帰れるだろう。なんて考えは甘かったようだ。
たった数撃入れただけだというのに、僕の持っていた短刀は刃がボロボロだ。
これはいよいよ、死を覚悟した方がいいかもしれない。
武器の管理を怠った僕の責任だし、もっと生きて居たかったが、不思議と悪い気分ではない。妹を守って死ねるんだ。当然のことだろう。
「悪いけど妹には手出しさせるつもりはない。もう少し時間を稼がせてもらうよ……」
ボロボロになった短刀で、僕は再び化け物に切りかかる。
うろこがダメなら、羽、羽がダメなら目だ。とにかく、相手の攻撃を受けるよりも早く、僕が相手を撃退させればいい。
昔ゲームでやったことだ。
相手がどれほど攻撃力に優れていようが、こちらがどれだけ攻撃力が低く紙装甲だろうが、相手の攻撃を避けて、攻撃し続ければいつかは相手が倒れる。持久力と、俊敏性を兼ね備えた犬だからこそ出来る戦法だ。蝶のように舞い、蜂のように射す。ヒットアンドアウェイだ。
――それを実行しようと、僕が羽に切りかかった瞬間、わき腹のあたりに強い衝撃が走り、目の前が真っ白になる。
それから少しのインターバルをおいて、背中に強い衝撃があった。
化け物の尻尾に弾き飛ばされて、木に衝突したらしい。呼吸が出来ない。まるで体中から酸素が抜けていくようだ。
「……ぐふっ!」
口からわずかな血が流れた。内臓をやられたのかもしれない。
回復魔法をかけてもらえれば、また戦えるのだろう。だが生憎と、この世界にそんな便利な魔法はないらしい。『神の加護』とやらも、正常に機能しているとは思えないし、これ以上、僕が化け物を止められる手段はない。
化け物が大口を開けて僕の目前に迫る。だけど、後悔はまるでない。むしろそいつがメリーを追いかけなかったことに安堵したぐらいだ。――犠牲になるのは僕だけだ。
目を閉じて最後の時を待つ。犬のために生きられたわけでもない、それでもこんなに心地よい気分なのは、きっと妹がいたからだ。――家族とはこんなにもいい物だったのだな。
化け物は僕を丸呑みにするのだろうか、それとも絞め殺して保存食にでもされるのだろうか……いずれにしても、苦しい死に方は嫌だなぁ。ああ、死にたくないなぁ。
神よ……あと少しだけ、生きさせてくれないだろうか……まともな犬にもなれず、まともな犬にも会えなかったんだから、少しぐらいわがままを聞いてもらえてもいいだろう? メリーが大人になるまででいいから、なあ? 聞いてるんだろう? 女神様?
「なあ、女神様……?」
思わず、そんなこと場が口からこぼれた。
意識して口に出したわけではない。ただ気持ちがほころんで、ついうっかり口に出してしまっただけだ。
あたりは静寂に包まれ、化け物の気配すら感じられないほどの無音に包まれる。
それから数十秒後、何かが倒壊するような音が響いたかと思えば、すぐに何も聞こえなくなった。ほんの数分間の間に何かが起こったらしい。
化け物が僕を襲ってくる気配はまるでない。――まさか、妹を追って行ったのか!?
そう思い目を開こうとした瞬間に、人の足音が耳に入った。
「それで……誰が女神様なのかしら?」
聞き覚えのない声が僕の耳に入る。美しく、透き通るような声で、まるでセイレーンの歌声を聞いているような、人を魅了する声だ。
まさかとは思うが、あの化け物から発せられた声というわけではないだろう。
僕は、ゆっくりと目を開いた。
「あなたは……?」
目の前に立っていたのは、1人の美しい女性だ。
白い髪をひざ下まで伸ばして、不健康なほど白い肌によく似合う緋色の瞳を2つ持っている。神話に出てくるような女神のような容姿だが、僕はそんな容姿の存在を1つだけ知っている。――アルビノだ。神秘的で、美しく、そしてはかない。転生する前の世界ではそんな存在だった。
そんな彼女は全身を高級そうな鎧で覆い隠している。動きやすいように改善しているのか、ところどころ露出が高く、明らかに実用性に欠けている。人対人で争っている世界でもないしそれで十分なのだろう。
女性はじっとりとした目で僕を見る。
「人に名前を尋ねる時は、まず自分からって決まっていると思うのだけれど……そんな怪我の相手に礼儀も何もないか。私はアルタ・ロットワイラー。アルタって呼んでもらえるかしら」
ぶつくさ言いながらも、彼女は自己紹介をしてくれた。
って、ロットワイラーって犬の種類じゃないか……どんな名前を付けるんだよ! なんて突っ込みを心の中でいれつつも自己紹介をし返す。
「僕はケンです……」
言葉を吐きだすのも辛いが、黙っていては失礼だろう。何とか言葉になったが、それ以上は何も言えない。
「そう、あなたも犬種なのね! そんなにかしこまらなくていいわ。私も犬種だしね!」
僕の耳を見て犬種であることに気がついたのだろう、彼女はとても嬉しそうに騒ぎ始める。
まるではじめて、ほかの犬種に会ったかのようなはしゃぎようだ。
僕はそれどころではない。苦痛で今にも気絶してしまいそうだ。だがそれでも聞いておかねばならぬことがある。
「蛇みたいなやつは……どうなった……?」
妹の方に向かったのなら、助けてももらわないといけない。助けてくれるかは微妙だが、頼んでみる価値は十分ある。
「蛇種の獣人に? さあ、みなかったけど……ああ、そういえば蛇種みたいな目つきをした魔物がいたから狩ったんだけど……こんなところに、あんな魔物がいるなんて思いもしなかったなあ」
彼女はものすごく気軽な感じで言ったが、その蛇種みたいな目つきをした魔物とやらは、おそらく、僕が殺されかけていたそれに違いない。
ふと、彼女の後ろに目をやると、無残にも輪切りにされた化け物がいた。一体どれほどの強さを持っていれば、そんなことが出来るのだろう。だけど、これで安心だ。妹が殺されることはないのだから。
安心したためか周りがよく見えるようになり、化け物の死骸のそばで、手を振っている人物が目に入った。
「おーい、アルタ時間がないよ!」
彼女の仲間らしい人物が、大きな声を出して近づいてくる。黒のショートカットで猫耳っぽいのが生えているから、恐らく猫系の獣人だろう。褐色の肌が健康的だが、胸はほとんどない。それも、ボーイッシュな彼女にとっては幸いなことかもしれない。
そんな彼女に怒鳴り返すようにアルタが僕を指差して言った。
「わかってる。でも怪我をしている人がいるの!」
人に指を指すのはどうかと思うが、今はそんなことを言ってる場合じゃないほどにお腹のあたりがキリキリ痛む。
「けが人!? それは一大事だ!」
ボーイッシュな彼女が、再び大きな声でいう。
それが痛みに響いて、なおさら痛い。
僕は激痛に我慢できなくなり、おなかのあたりを強く押さえる。痛みを感じるあたりは、ものすごく熱を帯びている。これは、放っておいたら死に至るものだろう。かといって、ここは森の中だ。街まで全力で運んだとしても数分はかかる。今日何度目かの詰みポイントらしい。
「痛そうだね……だけど、ちょっとだけ我慢してね……」
アルタが自身のカバンから何か瓶に詰められた液体を取り出した。瓶の形状からして薬の類だろう。痛みに耐えながら詳しく見てみるが、それはゲームとかでよく見るポーションの入れ物によく似ている。彼女はそれのふたを引っ張って開ける。
「アルタ……またやるの?」
仲間の娘が呆れたような口調でアルタに耳打ちしている。
「だって、この人、放っておいたら死んじゃうよ……!?」
「そうだけど、アルタが死ぬような傷を負わないともかぎらないしなぁ……」
全部僕の耳に聞こえているとも知らず、秘密話をしているつもりらしい。僕に薬を使うか使わないかでもめているらしい。
そんなやり取りが、2、3度続いて、全く引かないアルタに、仲間の方が折れた。
「まあ、任務よりも人の命が大切なのは当たり前だし、仕方ないかぁ。医者まで連れて行くような時間的余裕もないしね」
「そう、だから使っちゃうね?」
「わかった。だけど、今回の任務で大けがなんてしたら怒るからね? ポーションは貴重で、一つしか買えなかったんだから!」
いよいよ、ポーションとやらを僕に使うことで決定したらしい。
アルタは僕のそばまで来て、口を開けるように促した。
「だめだ……そんな高価なものをもらえない……!」
僕はあわてて身を引いた。
二人の話の内容から察するに、彼女たちは冒険者で、今から重大な任務に就くのだろう。その任務は大けがを負う可能性があるほど危険な任務なのだ。だから、そのポーションは僕に使うべきものじゃない。通りすがりの人間を助けるためじゃなく、自身のために使うべきものだ。
「ケン、あなたの意見は聞いていないわ! これは私があなたに飲ませたいから飲ませるの!」
アルタは怒ったような顔で、更に僕の方に迫った。この世界における女性というのは、どの人も意思を曲げるということを知らないようだ。
「えっと、ケン君だっけ? そうなったアルタは、自分の思い通りにことが運ぶまでは決して折れないから、早めに折れるのが吉だよ」
先ほどまで渋っていたとは思えないほど、仲間の女性は無責任なことを言う。
僕なんかに気を使って、大切なものを失うかもしれない……なんていう感覚はまるでないらしい。二人はそれほど自分たちの実力に自信を持っているということだろう。
一瞬にして、蛇のような化け物を倒したのだ。自分たちの力を過信していてもおかしくはない。
だが、だからこそ、僕は彼女の命綱をもらうわけにはいかない。自分の力を過信したものほど、危うい存在はないからだ。どちらかが死ぬことになるとするなら、それは強者より弱者のはずだ。もちろん死にたくはない。だが、アルタという僕よりもはるかな強者を殺すかもしれない選択は取れない。
一度失ったような命だ。だからこそ、そんなくだらないことを冷静に考えてしまうのだろう。普段の僕なら、間違いなくすぐに受け取った。だが今はそれができない。する必要もない。
「……受け取れない。死ぬなら僕の方がいい」
僕はアルタ達から顔をそむける。
――その瞬間、僕の左頬に痛みが走った。
「人は死んだらそこで終わりっ! 他人の心配よりもまずは自分の……家族の心配をするべきでしょ!?」
アルタが僕に対して説教をする。
どうやら左頬の痛みは、彼女のビンタによるものらしい。
だが一つだけ言いたいことがある。
「そのセリフ、そっくりそのまま返すよ……アルタにも家族はいるんだろう?」
彼女にもの家族がいるはずだ。それに、メリーは僕がいなくても生きていけるだろう。強い妹だから。
何も僕は死んでもいいからそんなことを言っているわけじゃない。実のところ、死なないための秘策はある。
アルタは僕の言葉に、ぷっくりと頬を膨らませながら顔を赤く染めている。たぶん怒っているのだろう。
そりゃあ、屁理屈なんて言われたら怒りたくもなる。
そんな僕たちを見て、仲間が笑い始める。
「ははは、面白い人だね。……確かに普通の獣人ならね。だけど、勇者は普通の獣人にはなれない。普通を凌駕したアルタにだけ許された特殊な職業だからね」
まるで自分のことのように自慢げにそう話す。
なるほど、勇者という職業が存在しているのか、勇者なら彼女たちのように自信満々なのも頷ける。
まずったな、これならポーションを受け取って置いた方がよかった。こうなったら、彼女からポーションを受け取るのも不自然だし、受け取らないなら受け取らないなりの理由が必要になる。
時間稼ぎも十分できたし、そろそろ大丈夫だろう。
「この通り、僕はそれほど大した怪我をしてないんだよ」
もちろん、そんなわけがない。依然として腹は痛いし、死にそうだ。たださっきよりかははるかにましだろう。ほんの少しだけだが、傷が回復し始めているからだ。完治するまでには相当の時間を有するだろうが、あと1時間もすれば走れるぐらいには回復するだろう。
それも僕が持っていたとある武器の効果によるものだ。魔力という、この世界における最大の武器による恩恵だ。
僕は使徒になったことによって、全ての武器が扱えるようになった。だからこそ、魔力の使い方だってそこらへんの人間よりは詳しいはずだ。
最初こそ、魔力なんてくだらないものだと思ったが、本当に細かい能力がまれに役に立つということを思い知らされた。魔力は獣人の生命力を高める。持っているだけで自動治癒能力がついているようなものだ。だが、内臓が破裂しているとなると、若干の心配はある。だから早いこと街に帰りたいのだが、二人がずっとここにいるものだから帰れない。
「……あれ? おかしいな、動けるような怪我じゃなかったと思うんだけど……」
明らかに疑念の目を僕に向けているアルタだが、このトリックを見破れるわけはない。なぜなら、全然トリックでも何でもなく、僕は死にそうだからだ。
だから早く去ってくれ……頼む、もう一秒たりとも耐えられないんだ。早く街に帰らないと本当に死んでしまう。
「……何事もなかったんならいいじゃない」
「いや……うんわかった。じゃあ、またね」
明らかに二人とも疑ったような顔をしながら僕を見ているが、それでも何とか納得してくれたらしい。
渋々だろうが二人は僕に別れを告げて、そのまま西の方角へ走り去っていった。
歩ける筈、そう考えて、彼女たちの申し出を断ったが、全然無理そうだ。神の加護とやらでなんとかなるとばかり思っていたのに、それもない。
痛みを耐えながら無理やり立ち上がったので、そのまま、地面に倒れ込み意識を失った。
僕はイチゴに、役所でもらった依頼について相談してみた。
「そうだね……絶対に面倒くさいことに巻き込まれるだろうね。けど冒険者なんてそんなもんだ」
イチゴは料理を作りながら、僕に現実を突きつける。
面倒ごとを押し付けられる。そんな現実から目を背けたいがために、イチゴの口から否定の言葉が出ることに期待していたが、断定されてしまった。
悠々自適に暮らしたい僕にとって、たった1つの厄介事すら一大事だ。厄介事というのは、一度巻き込まれると、二度三度と巻き込まれ、一生面倒ごとと付き合う羽目になるものだと僕は思う。
優秀なも者が、一度の厄介事に成功してまったがために、面倒事ばかりを押し付けられるという例を知っている。失敗した場合は、反対に信用を失い、二度とまともな仕事を任せてもられないという。まさに二段落ちだ。――つまるところ、どちらにせよ積みである。
それ故に、僕は可でもなく不可でもなくを目指していた。それが、最初の段階で頓挫することとなるとは……。
現実から目を背けたくなるのも、仕方のないことだろう。
「いい匂いですね……」
現実から目を背けようと、僕は次の話題に方向転換をはかる。
僕の村では、料理なんてものはほとんどが同じメニューで、狩った魔物の肉か、野菜の悪い部分を使った炒め物だった。味付けは大雑把で、食べられるのは食べられるが、味を楽しめるようなものでも、ましてや香りを楽しめるものであるはずがなかった。
だからこそ、この匂いは悪魔的だ。
「当たり前だ。私が作っているんだぞ? 味だっていいに決まっている」
イチゴは自信満々に笑う。
どこからそんな自信がわいてくるのだろうかと、僕は店内を一通り見渡してみる。
残念なことに、僕は文字が読めない。だから看板メニューどころか、何が売りの店なのかすらわからない。それでも、形態からなんとなく理解できるものもある。壁に飾られた表彰状のようなものだ。それらの中にある一際豪華な装飾が施された物には、星が3つ描かれているものもあった。おそらく、この店の評価だろう。
星3つ……それがどれほど凄いものなのかはわからない。だが、それがおいてあるだけでも十分選ばれし店だ。
「ありがとうございます」
僕はイチゴに向けて深々と頭を下げる。
改めて、彼女の料理が食べられることに感謝したからだ。
しかし、イチゴの反応は薄い。
「そんなことより、メリーはまだ起きないのか? ちょっと早めに起こしておいたほうがいいんじゃないか? 寝起きでご飯なんて食べられないだろうし」
彼女はメリーのことばかり気にしているようだ。
だけど、メリーはいつもこんな感じだ。寝る、食う、遊ぶの3パターンを主軸に生きている。
「いえ、大丈夫です。メリーは寝起きでもすぐに食べられますから」
寝起きご飯は、あまり体に良くないんだろうけど、成長期のメリーにとっては睡眠も大切だ。少しでも長く眠らせてあげたい。
メリーはまだまだ子供だから。食事に関しても我慢なんてさせたくない。しっかりとした栄養素を与えて、きちんとした大人に成長してもらいたい。
犬種に生まれてきたことを後悔させたくないからな。
「睡眠時間を管理しているのか? 兄というのも大変なのだな……まあ、これも何かの縁だ。ケンがきっちり稼げるようになるまで、私が2人まとめて食わせてやるよ」
イチゴはそう提案してくれるが、そういうわけにもいかないだろう。
僕は彼女の恩に報いるだけのものを持っていない。受け取るばかりでは不公平だし、僕が納得できない。
「ずいぶんと助けられたんです。住む場所も貸してくれて、メリーの仕事も斡旋してもらって、二度も食事をごちそうしてくださったんです。これ以上何かをしてもらうというのは気が引けますよ」
僕の言葉に、イチゴは態度を変えて、僕の胸ぐらに掴みかかった。
「ガキが……舐めてると潰すぞ? 私がしてやるって言ってるんだ。お前はそれをありがたく受け取るのが筋ってもんだろう?」
「ですが――」
「――ですがもクソもない。お前はともかく、メリーに苦労を掛けるのはちがうだろ? それにこれは先行投資ってやつだ。儲けられるようになったら、返してもらうさ……だから遠慮なんてすんじゃねえ。同じ犬種なんだからよ」
彼女は僕が口を挟むまもないぐらい凄い剣幕で説教を始める。ただ単純に怒りからくるものではなく、どこか哀しさを感じさせるものだ。
見た目はかなりの美人で、名前はかわいらしいのに、中身は男前なイチゴだ。厳しい口調でありながら、僕のことを気にかけてくれていることが、節々から伝わってくる。
「そうです……ね。わかりました。ご恩はいつか返します」
僕は再びイチゴに深々と頭を下げた。
イチゴは、照れ隠しとも言わんばかりにそっぽをむいている。
「そんなことより、早くメリーを起こしてやりな。うまい飯っていうのは、熱いうちに食べた方がうまいからね」
どうやらご飯が出来たらしい。
男勝りな口調で荒々しいが、細かいことに気を配ってくれる。イチゴはとてもいい人だ。
――僕がご飯を食べ終え、メリーが食べ終わるのを今か今かと待っていた時だ。
ずっと客がいなかった店に、一人の客が入ってくる。
身なりはそれなりによく、燕尾服をまとったロマンスグレーな初老の男性だ。彼の真っ黒な目は吊り上がっており、人を射殺すような視線を僕に対し一瞬だけ向けた。彼はさしずめ、貴族といったところだろう。犬種を見るときの目が、他の貴族と同じだ。
ずいぶんと発達した街だが、金持ちではなく貴族が幅を利かせている。それは、金持ちが貴族の顔色をうかがっていることからもわかる。
しかし、こんなところで貴族を見かけるのも珍しい。貴族というものは、街においても上層と呼ばれる場所にしか顔を出さないのが基本だ。そんな貴族が、下街の喫茶店に何の用があるというのだろう。
「イチゴさん、いつものもらえるかな?」
貴族の男は、カウンター席に座って何かを注文した。
その様子を見るに、常連客らしい。
貴族が犬種の獣人にさん付けするなんて、珍しいこともあるものだ。僕の知っている貴族が、貴族や王族以外に『さん』をつけるところは見たことがない。それほどイチゴがすごい人物なのだろう。
注文を受けたイチゴは、男の方をちらりと見る。
「あんたか……ちょっと待ってくれ」
彼女は貴族の男にそう返事をして、僕の方へ顔を寄せる。彼女の神妙な表情を見れば、厄介なことが持ち込まれたことは簡単に理解できる。
「なんですか?」
言いにくそうに口を閉じているイチゴに、僕の方からたずねてみる。
「悪いけど、ちょっと出ててくれないか? 貴族とマスターっていえば、大抵秘密の話ってやつだ。部外者に聞かれるのはまずいんだよ……あーそうだ。明日の下見で、森に行ってみたらどうだい? どんな魔物がいるか、見ておくと厄介ごとも楽にこなせるってもんだ!」
イチゴの頼みごとだ。是が非でも聞いてやりたい。だが1つのだけ問題がある。
僕はメリーの方に視線をやった。まだ食べ終わるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
「メリーがまだ食べ終わるのを待ってもらうということは出来ませんか?」
「メリーはそのまま食べていても……いやそうもいかないか。わかった、メリーが食べ終わるまでは待っててもらうよ」
彼女はメリーの方を見て、頭を抱えながらもそう決断し、男にその旨を伝えるために男の元へと向かった。
そこからはちょっとした地獄だ。ずっと、二人の視線を常に感じる。食事がいつ終わるのか、と待っているようで、貴族の男にいたってはイライラしている様子だ。それでも待っていてくれるだけ、イチゴの力がすごいということだけはよくわかる。
たった十数分の間だが、心臓が爆発するんじゃないかと思えるほどの緊張感だった。
「――話ってなんだろうね?」
店を出たところで、メリーが僕に聞いてくる。
イチゴからのお願いは『二時間ほど外に出ていてくれ』というものだったが、そんな長い時間話し合うことなんてあるはずがない。世間話というのならばまだしも、あの雰囲気でそれはないだろう。もっと何か怪しい依頼とか、怪しい物の密売だとか、そんなものじゃないかと僕は思う。
「さあ、あんまりいいことじゃないとは思うけどね……」
僕だって話の内容が気にならないわけじゃない。だがしかし、それを盗み聞きするわけにもいかないし、仮に盗み聞いたところで状況が悪くなるだけだ。最悪、イチゴとの関係性は崩壊するだろう。そうなれば、仕事でお金が稼げるようになるまでの間、暮らすところがなくなる。
「大人って色々あるんだね」
僕の表情を見て、メリーは色々察したのだろう。イチゴのことに関してはそれ以上聞いてこなかった。
大人の事情とやらを察して大人になっていくメリーを複雑な気持ちだ。子供にはいつまでも子供でいてほしい。無垢な犬……その方が可愛いからな。
「ふーん、それでケン兄ちゃん。どこにいくの?」
メリーの好奇心は別に移ったようで、今度は行き先について尋ねてくる。
別に目的地があって飛び出したわけでもないので、少しだけ返答に困った。かといって、町の中になじみの場所があるわけでもないし、イチゴに言われた通りにするしかないだろう。
「そうだね……まずは街の西にある森に向かってみようかなぁって思ってる」
役所のお姉さんも、西の森が初心者向けだとか言っていてたことだし、一度行っておいても損ではないだろう。
「森かぁ……魔物が多そうだね」
メリーは楽しそうに歩いている。
彼女を連れて行くのは少しばかり不安だ。いざという時に、守れない可能性だってあるからだ。
預かってくれるはずのイチゴは客の対応に追われているし、ほかに預けられるところがあるわけでない。最悪が起こらないように、全力で逃げられるような体制だけは整えておこう。
「メリー、強い魔物が出たらすぐに逃げるから……いつでも走れるように、心の準備だけはしておいてね?」
「うん、わかった」
素直にうなずくメリーの手を引いて、街をひたすら西に歩く。
この街には非常に多くの種族がいる。それなのに、犬種はあまり見かけなかった。それだけ犬種にとって暮らしにくい街なのだろう。西の門番が犬種に対して差別的だったことも、それを顕著に表している。
それでも何とか森に入ることが出来たわけだし、まるで暮らせない街というほどでもない。
森は風情豊かで、まるで里山を彷彿とさせる。魔物の数は少なく、今のところ一体たりとも発見できていない。
森と呼ぶには少し物足りないが、自然豊かでいいところではある。むしろ、冒険者が訪れる場所というよりも、ハイキングとかするところっていう感じだ。
メリーも同じようなことを思ったのだろう。先ほどからはしゃぎっぱなしだ。
「油断は出来ないけど、この感じなら厄介者を押し付けられたとしても少しぐらいなら問題なさそうだ……」
僕は走り回るメリーを目で追いながら、明日のことを考えていた。
もし仮に、めちゃくちゃのろまな冒険者を押し付けられたとしても、この見晴らしの良さなら、一人逃がすぐらいは余裕だろう。だけど、魔物がかなり素早いものだったら厄介だ。
僕が一人で倒せる魔物となれば限られてくるし、『ボア』だっけか? それが現れたら、一人で戦うことなんて無理だろう。とはいっても、あのイノシシ見たいな魔物はこちらから近づきでもしない限りは、攻撃もしてこないだろうし、今は発情期から大きくずれているし、心配する必要もないだろう。
問題があるとしたら、熊みたいなやつだ。地元の森では何度か遭遇し、仲間が何人も犠牲になってしまった。あれは苦い思い出だ。あんな思いは二度としたくないし、出会えば逃げられないかもしれない。まあ、役所のお姉さんが存在に関して情報を出さなかったし、出没はしないのだろう。一応念頭には置いておくが、心配する必要はない。
「ケン兄ちゃん。魔物だよ」
突然、メリーが僕のズボンを強く引っ張る。
考え事をしているうちに、囲まれてしまったようだ。魔物の見た目から察するに、『コボルト』と呼ばれる魔物だろう。数は3体とそれほど多くはない。人を殺すほど凶暴でもないらしいが、メリーに怪我なんてさせられたらたまったもんじゃない。
やつらが仕掛けてきたら、始末して……それはやりすぎか、ぼこぼこにして二度と僕達を襲わないように教育してやろう。それが支配者の務めというやつだ。――別に何も支配なんてしてないけどな。
「来るなら来い! 僕はあまり剣をふるのが得意じゃないから、間違って切り刻んでしまうかもしれないけど、それぐらいは覚悟してるんだろう?」
下級の魔物というやつは、殺気に滅法弱い。だから一応殺気を放ってはみる。
僕ごときが発する殺気など、自然界において与えられる死の気配とは程遠いものだろう。所詮は元人間だ。犬になろうとその根底は変わっていない。人間だった記憶があるからこそ、僕は二足歩行の魔物を殺す気になれない。殺せば殺人を犯したような気分になるからだ。
コボルト達もそれを感じ取っているのだろう。僕の殺意は本気ではないと。
コボルトは不気味な声を上げて笑う。
まるで、僕のことを馬鹿にしているようだ、
「来ないのか? 低脳ども……」
挑発をしてみるが、知能の低いコボルトには僕の言葉が理解できないらしい。首をかしげて、こちらをじっと見ている。
ずっとこう着状態が続いている。コボルト達は何かを待っているようにまるで動こうとしない。
もし、待っているものが仲間だとするなら、早く行動に移さなければならない。これ以上、敵が増えると勝てるものも勝てなくなる。
僕はメリーを背中の方に押しやり、コボルト達をけん制する。
「来ないならこっちから行くまで……」
僕は腰にかけた短刀に右手を当て、その時を待つ。
僕の育ての親、この親というのは、元の世界における乾健二の親を指すのだが、その親曰く、危険を避けるもっとも有効な手段が1つだけあるらしい。
コボルトは、確かに低級の魔物だ。とはいっても、メリーを守りながらとなると、怪我をしないとも限らない。これが、依頼の際に負った傷というならば、名誉の勲章とも言えようが、プライベートで危険なところに行って負った傷となると、単なる自己管理が出来ない人間に成り下がる。つまり、信用性を失うということだ。
それだけは何としても避けたい。
だからこそ、コボルトの行動を限界まで読み取り――
「――逃げる!」
僕の親が教えてくれた唯一の手段……真の護身とは、危険を避けるということだ。危険な道は選ばないし、勝てない相手とは戦わない。戦わなければ傷つくこともない。
コボルトが待っている危険な『何か』を僕が待ってやる必要性などあるはずがない。
「ケン……兄ちゃんなら、そ、そう言うと思った」
息を切らせながら、メリーは僕の足に必死でついてくる。街で言った言葉を覚えていたのだろう。彼女がすぐに逃げの体制をとってくれたからこそ、すぐに行動に移せた。
コボルトはというと、呆気に取られてるようでまるでついて来られていない。
だがその代わりに、何か異様な気配がする。じっとりと舐め回すような、いやらしい視線が僕達に向けられている。
その視線はコボルトが待っていた『何か』のものだろう。こんなにも恐ろしい気配は初めてだ。
「メリー、僕の背中におぶされ!」
何者かはわからないが、多分かなり強い魔物だろう。僕達の力を見極めようとしているのがいい証拠だ。強者というのは、相手のことをじっくりと観察するだけの余裕を与えられた存在だ。その何かは、僕たちに時間的猶予を与えても、逃がさない自信があるということだろう。
僕は妹を背に抱え、全力で走った。犬は人間と同じで、持久力がある生き物だから、森から門まで全力疾走しても耐えられる筈だ。妹の足よりかは、妹を背負った僕の足の方が幾分かは早い。そのちょっとのスピードアップに、相手があきらめてくれるならいいのだが……
「ケン兄ちゃん! あれ!」
メリーが突然大声を上げて、指をさす。
僕は彼女が指す方向を見上げる。後方右斜め上だ。視線の主は巨木に引っ付いていた。全長は2、3メートルはあるだろう尻尾も合わせればもっと大きい。そいつが、鋭い牙を顎下まで伸ばし、巨大な4枚の羽を携えている。
長い尻尾を巨木に巻きつせたそいつは、濃い紫色の鱗により気味悪さを増していた。
「なんだ……あれは!?」
それは、ドラゴンと呼ぶにはあまりにも体が細長く、蛇と言うには異様な雰囲気を纏っている。かといって、バジリスクとも違う。見たことも聞いたこともない魔物だ。
先ほどまで隠れて僕達を見守っていたそれが、突然僕達に見える範囲に現れたのだ。僕たちを殺す算段があるということだろう。
スピードはあまり速くはないが、それでも妹を抱えた僕よりはずっと速い。
「兄ちゃんもっと速く!」
メリーが騒ぎ始める。
木が生い茂っている場所ならまだしも、まばらなこの森において、相手の巨体はハンデにならない。足を持たないそいつは、木を避けて這って追ってきている。
いちいち木を避けている僕の方が若干不利だ。あの気持ちの悪い羽根で空を飛んでこないだけマシだが、それでもまずいことには違いない。
――すぐ後ろまで迫っているし、このままじゃ、おしまいだ。
人生の幕引きにまで妹まで巻き込む必要はない。
僕は妹を下ろして、怒鳴るよう言った。
「メリーっ! さっさと逃げろ!!」
生まれて初めて怒鳴られたものだから、メリーは何か言おうとしたが、言えずに、そのまま泣きそうな顔で走り去った。
化け物は僕の行動を理解できなかったのか、一瞬だけ動きを止めた。
「さて、やるか……」
格好つけて妹を逃がしてはみたものの、あんな化け物に勝てる見込みなんてまるでない。
僕よりも体長がデカく、重量に至っては僕の二倍では済まないだろう。そいつが這っていた道を見ただけでも、数トン単位の体重を持つことは理解できた。蛇が通った道とは思えないほど土がえぐれて、まるで人工的に造られた一本の道のように果てまで続いている。
先ほどまでの速さで、突撃されたら内臓破裂……いや、重さと速さを考えれば即死するだろう。
そんな化け物が、動きを再開し僕の横を通りすぎようとした。
やつの狙いは、弱そうなメリーらしい……舐められたものだ。僕を差し置いて、妹に近づけると思われているとは。
「僕を無視するつもりか……?」
横を通りすぎる化け物の鱗を、縦横無尽に切り付ける。
化け物は少しだけひるんで、再び動きを止めた。
僕一人なら、やつのスピードについていくことなど容易だ。出来るだけ、時間を稼いで、それから街に帰ればメリーも無事に帰れるだろう。なんて考えは甘かったようだ。
たった数撃入れただけだというのに、僕の持っていた短刀は刃がボロボロだ。
これはいよいよ、死を覚悟した方がいいかもしれない。
武器の管理を怠った僕の責任だし、もっと生きて居たかったが、不思議と悪い気分ではない。妹を守って死ねるんだ。当然のことだろう。
「悪いけど妹には手出しさせるつもりはない。もう少し時間を稼がせてもらうよ……」
ボロボロになった短刀で、僕は再び化け物に切りかかる。
うろこがダメなら、羽、羽がダメなら目だ。とにかく、相手の攻撃を受けるよりも早く、僕が相手を撃退させればいい。
昔ゲームでやったことだ。
相手がどれほど攻撃力に優れていようが、こちらがどれだけ攻撃力が低く紙装甲だろうが、相手の攻撃を避けて、攻撃し続ければいつかは相手が倒れる。持久力と、俊敏性を兼ね備えた犬だからこそ出来る戦法だ。蝶のように舞い、蜂のように射す。ヒットアンドアウェイだ。
――それを実行しようと、僕が羽に切りかかった瞬間、わき腹のあたりに強い衝撃が走り、目の前が真っ白になる。
それから少しのインターバルをおいて、背中に強い衝撃があった。
化け物の尻尾に弾き飛ばされて、木に衝突したらしい。呼吸が出来ない。まるで体中から酸素が抜けていくようだ。
「……ぐふっ!」
口からわずかな血が流れた。内臓をやられたのかもしれない。
回復魔法をかけてもらえれば、また戦えるのだろう。だが生憎と、この世界にそんな便利な魔法はないらしい。『神の加護』とやらも、正常に機能しているとは思えないし、これ以上、僕が化け物を止められる手段はない。
化け物が大口を開けて僕の目前に迫る。だけど、後悔はまるでない。むしろそいつがメリーを追いかけなかったことに安堵したぐらいだ。――犠牲になるのは僕だけだ。
目を閉じて最後の時を待つ。犬のために生きられたわけでもない、それでもこんなに心地よい気分なのは、きっと妹がいたからだ。――家族とはこんなにもいい物だったのだな。
化け物は僕を丸呑みにするのだろうか、それとも絞め殺して保存食にでもされるのだろうか……いずれにしても、苦しい死に方は嫌だなぁ。ああ、死にたくないなぁ。
神よ……あと少しだけ、生きさせてくれないだろうか……まともな犬にもなれず、まともな犬にも会えなかったんだから、少しぐらいわがままを聞いてもらえてもいいだろう? メリーが大人になるまででいいから、なあ? 聞いてるんだろう? 女神様?
「なあ、女神様……?」
思わず、そんなこと場が口からこぼれた。
意識して口に出したわけではない。ただ気持ちがほころんで、ついうっかり口に出してしまっただけだ。
あたりは静寂に包まれ、化け物の気配すら感じられないほどの無音に包まれる。
それから数十秒後、何かが倒壊するような音が響いたかと思えば、すぐに何も聞こえなくなった。ほんの数分間の間に何かが起こったらしい。
化け物が僕を襲ってくる気配はまるでない。――まさか、妹を追って行ったのか!?
そう思い目を開こうとした瞬間に、人の足音が耳に入った。
「それで……誰が女神様なのかしら?」
聞き覚えのない声が僕の耳に入る。美しく、透き通るような声で、まるでセイレーンの歌声を聞いているような、人を魅了する声だ。
まさかとは思うが、あの化け物から発せられた声というわけではないだろう。
僕は、ゆっくりと目を開いた。
「あなたは……?」
目の前に立っていたのは、1人の美しい女性だ。
白い髪をひざ下まで伸ばして、不健康なほど白い肌によく似合う緋色の瞳を2つ持っている。神話に出てくるような女神のような容姿だが、僕はそんな容姿の存在を1つだけ知っている。――アルビノだ。神秘的で、美しく、そしてはかない。転生する前の世界ではそんな存在だった。
そんな彼女は全身を高級そうな鎧で覆い隠している。動きやすいように改善しているのか、ところどころ露出が高く、明らかに実用性に欠けている。人対人で争っている世界でもないしそれで十分なのだろう。
女性はじっとりとした目で僕を見る。
「人に名前を尋ねる時は、まず自分からって決まっていると思うのだけれど……そんな怪我の相手に礼儀も何もないか。私はアルタ・ロットワイラー。アルタって呼んでもらえるかしら」
ぶつくさ言いながらも、彼女は自己紹介をしてくれた。
って、ロットワイラーって犬の種類じゃないか……どんな名前を付けるんだよ! なんて突っ込みを心の中でいれつつも自己紹介をし返す。
「僕はケンです……」
言葉を吐きだすのも辛いが、黙っていては失礼だろう。何とか言葉になったが、それ以上は何も言えない。
「そう、あなたも犬種なのね! そんなにかしこまらなくていいわ。私も犬種だしね!」
僕の耳を見て犬種であることに気がついたのだろう、彼女はとても嬉しそうに騒ぎ始める。
まるではじめて、ほかの犬種に会ったかのようなはしゃぎようだ。
僕はそれどころではない。苦痛で今にも気絶してしまいそうだ。だがそれでも聞いておかねばならぬことがある。
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妹の方に向かったのなら、助けてももらわないといけない。助けてくれるかは微妙だが、頼んでみる価値は十分ある。
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彼女はものすごく気軽な感じで言ったが、その蛇種みたいな目つきをした魔物とやらは、おそらく、僕が殺されかけていたそれに違いない。
ふと、彼女の後ろに目をやると、無残にも輪切りにされた化け物がいた。一体どれほどの強さを持っていれば、そんなことが出来るのだろう。だけど、これで安心だ。妹が殺されることはないのだから。
安心したためか周りがよく見えるようになり、化け物の死骸のそばで、手を振っている人物が目に入った。
「おーい、アルタ時間がないよ!」
彼女の仲間らしい人物が、大きな声を出して近づいてくる。黒のショートカットで猫耳っぽいのが生えているから、恐らく猫系の獣人だろう。褐色の肌が健康的だが、胸はほとんどない。それも、ボーイッシュな彼女にとっては幸いなことかもしれない。
そんな彼女に怒鳴り返すようにアルタが僕を指差して言った。
「わかってる。でも怪我をしている人がいるの!」
人に指を指すのはどうかと思うが、今はそんなことを言ってる場合じゃないほどにお腹のあたりがキリキリ痛む。
「けが人!? それは一大事だ!」
ボーイッシュな彼女が、再び大きな声でいう。
それが痛みに響いて、なおさら痛い。
僕は激痛に我慢できなくなり、おなかのあたりを強く押さえる。痛みを感じるあたりは、ものすごく熱を帯びている。これは、放っておいたら死に至るものだろう。かといって、ここは森の中だ。街まで全力で運んだとしても数分はかかる。今日何度目かの詰みポイントらしい。
「痛そうだね……だけど、ちょっとだけ我慢してね……」
アルタが自身のカバンから何か瓶に詰められた液体を取り出した。瓶の形状からして薬の類だろう。痛みに耐えながら詳しく見てみるが、それはゲームとかでよく見るポーションの入れ物によく似ている。彼女はそれのふたを引っ張って開ける。
「アルタ……またやるの?」
仲間の娘が呆れたような口調でアルタに耳打ちしている。
「だって、この人、放っておいたら死んじゃうよ……!?」
「そうだけど、アルタが死ぬような傷を負わないともかぎらないしなぁ……」
全部僕の耳に聞こえているとも知らず、秘密話をしているつもりらしい。僕に薬を使うか使わないかでもめているらしい。
そんなやり取りが、2、3度続いて、全く引かないアルタに、仲間の方が折れた。
「まあ、任務よりも人の命が大切なのは当たり前だし、仕方ないかぁ。医者まで連れて行くような時間的余裕もないしね」
「そう、だから使っちゃうね?」
「わかった。だけど、今回の任務で大けがなんてしたら怒るからね? ポーションは貴重で、一つしか買えなかったんだから!」
いよいよ、ポーションとやらを僕に使うことで決定したらしい。
アルタは僕のそばまで来て、口を開けるように促した。
「だめだ……そんな高価なものをもらえない……!」
僕はあわてて身を引いた。
二人の話の内容から察するに、彼女たちは冒険者で、今から重大な任務に就くのだろう。その任務は大けがを負う可能性があるほど危険な任務なのだ。だから、そのポーションは僕に使うべきものじゃない。通りすがりの人間を助けるためじゃなく、自身のために使うべきものだ。
「ケン、あなたの意見は聞いていないわ! これは私があなたに飲ませたいから飲ませるの!」
アルタは怒ったような顔で、更に僕の方に迫った。この世界における女性というのは、どの人も意思を曲げるということを知らないようだ。
「えっと、ケン君だっけ? そうなったアルタは、自分の思い通りにことが運ぶまでは決して折れないから、早めに折れるのが吉だよ」
先ほどまで渋っていたとは思えないほど、仲間の女性は無責任なことを言う。
僕なんかに気を使って、大切なものを失うかもしれない……なんていう感覚はまるでないらしい。二人はそれほど自分たちの実力に自信を持っているということだろう。
一瞬にして、蛇のような化け物を倒したのだ。自分たちの力を過信していてもおかしくはない。
だが、だからこそ、僕は彼女の命綱をもらうわけにはいかない。自分の力を過信したものほど、危うい存在はないからだ。どちらかが死ぬことになるとするなら、それは強者より弱者のはずだ。もちろん死にたくはない。だが、アルタという僕よりもはるかな強者を殺すかもしれない選択は取れない。
一度失ったような命だ。だからこそ、そんなくだらないことを冷静に考えてしまうのだろう。普段の僕なら、間違いなくすぐに受け取った。だが今はそれができない。する必要もない。
「……受け取れない。死ぬなら僕の方がいい」
僕はアルタ達から顔をそむける。
――その瞬間、僕の左頬に痛みが走った。
「人は死んだらそこで終わりっ! 他人の心配よりもまずは自分の……家族の心配をするべきでしょ!?」
アルタが僕に対して説教をする。
どうやら左頬の痛みは、彼女のビンタによるものらしい。
だが一つだけ言いたいことがある。
「そのセリフ、そっくりそのまま返すよ……アルタにも家族はいるんだろう?」
彼女にもの家族がいるはずだ。それに、メリーは僕がいなくても生きていけるだろう。強い妹だから。
何も僕は死んでもいいからそんなことを言っているわけじゃない。実のところ、死なないための秘策はある。
アルタは僕の言葉に、ぷっくりと頬を膨らませながら顔を赤く染めている。たぶん怒っているのだろう。
そりゃあ、屁理屈なんて言われたら怒りたくもなる。
そんな僕たちを見て、仲間が笑い始める。
「ははは、面白い人だね。……確かに普通の獣人ならね。だけど、勇者は普通の獣人にはなれない。普通を凌駕したアルタにだけ許された特殊な職業だからね」
まるで自分のことのように自慢げにそう話す。
なるほど、勇者という職業が存在しているのか、勇者なら彼女たちのように自信満々なのも頷ける。
まずったな、これならポーションを受け取って置いた方がよかった。こうなったら、彼女からポーションを受け取るのも不自然だし、受け取らないなら受け取らないなりの理由が必要になる。
時間稼ぎも十分できたし、そろそろ大丈夫だろう。
「この通り、僕はそれほど大した怪我をしてないんだよ」
もちろん、そんなわけがない。依然として腹は痛いし、死にそうだ。たださっきよりかははるかにましだろう。ほんの少しだけだが、傷が回復し始めているからだ。完治するまでには相当の時間を有するだろうが、あと1時間もすれば走れるぐらいには回復するだろう。
それも僕が持っていたとある武器の効果によるものだ。魔力という、この世界における最大の武器による恩恵だ。
僕は使徒になったことによって、全ての武器が扱えるようになった。だからこそ、魔力の使い方だってそこらへんの人間よりは詳しいはずだ。
最初こそ、魔力なんてくだらないものだと思ったが、本当に細かい能力がまれに役に立つということを思い知らされた。魔力は獣人の生命力を高める。持っているだけで自動治癒能力がついているようなものだ。だが、内臓が破裂しているとなると、若干の心配はある。だから早いこと街に帰りたいのだが、二人がずっとここにいるものだから帰れない。
「……あれ? おかしいな、動けるような怪我じゃなかったと思うんだけど……」
明らかに疑念の目を僕に向けているアルタだが、このトリックを見破れるわけはない。なぜなら、全然トリックでも何でもなく、僕は死にそうだからだ。
だから早く去ってくれ……頼む、もう一秒たりとも耐えられないんだ。早く街に帰らないと本当に死んでしまう。
「……何事もなかったんならいいじゃない」
「いや……うんわかった。じゃあ、またね」
明らかに二人とも疑ったような顔をしながら僕を見ているが、それでも何とか納得してくれたらしい。
渋々だろうが二人は僕に別れを告げて、そのまま西の方角へ走り去っていった。
歩ける筈、そう考えて、彼女たちの申し出を断ったが、全然無理そうだ。神の加護とやらでなんとかなるとばかり思っていたのに、それもない。
痛みを耐えながら無理やり立ち上がったので、そのまま、地面に倒れ込み意識を失った。
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辺境伯の三男坊として転生した大賢者は、無能を装ったがために暗黒の森へと捨てられてしまう。次々と魔物に襲われる大賢者だったが、魔物を食べて生き残る。
こうして大賢者は魔物の力を次々と獲得しながら強くなり、最後には暗黒の森の王者、暗黒龍に挑み、手下に従えることに成功した。しかし、この暗黒龍、人化すると人懐っこい銀髪の少女になる。そして、ポーチから出したのはなんとiPhone。明かされる世界の真実に大賢者もビックリ。
そして、ある日、生まれ故郷がスタンピードに襲われる。大賢者は自分を捨てた父に引導を渡し、街の英雄として凱旋を果たすが、それは物語の始まりに過ぎなかった。
太陽系最果ての地で壮絶な戦闘を超え、愛する人を救うために目指したのはなんと日本。
テンプレを超えた壮大なファンタジーが今、始まる。
ブラック企業でポイントを極めた俺、異世界で最強の農民になります
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ブラック企業で心をすり減らし過労死した俺が、異世界で手にしたのは『ポイント』を貯めてあらゆるものと交換できるスキルだった。
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これは、ポイント稼ぎに執着する元社畜が、温かい食卓を夢見るうちに、うっかり世界の謎と巨大な悪意に立ち向かってしまう物語。最強農民の異世界改革、ここに開幕!
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出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜
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実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。
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役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。
1歳児天使の異世界生活!
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夫に先立たれ、女手一つで子供を育て上げた皇 幸子。病気にかかり死んでしまうが、天使が迎えに来てくれて天界へ行くも、最高神の創造神様が一方的にまくしたてて、サチ・スメラギとして異世界アラタカラに創造神の使徒(天使)として送られてしまう。1歳の子供の身体になり、それなりに人に溶け込もうと頑張るお話。
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転生したら幼女でした!? 神様~、聞いてないよ~!
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今井 優希(いまい ゆき)、享年三十五歳。暴走車から母子をかばって轢かれ、あえなく死亡。
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一旦このまま成仏したいと願うものの女神から誘いを受け、その女神が管理する異世界へ転生することに。
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「ようじらなんて、きいてにゃいでしゅよーーー!」
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ステラと名前を変え、女神から遣わされた魔物であるティーガー(虎)に気に入られて護られ、冒険者に気に入られ、辿り着いた村の人々に見守られながらもいろいろとやらかす話である。
★主人公は口が悪いです。
★不定期更新です。
★ツギクル、カクヨムでも投稿を始めました。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
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※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。
カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。
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