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8 新たなる武器

69 弱者

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 ◇ ◇ ◇


「遅かったね」

 アニーが少しだけ不機嫌そうにしている。約束していた時間より少し遅れてしまった。時刻は15時3分。今からは遠出でもできないが、少しでも情報を集めておく必要はある。特に、今は杖の使い方について実践の中で探る必要もあるし、無駄にしていい時間はない。
 僕は軽く頭を下げてから、本題に入る。
「遅れてすみません。それで、どのような依頼を?」
「なるほど、杖ですか……」
 横から受付のお姉さんが僕たちに会話に割り込んでくる。
 受付のお姉さんと言っても、まったくの他人というわけではない。アニーの実のお姉さんなのだから、僕の動向によっては妹が危険にさらされる可能性だって十分にあり得るのだ。僕がどのような装備を買ってきたのかを知っておく権利はある。
「ええ、今回は、この杖と、これですかね……」
 僕は中の服が見えないようにと羽織っている安物の布切れを少しだけはだけさせて、中に着込んでいた服をお姉さんだけに見えるようにした。
 犬種への差別が激しい街だ。ちょっとでも高級そうな装備をしていれば、盗まれるというのが犬種に生まれた者の宿命ともいえる。装備を見せびらかすなんて馬鹿のすることだ。信頼できる相手にしか見せてはいけない。それはイチゴに最初に教えられたこの街の掟だ。

「なるほど、ボアの皮ですか……淡い青色でかなり目立ちますね……」

 なんでも、魔物の皮というやつは、以前、軽装であることを求められる冒険者たちにとっては、軽くてある程度は丈夫な防具に使える素材として人気であったが、それよりも軽くてはるかに丈夫な素材が作られたことによって、最近では昔ほどには高値で取引されることもなくなっていたらしい。
 ただ、新素材が高額すぎるゆえに、新人の冒険者たちは買うことは愚か、借りることすらできないと言われていた。それゆえに、新人の死亡率だけがそのままとなり、新人冒険者はすぐに死ぬということから、冒険者のなりてが減り、それを危惧したたとある魔法使いが様々な実験をしているうちに魔力を込めることで耐久力が上がることを発見し、それを実用化したらしい。それゆえに、昔ほどではないにせよ、僕みたいな庶民からしてみればかなりの高級品だ。
 これは全部、イチゴが話してくれたことで、僕自身は事実かどうかはすら知らない。
 それでも、犬種を差別するものに対しては、所持していることは隠しておいた方がいいだろう。それなのに……

「こんな目立つ色だったら、街の外で冒険者と出くわしたら何をされるかわかりませんが……魔物に殺されるよりはマシですよ」
 厄介なことばかりでため息がこぼれる。
 リグダミスの件もあるが、これからはなおの事、アニーやお姉さんに迷惑をかけてしまうかもしれない。それを考えただけで頭が痛くなる。

「そうですね。もっとも、ここいらの冒険者がアニーとその仲間に手を出すとは思えないので、アニーと一緒にいるときは大丈夫だとは思いますが、1人の時を狙われる可能性は十分にありえます。妹とパーティーを組めるのはケンさんだけなんですから、くれぐれも無理だけはしないでくださいね」
 お姉さんはさも妹のために言っているかのようだが、彼女はずいぶんと優しい。たぶん僕に気を使わせないようにそういう言葉の選び方をしているのだろう。
 アニーに僕を紹介してくれたのだって、新人冒険者である僕がすぐに死んでしまわないようにだろうし、それでそれは妹の身を案じての事でもあったのかもしれない。普通、自分の妹を得体のしれない新人のそれも男と同じパーティーに入れたりはしないはずだ。それでも僕に妹を紹介したのは、やはり僕が使徒という職業だったからだろう。
 神の御使いなら、妹を何とかしてくれるかもしれないと思ったからだろう。

 その点を考えると少しだけ自分の唐突な嘘に嫌気がさしもしたが、転生したときのことを思い出して、その嘘があながち全部が全部嘘ではないということを思い出して僕はさらに落ち込むことになる。
「どうしたの?」
 アニーが心配そうに僕を見る。
 そんなに心配そうな目で見られると、なおの事、自分の事が嫌いになりそうだ。
 この世界の獣人たちは誰しもが真剣に生きている。そんな中で、望まぬものだったとしても、僕だけが神による恩恵を受けているのは不平等だとしかいいようがないし、現に、僕はその恩恵に頼ろうとしている愚か者だ。『もらえるものはなんでももらっておけ』とは言うが、やはり自分だけ優位なところにいるというのは気分がよくない。
「『力のあるものは、力のないものに使え』……」
「何?」
「いや、昔に父さん……いや、僕が尊敬する人に言われたんです。僕はそういう人になろうと努力はしまいたが、今では僕は力があるのだかないのだかわからない存在になっちゃいました」
 犬種として権力が全くない世界に、神から大きな加護を受けて生を受けた。前世で父に言われた言葉は、一体誰に向けて言われた言葉だったのだろう。もしかしたら、それは僕に向けた言葉ではなかったのかもしれない。親に恵まれ、環境に恵まれ、自分は誰よりも力のあるものだと錯覚し、両親が死んだあとはボロが出て、犬以外は何も信頼できないようになってしまった。
 こんな僕にメリーを守る権利はあるのだろうか……神の力を利用する権利があるのだろうか……犬たちの楽園を作る権利があるのだろうか……何を考えても答えは出ない。

「よくわかりませんが、素敵なことだと思いますよ。私の尊敬する人が……イザベラ様が弱者のために身を粉にして戦ったように、過去の勇者が世界のために命を懸けて魔王を倒したように、ケンさんも、何かをかけてここにいらっしゃるのでしょう?」
 お姉さんは無自覚に恥ずかしいことを言う。だが、その問いに僕は答えることが出来ない。
「僕は……わかりません」
 そう、僕は自分で考えることもせず、ただ、厳しい環境に身を置けば何かが変わると、神に臨んだ。なんの才能も持たないことを……それなのに、最後には才能に頼るしかない。
 
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