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10 伝説の魔法

137 伝説の魔法12

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『楽しむ者』に連れられて僕はいつもの訓練場所に来た。
 昨日の疲れは全く癒えていないし、なんなら心まで粉々に打ち砕かれたばかりなだ。こんな肉体精神共に疲弊した状況でまともな訓練なんて出来るのだろうか。

「肉体と精神……そのどちらも魔法には必要なものだよ! だから今日はきっと昨日の訓練より辛いものになるだろうし、何より今まで一番楽しい訓練になると私は確信している!」

 今日のケントニスはいつにもなく嬉しそうだ。というより、訓練を行う上で彼女が嬉しそうにしているのは初めて見るかもしれない。
 しかし僕がそれを見ても恐怖の感情しか湧いてこないのはどうしてだろう。

「本当に楽しいんですか?」

 今一番の疑問だ。努力することを覚悟したとはいっても、やっぱり訓練が楽しいにこしたことはない。
『努力する者、楽しむ者』ではないが、楽しければ辛いという感情も少しは薄れるだろう。精神的にも安定するかもしれない。だけど、正直なところ彼女の言葉にはまるで期待できない。期待したら痛い目を見ることになることが目に見えている。
 だから出来る限り期待しないで、それでも一応は聞いてみただけだ。

「楽しいわよ! ……私がね」

『楽しいわよ!』の後ろになんだか不穏な言葉が聞こえた気がするけど……たぶん気のせいだろう。彼女のことを疑いすぎて聞こえてはいけない幻聴が聞こえたようだ。
 僕はほっと胸を撫でおろす。
 正直なところ、聞き間違いだと思ってもいなければただでさえ疲弊している精神がもっと疲弊してしまう。だからあえて聞き間違いだと思うことにした。こういう時こそポジティブにいかなきゃだめだ。

「そうですか、それはよかったです」

 何がよかったのかは自分でもわからない。

「私が楽しいからね!」

 聞こえなかったと勘違いしたのか、彼女はものすごい大きな声で言い直した。
 せっかくポジティブシンキングでやり過ごそうとしたのに、そのすべてが台無しになってしまった。でもそれでよくわかった。今日の彼女は、なぜだかわからないが気分を上げてから下げることで僕の精神を疲弊させようとしているらしい。何かしら訓練に関係ているのだろう。

「そ、そうですか」

 自分で言うのもなんだがとことん腑抜けた返答だ。
 例え訓練のために彼女がそうしていると頭では理解していても、心の方は簡単に揺さぶられてしまう。まさに僕の弱点だ。魔法を行使する上では絶対に対策しておかなければならない。

 精神が衰弱している僕を見て満足したのか、彼女は「うんうん」と何度もうなづいて今日の訓練について話す。

「今日は昨日とは趣旨を変えてみようと思うの! どんなことでも努力する上で重要なのは、辛さと楽しさの両立。ただきつくて辛ければいいというわけじゃないの――だからね、もうちょっとだけ楽しさを追加してみようと思うんだよ!」
「本当ですか!」

 思わず声が上ずってしまった。あの服を着なくてもいいのでは、という期待に心もほんの少しだけ持って行かれた。
 だけど冷静になって考えるとやっぱりおかしい。彼女は、ケントニスは確かに言った。『時間がない』と。時間がない中で僕が彼女の期待通りに成長できているのならまだしも、昨日のことを考えてみれば結果は全くの真逆だ。自分で言うのもなんだがふがいないったらありゃしない。そんな中で、彼女が訓練を緩くしてくれるとは到底考えれない。
 だがそれでも、一度起こってしまった心の昂ぶりは容赦なく僕の鼓動を早くする。
 結果は分かっているのに、頭のどこか奥底に『希望』という名の悪魔が住みついて出て行ってくれる様子はない。しかし時が待ってくれるわけもなく、それでも時は意地悪なようでケントニスの口が開くスピードをゆっくりにした。

「じゃあ、まずこの服を着てね!」

 あまりにも言葉がゆっくりに聞こえすぎて言葉の意味が分からなかったが、その差し出された服を見て期待は絶望へと変わる。
 まあ、正直なところわかってはいたけど、こんな服を着せられる時点で楽しみなんてあるはずもない。
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